PRISM
眩しくて目を開けてはいられない。夏はそう思った。
涙なぞを零したのはいつぐらいぶりだっただろう?
込み上げたものは涙だけではなく、それらで視界は更にぼやけた。
柔らかい身体に触れて手足が竦んだ。それは怖さではなく畏れだ。
海の底で息が詰まるような、空中で身の制御がままならないようでもある。
対処の仕方がわからなくなっている。体は弄ばれているかのように感じる。
実際には、そこに触れて捉えて、啄ばんでいるのは自分の方だというのに。
溺れるとはこんな感覚かもしれないと思うと、頭の芯がグラグラと震えた。
絶え間ない波となって襲ってくる感覚と想い。それは愛しさと疚しさを伴う。
苦しげな顔と声が疚しさを、縋る仕草が愛しさを、感じる波はどれも烈しい。
堪えきれずに肌の上を滑る涙が見事なまでに身体の美しさを際立たせる。
こんな綺麗なものを夏は見たことがない、他にはないと強く確信した。
それほどに自分の抱いている身体が美しくて、どうしようもなかった。
差し出されて途惑うばかりの光、オレはこのまま死ぬんじゃないのかと思えた。
荒い息と鼓動は響きあって、お互いが正に生きていると深く確かめ合っているのに。
感動で声が出ない。ただ夢中で触れて、ひたすら抱きしめるだけで精一杯だった。
優しい温かな身体は美しさを損なわないまま、夏の腕の中にあった。
消えてなくなりはしないかと不安で、離せずにずっと抱いたままでいた。
穏やかな寝息に耳を凝らして、髪を梳いて、優しく何度も何度も撫でた。
見つめすぎて穴が空くほどだったが、見惚れ続ける身体は眠っていた。
やがて朝が日を連れてやってきても、夏はずっと眠れずにいた。
腕の中の命が目を覚まそうとする瞬間、彼はほんの少し不安だった。
あの澄んだ瞳が開いて自分を見たとき、そこに陰りを見つけたらどうしようかと。
そんなことになったら、自分のした行為は何もかもが償えない罪になると思えた。
向き合った顔に赤みが差し、目蓋はふっと音も無く開いた。
吸い込まれそうな大きくて瑞々しい宝石が夏を真っ直ぐに見た。
身構えて息を呑んだ。まだ覚醒しないのか眼差しは意志を持っていない。
しかしゆっくりと瞳は輝きを増していき、目覚めを知らせる鐘のように響いた。
どうしてどこもかしこも美しいのかと半ば呆れるほどに夏はまた見惚れていた。
「・・・・なっちぃ・・?」
「うん、どうした?」
「起きてたの?ほのか今起きたけど・・」
「まぁな。おはよう。」
「お、おはよ。・・あのさぁ・・なんも着てないねぇ?」
「寒かったか?ちゃんと寝てると思ったんだが・・」
「ちっとも寒くない。それによく寝たみたい。そうじゃなくって・・」
「まだ痛いのか?その・・」
「ちがっ・・痛くないよ!んと・・その・・なっちも着てないでしょ!?」
「あぁ、面倒だったんで・・そのまま・・」
「う・・だよね・・見ないで!明るいからこれじゃあ丸見えだよ!」
「見るなって、何を?」
「ほのかのこと!それになっちも早く何か着て!!」
「えーと・・恥ずかしい・・のか・・?」
「当たり前でしょ!?あんまり見ちゃダメ!」
「・・えーと・・そんなこと言われても・・」
「やだあっ・・もうっ!」
「ほのか!?」
夏には予想外のことだった。幸い危惧していたようなことではなかったが。
ほのかは目を覚ました途端、恥ずかしがってシーツに埋もれ隠れてしまった。
見るなと言われて途惑う。確かに凝視していた。それはもう昨夜からずっとだ。
別の不安に駆られ、夏はおそるおそるほのかに声を掛けてみたが、返事がない。
「ほのか!出て来いよ、なぁ、オレはどうすりゃいいんだ!?」
しばらくすると、シーツ越しにくぐもった声が小さく夏の耳に届いた。
「・・何か着て先に起きてよ・・ほのか後で着替えるから・・」
「見るなと言われても・・もう見ちまったんだが・・?」
「!?そっそれは・・いいから。今はその・・明るくて恥ずかしいの!」
「はぁ・・?なんでそんなに恥ずかしいんだ?」
「なんでって・・・ほのかはなっちみたいに自信家じゃないんだよっ!」
「オレ?何を言ってるのかよくわからん。・・まさかと思うが、体のことか?」
「まさかって・・うう〜!」
「そうなのかよ?オレは別に・・ていうかオマエ自信ないのか?」
「!?っ・・悪い!?そんなものないよっ!!ばかぁ・・」
「えー・・?・・わかんねぇなぁ・・なんでなんだよ?」
夏の真剣で深刻な口調に、不思議に思ったほのかがシーツの端から覗き込んだ。
亀みたいな格好でうずくまるほのかが、顔を見せてくれたことに夏はほっとして、
「・・出てこいよ・・寂しい・じゃねぇかよ・・」
めったに素直なことを口にしない夏が、情けない告白をしたことにほのかは驚いた。
思わず飛び起きてしまい、その勢いで落ちそうになったシーツを慌てて身に纏い直した。
「なっちこそどうしたの?寂しいって・・ほのかが見えないから?」
「ああ、そうだよ。」
「!?そ、そうか・・ウンわかった。顔は出すよ。」
「・・・良かった。顔色は悪くないな。どこもなんともないのか?」
「なんともないよ、元気だよ。もしかしてずっと心配してたの!?」
「・・・悪いかよ・・」
「ばかだねぇ・・えっもしかして!?なっち、ちゃんと眠った!?」
「・・いや・・」
「バカ!何してんのさ!?寝てなさい、ほのかご飯作ってくるから。」
「眠くない。腹減ったんならオレが・・」
「んもう・・じゃあね、もうちょっと寝ようよ。今何時?」
「・・・まだそんなに・・!?結構時間経ってんだな?!」
「お腹減ったね・・やっぱり起きてご飯食べようか・・?」
「オマエもうちょっと横になってろよ。」
「ダメ、起きる。でもってなっちは今日お昼寝しなさい!わかった!?」
「大丈夫だよ、オレは。」
「心配させないの!ほのかも一緒にお昼寝するから、それならいいでしょ?」
「オマエと?・・うーん・・」
「何か文句あるの!?」
「や、いいけど・・」
「けど?」
「寝るだけ?なんもしねーの?」
「!?ばかっ!!」
明らかに余分な台詞のせいでほのかはむくれてしまった。夏は詫びたが、
ほのかはまたシーツに包まってしまい、困って端を引っ張ってみたりした。
「・・なぁ、機嫌直してくれよ。何食べたい?なんでもいいぞ?」
「・・・知らないよっ・・ねぇ、それより服着てよ!」
「着るよ、着るから。」
「・・ああでもほのかも見られたんだよねぇ・・ううう・・」
「どうしてもそこがわからん。なんでそんな自信ないんだ?」
「そっそんなにスタイル良くないもん!知ってるよ、そんなの。」
「・・そうか?どこが不満なんだ?そんな綺麗なのに・・」
「!?・・なっちって・・目悪いの!?」
「視力なら正常だ。」
「おかしいよ!ほのかなんて別にスタイル良くないし、色白ってわけでもないし。」
「・・・けど・・マジでオレは・・」
「わっわっ・・!?もういいよ!恥ずかしいよ、なっちぃ!!」
「え?今なんも見てねぇけど。」
「真面目な顔して、きっキレイとか言わないで!恥ずかしい・・」
「・・ウソじゃないって。ホントに・・」
「わーっ!わかった。なっちがほのかに不満じゃないなら、それでいいよ・・」
「そうか、良かった。なぁ、それより・・」
「?」
「顔もっと見せてくれよ。さっきも言っただろ!?」
「・・・さびしい・の?」
シーツに包まったほのかを後ろから抱き寄せると、夏はほのかの顔を上向けた。
覗き込むようにして向けた瞳の奥には陰りなど僅かにもなく、冴え冴えとしていた。
それを確かめて夏が安堵したように微笑むと、ほのかはほんのりと頬を赤くした。
キレイだなとほのかは思った。夏の眼差しはいつも透明な湖水のようだと感じる。
その眼差しに見つめられると、自分も清められていくような気がするのだった。
そんな夏の瞳が自分を綺麗だと見てくれるなら・・そうなのかもしれないと思えた。
見た目じゃなく、体の内から美しくなっていける、そんな風にも感じられるのだ。
そっと包まれたのは体の次に顔の輪郭で、唇が触れる予感にほのかの胸は揺れた。
目蓋を下ろすとその予感は幸福な想いを伴って現実となる。揺れ動く胸だけを残して。
「・・・ほっとした。」
「何に?ほのかが怒ってないってわかったから?」
「夢みたいだったから・・ずっと確かめたかったんだ。オマエがここに居るって。」
「・・・ずっと一緒に居たのに?」
「昨夜は眩しくて目を開けてられなかったから、オマエの目が閉じてからずっと見てた。」
「・・・ずっと?ほのかのことを!?」
「けど目は閉じてたから、寂しかった。オレを・・見ていて欲しかったんだ。」
「見てるよ、今も。・・ばかだね・・」
「そうだな。」
「そんななっちがすきだよ、だいすき。」
迷いの無いほのかの言葉に堪えきれなくなって、もう一度触れる。
重ねるとまた光が溢れ出して、彼の目を射るのにも構わずに。
身を寄せ合うと光を浴びて二人で一つに融けてしまいそうになる。
それは夏とほのかの二つの体を行き交い、熱さと切なさを増す。
重ねる肌はこのときのためにあると知る。それは生きる糧の一つ。
シーツが滑り落ちて輝く肌が現れると、二つの鼓動がまた大きく鳴った。