繋いで


 はっと目が覚めた。未だ暗いし眠いけれど起きないと。
隣で眠っている彼は夢でも見ているのか口元が弛んでいた。 

 「起きて、さんがく。5時半だわ、起きないと。」

一度で起きた試しはないので諦めず身体をゆすり声を掛ける。
もにゃもにゃと半分寝言みたいな返事を聞いてベッドから出る。
簡単に身支度して簡単な朝食の準備。もそっと起きてくる彼に
とっととシャワーを浴びて目を覚ましなさいといつも通り命ずる。

 「ふわあ・・いい匂い。今日は果物ある?」
 「桃があるわ。ヨーグルトは?」
 「いる〜!たーっぷりかけて。」
 
 やっと朝らしい光が窓から刺してきてほっとする。とはいえ
まだまだ仄暗くて日本の朝とは違う。空気も乾いていて夏も寒い。
朝食を摂ると今日の予定を確認し、暫くしてロードを携え家を出る。

 「行ってきまあーす!」
 「行ってらっしゃい。」
 「あ。今日はおやすみでしょ?どっか行く?」
 「・・朝市は覗くわ。果物を買いに。後は・・特に予定ないけど。」
 「そっか。今日はちょっと早めに帰るから。帰りにメールするね。」
 「あら、じゃあ晩ご飯早めに支度するわ。」
 「ううん、今日は作らなくくていいよ!食べに行こ?」
 「珍しいわね」
 「えへへ、実はこの前のレースの賞金出た。ボーナスだよ〜!」
 「そう、よかったわね。・・どこに行くの?予約は?」
 「今晩はオレに任せて。じゃあ終わったらメールするからねv」

 いつものようにチュッと軽いキスをして彼は出勤した。といっても
そんな風には見えないかもしれない。彼はプロのロードレーサーだ。
ラフな格好だし、髪はボサボサ、高校時代の彼を知る人なら口を揃えて言う
だろう。「全然変わってないね!」。そしてほぼそのとおりで正解だ。
何故なら彼は今日も明日もこれからも毎日ロードに乗って走り回っているので。

 普段はチームメイト達はバラバラに生活していて早朝からほぼ自主トレである。
プロ限定のレース開催が近づけば契約スタジアム等でチーム内合同練習に入る。
開催地は欧州各国なので移動には交通費もかかる。上位チームであっても旅費は 
基本自己負担だ。スポンサーによる器具援助はあるが給料は概ね諸費用で費される。
依って私も働いて二人の食い扶持を援している。近頃は互いに多少余裕も出てきた。

 今住んでいるのは所属チームのあるオランダ。以前はフランスにいたが移籍した。 
そして私はというと・・高校時代までずっと彼のお隣さんで幼馴染で世話を焼いて
本人には逃げられるわ、女子には恨まれるといった生活を送っていたが、卒業後は
大学に進学し、ごく普通の女子大生していた。留学して、プロと契約したとかの
情報だけで、しばらく音信不通だった彼が突然帰国したと思ったら着いて来て!と
強引に私を欧州へと誘った。そしてうっかり彼に絆されるまま留学、休学そして退学。
フランスで再入学して一応学士を取った。そして彼の身の回りのことなどをその間
サポートし続けた。つまり高校時代とあまり代わり映えのない生活を送っていたのだ。

 ただ高校時代とは違うこともあった。彼のサポートや仕事に一生懸命だったので
時間と経費節約という理由で寝起きを共にすることになった。そしてそんなつもりは
なかったというかまさかと思っていたのだが、ごくプライベートも共にすることに・・
つまり私たちは世間で言うところの同棲生活という形態に変わってしまったのだ。


 ”・・・もうそんなになるのか・・・・”

 ふと彼とのこの生活が何年になるか指を折ってみると3年半程だった。
日本の彼とうちの両親にはいずれ結婚するなんて適当なことを言ってしまった。
それで納得されるくらいには幼馴染期間が長く、山岳は信頼されていたのだ。
実際はいつの間にか連れられて流されて、気付くとここに居たという・・むにゃ;

 私はどうしたいんだろう?きちんとそうしたことをしたいだろうかと自問する。
フランスに滞在中に居住権は得たが、日本国籍は残しているので帰国は可能だ。
働いてもいる。主に通訳だ。まさか自分がと思ったけれどなんとかなるものだ。
日本語を教える(主に子供相手だが)アルバイトもしているし貯金も多少ある。

 突き詰めると私達には話し合いが足りていない。圧倒的にこれがいけないのだ。
意外といってはなんだけど山岳はストイックに毎日ロードと家を行ったり来たり
する毎日で友達と会う時は家だったり私も連れられたりという交流なので浮気は
おそらく無い。家にいるときは完全に甘えっ子だし、なんだかんだ・・することはする。
だけど、彼の口から結婚をほのめかすワードが出てくることがないまま今に至っている。

 ”・・わたし・・もし産めるなら若いうちにこども産みたいなあ・・”

 産むなら絶対日本じゃなくこちらでと思う。お産に費用が全く掛からないことと
働きながらでも何かと有利だし、環境も今住むところはかなり良いと感じている。

 ”・・けどこればっかりはね、私一人じゃどうしようもないし・・” 

 シングルマザーになるにしてもこっちがいいわね、なんて思うけどそこまでして
子供が欲しいかとなるとそうだとは言い切れない。何より一番気懸りなのは山岳が

 ”もし、ほしくないって言われたら・・想像しただけでも・・こわい。”

それは踏み出せない大きな理由だった。私だっていつまでも若くない。産むのなら
若い方がいいと思う。やっぱり思い切って相談するほかに進む道はないという結論に
溜息を吐き、勇気のない私はまたそれを棚上げして現実へと気持ちを切り替えるのだ。



 「えっ・・ドレスなんて持ってないわよ!急にそんなこと言わないでよ。」
 「ごめんオレも今日知ったんだ。突っ込まれてそうだオレも持ってないって。」
 「もうそこはキャンセルしていつもの所で済ませるとか」
 「ドタキャンなんて無理!オレずっと前からそこ予約して待ってたんだ。」
 「それならそうとなんで言っておかないの!?」
 「うう・・スミマセン・・」 
 「しょうがないわ、上の階の友達夫婦に借りる。待ってて。」
 「委員長、さすが!頼もしい!」

 思い切り睨みを効かせて急ぎ連絡を取ってみるとあっさりOKでホッとする。
幸い彼らの体型なら私達になんとかなる。(私の胸の辺りだけ詰め物すれば)
アクセサリーや靴まで借りて恐縮至極だったが、彼女らはとても良い人たちで

 「あなたの作る料理で今度ご馳走してくれたらそれでチャラよ!」だそうだ。
特別私の腕が良いのではなく(山岳が手伝ってもいる)優しくて親切なのだ。
そんなことでバタバタして予約時間にはギリギリという格好悪いことになったが
人気店のわりにこじんまりとした感じの良い店で、借り物のドレスとヒールに
よろけそうな私を支える山岳がそこそこ有名になってきたレーサーということと
その店のスタッフにロード好きが多かったりということもあってか優遇された。

 「・・美味しいわ・・」
 「ホントだね〜!委員長も珍らしく飲むし。」
 「ええ、こんなに飲みやすいの初めて。もしかしてこれもお高いの?」
 「大丈夫だよ、そんな心配しないで。あとちょっと・・あの・・さ、」
 「なあに?」
 「胸元、気を付けて。屈むとその・・うん、オレは良い眺めだけどさ!」
 「!?わ・悪かったわね!どうせ胸が足りないわよっ!!」
 「そんなこと言ってないよ!すごく似合ってる!色っぽい!」
 「フン」
 「うわごめん〜・・」

 珍らしく慌てている山岳に怒っているポーズを見せつつ内心では面白がる。
滅多に着ないきちんとしたスーツ姿の彼は予想以上に素敵でクラっとしてしまう。
普段ボサボサの頭も少しだけ整えて、私もいつもと違ううなじを見せたアップにして
コサージュには生花を使ってみた。(花瓶から拝借しただけだけど)ドレスは赤の
タイトなワンピース。首には細身のネックレス。ピアスは無しにしてお揃いのブレス。
全部が借り物というのがちょっと悲しいところだけれど、こんな場面は本当に珍らしく
借り物でも十分かもなんて考えていると、妙に緊張している山岳が妙なことを言い出す。

 「あ、あのさ、こういう服も一着は揃えておこうよ。」
 「え、もったいなくない?そんなに着ないし・・」
 「これからは機会も増えるかもしれないじゃない。」
 「そう?チームのパーティも結構ラフじゃない。急にどうしたのよ、山岳?」
 「う・うん・・・えー・・あの・・その、いやなんでもないです・・」
 「あんたがこんな場所で緊張するとか・・熱でもあるんじゃない??」
 「無い無い。けどレースよりずーっと緊張するよ!」
 「食事中もちょっとおかしかったわね。」
 「うん・・そうかも。オレもそう思う。」
 「そういえば食後のコーヒー遅いわね、食事終わったのに。」

 どういうわけか食事が進むに連れそわそわし始めた山岳。何か隠してる?
店内にお客が見えず、貸切みたいでここテラス席も山岳と二人きりだった。
食事は申し分なかった。値段はまあそこそこするかもしれないがなんとかなる。
およそ普段とはかけ離れた彼の様子に私まで不安になってきた。もしかしたら・・
考えたくなかった一つの予想が浮かぶ。まさか、ここで・・別れ話・・なの?
考えただけでぞっと背筋が冷えた。どうしよう、別れる覚悟はまだ出来てない。
子供だとか結婚とか、そんな甘いことを心配する以前に覚悟しておくべきだった。
私は自分がいかに楽天的で呑気なのかと悲しくなった。そして益々別れ話のような
気がしてきて気持ちがどんどん落ち込んでいきそうだった。


 「お待たせしました、lady・・」

 給仕がやっと食後のコーヒーを持ってきたのかと私は思った。目の前に
コトリと置かれたそれはコーヒーではなかった。驚いて目を丸くしてしまう。

 「え?なぜ薔薇が・・?」

確かに白い皿の上から香ばしい匂いがしたが、それは生の薔薇の香りだった。
小さなカードが添えてあるが伏せられて文字は見えなかった。思わずそれに
手を伸ばした途端、向かいにいた山岳が立ち上がって皿の上の一輪を掴んだ。

 「こっこれっ!・・受け取ってくださいっ。」
 「えっ・えっ!?」

私の横にものすごい勢いで薔薇を掴み取った山岳が跪いている。

 「あっ次どうだっけ!ええっと・その、いいやもう!委員長っ!!」
 「えっ・・えっと・・ハイ。」
 「オレとっけ・・ッコンしてっ!」
 「トっケ?え、なにをしてって?」

目を瞑って言った山岳が私の言葉に「えっ!?」と驚いて目を開けた。
困惑している私の背後から先の給仕さんが「コレが落ちましたよ」と
薔薇の花に添えてあったカードを私の目の前に差し出す。そこには見覚えの
ある文字が日本語で書かれてあった。
 

 『 オレと結婚してください。 真波山岳 』


 申し訳ないことに、私はしばらく事情を飲み込めないまま固まっていた。
フリーズしている私にオロオロし、後で聞いたら給仕さんだけでなく店中の
スタッフ及び友人達が、成り行きをハラハラと見守って待機していたらしい。

 「あっあのっいいんちょう?あの、これ。そうだこれだった!」

完全に段取りを間違った風の彼が放心する私に小箱を開いて見せた。 
そこには指輪が小さく収まっている。そのことを確かめようと山岳が覗き込むと
「あ、あるある」と安堵した様子にふっと笑いが込み上げ、そこで気が弛んだ。

 「サイズはたぶん合ってるよ!ちゃんと確かめたからっ。」
 「そんなこと今頃心配してるの?バカね・・」
 「はは、それもそうだね。これを忘れなかっただけオレエライかも。」
 「忘れたことがあるみたいな言い方。」
 「えっあ・・うん、実はあります・・」
 「これっていたずらじゃないのね?本気なのね!?」
 「もちろんだよ!なんでいたずらなんかすんのさ!」
 「ごめんなさい、なんだか夢みたいなんだもの・・」
 「・・それってイヤってことじゃないよね?それじゃ」
 「はい」「私と結婚してください」
 「っ・・や・・ったあああああっ!いいんちょうっ!愛してるよっ!!」

 嬉しさやら何やらで涙がポロポロ溢れてきたけれど、そんなことに構わず
山岳は私を抱き上げて振り回したうえに、ぎゅうと息が詰まる程抱きしめた。

 「はっハナシ・・くるしっ・・さんがくっ!」

 パアン!と派手な音が一つ鳴り響くと続いて何発もパンパンパンと鳴った。
わっと周囲から見知った顔やら店員達までもが駆け寄ってテープや花びらまで
降ってくる。暗めだった店に明々とライトが灯ると皆が口々の「おめでとう!」
の言葉をシャワーのように掛けてくれ、私はもうわけもわからないままぺこぺこ
頭を下げたり、ありがとうと言ってみたり足元がフワフワで倒れそうでもあった。 

 「あ〜・・やっと言えた。みんな、ありがとう!」

 山岳がそう言って周囲に頭を下げると彼らは笑いながら私の知らないことを
あれこれ話してくれてまたびっくりした。

 「一度も勝てないままだけど結婚したい。どうすればいい?」に始まって
彼はプロポーズの仕方などを色んな人に尋ねて廻ったと言うではないか。
そんな恥ずかしいことをしていたのかと呆れたが、それだけではなかった。

 「指輪のサイズがわからなくて私にも泣きついたのよね、山岳。」

そう言ってウインクするのはドレス一式を貸してくれた彼女。そうだったのか。
それと求婚に何度か失敗していたという事実に一番驚いた。一つ目は朝起きた時に
言おうと思ったら私がその日早朝に出かけてて誰もいないベッドで空振りだったとか
友人にベビーが誕生するというのでオレ達もあやかりたいとかなんとか言ってみたら
その時は公園だったせいで人懐こい散歩中のイヌに突然飛びかかられうやむやに。
(ああそんなことあったわ、そういえば)どうもそんな失敗談は一つや二つではない
なんてサプライズだ。なのでこれからゆっくり一つ一つを白状させることに決めた。

 「私、結婚したくないとか子供はいらないと言われるのが怖かったの。」
後に正直に告白すると山岳は私を抱き寄せながら、同じように告白をした。
「オレも一生オレの面倒を見るなんてむりって言われるのが怖かったんだ。」
しゅんとして勇気がなくて申し訳ないと項垂れる山岳を私は抱きしめ返した。

 「私達、長いこと一緒の幼馴染だもの。”似た者同士”なのよ。ね?」
 「うん、そっか。そうだよね!これからもずーっとよろしくね!?」

 たくさん悩んだ日々も今は良い想い出。別れ話ではなくて、あの日あの時に
私たちはお互いのことを打ち明けて前より強く縁を結びあった。身近な人に手伝って
もらったおかげで歓びも分かち合えた。子供のことも結婚もそしてもっと色んなことを
話していこうと約束した。私たちの過去も現在もそして未来もこうして繋がっている。