生命の水


 
 どうしてあんなにまっすぐでさらさらだろう。
おんなのこはフワフワしててやわらかそうだけど
なんでだか委員長は少しちがう。委員長はさらさらだ。
あの髪のように。あの髪が縛られていない時は珍しい。
けど見たことはある。どきってなってうわあってなる。

 さわってみたいなっておもう。けどできないんだ。
おんなのこに無闇に触れてはならんよっていう先輩とは
ちょっとちがっててさわったらなんだかダメな気がする。
でもどんなだろうって想像することはある。なんかいも。
だけどやっぱりさわったことがないからよくわからなくて。

 なにも考えずにただ楽しくてのぼっていた山と坂。
委員長はそれに一番近い。似てるっていうか・・なんだろ
いつものぼった先にいるようで、気が逸る。いないんだけど。
だから初めて山で出会った時は嬉しかった。あ、いる!って
なぜだか委員長のいる場所はパーっと明るくてよく見える。
すぐわかる。オレに会いに来てくれたんだ。そう思った。
ペダルが軽くなって、体も軽くなる。羽が出そうになった。
応援っていつもらっても嬉しいものだけど、委員長はね
そこにいるだけでもう、なんていうかな、アガるんだ。
あのさらさらの髪が風でなびいてた。一瞬のご褒美だね。
ダメだけど、さわらないけど、間違いない。さらさらなんだ。
まるで波だ。オレの名前みたいに真っ新な波を思い浮かべる。

 なんてありえないんだろ。委員長はオレの不思議。
やっぱり頂上を制するのが無理っぽい険しい山みたい。
うれしいようなくやしいような気持ちでぎゅっと枕を抱いたら
部屋をノックする音と母さんの声が委員長の来訪を告げた。
 
 「入るわよ、さんがく。寝てたの?」
 「委員長。ううんゴロゴロしてた。もしかしてプリント?」
 「それもあるけど、お見舞いよ。どうなの?」
 「あるんだ・・うん、足はもう平気。」
 「無理しちゃダメよ。部の先輩方もそう言ってたわ。」
 「でもさ〜退屈で。」
 「と思って来たのよ。プリントしましょう。」
 「うっげ!・・やっぱ寝ようかな〜・・」
 「今のうちしておけば治って直ぐに走りにいけるじゃない。」
 「そりゃそうなんだけどさあ。」
 「一緒にしてあげるから。」
 「は〜い・・」


 「・・もう休憩させて。おねがいいいんちょう・・」
 「しょうがないわねえ・・じゃあ少し休みましょ。」
 「やたっ!?」
 「元気ありそうだけど?」
 「えっいやうっイタタ〜!」

 怖い顔して睨まれたのはバレバレのオレの演技のせい。
ふっと軽く息を吐いて委員長はプリントをチェックし始めた。
伏せた瞼は眼鏡越しだからなのかとても長く見えて見惚れる。
相変わらずさらさらの髪だなあとぼんやりと眺めていた。

 「心配しなくても大丈夫。大体合ってるわ。」
 「えっあ、うん。よかった。」

オレの視線をプリントの出来の心配と勘違いしたんだね。
内心ホッとしているとタイミングよく母さんから差し入れ。
委員長がぺこりと頭を下げてお礼を言っ時また髪が流れる。

 「髪、のびたね。」
 「え、ええそうね。」
 「切らないでね、委員長。」
 「・・私の髪はフワフワじゃないけど?」
 「うん、でも委員長のは特別。切っちゃやだからね。」
 「そっ・・ま、まあ・・切る予定ないけどね?!」

赤くなった頬を隠すように俯く委員長は髪をいじって誤魔化す。
ああフワフワじゃないけどやっぱり委員長はさらさらだ。きっと
髪だけじゃない。頬も額も。肩もどこも。たぶん・・想像だけど。

 「委員長。あのさ、かたっぽだけ髪解いて?」
 「はあ?!なんでまた・・片方だけ?」
 「そうそう。ちょっと確かめたくて。」
 「なにを?」
 「いいからいいから」

怪訝な顔をしながらも委員長はきちんと分けられた髪の片方を
髪留めをシュッと外して解いてくれた。さあっと髪が流れ落ちる。
うわあと感嘆の声が出た。そしてちょっとまだ怪訝なままの顔で
委員長はオレを見た。”いったいなにがしたいの?”って思ってそう。
オレは少し下がって右と左でちぐはぐになった委員長をじっと見た。

 「う〜ん・・やっぱりちがう。けどなにがちがうんだろ?」
 「違うって何よ?解いた時とそうでないのを比べたいの?」
 「うん、まあそう。でもよくわかんないや。」
 「なんなの、それ。ヘンなの・・」
 「ごめんごめん。あっそうだ、眼鏡。眼鏡も外してみて。」
 「ええ?!なんなのよもう。・・はい、外したわ。」

今度は不安そうな顔でオレを上目で見る。そうだよね、唐突だし、
ヘンって言われたらそうなんだろう。だけど見てみたかった。
かたっぽだけ流れた髪、足りない気のする頼りない委員長の顔。
いつものきちんとしてしっかりもののイメージが崩れてしまって
アンバランス。それが委員長自身も不安定にさせちゃってるのかな。
どうしようとしてるのかと視線はさっきより強くオレに尋ねてくる。

 「ホント、ごめん。なんかオレ不思議でさ、委員長が。」
 「私のどこが。不思議なのはそっちじゃない。」
 「はは、オレよく言われるなあそういや。でも委員長、」
 「なあに?」
 「委員長もオレを不思議って思うの?」
 「・・思わなくないけど・・さんがくだもの。ふつう?」
 「そっか。うん、オレは変わってないしいつものオレだよ。」
 「変わってなくはないでしょ!それを言うなら私の方が」

 「ううん、委員長は変わった。もしかしたらオレだけかな。」

なにせ幼馴染だし。知っているのはオレだけかもと言ってみると
委員長はなんだか困ったようだったけど、わかってくれたみたい。

 「私・・あんたの目から見たら変わったの?」
 「そりゃもう。不思議。毎日ちがう気がしてる。」
 「ふうん・・自分じゃちっとも変わらないけど。」
 「そんなことないよ。少なくとも見た目は変わったって。」
 「だからそこはあんたもよ。元気になったし、大きくなって」
 「そうかな?なかみは相変わらずだよ。委員長。」
 「なかみ・・そうかしら・・誰だって変わるわ。」
 「えっそう?!」
 「同じなんてことありえない。誰だって成長するんだから。」
 「そうかなあ。」
 「そうよ。ただ、変わりたくないと思うことがあるのね。」
 「・・・うん、そうかも。」
 「でもしょうがないことよ。変わってもいいんだからね。」
 「なんでそんなこと言うの・・?」

変わっていいと諭す委員長は口調ほど大人っぽく見えなかった。
どちらかというと寂しくておいてけぼりされそうな子供みたい。
そう思ったらなんだかたまらなくなった。ねえ、どうしてかな。
キミはひょっとして・・大人になりたくないの?変わってしまうから。
でもね、山はどんなに季節で表情を変えても、変わらずそこにあるよ。
オレはなにがしたかったんだっけ。そうだ、確かめたかったんだ。

 「変わっても変わらないことはあるよ、委員長。」

口から溢れでた言葉に委員長は目を瞠った。長い睫毛が震えた。
眼鏡がなくて頼りない顔になってても委員長は委員長じゃないか。

思わず肩を掴んでそう告げたら驚いた瞳が大きく大きくなった。
オレが近付いたからだけど瞳もやっぱり大きくなってたとおもう。
って気付いたら肩に触れていた手の感触にびっくりして手を離した。

 「わ・ごめ・肩・・ほそっ・」
 「・・わ・わるかったわね。」
 「え、いやわるくないよ、じゃなくてさわってごめんね?」
 「べつにいいわよ。そんな風に手を離された方が傷付くわ。」
 「びっくりしちゃって。だってさ、さわったらダメでしょ?」
 「先輩?誰かにそう言われたのね。」
 「オレがそうしちゃいけないと思って。」
 「・・そうね、誰にでも触れていいことないし。」
 「委員長にしか思わないけど、誰にでもそうなの?」
 「しっ失礼ね!私だけさわったらダメとか・・ひどい・・」
 「えっ!!ええっ!?ちょ・委員長!?泣かないで!」
 「うるさい・・泣いてなんか・・ないわ!」

委員長は背筋を伸ばしながら目元を拭った。大嘘じゃないか。
拭った手の甲が濡れてるじゃん。目元だって真っ赤だよ。それに

 「委員長にふれたらダメなんだよ。けどそれは嫌だからじゃないよ。」
 「いいわよ、もう。べつにきにしないから」
 「ウソばっか!」


息を呑んだのは委員長だ。ウソ吐きな口元を覆い隠すように
委員長の頭をオレが囲ったから。さらさらした感触が頬を擽る。
おっかないような気持ち。禁忌を破るようなそんな背徳感が襲う。
それでももどかしい気持ちが優って委員長の小さな頭を胸に寄せた。
半分だけ流れていた髪が片腕のオレの腕をカーテンみたく覆った。

二人共無言でどれくらい経ったかわからない。ただそうしてた。
何処にいたって委員長はオレのなかにいて、それは山とおなじって
思ってた。どんなに登っても飽きなくて表情の変わる毎日に焦がれて
いつもそこにいて・・だのにふれたらなんだか魔法が解けるみたいで。
なんでそんな風に思ったんだろう?魔法ってなんだ。誰の魔法だろう。

 「・・さんがく、はなして。」
 「・・やだ。もうちょっと。」
 「なにがしたいのよ。」
 「もう泣いてない?」
 「泣いてないわ。」
 「ほんとう・・?」

おそるおそる手を離した。委員長のウソじゃなくて涙は消えてた。
上気した頬に眉間にはシワ。眼鏡がないから見えないってそんな顔。

 「ぷっ・なんて顔してんの。」
 「ばっばか!あんたが・・めがね・・どこよ!」
 「わかんない。どっか置いた。ねえ、委員長。」
 「なにっ!?」
 「そんなこわい顔しないで?」
 「うるさいうるさいうるさい」
 「そんなこと言ったらまた塞ぐよ、口。」
 
やっとわかった。そうだウソ吐きな委員長を隠したかった。だから、
だけどさらさらの髪と背中と細い肩のせいで心地よくなってしまって。
抱き寄せて堪能してた。じっとしてた委員長は困ってたのかもしれない。
そりゃあ困るよね。でも許して。もうしちゃったから。触ってしまった。

それよかさっきから真っ赤な顔で口をパクパク。金魚みたい。
塞ぐには難しそう。閉じてくれた方がいいなあなんて思ってたら
すっくと立ち上がった委員長は「帰る!」と言った。

 「待って、プリントまだだけどいいの?!」
 「いい。残りはひとりでやんなさい!じゃあっ!」
 「ええ、待って待って。ねえ、いいんちょ・わっ!」

慌てたからうっかり捻挫してた足を軸に立ち上がろうとしてこけかけた。
そんときの委員長は見事だった。ヒーローみたいにオレに手を伸ばして
支えようとしてくれた。けど無理だよね。二人して絨毯の上に転がった。

 「さんがく!大丈夫っ!?」
 「うん、咄嗟に庇ったからコケちゃった。巻き添えごめんね。」
 「ほんとに大丈夫なの?ごめんなさい・・」
 「委員長悪くないでしょ?なんでさ。」
 「っく・・ごめん・・だってさんがくが・・」
 「ああ、うん。そうだね、オレのせいだ。」

何故か正座して握り締めた拳に委員長の涙がぼとぼとと落ちてきた。
また泣かせちゃった。そういえば委員長って泣き虫だよね。皆は
知らないんだろうなあ、もちろん誰にも言わないけど。

 「髪、直さないと。委員長。」
 「っふ・・うん・・う・!?」

 涙はダメだよ、オレ困るから。そう言い訳した。
唇を噛んだりしたからそれもダメ、言い足しておいて。
でもあやまらないよ、唇に触れたことは。もう遅いし。

 こんなに簡単に触れることが出来るなんて知らなかった。
ずっとずっと憧れていたのに。ちっとも残念じゃないけど。
おなじようにそばにいて。これから変わっても変わらなくても。


 泣き止まない委員長の頭を撫でた。さらさらのキレイな水。
委員長は山じゃなくて山から溢れ出てくる泉なのかもしれない。

 オレね いいんちょうがいるから生きてるって思えるんだよ