なまえを よんで 


 
 「え、なんで?バシくんてば急にどうしたの。」 

 大きな眼を見開くと小首を傾げるソイツは残念なことに
全国レベルで人気の自転車競技部内でも女子ウケナンバーワンの
男だ。名は真波山岳。珍しい名だが性格はもっととんでもない。

 「・・だから・・幼馴染なのによ、なんで名前呼ばねえんだ。」

さっきも訊いた「なんで宮原を委員長と呼ぶのか」って質問を
オレは親切にも丁寧に繰り返してやった。もしかすっと周知のことで
何を今更な感もあるだろうが、前から気になってたんだよ、だから。

 部活は終わり真波はこれからまた件の宮原という幼馴染の待つ
教室へ向かってサボったり遅刻した分の課題をするのだと言っていた。
常習犯で部活動にも支障が出ると厄介だ。何せ奴は顔だけでモテてない。
名門箱学自転車競技部でも初の一年生レギュラーになった実力者なのだ。
だが自転車以外はド天然で、オレも人のことをとやかく言えない乱暴者だが
現在は部長である泉田さんのおかげで大人しくしている。まあ言うならば
恩ある泉田さんに迷惑を掛ける可能性においても部内ナンバーワンだ。
この銅橋正清、恩ある人や大切な人を守る為ならどんなことでもする。


 「バシくん、委員長のこと知ってるんだ?」
 「この部で知らねえ奴がいるかよ。オマエのせいだろ。」
 「そう?まーね、怖い顔して追っかけてくるもんねえ。」
 「だからそれも全部オマエが悪いんだろ。泉田さんも嘆いてたぜ!」
 「いやー・・へへ・・まあそうなんだけどさー。」

 「宮原も殊勝だが気の毒なこった。皆に同情の目で見られてよ。」
 「えっ委員長って同情されてるの?」
 「ああ、それにオマエのファンからは睨まれていいとこ無しだな。」
 「ファンからなんかされてるの?バシくん何か見たりしたの?」
 「オレはそれほどじゃねえが・・見たって噂はチラホラ聞く。」
 「そんなのすぐ教えて。やんなっちゃうね、そういうの。」
 「一応オマエもそういうの気にすんだ・・」
 「オレってバシくんにどういう目で見られてるのかな?」

 宮原っていうのはぱっと見キツそうで偉そうな感じのいい子ちゃんだ。
真波に常に絡んでみえるからやっかまれて陰でアレコレされてるらしいが
いつも毅然として負けてないという話だ。全部知ってるわけじゃあないが。
オレは優等生なんて縁がねえし、普段女子には怖がられるのが普通だもんで
自分から近付いたりはしなかった。ただアイツは少しも怖がらずに話しかけた 
もんだから、オレは最初ちょっとばかし驚いたもんだった。

 
 「すみません、自転車競技部の方・・って銅橋くん。」
 「ああ?・・真波ならいないぜ。一時間は戻らんだろうな。」
 「そう・・どうもありがとう。お邪魔してごめんなさい。」

 オレは室内練習を終えて部室から出るとこだったから偶々同方向の宮原と
少しだけ並んで歩いた。近くで見ると思ってた以上に小さい奴だなと思った。
真面目でいい子ちゃんって感じのわりに男子人気もある。なんでってこういう
優等生タイプに怒られたいって男はわりに多いんだ。それにオレみたいなのや
真波にしても問題児だとかを遠ざけないし、分け隔てないところも好かれる。
あと顔も綺麗で真っ黒な髪も男にはポイントが高い。小柄なナリで一所懸命で
ちょこちょこと人の世話をして回っている姿は実のところオレも嫌いじゃねえ。

 「そういえば、銅橋くん。この前はありがとう。」
 「へっ!?い・・いきなりなんだよ。なんのこった?」

 突然振り返った宮原に礼を言われ、出し抜け過ぎて慌てた。(カッコわり・・)
すると白い顔が目立つのは黒い髪だからかもだが、そいつを揺らして頭を下げた
もんだから一層慌てる。なんなんだとドギマギしてちっとばかしみっともない。
誰も見てないことをこそっと祈って話を聞いてみると真波に課題を渡してやった
ことだった。そんなことで一々頭を下げることもねえだろうと少し気恥ずかしいのを
取り繕って呟いたオレに、極めつけの大技で宮原は畳み掛けやがった。

 ふわっと風が吹いたみたいな気がした。そんでもって花が咲いたみたいな。
うっかり見蕩れたオレは呆けた顔だったろう。心臓が急にドカドカやかましかった。

 ”なっなんだこれ!?・・笑っただけじゃねえか。・・バカ真面目な宮原が・・”

そう、宮原は笑ったんだ。ただそれだけだったんだが、怒った顔とかばっかりで
知らなかったからか、びっくりしたオレには相当のインパクトで。えーとつまりその
なんかぶん殴られたみてえだった。ほっそい腕だから殴ってもたかがしれてるが
そういうんじゃなく、持ち上げて高い棚にでも乗せてしまっとけ、みたいな??
要は珍奇な生き物に思えたんだ。なんなんだよなあ。いったい・・

 「銅橋くん?どうかした?どこか痛いの?」
 「へっ・?い・いいや。べつに・・宮原も笑うことあんだなって・・驚いた。」
 「まあ、失礼ね。私そんなにいつも怖い顔してるってことかしら?」
 「いやその・・たまたま見かける時はほら、真波がいるだろ。だからだな。」
 「ふふ・・でも嫌なことさせられるんだもの、嫌われて当然よね。」
 「えっ・アイツが悪いんじゃねえかよ。それにアイツ嫌ってはねえだろ?!」
 「銅橋くんていい人ね。ありがとう。部活行ってらっしゃい。気を付けて。」
 「あ・お・おう・・」

 
 それからだな、つい宮原と真波のやり取りに目がいくようになったのは。
それと宮原とすれ違ったりすると向こうが会釈したり笑いかけたりするから
ついついオレも返すようになった。笑顔は無理だったが頭下げるくらいはな。
地味な印象だったはずだが、目に着くようになったからかもしれねえ。ただ
真波と一緒の場面がやっぱ多かった。そんでそん時はあまりいい気がしねえ。

 真波も真波で飄々と宮原のことを口にする。「委員長がね」「委員長がさ」
大概にしろよと言いたくなる。友達もいるみたいだしそればっかではないが
チョイチョイ出てくる「委員長」の単語。そういやどうして名前呼ばないんだと
一度気になったらずっと気になる。当の宮原も、周囲さえそれで定着してるが
オレを含めて幼馴染を持つ誰だって普通は名前で呼ぶじゃねえか。そうだろ?
だからとうとう直接尋ねてしまったっつうワケだ。何故だか少し緊張していた。
真波の答えを待ち受けていたが、返ってきたのは予想外なもんだった。

 「そういえばね・・委員長は銅橋くんのこと最近褒めるんだよ。」
 「な!?・・なんで・・オレがそこに出てくんだよ!」
 「・・・どうしたの?バシくん、顔、赤いよ。」
 「ばっバカ言うな。んなことねえよ。うっせえ!」
 「バシくんと委員長って仲良かったっけ?」
 「別によくねえ!てめえが怒らせてばっかってことくれぇ知ってっけど!」
 「そうだね、オレはよく怒らせてるけど、キミのこと話す時は笑ってる。」
 
真波が言った言葉に今度こそオレの顔は真っ赤に染まった。誤魔化せねえ。
髪が逆だった気もする動揺しまくりのオレを真波は冷ややかな目付きで見た。

 「委員長の笑顔って可愛いよね。バシくん知ってる?」
 「ち・ちょっとだけな。たったまたま見たことある。」
 「そうなんだ。委員長ってばたまに油断するんだよ。」
 「油断ってなんだ?普通笑うだろ、誰だって。」
 「そうだけど一対一では笑って欲しくないんだ。バシくんに、とかね。」
 「何を言って・・まさか、オマエってわざと宮原怒らせてんのか?!」
 「ううん、怒らせたいわけじゃないよ。けどぜんぶオレの為だもんね。」
 「真波おめ・・タチわりィ・・」
 「ラッキーだったね。でももうこれ以上は期待しないでね。」
 「・・そんなことオマエが決めるこっちゃねえ。」
 「ああ、うん。そだね。でもダメ。名前もね、呼んじゃだめだよ?」
 「それもかよ。”委員長”ってオマエがそう・・・」

オレはぞっとした。真波はそれはそれは見事に笑いやがった。その笑顔は
宮原のとは対照的に笑ってるというより”よくできました”って褒めてる顔だ。
なんて奴だと思った。こんな悪魔みてえなのを皆天使だとか言ってチヤホヤして
どうかしてるぜ。そんでもって宮原。アイツの笑顔を思い出したら無性に腹が立つ。
こんな男に翻弄されて、騙されてる。なんでこんなのが好きなんだよ、アイツは。
こんなのだったらオレのがよっぽど・・

 「もう一回言うよ、銅橋くん。委員長はダメだよ。キミにはあげない。」

 自覚がオレを襲ったと同時に冷たい宣告を言い渡された。真波は本気だ。
オレが宮原を好きだなんて今気付いたってのに、とっくに知ってたみたいに
容赦なく崖から突き落としにかかってる。負けるのは厭だ。不意に冷や汗が
背中を伝った。握り締めていた拳にも汗。あろうことかオレは恐怖している。
この、誰からも恐れられる銅橋正清を追い詰めているのはさっきから薄い笑いを
貼り付けて見上げている。オレよりずっと小さい男だ。けど本物の野獣のようだ。

 「オレも言っとくぜ。真波。宮原が泣くような真似は許さねえ。それに」

顔色を変えるどころか、眉一つ動かさない真波に向かって言い放つ。

 「宮原は誰のもんでもねえ。真波、オマエんでもねえんだ。覚えとけ。」

思い切り凄みを効かせたが動じないまま、真波はあっさりと軽い口調で言った。
 
 「わかったよ、バシくん。」

 「委員長が待ちくたびれてるから行かなきゃ。じゃお疲れさん、また明日。」

天使のような姿をした野獣は楽しそうに挨拶して部室を出て行った。
オレは何時間も経ったみたいで気が遠くなりそうになりながら続いて部を出た。
考えてみればよくこうして夕暮れ時、帰宅して誰もいない教室で宮原と真波は
課題と称して顔を突き合わせているのだと思い至る。ああそうか、そうなんだ。

 「委員長はいっつも怒るんです。(オレのために)」
 「委員長は速いですよ、世界一。(オレのなかで)」
 「委員長は不思議なんです。(オレのこと好きなんだ)」

いつもいつも呪文みたいにそうやってオレ達に向かって牽制してたのか。
オレのだから手を出すなってあからさまに。そんで誰もが洗脳されちまって
二人の世界に踏み込まれないようにしてたんだ。そんなにも特別だったのか。

 オレは二人の居る教室の灯りを帰り際に見上げた。姿は当然だが見えない。
そこではいつものようにポヤンとした顔をした真波が厳しい顔付きの宮原に
怒られながら嬉しそうにしてるはずだ。なんてバカな奴らだ。とんでもねえ。
モヤモヤして邪魔に入ってしまいそうな気持ちをぐっと堪えた。

 今度宮原と口をきく機会があったら、同じ質問を投げてやろうか。

 「なんで真波は宮原の名前を呼ばないんだ。」と。多分小学生の頃から
習慣みたいにとかなんとか言うと思う。宮原よ、真波の思うツボだぜ、それ。
けどオレは教えてやったりはしねえ。そんなこと絶対にしてやるもんか。
ああ、やっぱ質問もやめておく。もし宮原が気にして真波に訊いたらまずい。

 「あいつ・・いつまで委員長の前でいい子ちゃんしてるつもりだ?」

オレの呟きは誰も聞かずに宙に消えた。出し抜くのは相当に厄介だろう。
だが真波だってうかうかしてたらオレだけじゃなく宮原の笑顔の患者は
これからも増え続けると思うぜ。くっそ、それも言ってやりゃあよかった。

 ”ありがとう、銅橋くん!” ”行ってらっしゃい、気をつけて!”

 花が溢れた。胸の痛みはもう見当が付いているし放っておく。
オレも真波も野獣を飼ってる。否男は誰だってそうなんだぞ、宮原。
あの無邪気さを尊いと思う反面、思い知らせたくなる気持ちもわかる。
不思議だと言われる真波のことをオレは不本意だがよく知ることになり、
前よりもっと強くなりたいと願った。男は真波一人じゃないんだから。




 

 「ねえ、委員長。バシくんてさ、いい奴だね?」
 「え?そうね。プリント渡してくれるし、色々親切よ。」
 「だけどさ、二人しかいないときは気をつけないと。」
 「気をつけるって・・なにを?」
 「う〜ん・・つまり男とふたりっきりになっちゃダメってこと。」
 「今あんたといるけど・・ノーカンってことでいいの?」
 「あー・・そだね。困ったね。いやうれしいのかな、それって。」
 「ヘンなの。あんたを警戒する日なんてくるとは思えないわ。」
 「ひどーい!たまにはちょっとくらい・・してもいいんだよ?」
 「はいはい。ほら、ちゃっちゃと終わらせなさい。あと少しよ。」
 「ほんと、あと少しなんだけどそこが大変なんだよね〜!」
 「さんがく。ちょっとは学びなさい。同じこと繰り返してないで。」
 「・・・・わかったよ。”       ”ちゃん。」
 「!?!////////////」

  ふふ・・やっぱりこの顔は誰にも見せられないな。