もう一度 


 
 オレが”委員長”に失恋したのは半月ほど前のことだ。
母親から幼馴染のあの子が結婚すると知らされ絶句した。

 考えてみればかなり長い間会ってなかった。 
学校という縛りを卒業し、走りに没頭していた。
気が付くとプロになっていて更に走り廻る毎日。
何度かお誘いはあったが女性とは縁もないままで
のんびりしていた。不安にすら思っていなかった。
というのも委員長はオレを待っててくれると思っていたし
幼馴染の粋で満足もしていた。少なくともオレはそうだった。

 突きつけられた現実は足場を崩して去って行った。
呆然としつつも日々は過ぎる。しかし深刻な不調に陥った。
オフシーズンになり、解雇だけは免れたが休息を勧められ、
我が家へと数年ぶりに帰宅した。自室は変わりなかったが
開けた窓の向こうにいつも居た彼女の姿はない。当たり前だ。
あそこに居た幼馴染は今頃、誰かの世話で忙しくしてるんだろうか。
そんな苦い想像が浮かんできて何度も頭を振って誤魔化した。

 帰宅した晩、お隣のおばさんが訪ねてきた。オレの帰宅を知り
頼み事を携えての訪問だった。何事かと話を聞いたオレはまたも
衝撃を受けて言葉を失った。

 幼馴染のあの子の結婚は式を目前に破綻した。

 月末に引き払うはずだったマンションに今も独りで暮らしているが
家に顔も見せず、会社も休んだまま引きこもっていると言っていた。
気懸りで仕方がないとの訴えに母も同情し、二人してオレに縋るような
目を向けた。オレはもう会えないという想いから脱して正直戸惑った。
だが会えるのだ。口実はおばさんに頼まれたからだがそうじゃない。
もう一度彼女に会えるという希望が曇っていた世界に晴れ間を見せた。
そうしてオレは勢い教わった幼馴染の住所へと向かった、のだったが・・



 「さんがく?それで今どこら辺なの?」

 電話の声は昔と変わらなかった。お隣でクラスメイトだったからか
電話は珍しくて緊張した。もしかすると初めてだったのかもしれない。
道に迷ったなんてかなり間抜けな数年振りの対話にちょっと自己嫌悪した。

 「そこに居てちょうだい。迎えに行くから。」

委員長は相変わらずしっかりした口調でそう告げると電話を切った。
ものの5分程経った頃、オレの目の前の道路に一台の車が止まった。
そして助手席の窓が開き、向こうの運転席からオレに声が掛かる。

 「お待たせ、さんがく。乗って。」

驚く間もなく助手席に座ったオレに委員長がごく自然に話しかけている。
オレはというとまったく事態について行かない頭で彼女を見ていた。

 「久しぶりね。ちょっと痩せた?ちゃんと食べれてる?」

 委員長は落ち込んでいる様子も悲しんでいるようでもなかった。
強がりなところがあったから、隠すのが上手になっただけかもしれない。
オレがああとかうんとか碌でもない生返事でも一向に気にする風もなく。
真っ直ぐ前を見て運転している彼女の横顔をオレは何度もチラチラ窺った。
髪は結われていない。でも真っ直ぐの長いままだし眼鏡だってかけている。
以前のとは違うかもしれないけど似合っていた。そして彼女こそ、痩せた。
顔色もあまり良くない気がする。元気そうなのはやっぱり作っているのだ。

 「オレは食べてるよ。ちょっと痩せたかもだけど。」
 「そう?うち直ぐだから、せっかくだしお茶でも飲んで行ってね。」
 「うん・・ありがとう。」

言われて10分も経たない間に車はマンションの駐車場に入っていき、
慣れた感じで車庫へ車を入れる彼女に関心する。車から降りた時やっと
二人は向き合った。背は前と同じくらいだけど、他は随分変わっていた。
あんまり綺麗になっていて緊張が増したせいかうまく話せない。弱った。

 「お帰りなさい。日本へはしばらく居るの?」
 「えっと・・うん、今オフシーズンだしね。」
 「そう、ほんとに久しぶりね。会えて嬉しいわ。」
 「うん・・オレも会えるなんて思ってなかった。」

つい本音が出た。ほんとにもう会えないと思っていたから嬉しい。
運命の徒かわからないけど顔を見てからジワジワ歓びが込み上がる。
彼女もオレに微笑んでくれた。サラリと流れた黒髪を耳にかけて
そうした仕草も息を呑むくらい綺麗で、オレは又々黙ってしまう。

 
 話の接穂は探さずに済んだ。彼女が飲み物は何がいいかに始まって
彼是と話しかけてくれたから。少し早い口調でそれも懐かしかった。
清潔そうでさっぱりとした居間の大きめのソファに促されるまま座る。
居間と台所の堺であるカウンター越しに会話している時、ふと気付いた。
彼女は少しも緊張していないことに。高校時代は特にそうだったが
オレと話すときいつでも少し緊張していたと思い出すと少し寂しい。

 変わっていることも変わっていないこともオレ達にはあり過ぎた。
おばさんに彼女のことを頼まれたのにこっちが気遣われていたりで
大人になったのに全然立場が変わっていないことにはがっかりした。
オレがそんな風に一々昔と比較してはアップダウンしていることを
見透かしたのだろうか、少し考えるようにした後で彼女は言った。

 「今日予定無いんだったら、一緒に家飲みでもしましょうか!?」
 「えっ・・委員長お酒飲むの?運転してたのも驚いたんだけど。」
 「車は父の払い下げ。可愛くはないけど小回りが利いていいの。」
 「そうなんだ。オレも一応取ったけどね、国際免許。」
 「ああ、必要なのね。私もそんな感じ。お酒も付き合いで覚えたわ。」
 「付き合いって・・会社の?」
 「そうね、そこからね。」
 「ふぅん・・」
 「あ、スポーツ選手だから節制してるの?それならダメよね・・」
 「え、いやいいよ飲めるし。委員長がいいのなら喜んで付き合う。」
 「あーそれならさっきお酒やおつまみ仕入れて来ればよかったわね!?」
 「買いに行くならオレが運転しよっか・って道がわかんないんだった。」
 「そういえばあんた自転車は?何で来たの?乗ってないのが変な感じ。」
 「家に置いてきたよ。あ、オレ途中でお菓子買ってけって言われて忘れた。」
 「ふふ母のお使いお疲れ様。いいわよ、今からそれも買い出ししましょう。」

 
 不思議なことにお互いの間にはなんの壁も感じられなかった。
つい昨日まで失恋の痛みで悶々としていたオレは文字通り羽を伸ばした。
初めて委員長とお酒を飲んでたくさん話をしたらやっぱり初耳だらけだった。
オレは何にも知らなかった。彼女のことも二人の間に確かに在ったものにも。

 委員長はお酒にあまり強くないらしく、数時間も経たないうちに酔って
顔を赤くした。にこにこして陽気なお酒だ。オレは少しも酔えなかった。
再会して大人っぽくなった幼馴染にドキドキしてそれどころじゃないというか。
彼女が何か言う度に自分の顔が赤らんでるんじゃないか気になった。なんだか
高校時代を思い出す。彼女はよくオレといるときこんなふうだったと思う。
そうだったのかと納得する。あの頃のオレは能天気でそんな彼女を見ていながら
可愛いなと思うだけで満足してた。それですっかり安心してしまったのだ。

 「・・さんがく・・元気出しなさい。そのうちうまくいくわ・・」
 「ありがとう。委員長そういうとこ変わらないね、優しい。」
 「相変わらずうまいんだから〜!私どんだけあの頃振り回されたか。」
 「あ・あの頃ってもしかして箱学時代のこと言ってる?」
 「あーあの頃もそうよね・・いちいち舞い上がって私、子供だった。」
 「そんなの子供で当たり前じゃん。オレなんかもっと子供だったよ。」
 「いいのよあんたは・・毎日楽しかったわね、さんがく・・」
 「うん、委員長に毎日怒鳴られて幸せだったなあ、オレ。」
 「あはは・・逃げてばっかりだったくせに・ふふ・・ふ・」
 「委員長、オレありがとうっていくら言っても足りない。」
 「私のセリフ取らないで・・さんがく・・さんがくう・・」
 「うん、泣きなよ。あの頃はいつも我慢してたでしょ?だから、」
 「誰のせいよ!あんたのせいじゃないの!いつも、いつだって・」
 「うん。だからオレ今ものすごく感謝してる。」
 「ごめんなさい、ごめん・・私待ちきれなかった・・」
 「オレもごめん。ちゃんと言わなきゃダメだったね。」

 ボロボロと委員長の目から滝のように落ちる雫を指で拭い続けた。
辛い想いをオレに吐き出してくれたことが、こんな機会に巡り会えたことも
嬉しくて仕方なくてオレも泣いた。委員長の肩を初めて抱いた。細くて
壊れそうな小さな肩だった。強いとか早いとかしっかりしてるとか言って
甘えて、散々困らせた。まるで小さな子が母親の気を引くみたいな幼さで。

 幼馴染の左手の薬指に残っていた指輪の跡を見つけてなぞってみた。
愛する人を失う悲しみ。もう二度と味わせたくないとオレは唇を噛み締めた。

 「委員長。ねえ明日お酒が抜けたら出かけようよ。オレ運転するから。」
 「ふにゃ・・うん?どこいくの・・?しょうぶ・・はいまさらよねえ?」
 「はは・・勝負かあ、それもオレの我儘の筆頭だよね。そうじゃなくて」
 「ふ〜ん?・・さんがくなんか老けた?おじさまに似てきたわねー・・」
 「む・・そうかな!?いやいやそれはいいから、明日ね?約束して。」
 「ふわーい!わかったわー・・ハイ。」

酔っぱらってフラフラの幼馴染は小指をオレに差し出した。可愛いことを
するんだよね、昔とおんなじ。ニヤケる顔を抑えつつオレは小指を絡める。

 「ゆーびきーりげーんまん・・うそついたら・・?」
 「嘘ついたら委員長は一生オレの面倒を見る。おっけ?」
 「私は約束したことは守るわよ!ふふん、おっけー?」
 「このヨッパライめ。いいよ、守ってくれたら明日オレの願い事聞いて。」
 「んん?・・あんたばっかり。じゃあわたしもわたしもおねがいする〜!」
 「いいよ、委員長はなにお願いしたいの?」
 「そうねえ・・プリント!・・じゃないわええと・・また一緒に飲もう!」
 「そんなの明日になんなくても叶うよ。おっけー!」
 「はら・・そんならあんたのも叶えたげるから言ってみなさい!ほらっ!」
 「え〜・・委員長が酔ってない時言いたかったんだけど・・まあいいか。」

 オレはちょいちょいと彼女に手招きして呼んで耳元に囁いた。
内緒話はもっともっと小さい頃。デジャヴュ!そうだおんなじだ。
あの時とオレが今から言うことはびっくりするくらい一緒じゃないか。


 ” あのね・・オレのおよめさんになって!”
 ” いいわよ、じゃあハイっ!ゆびきりよ!”

 『ゆーびきーりげーんまん・・うそついたら・・』


 「委員長?・・ああ寝ちゃった・・お嫁さんになってって聞こえた?!」
 「ふにゃ・・うー・いーわ・・よお!・わたしにまーかせなさーい・・」


すっかり寝息に変わった委員長を抱き抱えて、寝室とベッドを探した。
見つけてそこへ彼女を横たえると、どうやら夢を見ているらしかった。

幼馴染は夢の中で指切りをしようと小指をゆるく立てていた。
だからそっと再び絡めてやると、満足そうな顔。堪らず頬に口付けた。

 「オヤスミ、委員長。明日忘れてるかなあ・・」

寝室を出てソファで寝かせてもらうことにしてオレも目を閉じよう。
眠れないかもしれないけど、いいんだ。明日が待ちきれないから。
どんなに怒ったって構わない。委員長は約束を守るって言ったからね。

 オレは結局眠ったらしい。素直だった小さなオレと彼女が草原にいた。




  ” およめさんになってくれるんだ。やったあ!”
  ” やくそくしたんだもの。ちゃんとまもるわ!”

  ” よろしくね。○○ちゃん。ずっとだいすき!”
  ” わたしも。ずーっとだいすきよ。さんがく!”
 

 大人になった彼女はたぶんそんな素直には言ってくれないだろう。
 それでもオレはあの頃よりもっと幸せで、抱きしめてもう離さない。