告白


 蛇口からお湯がほとばり落ちてバスタブに溜まっていく。
 後から後から頬を滑う涙も同時にぼたぼたと落ちていく。

 それらを拭いもせず、宮原は着ていた制服を雑に脱ぎ捨て
脱衣カゴに乱暴に投げ入れた。普段なら丁寧に仕分けたりする
ところだが、一刻も早く震える体を湯に浸したかったのだ。

 バタバタと聞こえてきた足音に体は一瞬びくりと固まった。
湯量は充分とは言えなかったが、宮原は急ぎ湯船に脚を入れた。
足音が荒々しく浴室の前までやってきたかと思うと、ドンと扉を
叩く音と浴室の曇りガラスに人影が張り付いて映った。

 「委員長っ!ごめんっ!・・お願いだから聞いてっ!」
 
 うるさい、と叫んで追い払いたかった。だが宮原は湯の中に
ざぶんと座り込むと体を両腕で抱きしめるだけで精一杯だった。
激しく落ちる水音も、侵入者の声をかき消すには至らないまま
はっきりと耳に届く。宮原の混乱と困惑は落ち着く気配すらない。

 湯が溢れそうになる。止めなければ。しかし止めてしまうと
鮮明に声が届いてしまう。動揺し震えつつ結局止めてしまった。

 「いいんちょう!」

 「ぅうるさいっ!あっちいって。ここどこだと思ってるの?!」
 「だって委員長が逃げるからっ、オレっ・・」
 「こんなとこで話なんかできないわ!」
 「・・・ごめん・・オレ待ってる・・」
 「そんなとこで待ってたら あがれないじゃないの。」
 「あ・・じゃあ向こう向いて待ってる。」
 「なんでそうなるのよっ!」

ざぶんと湯で顔を洗う。瞬間奇麗に拭われた宮原の頬だが
また直ぐに目元から無尽蔵に溢れてくる液体に為す術もない。


 一方扉を背にして座り込んだ男は両膝を抱え込んでいた。
彼もまた失態や何やかやで宮原と同様に心穏やかではない。
皆が見ている状況前だとも気付かないくらい必死な行動だった。
けれどそのせいで宮原を泣かせ、追い込んでしまったことは事実。
夢中で宮原の細い体を抱いて、唇をかみつくように奪って塞いだ。


 だって信じたくなかった 宮原は彼にとって
 誰とも比することのできない唯一の存在なのに
 懸命に追いつこうとしていた 追いつきたかった
 待っていてくれると思っていたからだ 彼だけを

 「いいんちょう・・オレやだよ。行かないで・・!」

 泣いているようなか細い呟き。けれど静まった浴室の中に
届いた。抱えていた膝から顔を上げ、祈るように口にしたそれ。
宮原はまだ泣いていた。しかし唇が言葉を発そうとして動いた。
なかなか声にならないもどかしさでつっかえてしまいながらも

 「さんがくのばか!ばかっ!大ばかっ・・」

宮原が答えたことにさんがくと呼ばれた男は腰をあげる。
望みが一縷でもあるのなら迷わずすがりつく。なんでもする。
宮原でなければならない理由が彼、真波山岳にはありすぎた。

 「委員長、オレ、委員長じゃないとダメなんだ。」
 
 「一人にしないで。オレゼッタイ諦められない。」

 「委員長がいないと・・オレはもう走れない・・」

 「ねえ、ほんとなんだ。オレをたすけて。委員長!」


 浴室の扉が真波の切願に曇った。両手の拳が扉を叩くように
押し付けられ、彼の頭頂部が曇りガラスに透けて見えていた。
そんな彼を見ていた宮原の喉が鳴った。堪えきれないものが
飛び出してしまいそうで、それを堪えようとする己が葛藤する。
一生言わないと決めていたこと。真波にだけはしないはずの告白が
宮原の体中からほとばしり、浴室中に響き渡った。

 「なによう!あんたはずっと一人で走ってたじゃない!」

 「私、私待ったりしてない!あんたを縛ったりしない!」

 「それに浮気なんかしてないからっ!」

 「さんがくがすき ・・すきなのはあんただけよう!!」


 

 外れそうなほど派手な音を立て、浴室の扉が一気に開いた。
驚く暇もなかった。宮原にはスローモーションのように見えた。
飛び込んできた真波が泣いていることに気付いてそれに驚く。
なんであんたが泣いてるのと浮かんだ思いは瞬く間に消えた。
また抱きすくめられたのだ。先程と変わらない力でぎゅうぎゅうと
締め付けられ苦しさに喘ごうとするが叶わず、同様に胸板を叩く。
やはりびくともしない。また唇を奪われるのかと宮原は身構えた。

 ふっとゆるんだ縛めに大きく息を吸う宮原の目に映ったのは
涙を浮かべたまま笑っている幼馴染のいつもの脱力しそうな顔。

 「オレだってそうだよ!委員長しかいらない。」
 「すきって言ったのよ。あげるなんて言ってない。」
 「えっ、ちょうだい!オレもすき。大すき。死ぬほど。」
 「死んじゃだめでしょう、生きてるさんがくがすきよ。」
 「うん、いまオレものすんごく生きてる!」
 「そ・・よ・・っ!!??」

よかったと言いかけて宮原は思い出した。ここが何処で、
真波が真っ直ぐ自分を見下ろしているということを。なので

 「っきゃやあっあああああああっ!!!!!」
 「うわっ」

湯が波のように被ってきて真波は尻餅をついた。気が付くと
宮原は身を抱えたまま湯船に沈んでしまっていたので慌てた。

 「ちょっ・いいんちょう!死んじゃうよ!顔上げて!」

慌てて宮原を抱き上げた真波に他意はない。ないのだが
宮原は両腕と長い髪で体を隠す以外になく、結局元に戻って
ポロポロと落ちる涙もそのままに彼に向かって叫んだ。

 「ばかあっ!あっちいってえっ!!」
 「ご・ごめっ・いいんちょ・・わあ!」

 真波はびしょびしょになりながら浴室を追われ出た。 
ハラハラしながら成り行きを見守っていた宮原の母に
バスタオルを渡されたが、隣から駆けつけた真波の母に
拳骨で殴られ、頭をぐいぐい押さえつけられながら退場した。
その夜両親と共に宮原家にお詫びに訪れた真波だったが
まるで反省した様子もなく、寧ろ幸せそうに蕩けた顔だった。

 「委員長、オレ責任取ってお嫁にもらうから!」
 「・・私には断る権利だってあるはずよね?!」
 「だってお嫁に行けないようなことしたから責任取らせて。」
 「さっきまであんなに怒られてたのに聞いてた?」 
 「うん、聞いてたよ。だからいつでもお嫁に来てね。」
 「はぁ・・学校にも明日行くのがこわいわ。」
 「なんで?」
 「学校であんたが誤解してなにしたか忘れたっていうの?!」
 「あー・・って・・誰かいた?見られてたっぽい?」
 「あんたねええ・・・!!?」

 宮原が鬼の形相で真波をポカポカ叩いても無理もない。
しかしどんなお仕置きをしたところで効き目の程はどうか。
手が痛いだけだと悟り宮原が諦めのため息を落とすのは必然で
待ってましたとばかりに彼女の前に詰め寄った真波は言うのだ。

 「委員長、意外と着やせするんだね?」
 「さんがく・・そこ、正座しなさい。」

 膝詰めの説教が何時間続いたかは真波、宮原両家の秘密となった。