風の日に 


 
 風の力を借りて手を伸ばした。


注意報が発令したため部活が中止になった午後。
プリントを抱えた委員長にわざと見つけられた。
風は強いがまだ雨は山の手前にあるらしく曇天。
俺を見つけて不思議そうにする彼女にやがて雨が降ると告げると
ふぅんと首を傾げた。相変わらず俺の言うことに疑いを持たない。
風の声が聞こえるんだと言ってもあなたならそうかもねなんて。
信じない人の方がほとんどだってことも彼女は知らないに違いない。
真面目な彼女らしい真っ直ぐ過ぎる髪が今日も眩しく輝いていた。
そうして型にはまった誘いの文句をさも思い出した風に投げかけた。

 「そうだ、委員長勝負しよう!」

当然「しないわよ」と否定が返ることを信じて待つ。
一応ツマラナイ顔をして気にしない振り。いつも振られっぱなしだ。
だけど本当は彼女が頷かないことを俺は知ってる。他の誰よりもだ。
そして俺の誘いに乗らないことに心のどこかでほっとしている。

 「あっそれなら、プリント!今日こそはしなさいよ!」

渡り廊下に出ようとすると強風が唸りを上げて近づくのに気付いた。
廊下に踏み出すのを止めると背中に委員長がぶつかって悲鳴をあげた。
小さな幼馴染の温もりは確かだが、やっぱり小さいなと思う。

 「わ〜・・これは山頂も荒れそうだなー・・」

悪天が山頂を覆わんとしていることを確信して空を仰いでいると
委員長が居心地を悪くした様子で、照れてるなと思うと口の端が上がった。

 「す、すごい風だったわね。ありがとう、さんがく。」
 「え、ああ、どういたしまして。」

いかにも平静を取り繕う様が可笑しい。彼女は何もかもがシンプルだ。
しっかりしているようで抜けていて、虚勢を張るくせに怖がりな子供。
もう大丈夫かと歩を進めた渡り廊下はやっぱり強い風が吹き抜けていた。
俺を追いかけた彼女の髪やスカートがはためいて小柄な体は舞い上がりそうで
それを止めようと手を伸ばした。けどどこに触れていいかと迷ってしまった。
長いこと彼女には触れていないのだ。女の子に容易く触ってはいけないと
誰かに言われてからずっと。そういえば東堂さんにも言われたかもしれない。

 「いいわよ、そんなとこ抑えなくたって。」
 「あ、うん。でも・・スカートは抑えられないし?」
 「え?あっ!はにゃあああああっ!!?」

前屈みになってスカートを抑えようとする委員長の太腿がチラチラ視界に映る。
隠そうとすると却って煽るということは知らないでいてもらった方がいいだろうか。

 「えーと・・それ俺が持つ?それともスカート抑えた方がいい?」
 「どっちもしなくていい!早く行って。私も走ってそっち行くから。」
 「えー・・」

風の悪戯を利用して触れてみたかった髪にとうとう触れた。感触は想像以上で
少し乱れた二つに結われた髪の髪留めをいじる振りで誤魔化して堪能する。

 「あなたさっきからなにしてるのよ・・」
 「これって引っ張ったら取れるんだね。」
 「はあ?取らないでよ。なんでそんなこと」

時々そのきっちりと結われた髪を解きたい衝動に駆られてるなんて彼女はしらない。
俺のしたいこともしようとしていることもきっと想像もつかない。そんな顔をして
見上げてくる瞳に僅かな怯えが見えた。それくらいは鈍くても感じるんだろう。

 「うわあ・・委員長じゃないみたいだ。まるで」
 「ちょっと!一体何がしたいの?私今手が塞がってるのに。」
 「俺付け方がよくわからないや。片方も解いちゃっていい?」
 「ダメよ、分け目が・・さんがくったらやめて!」


 「委員長さ・・・勝負してくれないよね。いつだって。」

つい、誘惑に負けた。委員長のせいじゃないってわかっててきいているのに。

 「そんなこと・あなたわかってるくせに・・言うのね。」

ばれていたらしい。けれどその意にたどり着くことはない、多分これからも。
勝負をして勝てたら俺は彼女をどうするかって考えれば簡単なことなんだけど。
つまり勝負を受けて欲しくないのは俺の方で、彼女はそれを受け止めてくれている。
理由にも気付いて欲しくない。俺の勝手で我儘な本性を。蹂躙したい未来と自由を
投げ出さないでと祈る。どうか気付かないで。ふんわりと夢を見ていて欲しい。
だけどきっと彼女だってそのうち子供ではなくなる。俺がそうでなくなったように。

 「うん、俺これからもずっとお願いするよ。もしかしたら一生?」
 「い!?・・あなたねえ・・いつまでもお隣さんじゃないのよ!」
 「委員長逃げるの?追いかけるから無駄だよ。俺、諦めないから。」

こんなこと言うつもりじゃなかった。風に拐われるように見えたからだ。
矛盾に充ちてるってわかっているけど、俺は君を想うことを止められない。 
難しいなって思う。君との距離が。「委員長だからなあ・・俺、気長に頑張るよ。」

 「・・あなた馬鹿にしてるわね?わたしのこと。」
 「してないよ。難しいなとは思うけどね。」
 「難しいのはあなたの方じゃない!髪留め返して。」
 「うん・・他の奴に見せたくないし返すよ。ちぇ。」
 「!?髪を解きたかったの?見たければそんなのいつでも」
 「ええ!ダメダメ!簡単に解いて見せるとかナシだよ、委員長!」
 「こんなことしたいのあなたくらいでしょう!?別にいいわよ。」
 「いやいやいや・・鈍いっていうかもう・・委員長ってコワイ。」
 「さっぱりわからない!はっそうだわ、プリントしなさいよ、さんがく!」
 「うわー・・やっぱり?まいったなあ・・」

雨のせいにして逃げてみたけど今日も委員長はしぶとかった。それどころか
いつもより強引に攻めてくる。家が近いと色々と不都合も多いのだ。例えば
昔馴染みも手伝って警戒心をまるで持ってくれないことは深刻な問題なのだ。

 「しょうがないわね、じゃあ家に帰ってからしましょう。」
 「げー・・家だと眠たくなっちゃうしさあ?」
 「わたしが見張るわ。どっちにする?あなたの部屋でいい?」
 「・・・どうしてもっていうなら居間で。」
 「散らかっていても構わないわよ、今更。それともわたしの部屋にする?」
 「いやいやそれ無理。ねえ、委員長。やっぱり勝負しない?」
 「また脈絡のないことを。しないわ。部屋だと何が問題なのよ。」
 「や、だってさ・・髪、解きたくなっちゃうかもだし。」
 「だから別にいいわよ。変なこと言うわね、ほんとに。」
 「わああ・・これだもの。委員長、俺男なんですけど。」
 「知ってるわよ。」
 「けどわかってないよね。」
 「髪とどういう関係があるの?」
 「手強い。やっぱり委員長って最強だよ。」
 「人のことなんだと思ってるの!失礼ね。」


話題を変えたくてどうしようかといじっていた髪留めに目が行った。
とりあえずこれだ。「そうだ、これの付け方教えて。俺が付ける。」

 「なんなの、解きたいと言ったり結わえたいと言ったり。」
 「ね、いいでしょ?」
 「いいけど・・」

あっさりと髪を触らせてくれる。後ろめたさもあるにはある。
気付いて欲しくないくせに、気付いてと無意識にシグナルが出てしまう。
ごめんね、あきらめてあげられなくて。そう心の中で手を合わせる。
だってね、どうしようもなくなる日がいつか来るとも予感しているから。

 「髪、初めて触ったんだけどきれいだね。」
 「えっ・・そうだったかしら?ありがと。」

しなやかでサラサラでほんとに綺麗だった。こんなに綺麗なのに
本人は自覚がないらしいから不思議だ。いつも照れた顔を見せては
俯いて誤魔化そうとする。俺ならもっと自慢するに違いないんだけど。
白い肌が上気してうっすらと色づいていく様をしっかりと目に焼き付ける。
うなじから肩への頼りなく続く緩やかな曲線は有り得ない程の造作だと思う。
女の子は皆綺麗ではあるけれど、委員長の美しさはできることなら隠したい。
誰も気付かないで誰にも触れられないでいてくれたらと、願いを込めながら
そうっとひと房の髪に唇を寄せた。”ほんの少しだけ許して” と思いながら。

 
 「ね、本当だよ。一生叶わないって思っても俺やめないからね。」

無防備に俺の侵食を許していた委員長が振り向いて驚いた顔をした。
ちょっと考えたが確信がもてないというように眉間が少し狭まった。

 「わたしに勝ちたいのじゃないの・・?」
 「勝ちたいよ。一生負けたままでも死ぬまでそう思ってる。」
 「え・・?」

どうしよう。かなり伝わってしまったかもしれない。
大きな瞳が揺れていてストレートに困惑が俺に届いてくる。
困ったね、俺も困ってる。本音も本性も実はこうやって暴露を重ねて
君の反応をうかがっている。なんてずるいんだろうね。でもさ

 「さ、できた。帰ろっか。」
 「え、え・ええ、そうね。」

 
怯えても理解できなくてもやっぱり傍に居てくれないだろうか。
勝ちたいよ。己の弱さに。綺麗なままの君を望む心と穢したい衝動と
どちらも混じりあった俺という人間をいつか包んでくれる、そんな
大人の女性に君がなったら、俺は勝ち負けなんてどうでもいいって 
正直に告白できるんじゃないかって・・・思うんだ。

 「今日は風の強い日だったわね。」
 「ん?・・ああ、そうだったね。」
 「・・聞こえたの。」
 「聞こえるよ。委員長の声なら。」
 「ウソ、なんで・・」
 「聞こえるんだ。」
 「今日のさんがく・・なんか変だわ。」
 「そう?俺は変わらないよ。」
 「ならわたしがおかしいのかしらね?」
 「おかしくないよ、今日も可愛い。」
 「ばっ・バカ!ったく・・もうっ・・」

当たり前のことにまた委員長は恥ずかしそうにして、ああ可愛いなと思った。