風の日 


 
 随分と強い風が吹いていた。
部活はどうしたのと委員長である宮原は尋ねてみた。
するとやがて風向きが変わり雨が降ると答えが返った。

 「天気予報では今日の降水確率は低かったわよ?」
 「山へ駆け上がった頃には降るよ。わかるんだ。」

自信たっぷりに言う真波は風を読むことができるらしい。
毎日のように山を走り自然に接しているとわかるのだと
もっともらしく語る。宮原はふぅんとそんな真波の横顔に呟いた。

 「そうだ、委員長勝負しよう!」

唐突に振り向いて真波は宮原に提案した。かれこれ何度目になるか
わからなくなるくらいには聴き慣れたそれに「しないわよ」と返す。
つれない答えにも慣れっこになってか、真波はちぇ〜と口を尖らせるも
直ぐ諦めて渡り廊下へと足を向けた。宮原も遅れて小走りで追いかける。

 「あっそれなら、プリント!今日こそはしなさいよ!」

思い出して真波に声を張り上げると突然立ち止まった彼の背にぶつかった。
きゃっと小さく悲鳴を上げ、真波の背中に向けて文句をぶつけようとした。
すると渡り廊下に猛烈な風が吹き抜けているらしい音と生徒達の悲鳴が上がる。

 「わ〜・・これは山頂も荒れそうだなー・・」

ぼやく真波の立ち止まった意図に気付いて宮原は背中の裏で顔を赤くした。
幸い前を向いている真波には見えない。宮原を突風から庇ってくれたのだ。

 「す、すごい風だったわね。ありがとう、さんがく。」
 「え、ああ、どういたしまして。」

彼が再び宮原に振り向いた時、宮原は平静を取り戻すことに成功していた。
そして渡り廊下を再び進もうとする真波を、また慌てたように追いかける。
突風は突き抜けた後だが、風は思ったより強くて思わず抱えたプリントを
飛ばないように努めると、強風が宮原の髪やスカートを思う存分もてあそんだ。
それに気付いて真波は舞い戻り、長く結えられた宮原の髪のひと房を抑えた。

 「いいわよ、そんなとこ抑えなくたって。」
 「あ、うん。でも・・スカートは抑えられないし?」
 「え?あっ!はにゃあああああっ!!?」

ハタハタと見事に波打っていた自身のスカートを抑えようと前屈みになる。
プリントを抱えている為に手では抑えられずそれしか方法がなかったのだ。

 「えーと・・それ俺が持つ?それともスカート抑えた方がいい?」
 「どっちもしなくていい!早く行って。私も走ってそっち行くから。」
 「えー・・」

そうこうしているうちに風が弱まった。真波は宮原と向き合ったまま動かない。
どういうつもりでか二つに振り分けて結った髪の片方の髪留めをいじっている。

 「あなたさっきからなにしてるのよ・・」
 「これって引っ張ったら取れるんだね。」
 「はあ?取らないでよ。なんでそんなこと」

真波はなにを思ったのか、真面目な顔で宮原の髪留めを引き抜こうとした。
今度は彼の意図が飲み込めない。焦りのような戸惑いが全身に湧き起こる。
スルリと真っ直ぐで艶のある髪が解かれる。宮原は呆然とそれを見ていた。

 「うわあ・・委員長じゃないみたいだ。まるで」
 「ちょっと!一体何がしたいの?私今手が塞がってるのに。」
 「俺付け方がよくわからないや。片方も解いちゃっていい?」
 「ダメよ、分け目が・・さんがくったらやめて!」


 「委員長さ・・・勝負してくれないよね。いつだって。」

真波は突然にそんなことを言い出すので宮原は虚を突かれ、たじろいだ。

 「そんなこと・あなたわかってるくせに・・言うのね。」

幼い昔に一度だけ。「先に行って」と真波は行った。追いつけずに
汗びっしょりになって、初めて真剣な顔を見た。知らない顔だった。
いつかあの山へも行ってみようと指さした。叶えたのは数年後のことだ。
真波一人がだ。それは初めから宮原との約束ではなかったのだから。なのに
置いていかれたような気がしていた。そんな宮原にまだ追いつけないと言う
彼の言葉がどうにも理解できなかった。ただの負けず嫌いなのだろうか。

 「うん、俺これからもずっとお願いするよ。もしかしたら一生?」
 「い!?・・あなたねえ・・いつまでもお隣さんじゃないのよ!」
 「委員長逃げるの?追いかけるから無駄だよ。俺、諦めないから。」

絡んで糸口は見えなくなった。一生勝負しないとわかっているというのに
一生勝負をしようと言い続ける?宮原の困惑は深刻になったが真波は正反対に 
カラリと笑った。「委員長だからなあ・・俺、気長に頑張るよ。」

 「・・あなた馬鹿にしてるわね?わたしのこと。」
 「してないよ。難しいなとは思うけどね。」
 「難しいのはあなたの方じゃない!髪留め返して。」
 「うん・・他の奴に見せたくないし返すよ。ちぇ。」
 「!?髪を解きたかったの?見たければそんなのいつでも」
 「ええ!ダメダメ!簡単に解いて見せるとかナシだよ、委員長!」
 「こんなことしたいのあなたくらいでしょう!?別にいいわよ。」
 「いやいやいや・・鈍いっていうかもう・・委員長ってコワイ。」
 「さっぱりわからない!はっそうだわ、プリントしなさいよ、さんがく!」
 「うわー・・やっぱり?まいったなあ・・」

チャイムが鳴った。下校を促す最後の鐘だ。風が弱まってくると
曇り空のせいで空は一層暗くなる。真波は雨が降る前に帰ろうと言った。

 「しょうがないわね、じゃあ家に帰ってからしましょう。」
 「げー・・家だと眠たくなっちゃうしさあ?」
 「わたしが見張るわ。どっちにする?あなたの部屋でいい?」
 「・・・どうしてもっていうなら居間で。」
 「散らかっていても構わないわよ、今更。それともわたしの部屋にする?」
 「いやいやそれ無理。ねえ、委員長。やっぱり勝負しない?」
 「また脈絡のないことを。しないわ。部屋だと何が問題なのよ。」
 「や、だってさ・・髪、解きたくなっちゃうかもだし。」
 「だから別にいいわよ。変なこと言うわね、ほんとに。」
 「わああ・・これだもの。委員長、俺男なんですけど。」
 「知ってるわよ。」
 「けどわかってないよね。」
 「髪とどういう関係があるの?」
 「手強い。やっぱり委員長って最強だよ。」
 「人のことなんだと思ってるの!失礼ね。」


はぁと長い溜息を漏らすと真波は宮原の髪留めを指でくるくる回した。
そして思いついたように「そうだ、これの付け方教えて。俺が付ける。」

 「なんなの、解きたいと言ったり結わえたいと言ったり。」
 「ね、いいでしょ?」
 「いいけど・・」

にっこりと満面に湛えた笑みは宮原の困惑を少しだけ解した。
わからなくても変であっても、真波は宮原にとってあの日からずっと
特別で大切な対象枠だ。お隣でおさななじみで委員長と問題児で、そして
これからもそうだといいといつものように心の中でこっそりと願う。

 「髪、初めて触ったんだけどきれいだね。」
 「えっ・・そうだったかしら?ありがと。」

結局言われるままに髪を括ってもらいながら真波が囁いた。
無防備に委ねていた宮原がその言葉にまたも真っ赤に染まる。
今度も背中越しなので見えないはずと宮原はタカをくくった。
だが耳から首筋までもが赤くなっているのだから隠せていない。
そもそも真波が何かしたり言葉をかけたりする度にそうなることは
真波にしてみれば充分に承知していることだ。そして隠そうとする
宮原を可愛いと思っていることも今更のことで。恋愛感情抜きでも
彼女が魅力に溢れていることは当たり前過ぎる事実で。

 
 「ね、本当だよ。一生叶わないって思っても俺やめないからね。」

唐突に頭上から降ってきた言葉に宮原が目を瞠る。
なんのことだろうと考えてあの勝負のことだと悟る。

 「わたしに勝ちたいのじゃないの・・?」
 「勝ちたいよ。一生負けたままでも死ぬまでそう思ってる。」
 「え・・?」

風が吹いた気がした。強く揺さぶられて髪が揺れる。
しかしそれは気のせいで、真波が指ですくい上げたからだ。
そのひと房に恭しく口付けるのを見て宮原の心も揺さぶられ
足元さえ覚束無い。だというのに真波は平然として言った。

 「さ、できた。帰ろっか。」
 「え、え・ええ、そうね。」

 
何か見えない力にひっくり返されたような感覚が宮原を襲った。
勝てないから勝負をしない宮原と勝てなくても挑み続ける真波と
置いていかれた気がしていた宮原に追いつけないと言う真波。
ぐらぐらと震動する世界に雨はやがて降り出した。傘は宮原の 
置き傘が一つしかなかったのでそれで帰宅した。予想より激しい雨に
二人は会話が聞き取りにくいこともあって黙り勝ちだった。

 「今日は風の強い日だったわね。」
 「ん?・・ああ、そうだったね。」
 「・・聞こえたの。」
 「聞こえるよ。委員長の声なら。」
 「ウソ、なんで・・」
 「聞こえるんだ。」
 「今日のさんがく・・なんか変だわ。」
 「そう?俺は変わらないよ。」
 「ならわたしがおかしいのかしらね?」
 「おかしくないよ、今日も可愛い。」
 「ばっ・バカ!ったく・・もうっ・・」

俯いた宮原のうなじが赤いことを確かめて真波は微笑んだ。