ひどい男


   
 その話を聞いてオレは酷くイラついた。
 不機嫌になったオレに話は続いていく。 

 委員長に想う人がいる。まさか。瞬時にそう思った。
しかも相手は常という程に委員長に迷惑を掛けていると。
耳を疑った。委員長のことはよく見ているつもりだから。

 そいつはオレの知っている男かと訊いた。すると普段から
そんな冗談は言わない先輩は至極真面目な顔で頷いて見せた。

 どこのどいつだ。オレは委員長の周辺を思い浮かべて
片っ端から疑惑の目を向けてみたが該当者が見つからない。
再び誰かと尋ねても、名前は明かせないと断られてしまった。

 オレ以外に委員長に迷惑を掛け、尚且つ好かれている奴。
その時犯罪予備軍の様相を漂わせていたらしいオレに先輩は

 「真波。そこは自由にとは言わない。相手の為を優先しろ。」

可愛い後輩達のことをこれからも見守っていると言って去った。
卒業してしまってもその先輩は尊敬に値する人だ。オレがすごいと
認める人は皆速くてオレを置き去りにしていく。激しい憧憬を残して。
そんな人の一人が抱いた憂いはオレのなかに課題を拵えていった。

 自転車競技部の一員として、ロードバイク乗りの一人としても
自転車以外の事に割ける時間は正直なかった。そのせいで委員長に
迷惑を掛けていることは事実でそこに甘えがあることも指摘された通り。
委員長がオレの世界の一部分である以上、この課題は放置できない重要な
ことなのだ。委員長の為にオレは何をするべきかということが。

 オレに構いすぎないように云う?・・そんなの無理。
 オレのことだけ考えてと伝える?・・未だ早いよね。

 幼馴染として応援してあげる?・・もっとできない。
 彼女を他の誰であろうと委ねるなんて想像すら無理。

 教室で 校庭で 庭先で お隣の部屋で オレの目の前で 
委員長が誰か知らない男を構って世話をして怒ったり笑ったり。
そんなことを喜べというのだろうか。彼女の為だからといって。

 待っていてくれると信じ込んでいたんだ。なんの根拠もなしに。
これからもずっと先を走ってて、オレの憧れで、且つ連れ合い・・
そうなのだ。ずうっとこの先もお隣でいられるものだと思ってた。
彼女の為にはどうするのがいい?オレにできることは走るだけじゃ、

 追いつくだけじゃ 足りないのだろうか。

 走った後のクタクタの体と空っぽになった頭では
委員長の顔が浮かんでも伝える言葉は出てこなくて。
オレってでくのぼうだなと思った。


 ” 勝って!さんがく!”

 願いを叶えられなかったオレに隣にいる資格なんてあるの?




 その日は昨夜降り始めた雨が雨足を緩めず降り続いていた。

 室内練習を済ませていつもより早めに戻った薄暗い教室に
委員長がたった一人、窓の外をぼんやりと眺めて立っていた。


 「・・委員長。」

 久しぶりに見る委員長はどこか頼りなげで寂しそうだった。
それともオレが寂しくて委員長もそうだといいと願ってるのか。
委員長はキュっと唇を噛んだ。泣くのを堪えようとするように。

 「お疲れ様。今日は早いのね。」
 「うん・・こんな天気だしね。」
 「傘、持ってきてるの?!」
 「心配して待っててくれたんだ。」
 「っ・・い・今思いついたのよ!」
 「忘れたから入れて?委員長。」
 「そんなことだろうと思ったわ。」
 「うん。」

 照れ隠しに髪を弄って俯くけど頬は白い肌が瞬時に朱に染まって。
いつも見せてくれる可愛い仕草にオレはほっとする。あのIHに
遠くから応援に来てくれた時も、大声で名前を叫んでくれた時だって
あたふたする顔。ぽかんとして空いた口。必死で願ってくれた想いも
オレの知っている委員長はいつだってオレを見てる。それなのに・・
どこの誰なの?君を誑かすひどい奴って。

 「・・委員長。」
 
 「なっ何よ。随分くたびれてるみたいだし早く帰りましょう。」
 「大丈夫だよ。委員長の顔見たら元気出た。」
 「ま・またそういう・・ちゃんと汗拭いたの?風邪引くわよ。」
 「拭いたよ。委員長こそ寒かった?オレのジャージ着てく?」
 「きっ着ない!ならぼやっとしてないでほらっ」

 「ねえ委員長。オレの面倒見るのイヤじゃない?」
 「なによいまさら・・イヤならしないわ。」
 「そっか・委員長のすきな人がオレに構うなって言ったら?」
 「は?・・わっ私すきなひとなんてい・いな」

 「いないの?ほんとに?」
 「うで、はなしなさいよ。」
 「そんな強く握ってない。」
 「そういうことじゃなくて」
 「すきな男ってひどい奴なんでしょ?」
 「誰から聞いたのか知らないけどそんなことないわ。」
 「・・・やっぱりいるんだ・・すきな男。」
 「あっ・え・いえそうじゃなくって、その」
 「ねえ、オレそいつと勝負したいな。」
 「はい?なな・なんで勝負なんて・・」
 「自転車くらい乗れるよね?そいつ。」
 「そっそんなの・・勝負にならない・・」
 「そんなにすごい奴なんだ。ひどい男なのに。」
 「さっきからひどいひどいって・・さんがくは知らないんでしょ?」

 「・・知りたくない。部活どころか退学になっちゃうかもしれないし。」
 「さんがくは私がそんなひどい男にダメにされるような女だと思うの?」
 「・・・思わない。思わないけど嫌だ。オレ以外の男なんて。」
 「!?・・・え?・・え!?」
 「ねえそいつと勝負だせて。」
 「あ・あの・それ・・ええっ?」
 「そんな驚くことないでしょ。」
 「だっだって・・あなた・・が」
 「オレが委員長のこと好きだなんてそれこそ今更でしょ。」
 「っ!!?」
 「委員長?」

 委員長の大きな瞳が一際大きくなって両手が顔を押さえつけた。
見たこともないくらいの驚きように戸惑う。息をしてないんじゃ・・
慌てて背中を摩るとやはり呼吸を止めていたらしい彼女が咽て喘いだ。

 「だいじょうぶ?ほらちゃんと吐いて、吸って?」

軽くとんとんと叩いてまた摩る。過呼吸かと思ったが次第に鎮まって
ふうと二人同時くらいに大きな溜息が出た。白い項に赤みが戻って
今度は急に酸素を取り込んだ為か真っ赤に染まっていき心配になる。
思わず顔を覗き込むと目が合った。するとまた一段階赤みが増した。 

 「どこにそんな驚くとこがあったの?ねえ、委員長?」
 「どっどこって・・あ・・あん・・す・すきとか・・っ!!」
 「・・・ほんとに知らなかったの?・・ふぅん・・・」
 「そっそっちこそ!普段の態度だってあ・あんなだしっ」
 「えー?オレ割とあからさまって言われるけどなあ・・」
 「!??わっわからないわよ!逃げ回ってばっかりで。」
 「知らなかったの委員長くらいだよ、たぶん。」 
 「嘘おっしゃい!あああなた女のコ大すきとかってっ!」
 「うん、そりゃ皆可愛いと思うけど。委員長基準だし。」
 「なにそれ!?」
 「だから委員長みたいで皆可愛いなって思うけどさ。」
 「ちょっと・・待って・・汗出てきちゃった・・」

ゴソゴソとハンカチを取り出して委員長はふううとまた息を吐いた。
まだ顔が赤い。まだ聞くのは早いかとタイミングを図ったけれど
そういうのが苦手で結局尋ねてしまった。どうか驚きませんようにと。

 「委員長。それで勝負は?ひどい男のこと教えてくれないの?」

ハンカチで覆われて顔が見えない委員長の肩がビクンと跳ねた。

 「そいつのこと諦めたくない気持ちはわかるよ。」
 「けどオレだってそうなんだ。諦めたくない。」

 「あ・あきらめたくない・・?」
 「委員長もなんだね。だから勝負させて。」
 「・・・勝負して負けたらあきらめるの?」
 「無理。だけど黙って見てるなんてできないよ。」
 「それじゃ・・どうするの・・」
 「失恋したくないってごねてるんだ。みっともないね。でも・」
 「ほんとにひどい男。」
 「なんでそんな奴に惚れちゃったの?!」
 「私のこと言えないわよ、さんがくは。」
 「何のこと?」
 「私のすきなひどい男がどうしてわからないのかわからないわ。」
 「え、だってほんとは知りたくもないよ。ぶっ飛ばしてもいい?」
 「じゃあそうしたら?」
 「いいの!?そいつに委員長はオレんだからって言っても!?」

勢い込むオレにやっと委員長が顔を覗かせた。その顔は呆れている。
だけど泣いていたんだろうか、目元も頬に負けずに赤くなっていた。
委員長はいきなりその場から離れると自分の机のカバンを探り出した。
何かを探していたが、見つかったのか背中がピタリと動きを止めた。
オレはその背中に近付く。いつも白い項が桃色だななんて思いながら。
触れそうなくらいの距離で委員長は突然振り返った。

 「ここにいるわ。ひどい男。」
 「え・・」

 目の前に突きつけられたのは鏡だった。どういう意味だろう?
いまひどい男がここにいるって委員長は言ったはずだ。なのに

 「どこに・・・って!あ・ああ!!?」

への字に浮かんだオレの不満顔がそこに映し出されてやっと理解した。
その時の驚きは確かに委員長をバカにできない。お互いさまって感じだ。
オレは咄嗟に委員長を抱き上げてしまい、机に落ちた鏡がガシャンと鳴った。

 「きゃああっ!!?なっなにするのよ!おろしなさいっ!」
 「わあああごめん!鏡割れてないみたいだからゆるして!」
 「それはいいからおろしなさいってばっ!さんがくっ・・」
 「うわああああだってこのまま振り回したいよ!ダメ!?」
 「ダメに決まっ・・いやああああやめなさーいいいい!!」

調子に乗って教室を走り回ってしまって頭をポカポカ叩かれた。
足をプラプラさせる委員長が小さくて軽いのがいけないんだよ。
一層強く叩かれたけど平気。幸せ過ぎてちっとも痛くなかった。
ようやく気が済んで下ろした頃には委員長はぐったりしていた。

 「ごめん、委員長・・もしかして目が回った?」
 「回ったし恥ずかしいし・・もういいわよっ!」

ごめんねと落とした額へのキスに飛び上がった委員長は机に腕をぶつけ
痛いと叫ぶのでぶつけたところにもキスをした。なぜか更に怒られた。

 「なんで怒るの?」
 「う・うるさいっ!やたらとそういうことしないのよ!」
 「そうだったオレガマンがぷつっと切れちゃってさ・・」
 「ガマン!?」
 「うんオレ委員長との勝負も着いてないでしょ。だから」
 「なんなのそれは?」
 「でもおでこで踏みとどまったし。ねえ勝負しよう!」
 「しないわよ!」
 「なんでっ!?」

 オレは生まれて初めてほっぺをぶたれた。委員長だからいいけど。
あんなに重たくて鉛みたいだった心が軽くなっていて自分でもおかしい。
ヘラヘラと笑いが抑えきれないオレに今頃「い・いたかった?」なんて。

 「委員長可愛すぎ。もしかして誘ってる?」
 「はあっ!?そんなことしないわ!なにを」

堪えきれなくてそっと唇を合わせたら委員長はぽかんとして
この顔は知ってる。知ってても可愛いものは可愛いし、こんな
近くで見たのは初めてだったから嬉しくてももう一度キスした。

 「すごく悩んだんだからキスくらいゆるして。」
 「ゆ・ゆるさないわよ。」
 「えっ・それならちゃんと勝負を」
 「しない。私だって悩んだんだから。いっぱい」
 「そうなの?オレのことで?」
 
こくんと頷いた委員長の瞳は潤んでいてコツンと額をくっつける。

 「そうよ、だってひどいおとこなんですもの。」
 「うん・・なんかオレみたいな奴だなって思ったんだよ。」
 「それなのに自分じゃないと思ったのね。」
 「委員長はオレの好きが自分じゃないと思ってたんだね。」
 「・・そうね。」
 「お互い様。ってことで」

オマケにと寄せた唇は委員長の手のひらに阻止された。

 「ゆるさないからちゃんと卒業しなさいよ!」
 「卒業したら色々許してくれるんだね!わかった。」 
 「いろいろってなによいろいろって!」
 「だからその、色々ガマンしてた分を」

 委員長はこれからオレが掛けた心配分を償わせてくれるらしい。
だから一生かかってもいいかと念を押しておいた。これからも 
ひどいことするかもしれないから。そしたら大好きな可愛い声で
うんと頷く。叩かれたって抓られたって抱きしめるしかなかった。