初恋だったキミに


 
 両の足首に水は絡みついた。こっちへおいでと誘うように
波は幾度も沖へと引いては還る。冷たくて足が痛くなってきた。
視界もどんどん暗くなって吹き付ける風に向かって身震いした。

 山なら親しみで一杯になるのにここでは逆に作用するらしい。
泣いていないのが不思議なくらいに胸に寂しさが満ち充ちてくる。
浮かんでくる面影はどれも懐かしさに彩られて温かいというのに。
それを想い出にすることは出来ないと繰り返し心に確かめた。

 ”冷えてきちゃったし・・もう帰ろうか・・” 

 けど『何処へ?』

 草臥れてたどり着いた砂浜でぼんやり過ごすうちに日暮れになり、
そろそろ今夜の宿のことを考えねばならないのに体が重く動き難い。
帰る場所がないのだ。実家は離れて久しくて、以前住んでいた所は
追い出された。会いたい面影の人の場所を探すもわからないまま。

 どうして寄り道しちゃったんだろう。オレはバカでどうしようもない。
彼女は知っているだろうか?噂は幾つも上っていたから呆れただろうか。
会えないのは会いたくないからだとようやく理解できた。拒まれている。
会いたくなればいつでも会えると単純に信じていたけど、でもよく考えろ、
そんなはずない。連絡どころか想いも告げずうやむやのまま飛び出して。

 遅すぎたかな。今更ってやつかな。けど思い出すのはキミのことばかり。
怒った顔も貴重な笑い顔も。小さい頃のエピソードも甘酸っぱいアレコレも 
どれを取り出してもオレはキミを想ってて、間違えようもないことだった。
傍にいてって言えばよかった。ずうっとずっと一緒にいたいんだって。
会えなくなって何年も経つまで気付かないってね、ほんとバカだよね。


 初恋だったんだなってことも最近知ったんだ。考えたことなかった。
キミは?ねえ、自惚れてたんだオレ。オレのこと好きでいてくれてた?
困ったなどうしたら会ってくれるのかな。キミのことばかり考えてても
会えない日が続いていく。こんなにも苦しいことってほかにあるかな?
山も海も空も輝いてくれなくなったよ。キミがいない。それだけで・・



  あいたい・・・        キミに・・もう一度

 

 すっかり日は水平線に隠れた。冷え切った重い足で砂浜を上がったとき
携帯が震えた。面倒だなって思いつつ見た画面には珍しい人の名前があった。
そういえばこの人ともしばらく会ってなかったなあと呑気に思いながら、
電話の通話ボタンを押した。


 「真波。生きておったか。」
 「東堂さん。お久しぶりです。」

 「・・時に真波、見合いをせんか?」
 「えっオレがですか?お見合い?!」

 両親を通じてオレの近況は大体知っているとか、そんな会話の後での
唐突な提案に目を見開いた。驚き仰いだ空には無数の星が瞬いていた。

 「このオレが見込んだ女性だ。この人で無理というなら後はないな。」
 「ちょっと突然過ぎですよ。オレ結婚なんてそれこそ無理っ・」
 「ともあれオレの実家に明日11時に来い。良いな、真波。」
 「えっ!明日!?ちょっと東堂さんっ・・・え・ええ〜・・?!」


 高校時と何一つ変わらない声と態度。これは断っても承知しないだろう。
そりゃあ・・現在フリーですけど。オレはバカやって会いたくなって、
そしたら会えなくなってて避けられてるってやっとわかったけど諦められずに
傷心のままフラフラしてますけど。チームには一応休養をもらっているけど
このままじゃ解雇だ。グズグズしていたら何処にも居場所がなくなるだろう。
・・・ああなんか疲れた。貯金も減るし、そろそろ諦めるべきなんだろうか。

 先輩はオレの噂を聞いて心配してくれたんだろう。有難いことだ。だけど
なんで見合いなんだろう。オレのしてることはそんなに不毛なことなのか。
代わりの人で足りるんだったらこんなにしつこく探してなどいないのに。

すっぽかすかどうするか迷ったけど、止めてあったロードに跨って走り出した。
この場所から地元箱根の東堂庵までとなるとほぼ一晩中走り通しになる。だが
オレはやるせなさを振り切るようにペダルを漕いだ。とにかく来いというのなら
行って想いを伝えよう。誰になんと言われても諦められないひとがいるのだと。
星空は降るようで、好きじゃない平坦も結構飛ばした。夜の走行も悪くない。
そういえば地元へも久しぶりだ。彼女のいないお隣を見たくなくて帰ってない。
何年も経っているし、もう結婚だってしてておかしくない・・それでも・・


 オレは時間にはルーズと思われてた。だけど今は随分改まっている。
もし彼女に会えたらまずそこを褒められたいなんて、相変わらずあの子のことを
思い出しながら、懐かしい地元に帰ってきた。東堂さんの実家にたどり着いた時
約束よりもかなり早かった。玄関に出迎えてくれた先輩は少しも変わっていなくて
驚くほどだったが、オレも似たり寄ったりだったのか彼も驚きはしなかった。


 「お前にしては早いではないか。良いことだ。」
 「・・東堂さん・・オレ、あんま寝てないんで・・」
 「うむ、そのようだな。時間まで風呂にでも浸かり一眠りするといい。」

 疲労で郷愁は霧散した。オレは2時間程夢も見ないまま眠り込んだらしい。
目が覚めると座敷には眩しい光が差し込んでいた。起きたのは起こされたからだ。
スラリと開いた襖からずかずか入ってきた先輩は着替えろだの口うるさく急かし
言われるままにした。ぼうっとして働かない頭に先輩の口数は少々キツかった。

 「何、見合いといっても正式なものではないから気を張ることはない。」
 「否、東堂さん。オレ昨日見合いするなんて言ってませんよ?」
 「ここまできておるではないか!先方はもう待っておる。観念せい。」
 「や、一応貴方の為に来るのは来ましたけども・・」
 「いいからしゃんとしろ。失礼だぞ。ではな、真波。グッドラック!」
 「はあ!?」

 放り込まれたのは和風な東堂さんのお屋敷では何ていうか知らないけれど
ホテルでいうラウンジのようなところだった。そこに和服姿の小柄なひとがいた。
大きな中庭に面したそこをじっと見ているようだった。池とか鹿威しもあった。
いかにもな純和風な庭を見ているその人はこっちを見ようとしないので訝った。
折角来てもらって気の毒だとは思うけど、今からお断りしなくちゃいけない。

 「・・・あ、あの・・オレ、真波と言います、けど。」
  
なんと声を掛けていいか迷って妙な挨拶になってしまった。すると
そこにいたひとはゆっくり庭から視線を外してオレの方を振り向いた。

 「・・遅刻しなかったのね。驚いたわ。」
 
 「・・・・・・・・・・・いいんちょう?」

 
 会いたくてあいたくてあんなに頑張って探してた彼女が   いた。

着物姿なんて珍しい。っていうかものすごくキレイでえっとあれ?メガネ・・

 「いいんちょうメガネ変えた?!」

 オレの間の抜けた声に驚いたのか彼女が目を丸くした。そしてふっと笑った。

 「これね、昔のよ。久しぶりにしてきたの。」
 「あ、変わってないの?」
 「あなたも変わってないわね。」
 「いいんちょうはきっ・・きれ・・いやその・・うん、変わってない。」
 「体の具合どう?怪我は直ったみたいだけど。」 
 「えっ知ってるの?うん、もう完治した。けど今は休養してて。」
 「そう。昨日久々に実家に戻ったらご両親がいつも捕まらないってぼやいてらしたわ。」
 「家に戻ったの?オレっ・・ずっと探してたんだ。キミのこと。」
 「私もちょっと体を壊して療養してたの。」
 「知らなかった。今はいいの?いま・・あの・・ひ、独り・・?」
 「ええもう大丈夫。そういうあなた何方かと婚約中じゃなかったの?」
 「そ・それも知ってたんだ・・ううん、オレ振られたから独りだよ。」
 「そうなの・・まあそうらしいってこと東堂さんから聞いたけどね。」
 「ごめん。ごめん!いいんちょうオレっう・・浮気してっ・・」
 「?!」
 「ずっとずっと好きだったのに!・・」
 「・・・・そうなの。知らなかった。」
 「ねえ、答えてくれないのは・・もしかしていいんちょうはもう・・」
 「・・あのねえ、さんがく。お見合いなんでしょ?これって一応。」
 「あっ・!?それじゃいますぐオレと結婚して!くださいっ!!」 
 「!!」

 オレは必死だった。もう一度会えたら逃すまいと思ってた。それにすっかり
忘れていたけど彼女のいうとおり”お見合い”ってことは彼女は独り身ってことだ。
つまりそれで頑張れみたいなこと言ったんだよね。ああもう東堂さんスゴイや!

 「私をご所望ってほんとうだったの・・信じられなくて。」
 「なんで?!父さん母さんからとかほかからもきいてない!?」
 「あなた数人とお付き合いしてたでしょう?・・」
 「うわそれマスコミのでっち上げも混じってるし!」
 「東堂さんが今回のお話持ってこられるまで会うつもりはなかったわ。」
 「オレ東堂さんに感謝する。やっぱり神様だ。会わせてくれるなんて!」
 「私、あなたの傍にいていいのね?」
 「キミがいい。キミじゃないとダメなんだ。お願い!します!」
 「ありがとう、さんがく。こちらこそよろしくお願いします。」
 「いいんちょう・・っ!!」
 「あなた昔みたいに呼んでるけど・名前忘れたんじゃないでしょうね?」
 「あっううん、忘れたりするわけないよ。その・・えっと・・」
 「?」
 「あー・・・うー・・・」
 「実は忘れたとか、彼女の名前が邪魔するとか?」
 「ちっちがうよ!っ・・そうじゃなくって〜!!」
 
 面と向かっていざ名前を呼ぶってのは思ってたより恥ずかしかったんだ。 
特別な魔法があるみたいに思っていたから。委員長って呼ぶようになっても
心の内では名前で呼んでいたんだ。何度も何度も繰り返しそう、波のように。
これからはちゃんと声に出して呼ぼう。呼ばなくちゃ。もったいないからね。
”委員長”は彼女のことを誰からも呼ばれないようにするのに都合が良かった。
だけどキミに、キミが特別とわかってもらわなきゃダメなんだよね。
 
 オレだけのキミ。キミに初恋だったことも告げてしまおう。それに
どうしても諦められなかったこと。再会してまた恋したことも言うよ。

 キミへのオレの想いのいっぱいに詰まったその名を  いま、