初恋だったキミに ~side story~


 
 異国からの伝聞


 渡英して仕事も順調にこなしている永年の好敵手から東堂の元へ連絡があった。
珍らしく先方から掛かってきた電話に歓喜して出ると、己の後輩に関する話で驚く。
最初に所属したチームでのいざこざやゴシップで騒がしい男の顔を思い浮かべた。
悪びれない様子でヘラリと笑う。そんな後輩のことで以前相談していたからである。

 「まさか当人が巻ちゃんの知己とは・・世間とは狭いものだな。」
 「ああ。だからほぼマスコミが煽っただけで結婚は無いッショ。」
 「よく聞かせてくれたな、巻ちゃん。感謝するぞ。」 
 「ああ、じゃあな。」
 「待て待て!せっかく掛けてきてくれたのだからもっと巻ちゃんの話を・・」


 高校時から続いている一方的とも取れる東堂の長電話に慣れきった相手は
彼と対照的に話下手なことも相変わらずで、なんのかんので電話から逃れた。
惜しみつつ通話を終えた東堂はふむ、と腕を組み話を総括すると再び電話を取る。

面倒見の良い東堂はまるで我が子に対するような慕しさで後輩のことを想う。
渡欧した後輩のことも頼まれもしないのによく動向を掴んでもいたし、その分
気懸りでどうしたものかと考えていた経緯もあり、一つの決心を抱いたのだ。

  あれもそろそろ身を固めた方がいい。今が頃合ということなのだろう。
 
 件の後輩というのは彼が所属していた高校自転車競技部で「山神」の称号を
受け継いだ男だ。名は真波山岳。人好きのする外見が自分と被っていると見て
入部した時から目を掛けていた。部内でも部外でも被ってはいないとの意見が
多かったのだがそこはスルーの東堂だった。ともあれ可愛い後輩には違いなく。
この俺が一肌脱ぐのに吝かではないと、真波はさて置きせっせと話を進めていった。
 


 異国の”イインチョウ”


 ドンっという衝撃が真波を襲った。そして包まっていた毛布ごと床に落ちる。
何事かとひょこり飛び出したアホ毛を揺らしてうかがうと怖い顔の美女が仁王立ち
しながら彼を見下ろしていた。黒髪をアップした色白の美女は仏語で彼に話し掛けた。

 『マナミ!また”イインチョウ”と呼んだわね。だからとっとと行けと言ってるでしょ。』 
 
 『・・ごめ〜ん・・・ここ日本じゃないね・・』

 覚醒しきっていないぼんやりした声とのんびりした顔に美女は大きく溜息を吐く。

 『あんたがここを定宿みたいにするから世間ではなんて言われてるか知ってる?』
 『う・・ん・・なんでそうなるんだろうね?オレたち結婚しないとダメなの??』
 『するわけないでしょ!ったく・・つい猫の子みたいに世話したのが間違いよ。』
 『そういうとこ”委員長”そっくりだよ。本物はもっと可愛いけど。』
 『はいはいマナミは”イインチョウ”のところへどうぞ。私はこれ以上世話しないわ。』
 『・・・ごめん。けどオレ行くとこなくて・・』
 『ホトケのフェイスもサンドなんでしょ。今日という今日は出て行くのよ!』
 『あ、うん。ハイ、わかりました・・』

黒髪の美女は三角のメガネをクイと上げる仕草をした後まとめていた髪を解いた。
流れ落ちた滝のような黒髪に真波は見蕩れた。初めて逢った時もそうしたように。

 真波が彼女と出会ったのは以前所属していたチームを離れた直後、住んでいた所の
家賃振込をうっかり忘れて数度怠った為、追い出され路頭に迷うという状態の時だった。
お金は銀行にあったが手元になく、カードも無くして再発行待ちの有様。腹が減って
フラフラ良い匂いに釣られて迷い込んだ先のレストラン。そこのオーナーが彼女だった。

彼女の知人がロードレースをしていたこともあって、真波というレーサーを知っていた。
やり手の彼女は既婚者だが夫に先立たれてその仕事を全て引き継いで奮闘していた。
子供もなく恋人もないまま仕事漬けの日々、彼女は真波と昔飼っていた猫とがだぶった。
レストランで食べさせた後、自宅まで連れ帰ったのだ。その後真波は居着くことになる。
一つは面倒だったせいだが、口は喧しくも彼是構ってくれる彼女に真波は懐いてしまう。
実は寂しがり屋の彼女と知るに連れて親しみが増した。そんな暮らしが数ヵ月にもなる。

 『酔った勢いで間違いもあったけど、元から私そんなつもりはないからね。』
 『・・でもオレがいないと寂しいって泣いてたじゃない?ほんとにいいの?』
 『う・うるさい!酔ってたの!あんたにはあんたの居場所があるでしょう!』
 『・・・なんでか会えなくなったんだ。どこにいるか誰も教えてくれない。』

 共依存の二人の関係は世間では同棲、恋人、結婚秒読みと憶測は進化していった。
これはいけないと彼女が先に追い出そうとしたのだが、ズルズルと伸びてしまった。
しかし先頃知人のレーサーを通じて真波が探しているという幼馴染のことを聞くと
彼女は本気で真波を追い出すことにした。彼女なりに真波を想えばこそのことだ。

 『私の愛する人はもうこの世にはいないの。マナミ、あんたは間に合うのよ。』

そこまで言われてやっと真波は気付いた。慰め合いの生活はそれで終わりになった。
もう一度間に合うなら。自分に必要だった人。大切だった存在を心の奥から掘り出した。
彼女の元を去った後、真波は数年振りに故郷へ戻ることにしたのだった。



 委員長だった幼馴染


 異国へ旅立った幼馴染の世話から解放された宮原は日本で就職を果たした。
奔放な幼馴染の動向はやはり気になりはしたが、女性関係の報道を目にするのが
嫌で背けるようになった。数年後同棲している女性と結婚するらしいという話を
知った時は仕事の苦労もあって体調を崩していたときだ。仕事は辞めることになった。

 幸い生命を失うまでには至らず、静養先に両親も移り住んで徐々に回復していき、
すっかり回復して今後どうするかを考えていた。病歴もあり再就職は厳しかった。
だが翻訳の仕事など在宅での働き口を周囲からも勧められて始めてみると予想以上に
真面目な良い仕事をして少しずつだが安定した収入も得られるようになった。

 幼い頃からずっと世話を焼いていた幼馴染のことを宮原は口にこそしなかったが
ずっと心配もし、心に秘め続けていた。幸せでいてくれればそれでいいと思いながら。
このまま仕事が順調にいくなら独りのままでもいいかなとも考えた。友人達は既に
何人も苗字が変わったり、遠くへ旅立ったり様々な未来を形成していってはいたが
宮原は元より積極的に異性を求める質ではなかったのでずっと恋人と呼べる者もない。
それでも特に不自由も感じることなく慎ましい幸せと共に生きていたのだった。

 そんな宮原に懐かしい高校時代の有名な先輩から連絡が入る。

 彼は昔と少しも変わらない声で親しげに話し掛けてきた。まるで時代を遡ったようで
釣られて明るい声になる宮原だ。華やかで流暢で、しかも丁寧で温かみのある彼は
幼馴染の自転車の先輩で、山神と称賛された東堂尽八その人だった。

 「・・そんな訳だ。宮原さん。頼む。一生恩に着て君に頭を下げる。どうか・」
 「そんな!とんでもありません。こちらこそこんな・・いいんでしょうか・・」  
 「勿論だ。君だからこそ頼むのだ。君以外には考えられんよ。」
 「・・・・東堂さん・・ありがとうございます。」

 真摯な東堂の言葉に胸が詰まった。彼によると幼馴染の動向については誤報が主で
宮原に会いたいと当人が必死に探しているとの話に耳を疑いもした。だが会いたいと 
ずっと押え付けてきた気持ちは涙と一緒にどんどん溢れ出て宮原の胸元は濡れていった。

 「・・ほんとうは・・会いたかった。どうしても忘れられなくて・」
 「うむ。そうだろう、そういうものだよ、宮原さん。」
 
 心中を察してもらい落涙する宮原の耳元で東堂の声も震えているようだった。
段取りもあっという間に整えた彼に会いに東堂庵を訪れた宮原は思わずその手を握り
心からの礼を述べつつ頭を下げた。その手を握り締めた彼の大きな手は温かく、二人して
玄関先でボロボロと泣く段に至っては旅館の面々や駆けつけた宮原の母ももらい泣いた。
そんなことがあった数日後、真波は予想より随分早く東堂庵へとやってくるのだった。


 お見合い その後


 「東堂さんてホントに素敵な方ね。私初めて男の人の手を握ったわ。」
 「えっ・なんで!?なんで委員長が東堂さんの手を握ったりするの?」 
 「いえそれはその・・とても親身になってくださって私も思わず・・」
 「ちょっ・・まさか委員長東堂さんのこと?!オレと結婚してくれるんじゃ・・!」
 「何を焦ってるの?東堂さんはもうちゃんとお相手がいらっしゃるそうよ。」
 「そうなの!?よかった・・っていうか委員長はほかにその・・いた?」
 「あんたにそんなこと言われるなんて・・」
 「やっ!オレずっと委員長のこと・・ホントだよ!信じて!!」
 「ふぅ〜ん・・?」
 「あっあの・・ごめん。あのその・・噂になった人ね、委員長に似てるんだ。」
 「・・・そうかしら?ちっとも似てないわよ。」
 「?!知ってるの!?」
 「知ってるわ。有名人だし、巻島さんのお兄様と親しい方なんですって。」
 「巻島さんて・・・”巻ちゃん”さん?」
 「そうよ。写真で見る限り私よりずっと美人だわ。」
 「う〜ん・・似てるけどなあ・・会わせたいなあ。」
 「会ってくださるワケないでしょ、バカね。」 
 「あのね、委員長のお姉さん?みたいな感じ。怖いけど優しいんだ。」
 「・・・とても好きだったのね。」
 「あっ・・うん。ごめん・・」
 「あやまることないわ。そんなこと。」
 「うん、オレすごくお世話になったし、やっぱり会わせたい。結婚式に呼ぶ!」
 「はあっ!?冗談・・じゃないわね、その顔は・・」
 「ちゃんと話すよ。彼女いい人だから大丈夫。」
 「知らないわよ、怒られても。」
 「委員長と仲良くなるんじゃないかな。そんな気がする。」
 「やだ・・ちょっと・・会いたくなってきたわ。」
 「わーい!早く結婚しよ!ねっ!?」
 「はいはい・・ところでまた委員長に戻ってる。」
 「あっ!?ほんとだ。クセっておそろしいね・・」




  余談の余談

 委員長と呼ばれた宮原とイインチョウと間違われた彼女とはその後に、
意気投合して仕事も共にするなど親しい仲となる。真波が馬鹿をした際に 
二人して仁王立ちした前に正座して畏まる姿が数度あったとかなかったとか。