旭光〜(前)〜



りんは呼ばれたような気がして身を起こした
しかししんと静まり返った部屋には誰もいない
そっと起きて仮寝の部屋を出ると邪見の鼾が聞こえた
起こさないように横をすり抜け外へ出る
まだ夜中で墨を落とした絵のように真っ暗だった
月を探すと雲に隠れてぼんやりとしていた
確かに呼ばれたと思ったのにと空を仰ぐ
このごろ毎晩のように主は夜中不在であった
その主の声がしてりんは眼を覚ます
しかしいつも主の姿はそこにはなかったのである
落ちつかない気分でその後も寝つけずに朝方まで
主を待つこともしばしばだった
「なんでこんなに胸が痛いんだろ」
りんはぽつりとつぶやいた
「何をしている」
びっくりして振りかえると主の姿があった
「殺生丸さま、おかえりなさい」
「りんを呼んだ?殺生丸さま」
どうしてか彼は答えない
「私を待っていたのか」
りんはこくりと頷くと「呼ばれた気がしたの」と言った
「用はない、寝ろ」と言うと叉どこかへ行こうとする
「殺生丸さま、待って」
どこか焦るような声色にピタリと立ち止まり振りかえった
「なんだ」
りんはいまにも泣き出しそうな顔で彼の眉間がわずかに狭められる
「りんも・・・連れて行って」
搾り出すようなりんの表情に彼の胸が軋る
聞き分けの無いことを言うりんではない
無理を承知で訴えているのだとわかる
しかしりんにとって意外な答えが返った
「戻れなくなっても良いのか」
「!・・・はい!」
言葉の真意は量れなかったがりんは思わずうなづいた
ひどくゆっくりと彼はりんに近づいて行った
そっとりんの頬にその手を添えると
「夜明けを観に行くか」と尋ねた
りんは緊張を解き笑顔を零した「はいっ」
そのまま殺生丸に抱かれて舞い上がる
とても久しぶりに昔に戻ったようでりんは嬉しかった
東のまだ暗い空を目指して二人は飛び立った



幼い頃から自分を慕う人の娘
今もこうして何も不安に思わず身を預けてくる
どうしてそうもこの妖怪を信じて笑顔でいられるのか
ずっと彼は不思議に思っていた
己が気まぐれに救った命を
いつまた気まぐれに奪われるかもしれぬ命を
娘は己と共に在りたいという
さらにわからないのはこの娘がそう思うことを
歓ぶ己自身だ
いつからかこの命は我が物と思い始めたのは
だがたとえその身を食らおうとも我が物にはできぬとも思う
どうすればこの引き裂かれそうな心を鎮められるのか
このところずっと埒もあかないそんなことを考えていた
”夜明け”と言ったが実際はどこでも良かった
出口を見つけたかったのだ
一人では見つからないのかもしれぬと
ついりんを伴い飛び立ってしまった
深い考えがあるわけではなかった
離れていると気も狂わんばかりに苦しいのに
こうして胸に抱いていると可笑しなほど落ちつく
あれほどの辛さはどこへいったのだと
心のなかで苦笑する己がいた



りんはどうして傍にいるとこうも幸せなんだろうと思っていた
まるでもともと二人は一つだったんじゃないだろうか
そんなことを考えて微笑んだ
「何を笑っている」
「嬉しくって」それ以上言えなかった
ぎゅっとお互いが身体を抱きなおすと
りんは涙が出そうになって彼の胸に顔を押し付けた
このままずっとこうしていたい・・・
りんの心はにじみ出て彼に染み込んでいかないかと
そんなことを考えていた





(後)へ続く