「花に埋もれる」



りんと殺生丸が出会ってから幾度目かの春が廻って来ていた。
屋敷内の庭の桜は既に蕾ほころび、はや八部咲きの装い。
満開の頃はすぐにやってくるだろうとりんは思う。
「今年も見られるかな・・」つい口に出してしまう。
昨年賑やかな屋敷の花見から抜け出した殺生丸はりんを伴なった。
少し離れた庭にぽつりと佇む桜に辿り着くと二人で見上げた。
「どうしてここに一本だけ植わってるの?」
りんが尋ねると「・・・さぁな・・」としか返事はなかった。
それ以上尋ねることはせず、「すごく綺麗だね!」とりんは微笑んだ。
少し目を細めた殺生丸は口数多くはないが、そのときもまた黙ったまま。
りんも珍しく口を閉じたままただ風に揺れる花と散る花びらに見惚れた。
それでも二人だけで見上げる桜は何故だか哀しいほど美しかった。
そうしているとまるで時が止まったように感じてしまい、眩暈すら覚える。
やがてぽつりと「りん、また来年もこの桜見られる?」と小さく尋ねた。
「ああ」と返事はそれだけだったが、当たり前のような顔のそれが嬉しかった。
そして肌寒くてほんの少し身じろぎしただけだったりんをふわりと包んだのは
いつの間にかりんのすぐ傍に居た殺生丸の腕だったのに驚く。
「殺生丸さま?」
腕の中は温かくて、りんがほっとしながら顔を上げるといつもの顔は桜を見ている。
りんの方を見ないまま「寒いなら、戻るか?」と殺生丸は尋ねた。
慌てて頭を左右に揺らし、「ううん!寒くないよ。」とりんは答えた。
「そうか」と言ったきり、また殺生丸は黙ってしまった。
りんは少し紅潮している頬を感じながら、目を閉じてみる。
すると花の香りが微かに漂って、まるで花に埋もれているような気がしてくる。
そうして随分長いこと二人でその場所に居たように思う。
夢を見ているような春の宵の出来事だった。
今年もあの場所で花に埋もれるような心地を味わいたいと密かに希った。

「りん、どうしたんじゃ、ぼーっとしおって!」
「ううん、どうもしないよ。邪見さま。」
「そんならいいが、もう陽も落ちてしもうたし、寒くはないか?」
「うん、だいじょうぶ。・・・殺生丸さま、遅いねぇ・・」
花見の宴は主の不在のままもう随分経ってしまっている。
「またそれか!・・・お仕事なんじゃから仕方なかろう。」
「うん、わかってるよ。」
寂しそうなりんの様子に邪見も顔を曇らせた。
「りん・・・あっ!!帰って来られたぞ!りん。」
「えっ!?」
りんは勢いよく顔を上げると殺生丸の姿を探した。
遠くてもすぐに見つけると思わず笑顔を浮かべて立ち上がった。
そしてあっという間に邪見を置いて走っていくりん。
置いて行かれて見送る邪見はそれでもよかったなと嬉しそうだった。
「殺生丸さまー!」
駆けて来るりんをいつもの無表情で出迎える、いつもの光景だ。
待たされてよほど嬉しかったのかりんは勢い転びそうになった。
それを受け止めた殺生丸の顔にいつにない笑顔が浮かんでいた。
たまたま傍に居た使用人らは皆一様に顔を赤らめた。
”まぁ!あのご主人があんな幸せそうな・・”
「殺生丸さま、お帰りなさい!お疲れ様。」
「ああ」
答える殺生丸はもういつもの顔であったが、りんはそんなことはどうでも良い。
「あ、あのね・・・」
りんは待っている間のことを話そうと口を開きかけたが、殺生丸が遮った。
「行くぞ。」と一言。一瞬目を丸くしたが、りんはすぐにその目を輝かす。
「はいっ!」
着たばかりの殺生丸はりんを連れてそのまま庭の皆の前を通り過ぎて行った。
どうしてりんがあそこへ行きたいのがわかったのかなとりんは思った。
もしかしたら殺生丸さまも行きたかったのかな?そんなことを思うと顔が綻ぶ。
「殺生丸さま、りん嬉しい。」
また殺生丸は少し目を細める。もう陽も沈んだというのに眩しそうに。
小走りに先を行く殺生丸を追いかけるりんは思わず腕に手を伸ばした。
「掴っていろ、また転ぶ。」と背中から声がしてりんはまた嬉しくなる。
「はい。」
恋人のように腕を組んで、二人は歩調を緩めた。
「なんだか殺生丸さまを独り占めだね、りん。」
少しりんを振り返ると蕩けそうに幸せな笑顔が目に映る。
どんな美しい花よりその笑顔に埋もれたいと殺生丸は希う。
腕に閉じ込め、独占したいのは私の方だと。
りんは一刻一秒花咲いては殺生丸の心を揺らす。
もう離すことはできないだろう。
そしてそろそろ待ちきれないかもしれない。
りんの顔を覗き込まないようにと勤めて花を見上げる。
そうして二人で桜の花を見つめ、花の香りに包まれるのだ。

”ずっと傍に居たい、花に埋もれるように”
”いつまでもこの腕に花咲いていて欲しい”

夜を彩る花びらが二人の想いとともに風に舞った。