時の悪戯 



「りん」やけに響いて聞こえびくりとする
我に帰って名残惜しく視線を投げると
今呼ばれた方へと踵を返した
「殺生丸さまに逢えたよ」
りんは当人ににっこりと幸せそうに報告した
「そうか」
ただそれだけ言うとりんの笑顔に僅かに微笑んだ



その妖怪はまだ修行の身だと語り、畏まって頭を下げた
先代、つまり殺生丸の父に仕えていたのがその妖怪の父らしい
現在の主に挨拶に来たのだが たまたま政務の合間
奥方となったりんが傍にいたのがその話の始まりだ
妖怪は”時”の妖怪、それに干渉できるらしい
「わ、私などは父と違いまだまだ未熟で・・・」
主の前でかなり緊張しているようだった
「な、何も献上仕るものがございませんが・・・」
「もしよろしければ先代の生きておられた”過去”へ
・・僅かな間ご案内いたします」
しかしその申し出に主は興味を示さなかった
奥方のりんの紹介は既に墓参りで済ませていた
「必要ない」
素っ気なく答えられ、その妖怪は戸惑った
「そそ、そうですか、先代ならずとも母君でも・・・」
「要らぬ」
傍で見守っていたりんはなんだか気の毒に思えた
「殺生丸さま、お母さまにお会いできるのよ」
つい小声で囁いてしまった
「過去を垣間見て何になる」
りんに言われてもやはり答えは同じだったが
「でも、りんは昔の殺生丸さまに逢えたらいいなって思うけど・・・」
主は少し眉を上げて妻の意見にしばし考えているようだった
「・・・それならば」
そうして当人ではなく、妻のりんが代わりにその申し出を受けることとなった



「よろしいですか?呼ばれましたらすぐにお戻りください」
「はい、わかりました」
やがてりんの目の前に朧な靄が生じた
術の発動でその靄の辺りはゆらゆらと揺れた
次第に大きくなり、りんをすっぽりと包んでいった
りんは言われた通り心に逢いたい人を思い浮かべ”逢いたい”と強く願った
りんの周囲の者には何も見えていなかったが
眼をゆっくりと開けるとりんにだけその姿が映った
そこには寝所に気だるげに横たわるその人の姿
うつぶせて眠っているようだったが、流れる銀の髪でその人と確信する
眠る姿にほんの少し微笑み”殺生丸さまが寝てるなんて珍しい!”
”でもお顔がみたいから起きてくれないかしら”と思った
するとりんの視線を感じたのか身じろぎするとゆっくりと起き上がった
りんを認めこちらを向いた殺生丸は何も身につけていなかった
「!」妻になったとはいえりんは恥ずかしくて俯いた
その様子に己の姿に気づいて着物を羽織る若き妖怪
「おまえは何者だ」殺生丸は尋ねたが声は届いていなかった
”殺生丸さま、わからないけど何か言ってる””すごく可愛い〜!”
りんは聞こえないため無視をした状態でその人を慕わしげに眺めた
”殺生丸さまなんて綺麗で可愛らしいの”と嬉しそうに微笑んだ
しかし当の相手は奇妙な訪問者に戸惑っていた
入れるはずのないここへ現れた不思議とともに疑念を起こすのは
いまだかつてこの私の妖気に怖れを抱かず親しげに微笑んだ者はいない
それも心底幸せそうな花も零れんばかりの微笑みだ
再度興味を惹かれ問うがやはり答えはなかった
突然名を呼ばれたりんはびくっとして”え、もう?”と思いながら
まだ年若く少女のような愛しい妖怪をもう一度心を込め見詰めると
今の彼のもとへと帰っていった
それをひき止めようとする声が過去の部屋に響いていた



「何者だったのか」取り残された妖怪はあまやかな余韻に包まれ
去っていった女の匂いと面影を記憶にとどめようとしていた
だが彼はその想いが何かと名づけることなく記憶は奥へと閉じ込められた
そして今あのときの確かな心の波を思い出し我が元へと呼び寄せる
「ただいま。殺生丸さま」いまや愛しい唯一の妻を感慨深く見やる
「殺生丸さまに逢えたよ」嬉しそうな妻の笑顔に目を細める
「そうか」素っ気無い返答であったが彼もまた出遭えたことを歓んでいた
「おまえの笑顔には覚えがあった訳だ」そう優しげな眼差しで言われると
「え、殺生丸さま覚えててくれたの?」瞳を輝かせ夫に問う
「忘れ得ぬ笑顔であった」今度の答えには妻は頬を染め瞳を潤ませた
「・・・嬉しい」「逢いたかったの、りんもきっと」噛み締めるように言った
見詰め合う二人にあてられその場にいた妖怪も顔を紅くしている
なぜかこうせねばならんと”時”が告げたと思ったのは悪戯か?と
主を訪ねた妖怪は導かれたかのような感を強める
仲睦まじき夫婦の様子をそんな想いで見詰めた
殺生丸とりんが惹き合う力が見せた一つの奇跡だったかもしれない