Will you do me the pleasure of dining with me?


 


お母さんの記憶は実はほとんどと言っていいくらいにない。
それでも祖母や伯父から聞いたり、アルバムをたどったり
そこに確かな温もりを見出すと和まされる。愛されていたと。
きっと同じように幼い頃亡くしたご両親の思い出を彼は今でも
心の奥に大切にしまっているのだろう。誰にも言わなくても。

初めて彼の住む家に招待されたとき、私は見つけてしまった。
広い部屋はシンプルで機能的にセッティングされていたけれど
不似合いな可愛らしい一角があった。宝物だと直感する。そして
私はその中の一つに目を着けると、当て推量で彼に言ってみた。

「バーナビー、当ててみせようか。これ、女の子からもらったでしょ!」
「え?あぁ、それは仕事仲間達からです。選んだのはそうだな、多分。」
「だよね。ファンのにしては一つだけ特別扱いはおかしいし、それに、」
「他のはあなたが選んだっぽいのに、これだけ浮いてるからわかるよ。」
「楓は名探偵みたいだね。ちょっと僕にしては子供っぽい・・もんね?」
「ううん、そんなこともない。ただ女の子が好きそうだって思ったの。」

私の言葉には少々嫉妬が含まれていた。無意識だが口にしたら自覚した。
けれどバーナビーはそこに気付いた風でなく、僅かに心外という顔をした。
ピンクの兎のぬいぐるみが似合うと言われるのは確かに失礼かもしれない。
かっこよすぎる彼の部屋がそこだけほっこりとして温かいのだ。悪くない。
仕事仲間というのは同じヒーローのあの人かなぁ、と思い浮かべてみた。
あの時、TVの印象と違い優しくて思いやり深い眼をした氷のプリンセス。
彼と仲が良いのかしらと勘繰ってしまうのはちょっと後ろめたい気もする。
そんな自分を振りほどこうとして、可愛らしいぬいぐるみから眼を逸らす。
逸らした先には、多分かなり年代物のロボットのおもちゃが飾ってあった。
私はなんとなく察して黙っていた。すると彼はそれを両親からのものだと
簡単に説明してくれた。そうなんだ、としか呟いてない。なのにバーナビーは
どうしてわかるの?と驚いた。そんなのわりと簡単なことなんだけれど。
こういう宝物、私にもあるよ!と伝えてみると彼は数秒で理解を示した。
思い出話はせずその場を後にする。その時はまだ二人の間には遠慮があった。


「あのね、バーナビー。私今度生まれて初めてケーキを焼くの。」
「それはいいね。お父さんが聞いたらとても喜ぶんじゃない?!」
「わかる?おばあちゃんたらお父さんに電話で話しちゃって・・」

お父さんがものすごく食べたがった話をするとくすくすと彼は笑った。
目に浮かぶよと言って向けてくれる笑顔が眩しくて私は少し目を眇めた。

「ちゃんとお父さんに焼いてあげるんでしょう?楓は優しいから。」
「初めてだから味は知らないよって言ったらお母さんも最初は下手だったって。」
「へぇ・・」
「懐かしそうに目を細めるの。お父さん、お母さんが大好きなんだよ、今でも。」
「そう・・」
「・・だからあんまり家にいたくないのかなぁって・・ちょっと思ったりして。」

私はそのとき正直に思ったことを口にしてしまい、またしまった、と思った。
慌てて笑顔を作ってみたけれど、察しの良いバーナビーは誤魔化せなかった。
ほんの少し迷ったみたいだった彼の手は、その後私の頭の上にそっと置かれた。

「そんなことは絶対にないよ。僕が保証するから信じて、楓。」

大きなバーナビーの掌が滑るように下りてきて私の頬に添えられた。
お父さんのと違ってひんやりとしていて、とても滑らかな手だった。

「・・うん。もう言わない。バーナビーの手、冷たくて気持ちイイね。」
「あ・ごめん!・・・」
「手の冷たい人は心があったかいんだよ。」
「じゃあ例外もあるってことだね。 」
「あのね、お父さんはあったかいんじゃなくて熱いの。しかも熱湯並み!」
「!?ふふっ・・なるほど。」

私がおどけたように言うと彼はまた笑顔になってくれた。うまく誤魔化せたかな。
寂しがりやではないつもりだ。だけどきっと寂しいことのない人なんていない。
大人の彼だって寂しさは知っているはずだ。もしかしたら私よりずっと・・
彼は両親をいっぺんに亡くしたと聞く。随分心細くて辛く寂しかっただろう。
大人の男のひと。お父さんでない、遠い人。憧れのヒーローでもある。
けれど、幼かった男の子は大人になるまでにたくさんたくさん頑張ったに違いない。
無防備に子供の顔を覗かせることのあるバーナビー。私はそんな顔もとても好きだ。
もしかすると私が子供だから、ふと気が弛んで正直でいられるのかもしれない。
そんなときも私は思うのだ。歳がうんと下で悔しいけれど、それで良かったと。

「バーナビーはあったかい。うん、これは正解だよ。間違いない!」
「ありがとう。君がそう言うならそうなれそうだ。」
「自信がないなら、何度でも教えてあげる。あなたがあったかいってこと。」
「不思議だなぁ・・・楓は・・時々・とても大人に思えるよ。」
「ほんと!?ふふ・・・(じゃあ私とおんなじだね。言わないでおくけど)」

「あ、いけない。肝心の話まだしてない。バーナビー、お願いがあるの。」
「楓のお願いならなんだって叶えなきゃ。なんでも言って。」
「コホン・・えっとそれでね、私今度お父さんにケーキを焼くんだけど、」
「?」
「バーナビーにも食べて欲しいの。だからうちでご飯を食べてくれませんか?」

東洋式に深く頭を下げてお辞儀をしてそう告げた。数秒、彼は黙ったままで
ゆっくりと顔を上げた私の目に飛び込んできたのは予想外に真面目な顔だった。
もしかすると迷惑だったのだろうか、私の期待は瞬間不安と後悔に襲われた。

「あのっ・・無理なお願いかもだけど・・私・・」
「僕がそんな家族の大切なイベントにお邪魔して、本当にいいの?」
「良いに決まってるじゃない!どうして?私あなたに食べて欲しいんだよ。」
「喜んでご招待をお受けします。」

彼は私を真似るように金色の柔らかそうな髪を揺らしてぺこりと頭を下げた。
真直ぐで重い自分と比べてしまって見惚れながら、OKの言葉に飛び上がる。
私は嬉しくてさっきのバーナビーの手を両手で握り、ありがとうとはしゃいだ。

「私も最初からそんなに上手には焼けないかもだけど・・がんばるからね!」
「楓の初トライのご相伴に預かれる僥倖だ。とてももったいないと思うよ。」
「そんなの持ち上げすぎ。あ・バーナビーはパウンドケーキ嫌いじゃない?」
「・・・好きだよ。」

彼はほんの少し躊躇してそう告げた。なんだろうと思ったけれどわからない。
それに勿論それはケーキのことなのに、目を見ながら「好きだ」と言われて
胸の奥がとんでもない音を立てた。こんなときは子供であることに助けられる。
絶対にありえないから。彼に勝手に内緒の恋をしていることを知られずに済む。

「・・よかった。何も入れないプレーンのとどっちがいい?!」
「最初はプレーンがいいな。もしかして二度目があると期待していいならね?」
「うまくできてもできなくても、絶対2度や3度くらいじゃあすまさないよ。」
「嬉しいな。楓はサービス精神満点だね。」
「バーナビーは特別。あのね、実は・・お母さんのまねっこなの。」
「あ、お父さんに焼いてあげた話?!」
「初めて焼いたケーキをね、”マイヒーローへ”ってプレゼントしたのよ。」
「素適だ。エピソードも、君のお母さんも。虎徹さん嬉しかっただろうな。」
「えへへ・・だから私もマイヒーローに最初に食べてもらいたくなったの。」

子供の戯言、単なるファンの押し付けと言ってもいいことだ。けれど本気。
だけどそんなことであってもきっとバーナビーは喜んでくれるって思ってた。

「・・バーナビーが気に入ってくれたら、毎年あなたにケーキ焼きたいな・・」

図々しいことを呟いてしまった。これは言うつもりじゃなかったのに。
夢が叶いそうで幸せで調子に乗ってしまった。私ってどこまで我侭なんだろう。
俯いて小さな声で言ったけれどバーナビーには聞えてしまったはずだ。
どうしてこう自分を抑えられないのかなと少し落ち込みかけていた私に

「・・・誕生日にね、今はいない僕の育て親みたいな人が作ってくれてたんだ。」

彼からかけられた声も小さなものだった。思い出したのはきっと悲しい記憶。
思わず見詰め返した彼は悲しい表情でなくて、優しい微笑みを湛えた顔だったけれど
それが却って寂しさを際立たせていることを、彼は知ってはいないのだと感じた。
だから私は後悔するのをやめた。彼にしてあげられることがまた一つ見つかったから。

「よっし!まかせて。あなたの誕生日、これから私が引き継ぐから!」
「えっ・・いやそんなつもりは・・って、その顔・・・!」
「えっ・・変?あれ、あのでも本気・・バーナビー・・?」 

どうしてだかわからない。彼はふっと目元を弛ませたかと思うと笑い出した。
お腹を抱えそうなくらい笑っている姿は珍しくて、きょとんとしてしまった。
でも寂しい顔を見るよりずっといい。私は結果に満足して大いにいい気になった。

「嫌だって言ってもダメなんだからね!私、本気なんだから。」
「ごめんなさい・・あんまり嬉しくって・・楓、よろしくお願いします。」
「・・・いいの?私かなり今調子に乗ってるってわかってはいるんだよ。」
「君は最高だ。お父さんが妬くだろうね!申し訳ないけど辞退はしないよ。」
「・・・パパにも作ってあげるわよ。・・・たまにはね?」
「ヒドイなぁ・・君のヒーローは・・お父さんだってそうなんでしょう?!」
「だから一緒に食べてもらおうと思ったのよ。内緒にしてて?バーナビー。」
「了解。でもね、きっとお父さんはわかってるよ。楓。」

私もそう思う。だからふふっと笑った。バーナビーと一緒に嬉しくなって。
あなたは特別。お父さんもバーナビーも私も、そして誰でもそうなんだよね。
大切な人を失って寂しい気持ちを皆知ってる。だから一緒に祝おうよ。
大好きな人に大好きだって伝えて、ご飯を食べて、笑って、幸せになろう。

いつかあなたに恋したまま、愛していることも伝えられたら。・・いいんだけど。
約束のしるしに『指きり』を教えてあげた。バーナビーと小指同士を絡ませる。
針を飲まされるなんて怖いねぇと彼。だから破っちゃダメなのよ、と私。
子供同士みたい。それでも今だってこんなに幸せ。忘れたりしないよ、ずっと。







どんなに寂しくても皆どこかで繋がってる。