FOR MY LITTLE LADY WITH A WILL


 


思い出がどれも偽物だったかもしれないだなんて
ありふれた誰にでもある経験とは言えないだろう
一つ一つを検証していくような気力も湧いてこず
誰も見たことの無い場所へ行ってしまいたかった

「これから作っていけばいい」だなんて言われても
土台を欠いた場所に何を積み上げることができるだろう
疑惑が心を閉ざし世界はあっという間に闇に呑まれた

僕はほんとうはだらしのない人間だったのではないか
素晴らしい功績は全て幻で大切な父母の記憶さえ遠い
医者やカウンセラーなどに足を運ぶのも至難の業で
深い泥沼の底は足元おぼつかず 光の存在さえ忘れて
名も知らぬ魂だけになって生まれ直したくもなる
僕は海に放り出された漂流者になってしまったのだ

逃げるようにヒーロー業を引退し街を遠ざかった僕が
跡形もなく消したはずの『昔』を捨て切れなかった証拠に
呼ばれたとき振り向いてしまった。僕の名を知る人の声に。
するりと宙を浮かぶ妖精のような少女が氷の上を滑って来た。
ぼんやりとその姿を捉えると、知ったはずの名が浮かばない。
エキゾチックなストレートの黒髪を揺らした妖精は急ぐように

「バーナビー!バーナビー・ブルックス・Jr.!」

僕のすぐ傍までやって来てフェンス越しにフルネームで呼ぶ。
そこは天然の池を利用したスケートリンクだった。妖精は
僕が名を思い出すのと同時に自らが名乗りを上げた。

「私がわかる?マイヒーロー!”楓。”鏑木虎徹の娘だよ。」

あの戦いで重症を負ったパートナーの娘は当時より少し大人びて見えた。
呼び止められ、どう返事をしたか覚えていないが逃げなかった僕は
程なくスケートリンクの脇に設置されているベンチに腰掛けていた。
彼女が持参していたポットの温かいお茶をご馳走にになりながら。

「こんなところで会うなんて・・今日はラッキーデイだね。」

楓は人懐こい笑顔を僕に向け、それがかつての相棒によく似ていた。
うまく笑顔を返せているか自信はなかったが、釣られて僕は笑った。
久方ぶりで口元の筋肉が引き攣っているような感覚に陥りながらも。

「ねぇバーナビー。・・あなたちゃんとご飯食べてる?」

こんな小さな子に心配されるほど憔悴しているのだろうかと不安になる。
彼女の気遣いになんとか取り繕った答えをした。しかし下手だったらしく
屋台のホットドッグが食べたいから一緒に食べようと腕を引っ張られた。

「結構いけるでしょ?ここのはお父さんも大好きなんだよ。」

一々父を引き合いに出すのも共通項の少ない彼女なりの気遣いなのだろう。
僕はすっかり降参し、随分していない気のする生の会話を楽しんでみた。
他愛のない、学校でのことやスケートのこと。そして僕のことを少しだけ。
警戒しているのを察する歳に似合わない思いやりに満ちた彼女の視線が痛い。
聞かれたくないのだなと直ぐに気付いて突っ込んだ質問は控えてくれたのだ。
けれど顔にはしっかりと描かれていた。それらは思った以上に嬉しいもので
今にもそれが実際の声になって出てきそうだと感じた。

”会いたかった””今はどうしてるの?””何故ヒーローを止めてしまったの?”
”どうしたら引き留められるのかな” ”ああ、私どうしたらいいんだろう!?”

他の女性から訊かれたらおそらくはうんざりしただろうそれらの質問群が
心地良い不思議に身を任せ、僕はこの眼の前の小さな奇跡に縋るようにした。

「会えて嬉しいよ。よかったらまた会えるかな?」
「もちろんよ、バーナビー!?あっ楓って呼んでね!」
「OK,ミス楓。」
「ミスはいらないよ。見たらわかるでしょ?」
「女の子はそう呼ばれるのが好きじゃない?」
「えーと・・バーナビーは意外に女の人慣れしてないのね?!」

楓は困った風に首を傾げた。その仕草はとても幼くて可愛らしいというのに
口にした感想に驚く。彼女は小さいのにもう立派なレイデイのようだった。

「私とお友達になってくれる?バーナビー。」
「光栄だな。僕でよかったらどうぞ宜しく。」

僕達はそこで握手を交わした。こんな風に素直に喜べる自分を少し見直す。
スタートはそこからだった。楓の小さな手を強く握ると照れて頬を染めた。

あれから連絡先も住所も変えていたので、教えたアドレスに返事をもらうと
登録先のトップは楓になった。そのことにびっくりして目を丸くしていた。
それでもそれ以上訊かない。本当に子供と思えない。いくつだっけ?と問うと

「・・・女性に年齢を訊くなんて・・あなたったらマナーがなってない!」

そう唇を尖らせる。どう見ても子どもの膨れ面だったので僕は苦笑した。
よく考えるとプライベートでこんな風に素直に会話できるガールフレンドは
初めてだった。それは沽券に関わるだろうかと考え楓には打ち明けなかった。

「お父さん以外の男の人初めてだ。見られたら恥ずかしいからナイショにするね。」

彼女が素直に「初めて」だと告白してくれるのにどこかほっとする自分がいた。
それは冷静になればおかしなことだ。彼女はまだジュニアハイに入る頃だろう。
父親でも兄でもないのにそんなことを気にするなんて僕は意外に嫉妬深いのかも。
などと思ったのもそのときが最初だった。後々嫉妬深いことは確信に至るのだが。

別れ際、僕のことはしばらくは本当に秘密にしてくれるかな?と言ってみた。
するとまた彼女は大人びた対応で僕を驚かせた。「うん、わかってるよ。」と。

「どうしてわかったの?」大人気ない僕は尋ねてしまう。
「う〜ん・・なんとなく。」はぐらかすような優しさに打たれる。

次のデートを約束して別れた後、僕はふと気付く。景色が戻っていることに。
色を失い、踏みしめられない地面を不快に感じていたはずの周囲が転じている。
それは元通りの世界のようでいて、違っていた。まるで初めて目の開いた子供。
しかし子供ではないため、不安も襲ってくる。しかしいつまでも迷っていては
初めてのガールフレンドに顔向けできない。しっかりと大人の男でいなければ。
僕は背筋を伸ばして歩き出した。一から始めるなんて口で言うほど容易くない。
けれど叶わないことでもない。僕自身が求めなければ。まずはそこからだ。

その夜はよく眠れた。体が軽くなった気もする。そして祈りを捧げる。
長いこと怠ってきた祈りだ。父母が去ってから一度でもそうしただろうか。
手を組み、恵みに感謝をし、罪を赦し給えと頭を垂れる。

願わくばこの魂が過たずに光指す方を進む勇気を与え給え
この手の温もりに気付かせてくれた少女に報いる為命護らせ給え

すると父と母の声が聞えたような気がした。
”誇りを持って””あなたは私たちの大切な子供”


ああ そうだった それは思い違いでも幻でもなかったのだ
信じることを放棄したくなっていたのです ご免なさい
僕は大丈夫です きっとこれからも幸せでいられるでしょう


”ありがとう 楓。 僕を見つけてくれた小さなレイデイ” 
”君は素適に言ったね、出会えたこの日をラッキーだって”
”僕もそう思うんだ。 これからたくさん思い出を作ろう”







私の期待を詰め込んでみた。