雫越しの口付け 



村へとりんを残して去った夜、邪見は大げさに溜息を吐いた。

「・・あんなやかましいのがおりませんと・・妙に静かですなぁ・・」

その顔にはありありと『寂しい』と描かれてあった。
一瞬蹴り飛ばしてやろうかとも思ったのだが、やめた。

人の子の気持ちなどは、こんな風に一瞬に変わろう。
そう、この時を境にしてりんはもう私の知るりんではない。
この次に会いに行くときが今生の別れやもしれないのだ。
もうそれならばこのまま会わずにおれば良いのではないか。

「りんはここで暮らしてゆきます。」

そんな言葉をきかずに済む。纏わりつく後悔。
人里へ置いてくれば良かったと、思ったのは一瞬。
りんを失うことを怖れた、あのときが最初で最後。
あれのためを思えばだなどと、この私に説教めいた言葉。
私よりもあれを思う者が他にあると思うのか。だがしかし・・

「それを選ぶのはりんじゃよ、殺生丸。違うか?」

あやつはこの私から奪った。二の句も、自由も、なにもかも。
そうだ、その通り。だから預けた。こんな屈辱に耐えてまで。

「殺生丸さま、この着物をりんに持って行ってやって宜しいですか?」

邪見は土産という名目でりんに会いたがった。小賢しいことだ。
しかもりんに喜ばれ、やに下がる様子が忌々しく、何度も踏みつけた。

「今度はいつ来てくれますか?」

その言葉を口にしなくなったときのことを覚えている。
もう来なくていいということかと、言いようの無い怒りを覚えた。
しかし次に会ったとき、りんは涙した。不安だったのだと言って。

「殺生丸さまが・・『また来る』と言わずに行ってしまったから・・」

一度堪えきれず尋ねたことがある。「心は変わるものだ。オマエは何故・・」
りんは最後まで私の言葉をきかず、「殺生丸さまと居たいことだけは変わりません。」

何故だ。私を知るからか?おまえも求めてくれるのは何故だ。
不思議でならなかった。人の里で幸せに暮らしていると笑っていながら。


長雨が続き、りんに会えない日が続いた。
邪見はとうとう、「雨が小降りになったら参りませんか?」とせがんだ。
私は迷った。間が空くといつもそうだ。今度こそ連れて逃げてしまいそうで。
しかしりんも待っている、そう思えるようになっていた。何故かは知らない。
もうそんな由はどうでもよかった。ただただ、あの面差しを思うだけで足りず。

雨は村に着く頃には少し強く降っていた。
それでもりんはお決まりになった丘の上で空を仰いでいた。
私が来ることをどうしてか知るりんは、いつでもそこで待っている。
祈るように組していた手をはなすと、りんは両腕を私に向けて広げた。
濡れた身体を抱きしめた。邪見が振り落とされて叫んだような気がした。

「・・会いたかった・・殺生丸さま。」

りんは頭から足の先まで濡れていた。その顔も滝のごとくに。
そこに流れていたのは雨でなく、温かな涙であった。
その涙を拭おうとして、触れた。冷たい表面とは裏腹に温かい。
りんの涙が。温かく、柔らかい。雫は後から後から落ちてきた。

邪見もいたはずだが、こそりとも音を立てずにいた。
すぐ近くにはあの憎らしい巫女もいる。それでも構わなかった。
雫越しに触れた唇は、確かに私を求めていたのだから。


「・・殺生丸さまも濡れちゃったね・・」
「構わん。」

りんは微笑んだ、いつものように。雫を煌かせ、耀かしく。
邪見は後ろを向いていたがくしゃみをした。それを見てりんが驚く。

「あ、邪見さまも来てくれてたの!?ごめんね、濡れちゃったね。」
「わっ・・わしはどうでもいいわい!それよりおぬし・・」
「りんは大丈夫、ちっとも寒くないもの。ね、殺生丸さま。」

私の毛皮に包まれたりんは、顔を覗かせて邪見を気遣った。
巫女が近づいてくる。呆れたような顔であったが、穏やかでもあった。

「・・・村に少し寄ってお行き。りんを着替えさせてやらねば。」

巫女の気遣いは私とてわかっている。一々癇に障ることを言う。
それでもその言葉に従い、村に少しの間立ち寄った。
新しい着物に着替え、りんは邪見に礼を述べた。私の表情に気付いてりんが少し驚く。

「殺生丸さま、お礼が遅れました。ありがとうございます。これ・・似合いますか?」

私は黙っていたが、りんは微笑んだ。大人びた柄が似合うことに少々・・動揺した。

「ほんによう似合うとる。りんもすっかり娘らしくなって。ねぇ、殺生丸さ・・」

あからさまに私の前でりんを褒めるとはわからぬ奴。蹴り飛ばしておいた。
りんもりんだ。そんなに邪見などを心配することもないものを。しょうのない・・

既に雫はその頬から消えていた。それでもりんは耀かしかった。
もう一度その濡れていない唇に触れたい。だが・・ここでは落ち着かぬ。

「次は晴れた日だ、りん。」

私の言葉に目を見開いた後、悟ったようにりんは頬を赤く染めて俯いた。
小さな声で「・・はい。」と肯く様はいとけなくもどこか艶めかしい。

「あのー・・わしはその・・次回連れてきてもらえます・・?」

邪見が不安げに尋ねた。無視してやるとりんも困ったような顔をした。
連れては来るが、少しの間離れていてもらう。そこは視線で理解したようだった。
りんが笑う。私を見て笑う。この一瞬を忘れまい。
重ねて時を共にする。私たちだけの時とする。
誓いはいずれ・・・おまえ風に言うならば「それだけは変わるまい。」







りんちゃん不足で喘ぐ兄、というのが書きたかったんです。
タイトルに困っていたら、企画にいいのがあるじゃないかと思い、
「○○越しのキス」というお題に添って付け合わせてみました。^^