潮騒




浪打際に男が佇んでいた

寄せ返す波となにか話でもするように

深い眼差しを何処か波間へ向けて

時折見せる微笑みは寂しそうに

彼は一人でよくここへやって来て

こうして波と対話するかのように佇む

そうすることを知る者はごくわずかだった  

 普段は多くの人を従え忙しくしているその人が  

 このように頼りなく儚げな眼差しを波間に漂わせ  

 寂しげにしているとは彼をよく知る者ならば  

 きっと不思議に思える光景であった  

 彼は堂々とした体躯に美麗な顔立ち  

 高く結った髪は銀で、さらさらと流れ落ちるさまは  

 みごとな滝を思わせ、発せられる声は  

 玲瓏にして深く慈しみの感じられるものだった  

  彼は西国では知らぬ者のない大妖怪であった  

 その強大な妖力と才能で西国を統治するようになり   

   「闘牙王」と呼ばれるようになった



  ”ずいぶんとしょぼくれて”“今度は何だ?”

     ”そういうな、私とて苦労はあるのだ”

”闘牙王さまとも在ろう者が頼りないことよ”

”お前になら少しくらい愚痴ってもよかろう”

”私はもうそなたの妻ではない””何度も呼ぶでないよ”

”まだ他に妻と呼ぶ者もない””もう居らぬだろう”

”・・・お前のような寂しがりが独りで居れるものか”

”だが、今も独りだぞ””お前が逝ってしまってから”

”そのうち現れるさ、お前がこうしてここへ来ずに済むようにな”



「父上」背後から彼に声をかける者があった

    「殺生丸か」「何の用だ」

    「通りがかったら、結界を見つけましたので何事かと」

    「放蕩息子に見つかるとはな」「皆には内緒だぞ」

    「父上の結界を見つけ破れるものはめったにありますまい」

    「そうだな」

    「何をしておいでか」

    「お前の母に逢いにな」

    「母に?」

    「そうだ」

    家には落ちつかぬ放蕩息子は訝しげに眉をひそめた

    彼の母はとうの昔に亡くなっている

    「ここから”声”が聞こえるのだ」「おそらく私にだけな」   

    「あの世と繋がっているのですか」

    「ああ、しかし私の妖力でしても微かにしか聞こえぬ」

    「・・・・」

    「お前はあれに似たな」「孤独を好む」   

    事実彼の息子殺生丸はほとんど家に落ちつかず供も連れずに    

    ふらふらと出かけては屋敷の者を慌てさせていた

    「見た目はそうでもないがお前はあれによく似ている」

    懐かしむようにつぶやく父の姿はいつになく頼りない

    「こんなことをして何になるのです」

    「同じ事を言う」父親は笑った

    時折無性に逢いたくなるとここへ来ると言う父は

    黙っている息子に語り始めた    

    幼馴染だった母は見た目は美しかったが中身は父より上手の

    豪快な気性だったこと、父とは親友でお互いに切磋琢磨する

    男同士のように育ったこと、何より束縛を嫌ったこと

    周りの計らいもあったが父は母を妻に望んだが

    母はてんでそんなものには興味ないと取り合わなかった

    「振られっぱなしだった」と笑う      

    お前の母の望むままにすると約束して妻になってもらった

    「心はやらんぞ」「誰にもだ」母はそう言った

    「お前が真に愛すべき女が現れたらどうする」

    「そのときはお前に謝る」

    「ワガママなヤツだ」母は笑ったらしい

    だがお前の子は産んでみたいなと言って結局一緒になった

    あれが死の病を得るとはいまだに信じられないが

    そうなっても怖れずいつものように笑っていた

    「お前、私が死んだら泣くなよ」

    「まだ死ぬな。殺生丸も幼い」

    「ほおって置け、私らの子だ。お前のほうが心配だ」

    「だから、死ぬな」

    「わがまま言うな、それでも西国の長か!」

    「・・・お前のおかげで面白い一生だった。礼を言うぞ闘牙」

    「天河、礼を言うのは私だ、ワガママばかり言ったな」   

    「まあ、しょうがない。最期にひとつ教えておいてやるぞ」

    「何だ?」

    「一度も言ったことなかったが・・・」

    「お前を愛している」

    「・・・天河!」

    「照れるな、いまさら」母は叉おおらかに笑ったがそのまま息を引き取った

    「時折無性に逢いたくなる、あの笑顔に」父はそう言った       

    「・・・・」息子は何も言わなかった

    浪が打ち寄せまた引いては返す 

    息子にとってはどうでも良い話かもしれなかったが

    彼もぼんやりと母を想っているのかもしれなかった

    父はいつのまにか普段の顔に戻り

    「さて、そろそろ戻るとするか」と浪に向かって言った

    「お前もたまに戻らぬと困っている者もおるぞ」 

    「・・・気がむけば」

    父はいつもと変わらぬ息子を振りかえり見つめると

    「お前はお前の好きにするが良い」と言って微笑んだ

    「それにしてもいつかお前に愛する者ができたら」

    「相手はさぞかし苦労するだろうな」「私のように」

    そう言って父は結界を解き去って行った

    息子は浪打ち際に佇んだまま「・・・くだらぬ」とつぶやくと

    静かにその場から消えて行った

    ”しようのないやつらだ・・・”浪の間から漂うように

    誰もいなくなった砂浜に微かに響いた

    あとはただ潮騒が聞こえるのみ