※殺りんで現代版です




身長差キス



長い廊下をりんはぱたぱたと自分の室内履きの音を響かせて急いでいた。
今日は彼女の引き取り手、この屋敷の若主の殺生丸が自宅にいるからだ。
邪見の「くぉらっ!りん!!廊下を走るなと言っとろうが!」の小言を背に。
「ごめんなさぁい、邪見さまー!」と振り向きもせずに返事をしながら。
学校から帰るのが予定より遅くなったせいもあり、りんは焦りを隠せない。
もどかしげに手袋を脱ぎ、コートのポケットに突っ込むと居間のドアを開けた。

「殺生丸さまっ!?ただいま帰りました!!」
「・・・あぁ」

居間に主人らしく寛いだ格好で腰掛け、どうやら仕事をしていたらしい。
机にノートPCが載っていたからだが、それはもう閉じられていてりんはほっとする。
仕事中ならば、それを中断させてしまっては申し訳なかったと思うからである。
当の殺生丸がけたたましい足音を察知して、電源を落としていたことを知らずに。

「・・どうした?」

りんはそう尋ねられて驚きで眼を丸くした。りんが何かを言いたげに見えたらしい。
どうしてそんなことがわかるのだろうと思い、りんは眼を丸くしたのだ。
いつもりんに関してはよく観察している殺生丸にとってはどうということもない。
彼はいつもの無言での催促をりんに送った。それがわかる人間は限られている。
りんはその限られた者の筆頭であった。その表情が自分を気にかけてくれていると嬉しく感じる。
しかしそのときは何故か嬉しそうな顔が急に途惑うような顔つきへと曇っていく。
それを見ていた殺生丸の眉も僅かに不審さを潜ませる。一瞬で俯いたりんにそれを読み取る暇はなかった。

「あ・・あのね、殺生丸さまって背が高いでしょ?」
「りんは高校生になってもちっとも伸びなくって、クラスでも低い方なの。」
「別に低くてもいいやって思ってたんだけど・・気になること言われたの。」
「・・・殺生丸さま、りんくらい背の低い女の人って恋人にすると困る?」

真剣にそう尋ねてくるりんに殺生丸はまだ話の真意が読み取れないようであった。
それを悟られないようにと、慎重に彼は「・・困りはしないが?」とだけ答えた。

「そう!?良かった。このまま伸びなかったらりんどうしようって思っちゃった。」

”恋人になるには背が低いと不都合なのかどうか”ということが気掛かりであったということだ。
殺生丸はそう理解した。りん本人がそう伝えたかったかというと、それは否であろうが。
機嫌の直ったりんにそれ以上に心配事は無いらしいと判断した殺生丸はまた沈黙の平常に戻った。

「そういえば、殺生丸さまの恋人って・・・背は高い人?」

りんは思いついたようにそう口にした。殺生丸はまだ話が続いていたのかと少々うんざりした。
無表情でそんなことは読み取れない。りんですら気付かないこともこの場合都合が良かった。

「そんなものはいないと言った。」
「あ・・ごめんなさい!また聞いちゃった・・」

殺生丸はくだらない理由と予想がつくにも関わらず、珍しくりんに尋ねてみたくなった。

「身長の差などに何の心配がある?」

珍しいことにりんがぎょっとするほど顔色を変えたので殺生丸は更に気分が悪かった。
自分が鈍いとか、判断力が低いとりんが捉えたなら心外だとでも思ったらしかった。
しかしりんの反応は意外なもので、顔をぽっと赤らめたのだ。

「えっと・・その・・殺生丸さまには・・ナイショなの。ごめんなさい!」

いよいよわからない、と彼は思った。りんが一層恥ずかしそうに目線を伏せたからである。
りんに近くへ来いというサインがある。それはりんが見てくれないと伝わらない。
口で命令すべきかと逡巡しているとりんがちらりと見たのでサインを送る。
それはほんの少し顎を動かすだけなのだが、それでりんには充分読み取れた。
しつけの行き届いた犬のようにりんは条件反射的に彼の座っているすぐ傍へと寄っていく。
椅子に座った彼がりんに向かって次のサインを送った。表情が僅かに変るだけであるが。

「・・言わないとダメ?・・・あのね・・・その・・キスするとき・・困るって・・聞いて・・」

困った様子でもじもじとしながらりんは小さな声で促されるままに告白した。
確かにくだらない答えではあったが、殺生丸はそれで不愉快が解消されたことに満足した。

「りん」

彼の声はいつもりんに何かを訴えている。その口調からりんははっとして更に近寄った。
素直で従順な反応を好ましく感じながら、眼の前の小さな手を自分の片手で握ると軽く力を入れる。
簡単にりんの身体は前のめりになって殺生丸の上向けた顔の前にりんの顔が間近に迫った。

「っ!?」とりんが息を飲むのがわかった。そして淡く白い頬が鮮やかな紅に染まる。
柔らかな頬を彼の口元が掠めたからである。りんの小さく咲くような唇のほんの少し横であった。
すぐに解放されたにも拘らず、りんは呆然として動かない。しばらくしてやっと頬を両手で押さえ、
それこそ湯気の立ち上りそうな程の紅さに変化する熱い頬は押えたくらいではどうしようもなく。

「せっ殺生丸さまっ・・!な・・な・・」

殺生丸は少しの変化もなく、先ほどの通りに座っていた。まるで夢のようだとりんは思った。
しかし頬の熱さは一向に冷めず、両手を温めて現実であったと知らせている。
どうしてかとりんの顔に書いてあるのを見てとった殺生丸はいつもの口調でゆっくりと言った。

「男にとっては困ることではない。」

そのわかりにくい表情の顔をりんはじっと見つめた。その言葉の意味を反芻するように噛締める。
そしてゆっくりとりんなりの判断を下した。殺生丸が言いたかったのは・・・

「りんでも殺生丸さまの恋人になれるかもってこと・・・?」

頬の火照りは大分治まっていて、りんの口調は平静で真剣だった。
今度こそ殺生丸は隠さずに口元を緩めた。いつも彼を見ているりんですら貴重と思う微笑み。
大きく息を吸い込んでのろのろと息を吐いた。りんも倣ったように微笑みを浮かべる。

そんなりんに「そうだな。」とぽつりと呟かれる。
りんは身長の差があったことにこっそりと感謝した。

「りん、背が伸びなくてもいいや・・」と小さな小さな声で囁かれたのを殺生丸は聞き逃さなかった。