お子様へのキス




それは何の前触れもなくりんの元に降りてきた。
人里へ預けられ、様々な知識を仕入れはしたものの
りんはまだまだ世間からはどこか逸れた存在ではあった。
彼女を人里へ預けた妖怪は少しも変った風ではない。
りんが寂しがらぬようにか、足繁く様子を見にやってくる。
会話は元よりほとんど無く、ほとんどりんが一人話す。
手元に土産を残し、これといって何もせずに帰っていく。
あう度に自分との違いを思い知らされようとも変らぬ彼が好きだった。
昔のようにこの村でりんを虐めたりするものなどなくとも、
可愛がられ、大切にされていてもやはりここは預けられた場所。
心の奥に仕舞い、誰にも話してはいないが、りんに迷いはなかった。
いつか妖怪の腕に包まれて、再び共に空へと旅立つ日を。
そんなりんがいつものように様子を見に来た妖怪の顔を不思議に眺めた。

「・・殺生丸さま?」
「なんだ」
「あの・・今のは・・よく弥勒さまがお子様になさるんですが・・」
「・・・」
「りんは殺生丸さまのお子のように思われてるのですか?」
「そんな訳があるか。」
「・・ですよね・・」
「私を父のように思うのか?」
「いいえ、そんな風に思ったことはないです。」
「ならば、良い」
「・・・・はい。」
「何を不思議に思う?」
「えっと、親兄弟の他にそういうことはしないと教わったんです。」
「ほう・・」
「そういうことをしようとする男がいたら殴ってよいとか・・」
「おまえが私をか。」
「りんはそんなことしません。殺生丸さまは違うでしょう?」
「何が違う」
「殺生丸さまも男・・です・・よね、あれ?」
「半端に知ったということか。」
「え、半端?」
「私はよいとおまえは思ったのだろう?」
「はい。」
「それで良い。そしてりん、他の男は誰もおまえに触れてはならない。」
「さっきみたいに、ですか?」
「そうだ。」
「わかりました。」

りんはそれ以上尋ねることはしなかった。満足したからである。
唐突にりんの頬へ降りてきた美しい妖怪の面、そしてその口唇。
不思議な感覚だった。親が子にするものなら目にしたことがある。
しかし、それとはまるで異なっているとりんには感じられた。
そういえば、以前聞いたことがあると、りんは記憶を反芻した。

「もう弥勒様ったら子供達嫌がってるじゃない。」とかごめ。
「赤子じゃないんだからね、もうやめな!」珊瑚も夫の所業を窘めた。
「嫌われるわよ、そのうちー!ねぇ、りんちゃん。」
「弥勒様はお子様がとても可愛いからそうされるんですよね。」
「そうですよ、りん。愛しい気持ちを抑えきれずにですね・・」
「こらっ!りんに何教えるつもりだい!?りんちゃん、聞かなくていいから。」
「そうよ、弥勒様が言うといやらしいわよ。誰にでもすることじゃないんだから。」
「・・・そうなんですか?」
「そうよ、りんちゃんにそんなことしようとする男がいたらぶん殴ってやんなさいよ。」
「・・えっと・・子供にするものとは限らないんですね?」
「然り。可愛いだけでなく頭の良い子だね、りんは。」
「もう弥勒様は黙ってて!あのね、こういう女好きがたまにいるから気をつけて。」
「でもまぁ、りんにそんなことをしようなどという命知らずはそうそう・・」
「あ、そうね・・怖いわよね、そんなことしたら。」

りんにはそのときのかごめたちの会話が半分ほどしか理解できなかった。
どうやら男女の間でもそういった接触をするらしいということはなんとなくわかった。
けれど可愛い赤子にするのは理解できてもりんにはそれらが想像もできない。

「あの・・かごめ様と犬夜叉様もするんですか?」
「えっ!?そっそれは・・・あのその・・」
「好き合った大人同士ならば問題ないのですよ、りん。」
「もう、りんにそんな話・・・知らないよっ!?」

りんはそんな会話を思い起こした。するとまた新たな不思議が生じた。
好き合った大人同士・・・というのも今の現実にそぐわなかった。

「殺生丸さま、あの・・」
「今度はなんだ」
「りんを子供と思ってらっしゃらないなら・・」
「・・・・」
「どうしてさっきみたいなことするんですか?」
「・・・・」
「好き合った大人同士がするって聞いたんです・・・」
「おまえの知りたいことはいずれわかる」
「そうですか。じゃあいいです。」
「おまえがどうしても知りたくなれば・・」
「殺生丸さまにお聞きすればいいんですね?!」
「そうだ」
「これですっとしました。殺生丸さま、ありがとう。」
「・・・・難儀なことだ・・・」
「・・・?」

妖怪にとっては人の子を育てるなど想像を遥かに超えたことであった。
増してその子を自分がそうと定め、このように待つなどとは存外のこと。
りんはようやく子供から抜け出ようかという頃。微かな色香も見え隠れする。
試すように触れた頬の味、抑えられなかったなどと思いたくは無かった。
ただ少し・・確かめたかっただけだと・・・妖怪はそう自身を諌めた。
りんはもう他のことに興味を移し、いつものように話していた。

次々と沸き起こるりんの疑問のように、殺生丸の中にも育つものがある。
子供はいずれ大人になる。りんもまた確実に。
妖怪とは違う時の流れはりんをあっという間に岸へと押し流す。
誤ればりんはするりとそのままどうすることも出来ぬまま遠ざかる。
殺生丸はりんに会う毎に言い知れぬ想いに揺り動かされていた。

「りん」
「はい?」
「大人になる方(ほう)は誰にも尋ねるな。」
「はい、殺生丸さま。誰にも聞きません。」
「・・・・・選ばせるなどとは・・方便だな。」
「選びます。りんが選んだんです、殺生丸さま。」
「・・・・」
「大人になることも、私が望むんだから、大丈夫。」

りんはそう言い放つと変らない無邪気な微笑みで殺生丸を見た。
”そうか、もう既に選んでいたか・・”
妖怪の胸の奥深く刻まれた『りん』という魂の器。
己を選んだ人の子を、誤って見失うなどあってはならない。
どんなに速い流れであろうとも決して離しはしないと彼は誓う。

「あ、そうだ。もう一つ教えてください。」
「・・?」
「さっきみたいなのをりんが殺生丸さまにするのはいけないんですか?」
「いけなくはない。だが・・」
「?」

何故か言葉を切り、殺生丸はりんの前で目を閉じた。
りんはそれで了解を得たと知り、初めて妖怪の面に手を伸ばした。
そうっと触れたとき、りんは心地よい冷たさにぞくりとした。
満足して倣って閉じた目を開けると既に待ち構えたような妖怪の瞳。

「殺生丸さま・・?」
「目を閉じろ」

言われるままにりんは再び目蓋を下ろした。
聞きなれたはずの妖怪の声が低く耳元に異なる響きを伝えた。

「待っている」

声の響きと唇を覆う感触、身体全体を包む柔らかさに震える。
”そうか、これは・・『約束』なんだ”
”どこに居てもりんは殺生丸さまと一緒だよ”
吹き抜けた風が繋がった二人の髪を揺らしていった。
そんなことに気付きもせず、妖怪と人の娘は長い間目を閉じていた。








お子様へのキス・・「ではない」という話・・・(苦)