夢見る頃は過ぎても 5 


「ああっ・・!?忘れてた〜〜〜〜・・!!」


”会いたい”というシンプルな想いに至ったほのかの前に立ちはだかったのは
提出課題であるレポートだった。予めコピペ対策を教授側から打たれており、
文献を適当に繋げる手は使えない。友人も同様に苦労していて援助も望めない。
おまけにどうしても落とせない課題なのだ。選択した進路にも関わってくる。
やむを得ず難題に取り掛かることにしたのだが、作業は端から困難を極めた。

何しろ集中できないのだ。しているつもりなのだがほんの少し思考に入ると
頭の中に夏とあの美人秘書が現れる。むっとして追い払っても浮かんでくる。
何度も邪魔をされてはパソコンの前で頭を抱える。情けないが切実で苦しい。

”そもそも何で女性なの!?””口調がビジネス用じゃなかった”等々

細かいことにも文句を浮かべる。さすがにここまでくれば八つ当たりだった。

”なんだい!昔はほのかの前じゃなきゃ大抵いいこぶりっこしてたのに!”

夏が『王子』仕様を使うことはもうないのかもしれない。それは良いことだ。
取り繕っていては信頼関係は築けない。以前なら成長したと喜んでいたはず。
心が狭くなったのだろうか。心も人の器も小さい気がしてほのかは落ち込む。

”・・・・まさかあの人にご飯作ってもらったりも・・するのかな・・?!”

そんなことまでしないはずだと打ち消しても気になって体調まで良くない。
詮のない時間の浪費を繰り返すうちに提出期限はどんどん迫ってくるのだ。
数日後、娘の様子を見かねた母が夜食を差し入れに部屋を訪ねた。

「少し休憩なさい。その方が能率は上がるのよ。」
「・・うっ・・うっ・・おかあさぁ〜〜ん・・!!」
「あらあら、もう限界って感じねぇ!?」

母の差し入れてくれたオニオングラタンスープはほのかの好物だった。
それは痛んだ胃にも心にも優しかった。平らげると空の器を手に呟く。

「これってどうやったらこんな風に作れるの?うまくできないんだ・・」

ほのかが拗ねて唇を尖らせると、母は少し思案してから答えた。

「そうねぇ・・ほのかがお母さんになる頃には作れるんじゃない?」

「そんなのずっと先じゃないか!?・・まだまだってことかぁ・・」
「そうでもないかもよ、案外・・それより捗らない原因は夏くん?」
「!?・・・なんで・・?」
「お弁当の感想がまだみたいだから。気になるわよねえ!?」
「そうっ!!忙しいんだろうけどさぁ・・ちゃんと寝てるかな・・」
「直接伝えたいんでしょうね。つまりよっぽど美味しかったのよ。」
「・・だといいけど。ねぇそういうのもお母さんにならないとわからない?」
「ふふ〜・・どうでしょ?!楽しみね、あなたの旦那様になる人次第かな。」
「そんなこと考えたことないや・・いるかなぁ、もらってくれる人。」
「あら、お母さんの娘なら結構もててるはずなんだけど・・おかしいわね。」
「ほのかってさ、・・子供かな?その、色んな意味で。」
「そんなこと気にしなくたって、誰でも色んな面を持ってるものよ。」
「そうか、そうだよね。・・・ほのかお母さんみたいになりたいな。」
「なれるわよ。その前にお嫁さんでしょ。未来の息子は誰なのかしらね〜?」
「そんなのっ!ゼンゼンっ・・わかんないよ!・・・・」

「もう今夜はお終いにして寝なさい。お父さんも心配してたからね。」

母親が立ち去るとほのかの焦る気持ちは少し穏やかになったようだった。
言われた通り作業を中断すると、歯を磨いてベッドにごろんと横になった。
体が重い。疲れがあっという間に眠りへと引きずり込む。目を閉じると
さっき母が「未来の・・」と尋ねた時に思い浮かんだ顔が瞼裏に蘇った。

”なっち・・いま・・なにして・・んの・・かなぁ・・・”


「時間です、社長。」
「今起きた。まだ居たのか?交替時間は過ぎてるだろう。」
「次の者の都合で一時間延長致しました。」

仮眠を取っていたオフィスに顔を見せた秘書は院に迎えにきていた者だ。
気配りも良く仕事も申し分ない彼女は夏の秘書達のリーダー的存在である。
夏は彼女のクールで仕事以外には一線引いた態度が好ましいと感じていた。
そんな彼女がそのとき夏に掛けた言葉はいつもより踏み込んだものだった。

「洗っておきました弁当箱ですが、先日の方にお返ししておきましょうか。」
「!?そんなことはしなくていい。洗ってくれていたのは助かったが。」
「差し出がましいことを致しまして申し訳ありません。」
「・・珍しいな。まだ言いたいことがあるのか。」
「今から話すのは完全に私見だとお断りしておきます。宜しいですか?」
「何だ。言ってみろ。」
「あの方に・・召し上がったことだけでもお伝えされましたか?」
「ここ数日仮眠すら僅かにしかお取りになられていないと承知しております。」
「それでも・・・一言あれば安心するものです、女というものは。」

「・・・・あいつのことを言ってるのか。」

秘書は黙って頷くと、それ以上は言わずに一礼して退室した。

突然の踏み込んだ質問に虚を突かれたが、実は夏にもわかっていたことだ。
ポケットに入っている携帯を取り出すと作成して未送信のメール画面を開く。

そこには文字が見当たらない。ただの空間が表示されているだけだ。
幾度か送ろうしたのだが結局数日の間、悩んでは畳んで今に至っている。

『一言あれば』と秘書が言ったように『美味かった』でも『ご馳走様』でも
伝わりはするだろう。しかし、思いつく言葉はどれも違うようで打ち込めない。
次を期待するような台詞にも思えるし、感謝にしても足りない。思い悩んでは
携帯を仕舞って仕事に戻るをずっと繰り返していた夏だった。

その時もしばし携帯画面を睨んだままで、文字を打つことなく元に戻した。
椅子に座り直すところでふと、夏は何か思いついて再び携帯を取り出すと
短い文を組み立てた。完成したところで時間を確かめると深夜であった為
やはりメール保存した後、今度こそ仕事へと頭を切り替えた。



翌朝、ほのかは大学の図書館に居た。追い詰められて作業に没頭していたのだ。
ようやく目処が付いて終わりが見えてきた。キリも良いのでそこで図書館を出た。
休憩に向かうと同じく進行状況の似通った友と情報交換して愚痴を零し合った。


「あ、そういえば。山本君だっけ、あの可愛い後輩君がほのかのこと探してたよ。」
「え、なんだろ?!何か言ってた?」
「今私達が課題に追われてるって言ったら、急用じゃないからいいって帰ったよ。」
「いいって・・また来るってことかな?」
「そうなんじゃない?可愛いよねあの子!ほのか狙いじゃなかったらこの私が・・」
「何言ってんの?!直樹君すごく真面目なんだからからかったりしないでよね!?」
「・・・本気ならいい?」
「そりゃ応援するよ。すっごくいい子だもん。」
「う〜ん・・ちょっと同情しちゃうなぁ・・!」

ほのかが友人の言葉に首を傾げ、どういう意味か尋ねようとしていると携帯が鳴った。
誰からかと確認してほのかは目を見開いた。送信者の名前に飛び上がらんばかりだ。
友人がリアクションに驚いていたが、なんでもないと別れを告げ急いでその場から去る。
廊下を走って近くにある中庭のような空間まで行くと、周囲に誰もいないことを確かめ、
ようやくほっとして携帯のメール本文を開けた。

   研究室に忘れ物をした。悪いが取りに行ってくれ。

夏からのメールはそれだけだった。拍子抜けしてしまい、ほのかは項垂れた。
お弁当のことは一言もないし、次に会えるかどうかも読めない。待っていたのに。
仕事のことを考えてほのかは連絡を入れたいのを我慢していた。自分にも用が出来、
それが終わったら打診してみようかと考えていたが、その前に夏の方から連絡が来た。
驚いたが嬉しかった。大急ぎでここまで駆けて来たが、その内容はお使いだったのだ。
はぁ〜・・っと長い溜息を落としてから、返信文を打った。鍵はどこにあるの?と。
レスは直ぐに来た。時間があるなら電話すればいいのに、そうもいかないのだろうか。
鍵の在り処を確かめたほのかは、了解と返事をして携帯を仕舞った。
お使いの内容は簡単なものだが、態々頼んできたのだから重要なのかもしれない。
気を取り直して早速研究室まで行こうと思っていると、中庭に通じる渡り廊下から
ほのかに気付いて立ち止まり見ていた者がやがて小走りに近づいて来た。


「ほのか先輩!ここで何してたんですか?」
「直樹君!ちょっとね。もう終わったよ。」
「色々とお忙しいみたいですね。無理はしないでください。」
「平気さ。それより探してたって聞いて気になってたんだよ、ごめんね。」
「いえ、先輩の学業の妨げはできません。気にしないでください。」

真面目な山本はそう言うのだが、ほのかには却って気掛かりになった。
悩み事でもあるに違いないと顔色からも窺え、先輩として黙っていられない。
ほのかはそこにあったベンチに山本に座るように促し、自分も隣に腰掛けた。
山本がぱっと二人の距離を空けたのを遠慮と取ったほのかはずいっと詰め寄る。

「水臭いよ、直樹君。私で良かったら何でも相談して?!ね。」
「あ・・・はい。でも・・今ほのか先輩はお忙しいって・・・」
「もうあと少しで課題は提出できるし、これ以上待たせたら申し訳ないよ。」
「ほのか先輩を困らせるかもしれないことなんです・・それでもいいですか?」
「いいよ、私困ったりしないし。いや困ってもなんとかする!任せてっ!?」

明るい笑顔と熱の篭った言葉に山本は感じ入ったようだった。少し逡巡した後、
山本はベンチから立ち上げり、ほのかの正面に対峙した。真剣な表情と態度に
ほのかは居住まいを正し、きちんと受け止めようと彼のことを見詰め返した。


「好きです!自分は、山本直樹はほのか先輩のことがずっと好きだったんです。」

「・・・・・・・・・え・・・!?」

ほのかはその瞬間動けなくなった。息も忘れていたかもしれない。
予想を超えていた山本の告白に頭の中が真っ白の状態になったのだ。
しかし山本もまた、じっと固まったままほのかを見詰め続けている。
このままではいけない。とにかく驚きを鎮めて返事をしなければ。
ほのかは動揺したまま、必死で言葉を探した。こういうとき何と言えばいいのか!?
この歳になるまで告白されたことがないなどと打ち明けると「まさか」と返されるが
実際になかったのだから仕様がない。なので自分はもてないと信じ込んでいた。
近くで夏のように異常にもてる男が存在していたので、それも大変そうだなと感じ、
別段困るわけでもないので良しとしていた。少々度の過ぎたブラコンだったことも
無関係とは言えない。夏の妹への愛情の深さに相通ずるところもあり、同族意識を
持ってもいた。そんな諸事情はともかく、ほのかの急務は伝えてもらった想いに
答えを出すことだ。大学の課題より遥かに難しいとその身で実感した。

「あっあの、私・・ゼンゼンわかんな・・かった・・ごめんなさい!」

ようやく搾り出した声はひっくり返って妙な発音だった。だが二人共に真剣だ。
一生懸命考えようとしているほのかに山本は感動していた。それだけでも報われた
気がしたのだ。想いを告げるか否かということを随分以前から悩んでいたからだ。
ほのかが特定の交際をしていないことは知っていた。しかし知り合った当時から
『高校生の友人』だった夏のことも視界にはほのかの隣の位置で収まっていた。
つい最近、再会したのだと嬉しそうに語るほのかを見たとき、希望は断たれたと
感じた。告白できなかったのは修行中の身であり、相当な腕と看破していた夏に
もっと肉迫したいと励んでいたからだ。伝える機会も得られずにこのまま終わる
かもしれないと思ったとき、彼はやはり伝えておきたいと決意した。

「あのね、私・・すごく嬉しいって思う。けど・・」
「いいんです。僕のことを大事な後輩と思ってくださってたってわかってます。」
「でもっ・・しんどかったでしょ?!私言われるんだ・・鈍いとこがあるって。」
「そんな困らないでください。僕はこれからもほのか先輩の後輩でいいんです。」
「えっ!?・・いいの?」

笑って大きく頷く山本にほのかの胸の奥が痛んだ。そして初めて意識した。

”男の人だ。すごく。知らない人みたい。私・・やっぱりバカなのかも・・”

「聞いてくださってありがとう!」と差し出された手を握ると握り返された。
何故だか涙が込み上げた。「私・・私も。ありがとう!」とほのかは答えた。


どこまでも優しい山本の態度がほのかは悲しかった。想いに応えられないことを
知った上での告白だった。勇気のある行動に頭が下がる。別れて一人になったとき
ほのかは彼の握った手を見詰めた。山本は少年だったのに。ほのかよりも小さな。
隔たりは年月、人は成長するのだ。自分は変わってはいないように思えるけれど。

”なっちと手を最後に繋いだのっていつだっけ・・?もしかしてなかった・・?”

そういえば夏の腕にしがみついたり引っ張ったりはしていた。肩に乗った覚えも
噛み付いたことだってある。 いや、待て。先日、自宅へ送ってもらった時だ!
けれどそれは車から降りるのを援けただけですぐに離れた。山本がしたのとは違う。
ほのかの手をただ握るために差し出されたことはこれまで一度もなかったはずだ。
すると突然、寂しさに包まれた。同時に自分の中に眠っていた気持ちが目を覚ました。

”なっちぃ・・・・知らなかったよ、こんな気持ち・・ほのかね、ずうっと・・”

忘れ物をしたと夏が告げた。ならばそれを届けに行くとき渡したいと思う。
ほのかは見詰めていた手を握り締め、それを胸に当てて目を閉じる。

「ほのかも忘れてた。だから、それも一緒に届けるよ。」誓うように呟いた。




    〜続く〜