「雪明り」前編 


「雪の降る前の空はあんなに暗いのにさぁ・・」

雪が振り出すとどうして明るいのかとほのかは尋ねた。
夏がそれに理屈で答えようとすると首を横に振って、

「あのさぁ、もっと気の利いた答えないの?!」

大げさにがっかりした仕草と表情が可愛い顔に不似合いだ。
しかし夏は慣れもあるのか、別段気を悪くした風ではない。
それよりも上着を脱いで寒そうなほのかが気掛かりらしく
とっとと今の冬の寒空の元から連れ帰りたくて困っていた。

そんな夏の気持ちを知ってか知らずかほのかはのんびりと
空から落ちてくる塵と知りつつ、雪の舞に夢中になっている。
溜息を一つ落として夏は背後から近づき、ほのかに屈みこむ。
自分の首にかかる長めのマフラーを巻いてやろうとしたのだ。
それに気付いてほのかは上向いて夏を見た。目が合い微笑む。

「あったかーい!」
「もう上着無しじゃ寒いに決まってる。帰るぞ。」
「そうでもないよ。もうちょっと雪見てたいな。」
「家からだって見える。部屋からもテラスでも。」
「・・さてはさっきからそればっかり気にしてたんだね。」

ほのかがむっと口を尖らせ、責めるように言うと夏は眉を寄せるが
それでも怒ったりせず、帰らせる為に温かい飲み物で釣ろうとする。
わかったからあとちょっととごねる様子に夏は再び嘆息を隠さない。
マフラーでは足らないと思ったのか、上着を開いて胸元へと誘う夏。
ほんの僅かに驚いた顔をしたが、ほのかはどうしようかなと首を傾げた。
少し照れているのだが、わからない夏にほのかはまた口を尖らせる。

「そんな恋人同士みたいなことするのヤダ。恥ずかしい!」
「恋人ぉ?!親子の間違いじゃねぇのか?お子様には妥当な配慮だぞ。」
「子供だとしても恥ずかしい歳さ。乙女の扱いをなんと心得とるのかね!?」
「誰も見てねぇし何に気兼ねしてんだ?いつも擦り寄ってくるくせに。」
「それも猫の子みたく思っとるな。ちぇ、しょうがない。お世話になってあげるよ。」

拗ねた顔をしながらほのかは上着の内側へ納まる。そこに夏が手と上着を添えると、
ほのかは抱かれているのと同じ格好だ。優しすぎる抱擁に涙腺が弛みそうになる。

”もーっ相変わらず無造作にこういうことするんだからね、なっちは!”
”ちーっともわかってないんだから。・・やだな、泣いちゃいそうだよ”

ほのかだって年頃の娘なのだ。いくら中学からの長い付き合い、しかもずっと
色気ゼロの間柄だったとしても、気持ちは様変わりしている。なので変わらない
夏の優しさが辛い。それでも互いに存在価値は認め合っていると理解している。
話に聞くようなイチャイチャに憧れはするものの、ほのかは基本満足していた。

”どうしてこう・・いつまでたってもガキなんだろうな、コイツは・・”
”どれだけ脅かさないように力を弛めてるか教えてやりたいもんだぜ!”

雪降る中、大切なほのかを包み込む夏の腕は見た目ほど穏やかではなかった。
気持ちを隠すというよりは、ほのかが怯えないように配慮しての自己抑制だ。
功を奏してほのかは微塵も男を感じてはいないが、結果として虚しさが残った。

「なっちぃ・・あったかいけどさ、これでどうやって帰るの?」
「そうだな・・おぶってやろうか?俺のコートお前に被せて。」
「ああ、二人羽織みたいな!?それほのかは楽チンだよねぇ!」
「俺も楽だ。お前が転ぶかって心配しないで済むんだからな。」
「どこまでもなっちはなっちだよ。了解っ!ヨロシク頼むね。」
「なんかお前・・投げやりになってないか・・?」

気持ちは微妙にすれ違ってはいたが、ほのかは素直に夏の背中におぶさった。
上着をほのかに被せるとまるで大昔の母子のようだが、二人共に気にしない。
ゆっくりした歩調で夏が帰り始めると耳元でほのかがすぐおしゃべりを始めた。
くすぐったそうに適当に相槌を打つ夏。相変わらず会話はやや上滑りだった。
しばらくしてほのかのおしゃべりが途切れだすと、体重の掛かり具合も変わる。
眠くなって寝たんだろうと夏は判断し、一旦足を止め確認するとまた歩き出す。

「大人しいときは寝てるとき・・ってまんまガキだな、ほのか。」

ほのかが怒るであろう言葉をやんわりと夏は囁く。しかし反応は返らない。
本当に眠ったのだ。再確認後夏は少し歩調を上げ、それでも穏やかに歩く。
雪明りが前方を照らし、彼の途を案内する。その光景を夏は不思議に思った。

昔、病気勝ちの妹を背負って歩いたことが幾度かあった。こんな雪の日もだ。
あのときの焦る気持ちや雪空の鉛色の重い色、寒さと妹の冷たさから来る不安。
それらを一層煽ったのは足元に落ちてくる雪に他ならない。辛く悲しい思い出。
胸を締め付けるような気持ち。それらを全て記憶している。なのに今はどうだ。

雪明りは不安どころか夏とほのかを温かく見守ってくれているかに思える。
ほのかは温かく、妹より重く、呼吸も安定していて夏をほっとさせてくれる。
心の中で妹に語る癖のある夏はそのときも思うまま心に描いてみた。

 楓、お兄ちゃんは今よりずっと頼りなかったな。もう一度おぶってやれたら・・
けどあの頃の僕が楓のお兄ちゃんだ。今代わりにはなれないね。楓 ありがとう。
あの頃どんなに僕が幸せだったか、気付かないでごめんね。とても嬉しかった。
弱くても頼りなくても僕がいいんだって楓はちゃんと伝えてくれていたのに・・・

夏は強さを求めた。それは誰も望んでいない強さだったのだ。今ならわかる。
しかし無駄になったとも思っていない。武道との出逢いも大切な一歩だった。
自分を不安にさせたのは雪のせいではなかった。不安も彼にとって必要なことで

ほのかが寝言らしき言葉を呟いた。夏は聞き取れなくて振り返ってみた。
繰り返されることはなくわからなかったが、今の夏には何の不安も感じられない。

幸せはいつだってここにある。楓もほのかも俺に何度でも教えてくれる。

何のために強くなるのかとほのかに尋ねられたことがあった。そのときは知らない。
だから在りのまま答えた。莫迦だね!と哂われて、腹を立てたのも覚えている。
ほのかにも感謝を伝えたい。いつだって援けてもらってばかりで悔しいのだが。

「ほのか、涎垂らすなよ。後でお仕置きだからな。」

感謝とは程遠い台詞が口から飛び出した。ほのかは答えない。答えないが
むにゃむにゃと夏の首にしがみついた。唇が首筋に当たったようで少し慌てる。
齧られた経験を思い出すと焦るが、クリスマスに女に付けられるというのも
ベタだが男には勲章かもしれないなと苦笑を漏らす。残念なことに色気抜きだが。
家に着いてやや乱暴に「着いたぞ」と声を掛けても聞えるのは寝息ばかりで
夏は「いつまで寝てんだ。帰れなくなるだろ!」と扱いも雑になってきた。
仕方なく窓の外の雪を眺めたり、ほのかの寝顔を見ながら長いこと待っていた。
ほのかが目を覚ましたのは深夜だった。驚いて見慣れない部屋で首を廻らす。

「・・・あ〜ここ・・なっちんちだ・・・なんだそうか。寝よ・・・」

もそもそと寝具に顔を押し付け、柔らかな感触の枕に頬刷りする。そして数秒。

「!!?? ・・・なっち!?えっ!?なんでほのかここで寝てるのさ!?」

ベッドから飛び起きて再び周囲に目を配る。谷本邸らしいが主の姿はない。
目が冴えてくると見たことの無い寝間着を着ていると気付く。下着はそのままだ。

「コレ寝間着?可愛い・・まさかこれなっちの趣味・・?!イヤイヤ待てよ。」
「うむ、落ち着いて冷静に考えるのだ。えー・・っとまずここはなっちんち。」
「ほのかは・・寝ちゃって、起きないから泊めてもらった。でいいんだよね。」
「でも詳しいことがわかんない・・起きてなっちを探すかこのまま寝るか・・」

迷っていたがある現象に仕方なくベッドを降りた。トイレはどこだと思い起こす。
幸いその部屋は前に無理矢理お泊りした覚えのあるところですぐに場所が解った。
大急ぎで自然現象に対処し、ぱたぱたとスリッパで廊下を早歩く。つまるところ
夏の部屋を目指して。夜中に来襲されたら普通の者は困るだろうがそこは考えない。
ほのかは普通より大胆だったし、彼を信用しきってもいる。そして何よりも
顔が見たくて仕方なかったから。ほのかは怖いもの知らずと言われる所以の性質で
そこへとたどり着きノックもせずに進入した。幸い鍵はかかっていなかった。

しかし間接照明のある長い廊下と違って中は真っ暗だ。ほのかのいた部屋には
灯りが用意されていたが、それはほのかが少し灯りがないと眠れないからである。
真っ暗でよく眠れるなどと感心しつつ、ほのかは手探りで部屋の中央を目指した。
広い部屋だ。ほとんど入ったことはない。夏が入れてくれないのが常だからだ。
目が幾分慣れてきたので、ベッドくらいは判る。そうっと近付くと寝息が聞えた。

”なっち発見!よかったぁ・・もう帰るのムリ。ここで寝ちゃおう!”

ほのかは長い旅に終わりを告げ、夏の眠る寝台に”おじゃまします”と潜り込んだ。








長くなったので分けます。