「雪明り」後編 


少し冷えた体を遠慮なく夏に押し付ける。当然気付くだろう。
ほのかは暗くて顔が見えないのが残念だと思いつつ躊躇しない。
いくらなんでも夏が闖入者をスルーして眠ったままとは思えない。
怒られてもいいやと逆に期待を込めて夏の横を向いた顔を覗きこむ。
ところが期待は予想を斜め上へと行ってしまい、はっと気がつくと
ベッドの上に上向いて首を絞められていた。厳密に言うと締まっては
いないのだが、いつでも落とされる状況。ほのかの場合そこまで正確に
捉えたのではない。この事態に夏が反射的に取った行動だと判断した。
ほぼ正解で、ほのかは夏は寝惚けていてもすごいなと妙に感心していた。
声を掛けようとする間もなく夏は目が覚めたらしい。暗くて顔はよく見えない。
しかし息を呑んだような気がして、首を左右に振ってほのかの首から手を引いた。
するとほのかの脇と喉、鳩尾とに掛かっていた圧力が消える。体をずらした夏は
ベッドの上に胡坐をかいて座り頭を垂らすと、長々と息を吐き出した。
解放されたほのかも起き上がって夏の前に正座して座り込み、畏まる。

「すまん!」「ごめん!」

二人が同時に謝った。見事な息の合い方に双方気が弛んで笑ってしまう。

「いやー・・まさか寝ぼけなっちに襲われるとは・・面白体験した。」
「悪い。すっかり寝入ってたから体が勝手に動いちまったみたいだ。」
「大丈夫、痛くなかったし。それにしてもスゴイね、寝てるときまで・・」
「ここまで気付くのが遅れてたら師匠にどやされるどころじゃねぇよ・・」
「え?!そうなの?厳しいんだねぇ。まぁほのかだからよかったじゃん。」
「・・・よくはない。そういや鍵は掛けなかったな。どうかしてる。」
「いいじゃないか、たまに気を弛めたって。っていうか寝てるときくらいさぁ?」
「はぁ・・愚痴言っても仕方ないな。目が覚めたんだろ。・・何か飲むか?」
「勝手に来てごめん。追い出す方向だね・・一緒に寝るのってやっぱNG?」
「ここはダメだ。お前には違いがわからないだろうが、昼間の俺と思うな。」
「ってことは一応気を抜いてるんだね、ここでは。ふんふんそれはよかったよ。」
「・・・・」
「あ、別に飲み物はいいよ。ここで寝るのがダメなら遊ぼ!・・ってのは?」
「今何時だ・・?ここに居座られるよりはそっちのがいいな。それなら上に何か・・」
「そういえばさ、この可愛いのって・・楓ちゃんの?着たことないみたいだけどさ。」
「この前部屋の掃除してたら見つけて・・そうだ。一度も袖は通してない。」
「ほのかが着ちゃってよかったの?楓ちゃんはいいって言ってくれるかもだけど・・」
「嫌なら着せたりしねぇよ。着たがってたなと思い出して・・けどサイズが・・」
「あぁわかる。ほのかもあるよ、そういうの。欲しくて強請ってね、いつか着るって」
「女って皆そうなのか?サイズも直さずにそのまま仕舞っておけと言ってたな・・」
「どこで見つけたのかな?楓ちゃんならもっと可愛くて似合ってたよね!?なっち。」
「・・・・・なんでだろうな、楓が嬉しそうに笑う夢を見たんだ・・・そんな風に。」

暗くてよく見えないが、夏が泣き出しそうに思えたほのかは慌てた。膝立ちになると
夏の俯き加減の頭に片手をそえて柔らかく撫でる。夏は驚くこともなくじっとしていた。

「ごめんよ、なっち。・・・こんな大事な服、着せてくれてありがとう。」

夏がふと顔を上げるとほのかは微笑んでいる。お礼は妹から言われたように感じた。
ほのかはそれ以上何も言わず、夏も説明はしないまま、ほのかを通して妹に向けて

「・・・よかった・・・よく似合ってる。」
「そんな顔しないで。電気点けようよ、な・・」

自分の涙腺の方が弛んできて焦ったほのかはベッドサイドの照明スイッチを探した。
しかし夏に止められた。いつもよりきつく抱き締められて。夏は泣いているのだ。
暗いままの方が夏にはいいのかもしれないと思いなおし、ほのかは広い背中を撫でてやる。
何年経とうとも妹への想いは色褪せることなく兄である夏の中に大切に保管されている。
この寝室にほのかを入れないのは、彼なりの聖域であるのかもしれない。ほのかと出会う
以前の、谷本ですらない、無力な子供時代の夏とそれを支えていた妹との思い出という砦。
ほのかはそこに踏み込もうとは思わない。今夜ここに無神経に押しかけたことを後悔した。
けれどこんな風に幼い頃の辛さに耐える夏を抱き締めることができたのはよかったとも思う。

「楓ちゃんに援けられたんだね、ほのかもなっちも。」

ほのかの呟きは幸せそうで夏は思わず抱いていた腕に力を込める。
実は悲鳴を上げそうに苦しかったのだが、ほのかはぐっと堪えた。
やがていつもの夏が戻ってきたのか、腕の力が弱まって夏が体を離す。

「どうだい、起きて朝一オセロ勝負とかは!?」
「走りこみに行く時間までな。あと・・一時間位だ。」
「どこに時計あるの?えっそんなとこに!?気付かなかった。」
「痛かっただろ?息止まってたぞ、一瞬。」
「あ、ばれた?うん。実はさっきの首ホールドよりやばかったよ。」
「・・・・自重する。ここではやっぱ加減が難しい・・・」
「いいからいいから。入り込んだほのかのペナルティってことで。」
「鍵開けてたからなぁ・・俺の方が悪い。」
「掛けたけど楓ちゃんが開けてくれたんだよ。」
「それじゃ怪奇現象だ。」
「けど世の中不思議なことってあるもんだよ?」
「そうだな・・・俺のベッドにお前がいるってだけで既におかしい。」
「そんなこと言ってホントは来て欲しかったから開けてたんじゃないの〜!?」
「さっきから俺もそんな気がしてな・・・だから・・とっとと出ろ。マズイ。」
「まずい?ナニが?」
「お前の中に危機感って存在するのか?それも常々疑問なんだが・・」
「ははっ多少はあるよ。っていうか襲われてみたいってのもあったりして。」
「ふ〜ん・・・そっか。」
「あ、なんかここではなっちがちいちゃい子みたいで可愛いって感じする!」
「そうかもな。」
「??あれ、なんか見たこと無いなっち・・って気も・・・?」


うっすらと見えた夏の瞳は悪戯っ子のようでもあり、不敵な男のようでもあった。
唇を覆った生温かい感触にほのかは眉を顰めた。なにこれとかなり不快感も顕に。

「お前の色気の無い反応に絶望しそうだ・・まだ早いってことだな。」
「ものすごく失礼な!今の何?ってか近いよ、ちょっと!何すんの!?」
「いいか、5秒だ。それ以上経っても抵抗しないならマジで知らんぞ。」
「は!?ごびょう?!って」

大きな夏の片手に押えられた顎が上向きになった途端またあの感触が襲う。
ぼんやりしているうちに5秒くらい経っている。夏は一旦唇を離す。

「まだわからないってのか!?・・舌噛むなよ?」
「いやわかっ・・!!??いややだやめてっ!!」

理解はできたが反応を返せず固まっていたほのかが大慌てで夏を押し戻す。
するとあっけなく離れ、ベッドの上に倒れそうになったが腕を掴んで助けられる。
ほのかの腕を掴んでベッドの下へと夏はもう既に降りていてドアを目指していた。

「おら、とっとと出る。せめて悲鳴くらい上げられるようになれよ、ほのか。」
「ちょっと引っ張らなくてもいいじゃないか。出るよ、出るけど・・なっち。」

ドアの前まで来るとパッと部屋の中が明るくなった。夏がドアの脇のボタンを押し、
部屋に掛かっていた遮光カーテンが開いたのだ。電動だと知らずほのかは目を丸くする。
すると部屋の外には雪が降り積もっているのが見えた。ほのかは飛び上がって窓辺へと
夏の腕を振り払って走り寄った。呆れて夏も窓辺へと逆戻る。

「っしゃああ!予定変更だ!?なっち、雪合戦しよう!!ねっ!?」
「・・・しっかり着込めよ。昨日みたいな薄着なら許可しねぇからな。」
「らじゃっ!なっちアイシテルvV着替えだきがえ・・これ洗濯だね?」
「お前はいいから置いておけ。俺がまとめてする。寝てた部屋に着替えが」
「わかった。んじゃ着替えてから玄関へ直行するねー!?」
「お前は小学生か・・・はぁ・・落ち着け。転ぶなよ・・」

ほのかは風のように出て行って部屋は夏がぽつんと残された。外はまだ薄暗い。
けれど天気は時間の経過と共に良くなりそうだなと夏は雲行きなどから判断した。
雪が積もったせいで外は明るい。ほのかはあと数分もすれば庭ではしゃぐだろう。

”不思議だ・・この部屋が・・こんなに明るかったか・・・?”
”楓、ありがとう。ここにほのかを連れてきてくれたんだね。”

ふっと笑顔を浮かべた後、夏は着替えに向う。手袋はどこだったかと
ほのかの分も替えが必要になるに違いない、そんなことを考えながら。
数刻もしないうちにほのかは汗だくになってくしゃみをして今度は風呂行きだ。
妹よりずっと手間が掛かって、まるで子供。なのにいつも態度だけは上からだ。
大体あんなことされてきょとんとしてるってのはどうなんだ、歳相応か?など
夏は不可思議やら疑問に頭を廻らせる。なんて面倒な相手に惚れてしまったんだと。

ほのかが二度、キスをされたことを思い出したのは風呂に浸かっているときだった。

”あああああっ!?しまった。ほのかってば・・・雪・・雪とか眠気に負けて・・”
”せっかくのクリスマス。気合入れた下着も無駄だよ・・あ、でも見られたのか!”
”まさかのスルー!今更感想聞けないし・・とほほ・・なんでこうなるんだろう?”

しかも思い出すと顔どころか体が火照って仕方が無い。風呂上りのせいで夏は呆れ、

「のぼせるまで浸かってんなよ!幾つのガキだ、お前は!?」と怒鳴られるわで散々だ。

「うう・・ほのか自分のガキっぽさを自覚した。どうすれば色気出る?」と涙目で尋ねる。
「はぁ?!・・言っとくがガキだから好きなんじゃないぞ?俺は変態じゃない。」と夏。
「うん・・だから色気は・・もうちょっと待っててね?」と返したがどこかずれた感がする。
「そ・・りゃな、待つが・・それにしてもお前・・あれをスルーはねぇと思うぞ?」
「なっちだってさぁ、勝負下着見たくせにスルー・・って、あ・・っ!?」
「勝負!?あぁあれ・・・っておい、勝負・・だと!?」

二人はずれた会話とは裏腹に呼吸よく一緒に顔を赤く染め、気まずげに目を反らす。

”なっちが言ってるのって・・あのことだよね!?う・思い出した!どうしよ・・”
”泊まる気だったのかよ。だから母親は聞いてるって言ってたんだな・・おいおい”

「あ・あの・・」
「・・んだよ?」
「やり直しって・・・ありなの?なっちの部屋じゃなきゃいい!?」
「下着とかほとんど見てないぞ。って、やり直し!?・・ここで?」
「なっちの珍しいとこたくさん見れて嬉しいけど・・・顔赤いね。」
「雪に焼けたんじゃねぇの?お前も赤いぞ。」
「あーそう、雪のせいだよね!?なるほどなるほど。」
「ったく・・・今度はまともなリアクションしろよ?」

いつもの居間で。オセロ勝負も中途半端に夏とほのかが向き合う部屋は暖かい。
雪も昼に近付き溶けていった。明るさは陽光にバトンを渡してしまっている。
ぎこちないほのかと明るい場所でのファーストトライに夏も途惑いを隠せなかった。








ばかっぷるめ!という通常お約束のオチ。メリクリのはずでした。(苦笑)