「柔らかな眠り」 


壊したくないものなんてオレには既になかった。
寧ろ何もかも無くなれば清々すると思っていた。
見つけたり知ったりなどしたくなかった。
見つけたときどれほど強くなれるかなど知らなかったから。



ほのかの掃除と称する破壊活動は呆れるほどで
解体屋で食っていけるのではないかと感心する。
幼児かと疑うほどの遊びへの集中っぷりも半端ない。
くたくたになって眠ってしまうあたりもそうだろう。
あれほど煩いと耳を塞いだのが嘘のようだ。
今も遊びつかれたほのかはオレの隣で寝息を立て始めた。
普段は羽ほどにしか感じない身体から僅かな重みが掛かる
じんわりと体温が増した気もすると思うとシャツを掴んだ手。
小さな指がしっかりとオレのシャツを握り締めていたのだ。
”これじゃ動けねぇな・・”と諦めてソファに深く座りなおした。
”マジで子供みてェ・・って、子供だったな・・”
規則正しい心音に併せた呼吸がオレの耳をくすぐる。
なんて安らかに眠るのだろう、まるでここが正しい居場所然として。
うっかり寝顔を見ていると引き込まれるように眠気が起こる。
だが何故だか眠ってはいけないような気もして頬杖をついた。
嘘のような静けさの中、窓から風が入り込んでいた。
そういえば掃除するからとほのかが開けていたのだった。
はしゃいだせいで「暑い!」と脱いでしまったほのかは薄着だった。
”このままじゃ寒いんじゃねぇか?”と気になり始めた。
何か掛けてやろうにも掴まれた指が引き留める。
そうっと外せばおそらく離れることができるだろう、なのに・・
オレとほのかを繋いでいるその小さな指を解くことが躊躇われた。
身体は半面ひっついているとはいえ、肩が冷えるかもしれない。
しばらく考えてオレは空いていた片方の腕をほのかの肩に廻した。
掌で肩を包むようにして自分へと引き寄せるとほのかも無意識に寄ってきた。
抱いているとややこしい気分になる。柔らかくてくすぐったくて。
母親とか父親が味わうような気持ちだろうか?と莫迦な考えも浮かぶ。
それほどに大事そうにほのかを抱えている自分が可笑しいと思える。
”世話の焼けるヤツ・・”と心の中で言い訳めいたことを呟く。
こうしていたかったのだろうか、それとも起こしてしまうのが可哀想で?
自分のしていることに戸惑ってそんなことをぼんやりと考えた。
”ほんの少し・・少しの間だけのことだ”
そうだ、いつまでもこうしてはいられないはずだ、だから、
だからこれくらいどうってことない。オレだけが知っていればいいことだ。
そんな風に納得させながらほんの少し早くなった動悸を鎮めようと努めた。
窓から入り込んで来る風は幸い穏やかでオレの頬には心地良かった。
夢でも見ているのかもしれず、ほのかは微かに笑ったような気がした。


「ん〜・・・おやぁ?寝てたのだー・・」
「やっと起きたか。」
「あい。なっつん、なっつんも寝てたの?」
「いや、オレは寝てない。」
「んじゃあずっとほのかのお布団になっててくれたのかい?」
「・・まぁな。寒くなかったか?」
「ウン。大丈夫さぁ!きっと気持ちいいからたくさん寝ちゃったのだよ!」」
「よ、よくこんな格好で寝られるよな、オマエ。」
「だから、なっつんがひっついててくれたから気持ちよかったんだってば。」
「何も掛けるものが無かったから!取りに行くのも面倒だったしな。」
「名案じゃないか。・・何焦ってんの?」
「別に焦ってなんかいねぇよ。」
「ふーん。まぁいいや。なっつん、おやつ!」
「オマエってほんっとにお子ちゃまだよなぁ!!」
「色気はちょいと待っててくれ。なかなか思うようにいかないもんでね。」
「そんなもん待ってねぇ!思うようにって何だよ?」
「早くむちぷりになってなっつんをめろめろのする計画なのだが・・あ、秘密をばらしちゃった!」
「・・・ハイハイ、好きに言ってろ・・」
「あ〜!あまり期待してないな、ちみは。わかんないんだからね、まだこれからさぁ!」
「どうでもいいから上着ろよ。肩冷えそうで気になるから。」
「平気だって。・・まぁあまりむちぷりにめろめろなのもなんだか嫌なんだよね・・なんでかなぁ?」
「ふっ・・・だったら無駄なこと考えるなよ。」
「う〜ん・・え?無駄!?言い切ったな、ちみ。それはそれで悔しいぞ。」
「だーかーら、そんなことどうでもいい。さっさとこれ着てろ。」
脱いで放り投げてあった服を見つけてほのかに被せた。
まだぶつぶつと不満顔ではあったが、受け取った服を大人しく着ていてほっとする。
「薄着ばっかして。なんとかは風邪引かないとは言うけどな。」
「聞えてるよ!失礼な。ほのかだってたまには引くよ、風邪くらい。」
「お茶か、ココアか?」
「えーとぉ・・今日はシナモンティーなのだ!それとパイ!かぼちゃのパイ〜!!」
「へぇへぇ・・わーってるよ。オマエはテーブル片付けとけよ。」
「らじゃっ!!」

おやつのことに気が反れた途端、目を耀かせてやがる。
まったく子供だよな、と思う。あいつに色気なんて笑わせるぜ。
ほのかが仮にそんな男を誘惑せずにおれないほど成長したとすれば
もうここでこんな風におやつだとか言ってないだろうと思う。
そしてほのかはそのときオレの目の前には居ない、そんな気がした。
そこらじゅうに居るオレに何かを期待するような女の顔。
オレはそんな視線を感じる度にいつも不快だと感じてきた。
だから・・・オレはほのかにそんな女になって欲しくない・・・のだろうか?
靄のかかったような重苦しいものが胸に痞えたようで眉を顰めた。



美味そうに食うところをぼんやりと眺めていたらふいにほのかが言った。
「あのさ、やっぱりほのかなっつんの言う通りにするよ。」
「は?・・・なんの話だよ。」
「むちぷりになって誘惑するのなんか無駄だって言ってたでしょ?」
「あ、あぁ・・」
「やめとくよ。だってずっと今みたいにおやつ食べて遊んだりしたいもんね。」
「・・・ずっと・・?オマエ大人になってもここに居り浸る気かよ。」
「うへへv 居心地抜群だもん。ずっとここに居たい〜!」
「あ、アホっ!・・そんなこと・・できると思ってんのか!?」
「するもん。ほのかはあきらめないもーん!」
「・・・オマエ;」

満足そうにおやつをほおばるほのかの瞳は自信たっぷりだ。
そう、コイツはとんでもない頑固モノだから、もしかしたらそうするかもしれない。
「そ、そんなことになったら迷惑もいいとこじゃねーか!」
オレがそう言うとほのかが妙な顔をして見つめ返したので不思議に思う。
「なに変な顔してんだよ?」
「や、だって・・迷惑とか言ってるくせになんか嬉しそうじゃん。」
「なっ!」
頬が熱くなったのが自分にもわかって言葉に詰まった。
「なっつんも期待してないみたいだしちょっと嬉しいや。」
「期待してないのが嬉しい?」
「ウン、ほのかも今のなっつんがいいなと思って。」
「・・・」
「あっ!タイヘンだよ、それじゃあ将来恋人になる計画が台無しになっちゃうのかな!?」
「ハアッ!?」
「おっとまたバラしてしまった!」
「オマエ何考えてんだよ?!」
「うーむ。ほのかの計画が色々と座礁に乗り上げそうなのだ。どうしたもんかねぇ?」
「どうって・・・どうしたいんだよ、結局。」
「えっと〜・・・とりあえず現状維持で。あはは!」
「・・・ふぅ・・つまりここに入り浸る計画だけはそのままということか。」
「当り!ちみは頭いいねぇ、やはり。」
「オマエみたいにずうずうしいヤツ知らんぜ、まったく・・」
「そお?うへへv」
「褒めてねぇぞ。」
「ほのかなっつんが大好きなんだもん。欲張るのは勘弁してくれたまえ。」
「よくそんな調子のイイこと言うな・・・」
「ほんとだもん。悪い!?」

開き直ってふんぞり返りながら、ほのかはまっすぐにオレを見た。
オレが密かに好ましいと思う強い意志を持った目だ。
いつもいつも好き勝手をしても許してしまうのはきっとこの目に弱いのだ。
欲張るのは好きだからだとコイツは言ってたな、そうかもしれない。
オレはこの相手に対して期待しない、自分の力を信じている目が好きなのだ。
諦めを知らない子供のような愚かなほど真正直でひたむきな想い。
そう気付くと可笑しくなる、以前ならこんな無邪気な想いなど嫌っていたはずだから。
安らかな眠りを妨げないことも、ひたむきな望みに応えてやることも
小さな指や肩を護ってやりたいと思うことも・・・いったいいつから・・?


「・・オマエの好きにしろよ。」
ほのかは目を見開くと、「おう!」と拳を突き上げて微笑んだ。
その瞳がいつまでもそうやって強く耀いていられるといい。
この手で足りるとオマエが望む限りオレの隣でずっと。







「壊したくないものを見つけた」夏くん。