「やってみよう!」 


ほのかの困ったところは色々とあるのだが、そのなかでも
「とりあえずやってみる」は夏にとって頭の痛い項目だった。
フォローしても絶え間ないため・・・段々と疲れてくるのだ。
それでも夏はほのかの行動一つ一つに忍耐強く対処していた。
ところが不意を突くようにほのかがあるお願いをしてくると
夏はピタリと固まってしまった。

「・・・もしもーし!なっちー?!、聞いてる!?」
「・・・あ、すまん。何か・・耳がおかしいかと。」
「へえ、それはいけないね。耳鼻科で診てもらう?」
「いや、大丈夫だ。しかし次に聞えたら少々怒るかもしれんぞ。」
「怒らないで。ほのかしたいんだもん、してみようよ。」
「ふーっ・・どこにお仕置きが欲しいのかな、ほのかちゃんは?」

答えを聞かずに夏はほのかの両のこめかみを拳で挟み圧迫した。
悲痛な叫びを上げてもがくが、絶妙の加減で逃れることができない。

「いだいいだいだだだだっ!なんでっ!?いいじゃないかあ!?」
「やってみたいから、でするものじゃないんだって知ってるか?」
「知ってるよ。けどしないとわからないこともあるんじゃない?」
「へぇ、どんなことだよ。」
「ほら、意外にもっと早くしとけばよかった!と思うかも。」
「そんなに単純なことじゃない。軽く考えすぎだ。」
「だって相手はなっちだよ!?他の人に頼んでるんじゃないんだから!」
「お前もわからんヤツだな。まだまだお前には早いって言ってんだよ。」
「わかんなのはどっちさ!?早くなんかないよ、ほのか待ってるのに!」

押し問答は睨みあいに変わりほのかと夏の行き交う視線が火花を散らす。
互いに引かないため沈黙が続く。緊張状態を破るのは果たしてどちらか。
今回はほのかの方が態度を改め、真面目にお願いすることにしたようだ。

「お願い、ほのかキスしてほしい。後悔なんか絶対しないから。」
「俺はしたくない。以上。」
「嫌いなの?ほのかのこと」
「こんなことしつこく強請るお前は嫌いだ。」
「こんなことって・・ヒドイや・・真面目の本気なのに。」
「泣くな、卑怯者。」
「泣いてなんかいないよーだ!」

目が潤んだのは事実だったのだが、ほのかは歯を食いしばって堪えた。
そんなに無茶なお願いだろうかと首を傾げる。それにその気がないのなら
『したくない』ではなく、そういうことをする気になれないと言うはずだ。
中学生のとき初めて強請ると「まだ早い」と言われ、あれから2年になる。
いくつになったら解禁なのかさっぱりわからず、ほのかは何度も質問した。
その度にはぐらかす夏をはっきりと拒絶しないくせにズルイと思う。

「早い早いって・・いつならいいのか教えてよ。」

ダメ押しで呟いてみるが夏は無表情を崩さなかった。また涙が出そうになる。
わからない。好きだと告げれば嬉しそうで、ほのかの手を解いたりしない夏なのに。

「とりあえずキスしてみてよ。してみたら早いかどうかわかるかもでしょ?!」

夏も自分が説明不足なことはわかっていた。ほのかを悲しませたいのでもない。
『それくらいしてやればいいじゃねぇか?』と悪友に何度か言われたこともある。
ほのかの兄の兼一は『ほのかは普通より幼いし、自重してよね!?』と釘を刺した。
しかし誰がどんな風に言ったところでそれに従うことでもないのだと理解している。
夏自身の問題なのだ。この情けない状況と鉄のような自制心が腹立たしくもある。
それでもたかが、と思いたくない。本気でほのかを少しでも遠ざけていたかった。
『男』なぞを微塵も漂わせたくないのだ。今のほのかが大事、理由はそれだけだ。

ほのかは頑固な夏を恨みがましく見たが、揺るぎそうに無くて溜息が落ちた。
漠然とした不安が過ぎる。夏に縋りたくなる。好きでいることに自信はあったが
好きでいてくれるかどうかには自信が持てない。そもそも考えたこともなかった。
好きでいて欲しいだなんて。どんなに甘えて好き勝手しても許してくれるからじゃない。
ほのかが自覚した『スキ』はこれまで抱いたことのない種類だというのはわかる。
どこか危うい夏。けれど優しい。とても深い愛情を隠し持っている。そんなところも
知れば知るほどもっと、と思う。欲張りで醜い独占欲は兄を拘束したかったときよりも
強い気がする。キスがしたいなんてこと思ったのも夏が初めてだ。他は有り得ない。

「そもそも何のためにするものなのかな・・?」

ほのかはふとそんな疑問を口にしてみる。少しだが夏の表情が崩れ怪訝になった。

「最初はね、好きな人とするとすッごく嬉しくて素適だって聞いて羨ましかった。」
「それから、なっちがほのかを『妹』だと思ってないって確かめたかったのかな。」
「今はちょっと違う。どうしてしてくれないのかな、そういうの嫌いかな、とか。」
「ほんとは・・・なっちがどこかへいっちゃいそうで怖いのかもしれない・・」

ほのかは思ったままを伝えてみた。夏は黙ったままだった。

「でもね、ほのか反省したよ。理由なんてどうでもいいんだ。ただ・・」

「そうだな、したいからするもんだ。」

突然夏の言葉が遮った。驚いて視線を向けると表情は硬いままだったが
聞えた返事は嬉しかった。ほのかが出した結論と同じものだったからだ。

「よかった。いやよくないか。やっぱりそれってしたくないってことだよね。」
「・・我侭なんだよ、要するに俺は。・・お前にはわからんだろうが・・」

夏が言葉を切って窺うと、案の定その顔には『わからない』と書いてあった。
ふっと息を吐いて夏は言葉の継ぎ始める。ゆっくりとまるで独り事のように。

「いくらでもしてやりたいんだが・・初めてはなるだけ・・先に延ばしたいんだよ。」
「どうせ待ちきれなくなるのは俺の方だ。お前の『したい』のとは少し違ってるけどな。」
「頭の中でならお前はもう何度も・・俺にキスどころかもっとヒドイ目に遭ってる。」
「それを全部教えるのは俺だって思っていながら・・知らないままでもいて欲しい。」

告白の間、夏は目を反らしていた。素直に心情を吐露することに慣れない夏は辛そうだ。
もしかするとそんな苦った姿を見るのは自分だけなのかもしれない、ほのかはそう思う。

「なぁんだ・・じゃあいいよ。なんだかしてもらったみたいに嬉しいからね。」
「・・え・・」

弾んだ声だった。思わず夏はほのかを見る。そして頬を染める『女』を知る。
見たことの無いほのかがいる。幸せそうに微笑んで夏の前に。驚き目を瞠る。

「じゃあほのか待ってるね、なっちが待ちきれなくなるのをさ?」

無理をするのでも背伸びするのでもなくそう言ってのける。夏は内心狼狽していた。
知らないほのかをこの腕で抱き寄せ確かめたい。キスしたくて堪らなくなってしまった。
その逆転の構図に焦る。待っているのはどちらだ?どちらもか?ではそれは何のため?

「あれ?・・なっち、顔色が・・どうかした?」
「い・いや・・別にどうも・・」

様子がおかしい気がしたほのかが夏に一歩詰め寄り手を伸ばしたとき、咄嗟に引いた。
ほのかが除けられたことに気付くのと夏がそのことを自覚するのはほぼ同時だった。
かっと紅潮した顔、いや体全体に夏は更に追い込まれる。完全に年上の立場を無くした。
ほのかにはそんな夏側の事情が飲み込めていないので、不思議そうな顔をするだけだ。
悟られていないとわかって夏はほっとした。落ち着こうと目を閉じて一呼吸置く。

「・・心配しなくていい。」
「ん?何を?」
「もうそんなに待てそうにない。」
「あ・・・えっ?!いきなり!?」
「それはお前だ。驚かせるなよいきなり・・(女になって)」
「いきなりってなんだい?なっちこそ急におかしくなってさ」
「まったくだ。焦ったぜ・・ヤバかった。」
「??・・・なんなの。あ、もしやほのかにヨロめいた!?」

おどけて笑いながら、ほのかはそう言った。冗談のつもりだったのだろう。
だから夏は目を反らして「・・まぁな」とぼそり呟いた言葉にびくっと固まった。
3秒くらい後、ほのかは全身を赤く茹で上げた。どうやら少々ほのかは鈍いらしい。

「ま・またまたー!・・やだね、このひとったら・・!?」
「言ってんじゃねぇよ」

真っ赤に色よく火照ったほのかの頬に夏の唇が落ちたのは一秒後で、ほのかはというと
接触した方の頬を押さえ、悲鳴らしき妙な声と共に夏からものすごい勢いで引き下がる。

「お、おい・・どこまで逃げんだ!?頬にしかしてないぞ。」

「□☆$#*・・・ほ・ほっぺだって・・・いきなりはびびるのだ!」
「いきなりじゃないだろ、予告したぞ?」
「えええっ!?したけどそんなすぐとは・・むむむ・・やられた〜!」
「散々してくれって言ってたのになんなんだよその態度は!?」
「うるひゃい・・なるほどまだちょびっとほのかには無理があるとわかった。」
「・・・・マジで・・・?」
「なぜに残念そうな顔すんの?なるだけしたくないのではなかったのかね!?」
「それはそうなんだが・・・するなと言われると・・・したくなるもんだな?」
「なんですとーーーーーっ!?」

夏はたまりかねて吹き出した。真っ赤な顔で「無理」と頬を抑えるほのかが可愛い。
可愛過ぎて色々したくなる。しかしここは鉄の自制心を発揮するべきなんだろう。
愛しい気持ちを視線にだけはたっぷりのせて、夏は「しないから逃げるな」と告げる。
すると遠くからそっと近付いてくるほのかは破壊的に可愛いと夏の想いを更新する。

「あ・あのでも・・予告して準備時間をくれれば応じるのだ。・・・おっけい?」
「了解。わかったからあんまり怖がるなよ、そこまでのことしてないって。」
「うん、ごめん。不覚だよ、間近で見るなっちがあんなに色っぽいって知らなかった。」
「・・・じゃあお互いサマだな。俺も驚いたからなぁ、今日は・・」
「えっ!?ほのかいつそんな素晴らしい所業を成し遂げたの?!教えて。」
「冗談じゃねえ。教えたりするかよ。」
「なっ・・意地悪いなぁ!」
「お前が(可愛いのが)悪いんだ。」

ほのかはふてぶてしく言われて夏に噛み付いた。もういつものほのかに戻っている。
変わり身の早さに呆れつつ、そんな無邪気さも忘れないで欲しいと夏はこっそり願った。







やる気満々で来られても引くと思いますけどね?(笑)