Wondering  



ほのかはとある有名漫画を連想した。どこにでも行ける扉を。
あれを行き先を知らずに開けた。そんな感じだなと思いながら。
そこはまだ見知らぬ場所で、拓けた視界は遥かに広がっている。
一歩を踏み出せば後戻りができない。扉は失われてしまうのだ。
旅を始めたときの高揚感とほんの少しの不安。それも似ている。
後は進むだけだ。どんな景色が見つかるのか期待は高まる。
迷ったり彷徨ったりする可能性もある。道案内はあるだろうか。
たった一人の姿を求めて。その存在を道標にして。


「ねー・・なんかさぁ・・苦しいもんだね?」
「・・ちっともそうは見えないわよ?」
「お母さんは苦しかった?」
「誰でも似たり寄ったりだと思うわよ。お母さんもそうだし。」
「ふーん・・今は?変わった!?」
「出会ってすぐじゃなかったのはほのかと一緒ね。今はその頃と少し違うわ。」
「へー・・違うのか・・」
「お母さんの場合は好い方に変わったの。」
「そっか!こういうのってさ、ほのかだけじゃダメだよね?」
「そうね。うまくいかないことも多いわね。」
「だよね!?ああもう・・じたばたしちゃう。病気みたい。」
「お医者さまでも治せませんからね?!」
「ほんとだ。困ったね。」
「そんな幸せそうな顔して。困った子ねぇ・・」


ほのかには不思議なことばかりだ。母親は楽しそうに笑った。
誰に知られるのも恥ずかしい気がする。悪いことではないのに。
ぴりぴりと痺れる手先。どきどきとやかましい心音を持て余す。
思い浮かべると眠れなくなる。会いたい、会いたいと心が叫ぶ。
皆そうなのだろうか。似ていると母親が言ったように誰しもあるのか。

・・・なっちも・・?!

わからない。その対象が自分とは限らない。怖ろしいことに。
今現在彼にそんな相手がいるとは思えないが、絶対ないとも言えない。
何せ隠し事の得意な男なのだから。そう思うと途端に不安が襲う。
ちりちりと焦げるような胸の内。走っているときのような息苦しさ。
目を閉じてその姿を浮かべてみると、不機嫌そうな顔だった。
ほのかは突然勢いよく寝転がっていたベッドから起き上がると部屋を出た。

会いたい男は留守中だ。時々行く先を告げずに出掛けてしまうことがある。
帰ったとき盛大な文句をつけてやると、期間を告げるようになった。
だがたまにその期限を破ったりする。そのかわりたまに早く帰ることもあった。
もしかしたらと思うと待ちきれなくなった。それで家を飛び出したのだった。

息を切らしてたどり着いたが高い門は沈黙していて、呼び鈴に応えもない。
まだ帰宅していないのだ。ほのかはがっくりと肩を落とし、息を整えた。
会いたいときに会えない辛さ。これは結構厳しい。元から待つのが苦手だ。
色々と自分を宥める手立てを考えるが、うまくいくことはほんの僅かしかない。
今日はどうやって気持ちを鎮めようかとほのかは足元を見つめながら思った。

思いつかぬままゆっくりと戻る道すがら、ほのかは考えた。
いつ告げるかということを。好きだということを。
受け流すか、気を悪くするか、もう来るなと宣告されるか。
浮かぶ結果は否定的なものばかりだ。ほのかにしては珍しい。
楽天家だと言われるのに。自分でもそうだと思い込んでいた。
これは影響を受けてしまったからだろうか、それとも生来か。
自分の知らなかった自分に出会う。これもまた新鮮といえた。
新たな発見はどんなものでも楽しい。少なくともほのかはそうだ。
俯いていた顔を上げ、歩幅を変えた。意識して胸を張り歩き出した。
仕方が無い。明日また来よう。そう思い切る。


”なっちはどんな?どんな人が好き?恋したことはあるの?!”

青い空に向かってほのかは語りかけるように顔を振り仰いだ。
自分は初めてのことばかりだ。貴方はどうですかと尋ねてみる。
勿論答えなどなく、なんて答えるだろうと想像するしかない。
ぶすっとした顔が浮かぶ。また不機嫌な顔だ。思い浮かぶ顔はそんな顔。
それでいい。笑顔は直に見たいから。ほのかはそう思った。

自宅が近付いてくると帰りたくなくなる。寄り道しようかと考える。
会えなかったことがひしひしと辛くなるからだ。思い切ったつもりでも
想いは振り切れていない。その日は近所の公園になんとなく足を運んだ。
お天気が良いからだろう、砂場と遊具に数人の子供が遊んでいた。
ほのかはぐるりと全体を眺め、身の置き所はないかと探した。
ベンチが一つ空いているのを見止めると、そこに腰を下ろした。
ぐーっと両腕を広げて伸びを一つ。反動で大きくて長い吐息を出した。

ベンチには背もたれがあったのでそこに体重を預けるとまた空を見上げる。
上を向いていないと泣いてしまいそうになる。雲の流れを目で追った。
じっと見ていると上を向いているのに込み上げそうになった。
困ったなと思ったとき、ほのかのポケットがぶるっと震えた。
携帯を取り出して耳に当てた。着信は自宅の母からだった。

『ほのか、今どこにいるの?!』
「今ねぇ・・!?」

ほのかは立ち上がり、携帯を閉じてポケットに無意識に仕舞った。
母親が告げようとしていた内容が聞かなくてもわかったからだった。
会いたかった姿が、いま数メートル先の公園の入り口に立っている。
足先はダッシュで地面を蹴り、一目散にそこを目指して走った。
転びそうな勢いだったが、幸い障害物に足を取られることもなく
数秒で目的地へとほのかは到着した。飛びついたら抱きとめられた。

「おかえりっ!!」
「・・ただいま。」

耳をくすぐった低くて小さな囁きが嬉しくて、ほのかはしがみついた。
僅かに抱き返されて舞い上がりそうになる。しかしすぐ離され地面に降りた。

「今帰り!?ほのか今さっき家から戻ったとこだよ。」
「ああ、そうじゃないかって言ってた。それで・・」
「お母さんが電話してくれたんだね。先に見つけちゃった!」
「なんで直接帰らないでこんなとこに寄ったんだ?」
「一人で帰るのがやだったんだもん。なっちがいつも送ってくれるでしょ?」
「・・・なんだそれ・・・」

呆れたような顔をされたが、照れているようにも見える。
ほのかはにっこりと微笑んだ。会えたことが嬉しくてしょうがない。
誰に突っ込まれても仕方無い。隠し事は苦手だ。この人と違って。
けれどそんな恥ずかしがりやの夏はほのかの見たかった笑顔を浮かべた。
胸がきゅうと締め付けられた。顔どころか体のあちこちから溢れてくる。
自分の想いなど、とっくに伝わっているのではないのかと思う。
伝わるからこそこうして会いたい気持ちに応えて来てくれたのではないか。
ほのかはそんな風に感じた。都合の良い勘違いかもしれないが、おそらく

「なっち、ほのかが呼んだから来たんじゃない!?」
「・・・さぁな。」
「じゃなきゃどうしてわざわざウチに来たのさ!?」
「・・・気が向いたんだ。」
「それね、ほのかが呼んだからだよ。」
「ふ・・そうか。」
「よしよし。エライぞ、なっち!」
「何様だよ。」
「ほのか様。」
「どうする?帰るなら送ってく。すぐそこだが一人はイヤなんだろ?」
「モチロン送ってもらうけど、まだ早いよ。一緒に遊ぶ。」
「どこで?」
「荷物もあるし、なっちのお家に帰ろう。」
「・・今さっき帰ったって言ってなかったか?」
「いいの。二人で帰ろうよ。」
「荷物なんかどっかで預けてもいいんだぞ?」
「ダメダメ。帰ってから。寄り道しないの。」
「オマエんちは寄り道していいのか?」
「ほのかのところはいいの。」
「・・・勝手なヤツ。」
「そんなことない。ほのか会いたかったんだから。」
「しょうがねぇな、帰るぞ。」
「ウンっ!!」

ほのかは自分のために空けてくれている片腕につかまった。
肩に担いだ荷物をわざわざ掛け直したから間違いないと思う。
庇うように、抱き寄せるように寄り添って歩く。いつものように。
一方的にほのかがしゃべっているけど、気にしないでいい。
嫌がられてはいないからだ。歩調もほのかに合わせてゆっくりになる。
どこを取っても夏の示してくれる気遣いはほのかを幸せな気分にする。
好かれているのは間違いない。だけど・・ほのかは恋をした。
夏は違うかもしれない。それでも優しくされれば嬉しいと感じる。
いつ尋ねようか、ほのかはまたこのところ悩んでいる課題を思う。
いつもの幸せに浸ってこのままでいるべきか、それとも変えるべきなのか。
明日また会えなくなったら機会はまた減ってしまう。悩みは続く。
ならば今すぐにでも告げるべきだろうか。けれど失うのも正直怖い。
公園を過ぎしばらくしてふと足を止めたほのかに夏が振り向いた。

「・・どうした?」
「なっち、ほのかね・・」
「?」

背の高い夏を、ほのかは空を見上げるように上を向いて捉える。
すると夏は近づいてくれる。少し屈んでほのかの方へと顔を向けるのだ。
ぎゅっと夏の上着を掴んだ。逃げないよう抑えるかのように。
何でも言ってしまうほのかなのにやはり緊張で顔まで強張っている。
深呼吸しようと息を多めに吸い込むと、夏は不思議そうな顔をした。
息をした後、再び夏の方を向いて顔を上げた。すると夏と視線ががつっと合った。
ぎょっとしてほのかは数センチ後退した。顔がやけに近い気がしたのだ。
急に体中が熱くなって、ほのかは言うべき言葉を忘れてしまった。
ほのかの言葉を待っていたが、どうも様子がおかしいと夏は思った。
それで先回りではないが、自分も告げたかったことを話すことにした。

「・・ちょっと先にいいか?オマエに呼ばれたんじゃなくてな・・」
「えっ・・!?・・今日のこと?」
「・・顔が見たくなったんだよ、オレが。」
「!?」

ほのかの至近距離で夏はそう告げると、ふっと視線を外した。
顰め面はどうやら照れている。赤みを増した顔がそれを裏付けた。
ほのかはもしや告げんとする言葉さえも、知られているのかと思った。
違うのだろうか。どうしてこうも体と心が浮き上がってしまっているのか。
あと、何と言うのだったか。思い出せ、思い出して言うのだ。
必死なほのかの声は上ずって妙に掠れた。

「あの・・あの・・すき・・・・だってちゃんと・・わかってる?!」

夏は顔を横に向けたまま目を見開いた。ゆっくりと顔をほのかへ向ける。

「こい・・したの。ほのか・・だから・会いたくて呼んだんだよ・・」
「・・なら、オレも呼んだんだ。聞えたのか?」
「ほのか急いで会いに行った!息が切れるほど走ったんだよ!?」
「入れ違ったな、けど・・」
「会えたね!?よかったね!なっち。」

夏は頬を染めたままそれを隠しもせずに微笑んだ。眩暈がほのかを襲ったが
幸い体は夏がしっかりと支えていたのでよろけることもなかった。
街は住宅が静かに佇んでいて、人通りはなかった。その路の真ん中。
夏とほのかは公園と同じように抱き合っていた。近所の誰かが見たかもしれない。
時間にすればそれほど長くないが、二人が互いの気持ちを確かめるには永い間。
ようやく二人が離れたとき、そこが路上だと思い出して一緒に赤面した。

「だっ誰もいなくてよかったね・・?」
「そうだな。こんなとこで・・なにやってんだ;」
「いいじゃない。大事なことだもん。」
「生意気な。帰ったら続きだ。」
「え!?続きってなに!?ねぇっ!」

夏は帰り道ほのかに散々聞かれたが、とうとう帰宅するまで口を割らなかった。
ほのかは答えてくれなくても一緒に一つ処に帰ることが嬉しくて堪らなかった。
歩き出したのだ、扉の向こうへ。旅するのはもう何も怖くない。そう思った。







公園では少なくとも数人に目撃されてますね。(^^;