「ワルツ」 


足が宙を踏んで定まらない。まるで踊っているよう。
ひらひらとスカートが舞う。広がるのは浮かんだ心。
抑えないと飛んでいってしまうんじゃないだろうか。
ああ、だから手を伸ばし、二人の体を支えあうのだ。


「ほのか」
「はぁい」
「・・んっとにじっとしてないよな、オマエ。」
「そんなことないよ?あっ見てみて、あそこ!」
「ちっ・・ちょっとは見てろってんだ・・・」
「え?何を見るの?」
「うるせぇ。足元見てないと躓くぞ。」
「手を繋いでるから大丈夫だよ。」
「・・・フン」


夏は周囲よりもほのかにばかり目がいってしまい、自分に舌打した。
そんな自分とは正反対にいつも通りにはしゃぐほのかが少し忌々しい。
どうしてそんなに変わらないんだと夏の視線は益々ほのかに熱く注がれた。
元々フラフラと行動するほのかの手をしっかりと握り締めながら。
さっき言いかけてやめたのは、ほのかのそんな行動のせいだった。

”どうしてオレのことを見ないんだ?”
”こんなに・・オレは目を離せないでいるのに”

”やだなぁ・・なっちの方が見れないよ”
”じっと見すぎだよ。思い出してしまうじゃないか”

ほのかはというと、実際に夏の視線から逃れるようにしていたのだ。
昨夜のことが彷彿とされてしまって、どうしても顔が熱くなってしまう。
なんてことのない一日なのに、昨日の夜全てが変わってしまった気がした。
なのに世の中は相変わらずなようで、やっぱり輝いているようでもあり、
ほのかは不思議な感覚に揺られていた。落ち着かなくてそわそわしている。

「疲れないか?まだなのかよ、そこ・・」
「あっきっとあそこだよ!見つけた〜!」

手を引っ張るようにしてほのかが走り出すと夏は転ばないかとヒヤヒヤした。
いつでも支えることはできるが、あの柔らかい体に触れたら正気を保てるか気掛かりだった。
壊れやしないか、傷つけやしないかと心労で一睡もできなかった昨日の夜。
まだ早かったんじゃないのか、いやでもほのかも待っていたと言った・・・
まるきり普通に見えるほのかに、あれは夢だったんじゃないかとふと不安が過ぎる。
オレのいつもの妄想の産物だったとしたらあんまりだ。イヤ違う、昨夜のことは現実だ。
夏は何度も浮かぶ心配を頭をゆすって振りほどこうとした。忘れようのない夜だった。
あんまり必死すぎてかっこ悪かったかもしれない。年上の威厳なぞ欠片もなかった。
まさかと思うが愛想を尽かされた・・・?・・・そ、そんな女じゃない。しっかりしろ夏。

目的地はほのかの行ってみたい店の一つ。外国と感じさせない余裕の表情。
言葉なら夏は話せるが、ほのかははっきりいって片言の外国人そのものだ。
初めて来たというのに少しも不安さがないことに夏は改めて感心させられた。

「なっち、これなんて読むの?」
「これは酒だ!他にしろ。って、オマエ何が飲みたいんだ?注文ならオレがする。」
「え〜・・だって”マドモアゼル”って注文を聞かれるとき言われたいじゃない。」
「ったく・・わかった。わかったから何か言え、教えるから。」
「は〜いvえとね、クロワッサンとカフェオレー!」
「めちゃめちゃスタンダードだな・・そんくらいなら自分で言えよ!通じるだろ。」
「うぃ〜v」
「伸ばすな、それじゃ酔っ払いみたいだ。」
「へへ・・」

ほのかの笑顔はパリの曇った空の下でも変わらずに明るく耀いていて、夏を安堵させた。
到着したのは一昨日。仕事だったはずの旅だがすっかりプライベートになってしまった。
ほのかがついてくると言い出したためだ。婚約はしていたが反対されてひと悶着あった。
反対したのは父親と兄である兼一だ。一人でも行くと突っぱねてとうとう二人が折れた。
一人で外国に送り出すのが心配過ぎたからかもしれない。ともかく夏も立場に困ったのだ。
少し長くなるかもしれないので一緒に行けるなら行きたいと正直に伝えたりもした。
それはともかく”初めての夜”をここでと言い出したことの方が夏にとって動揺が烈しかった。
情けないがびびったのは夏で、ほのかは全く迷いも焦りもなく、ただただ”そうしたい”
と、それだけを夏に訴えた。異議を唱えることができなかった。惚れて護り続けると誓った相手に。


「今朝ハガキ出したの。日本に届くのっていつ?明日!?」
「明日はムリだろ!?まぁ帰るまでには届いてるんじゃねぇか?」
「お父さんとお母さんにお土産買うよ!あとお兄ちゃんと美羽にも。」
「・・ああ。」
「なんか元気ないなぁ・・眠れなかったから?ほのかのせい?」
「何言ってんだ。オマエこそあんま・・寝れなかっただろ・・」
「ほのか結構寝たよ。」
「平気なのか?ホントに。」
「何べん聞くの。平気だったら!」
「・・オマエちっともオレのこと見ないじゃないか。今朝から・・」
「えっ!?そんなことないよ。今だって話してるじゃない!」
「・・・そんなに・・つらかったのかと・・思うじゃねえか・・・」
「やーだぁ・・!まぁ思ってたよりは辛かったけどね?」
「無理するなって言ってんのに。」
「してない。すごーくうれしかった。なっちもそう思ってくれてないと怒る!」
「オレは何度も言った。ウソじゃない。」
「ウン・・わかってるよ。ほのかだって・・だからさぁ・・そんなに見ないで。」
「見るなだと!?」
「今朝からずっと・・見すぎでしょ、ほのかのこと。」
「それこそ無理言うな。」
「恥ずかしいよ、もお・・」
「しょうがねぇだろ!」
「どこにテレやさんを置いてきたの?日本限定だったの!?」
「別にそういうわけじゃねぇ。オレだって嬉しくてその・・舞い上がってて悪いか。」
「ウウン、悪くないよ。ほのかなんて足がふわふわ地に着かないもんね。」
「・・・オマエもか。」
「なっちもなの!?あははっ!おっかしい。」
「いくらでも笑えよ。」
「えっと・・なんていうんだっけ?そうだ、ジュ・テー・・」

ほのかの言葉は途中で途切れ、夏の唇越しに飲み込まれた。
こんな街中で、しかも夏から触れてくることが意外でほのかは目を丸くした。
浮かれているのだ、二人して。それが感じられると一層風船にでもなったような気がする。

「オマエの発音は酷すぎる。その台詞はやめてくれ。」
「えぇ〜!?じゃあアイラブゆー!?つまんない。あっイタリア語なら・・」

ほのかは結局発音させてもらえなかった。しかし少しも機嫌を悪くすることもなかった。
忘れた頃にやってきた注文の品をすすって、二人はオープンカフェを後にした。

「手を繋いでてね。」
「当然だ。気が気じゃない。」
「ほのか飛んでっちゃいそう?!」
「マジで飛んでくな!危ないから。車だって日本と違って無茶な運転が多いんだぞ。」
「そうかぁ・・けど石畳がちょっと歩きにくいから走らないし・・って!馬!!」
「へ?ああ・・警備の・・珍しくないからそんなに慌てるな!ほのかっ!!」

市警の巡回が馬に乗って行われているのを見つけたほのかが文字通り飛び出しそうになり、
夏に掴ってお説教だ。日本であろうが、そんなやり取りに変わりない。いつもの二人だ。
けれどすぐに笑顔になるほのかに、夏はお手上げで。可愛くて仕方ないといった視線を注ぐ。
いつもと逆にほのかがそれに照れる、というのがここにきて一番の違いかもしれなかった。

「なっちってば相変わらずなんだから。怒りんぼ。」
「飛び出すなと言ったそばからあれだ!いい加減にしろ。」
「べーだ!そんなに怒るんだったらフランス語で愛してるって叫んでやるから。」
「やめろ!そんなことしたら即日本に戻るぞ。強制送還だからな。」
「ちぇ〜・・固いんだから。パリにいるときくらいもっと甘やかしてよ。」
「これ以上甘やかせだとう〜!?」
「ふふ・・だってもっともっと浮かれたいんだもん。」
「飛んでいきそうだとか言ってたのに、これ以上か?」
「・・そしたら・・なっちがほのかを掴まえてくれるでしょ?もっとぎゅ〜って。」
「・・心配しなくても。いつでもそうしてやる。」

ほのかの耳元に「今夜覚悟しとけ。」と小声で呟かれると真っ赤に染まる頬を膨らませた。
悔し紛れにほのかは夏の腕に齧りつく真似をして「返り討ちにしてやるんだから。」と言った。

「負けず嫌いめ。」
「お互い様。」
「あっねぇねぇ、あれってなぁに!?可愛いー!!」
「またかよ!どれだ・・?」

ほのかが軽い足取りで街中を彷徨うとひらひらとスカートが風に舞った。
その裾を気にするのは本人でなく夏の方で。慌てて周囲を見回したりする。
パリの街を手を繋いでそんな風に歩くと、まるで踊っているかのように見えた。
街のどこからか音楽が聞こえる。ストリートミュージックはここでは珍しくない。
美味しそうな食べ物や、音楽家や、路上で絵を売るギャラリーにパフォーマンス。

「コスプレだー!さすがパリだね、オタクの街。」
「オマエもあちこちきょろきょろし過ぎだろ!?」
「だって楽しいんだもの。なっちだってそうでしょ?」
「ああ・・けどオマエの横にいたらどこだって似たようなもんだ。」
「えっそんなに楽しいの!?嬉しいこと言ってくれるじゃないか、たまには。」
「え?・・嬉しい?!そうか?グチっただけなんだが・・」
「なんだとー!?」
「あ、いや!楽しい。楽しいとも!」
「むー・・・」
「あっあそこにアイス売ってるぞ!食うか?」
「・・・食べさせてくれるなら食べる。」
「なに〜!?」


楽しそうな二人にミュージシャンもサービスのつもりかロマンチックなメロディ。
それを耳にしてほのかが提案したのは・・・

「そうだ!踊ろう。ワルツなら教わったことある。」
「は!?ここでか!なんでいきなりそんなことすんだよ、アホか!」
「いいじゃない。ステキな音楽演奏してくれてるし。ねっなっち。」
「んな・・目立つし・・」
「いいから、いいから。」

恥ずかしがり途惑う夏の手を取ってほのかがひらりひらりと踊り始める。
するとヤケになったのか夏は諦めの溜息を一つ吐くと、リードし始めた。
アコーディオンの奏者はほのかにウインクを送り、夏が睨む場面もあったが、
我もと参加するパリの若者も現われて、広場には踊りの輪ができてしまった。


「ほーら、皆踊りたかったんだよ、きっと。」
「踊りたかったのはオマエだろ?まぁいいけど。」
「そういう夏さんだってノリノリじゃないですか。」
「可愛い恋人の命令には逆らえないだろ。」
「わーvうふふふ・・・ほのか恋人ー!なっちとらぶらぶ〜!」
「ばぁか・・」

その日一日見つめてばかりいた夏が初めてほのかから目を反らした。
けれど頬は赤く染まっていて、それはほのかがそうさせているとわかる。
ときめきを抑えきれない、そんなほのかに負けず夏も幸せに満ちた表情だった。

「マドモアゼル!次はワタシと踊ってクダサイ!」

途中でそんな輩が現われてワルツは中断された。今度は夏がほのかを引っ張った。

「冗談じゃねぇ!もう帰るぞ!!」
「え〜!?お土産買うんじゃなかったのー?」
「そんなもんいつでもいい。それよりちょっとはオレのこと見たらどうなんだ。」
「今頃なに蒸し返してんの?心が狭いよ?なっち。」
「うるせぇ!オマエはもう少しオレのことだけ考えたってバチは当たらないってんだ。」
「ぷははは・・考えてるよう!なっちったらおかしい〜!!」
「フンッ!!」

少しいつもらしくなったね、と言われて夏は歩く速度を緩めた。まだ音楽が聞こえている。
立ち止まった夏はほのかの耳元に綺麗な発音のフランス語で”愛してる”と囁いた。
自分の発音に自信のなかったほのかは日本語のまま伝えることにして背伸びをした。

「ずうっと好き。独り占めしててね。」と頬に口付けた。

そのせいで夏がほのかを連れてそのまま宿泊先のホテルに直行したなんてことは・・
そこがたまたま外国だったためか、誰にも知られずに済んだようだった。







ちょっと外国でいちゃいちゃしてもらいました。
どうでもいいけどお土産ちゃんと買ったか心配。