「別れのキス」 


「キスして、なっつん・・お別れに」

藪から棒な台詞に呆然とした。今”お別れ”っつったか?
断じて男女の間柄でない相手からそんな台詞が出ると誰が予想できる?
なのに目の前で大きな瞳を苦痛に歪め、涙を堪えているのは・・誰だよ?
芝居にしては素人の域ではない。オレの頭は疑問符だらけだ。
兎に角事態が飲み込めずにしばし呆然としてしまった。


「お・お別れってなんだよ?・・どうしたんだいきなり・・」

なんとか声が出て、驚きすぎた自分が少しみっともないと感じた。
ほのかは涙を落とすまいと唇を噛締めたため、満足な答えはできない。
それ以上は耐えられないといった風に踵を返すと、顔を背けて逃げ出そうとした。
引き止めるのは簡単だ。いくら全力で逃げたところでオレの前では。
しばし逡巡はあった。誤解だろうがなんだろうが放っておくという選択もある。
このまま二度と逢わないと本人が決意したというなら、それは本望だったはず。
オレとの関わりで傷つけたこともある。巻き込みたくないから遠ざけたかった。
しかしほのかの涙の訳が知りたくて、そんなことは最早どうでもよくなった。
あっさりとオレの手に腕を捕まれるとほのかは怒ってオレの腕を噛みやがった。

「つっ!」
「やっ!なっつんのバカ!!」

手荒にするつもりはなかったが、覚えの無いことで責められてむかついた。
だからいつもより乱暴にオレに向き直らせた。涙はもう洪水といったところだ。

「何を一人で腹立てて泣いてんだ?ちゃんと説明しろ。訳がわからん!」
「なっつんの浮気者っ!キライっ!」

「・・・浮気だぁ・・?」

むかついた。身の潔白だどうこうより、オレとほのかはそんな関係でもなんでもない。
”何がお別れのキスだよ””したこともないくせに”悪態はそのまま口には出さなかった。
ほんの少し前までまるで子供だったくせに、何をいきなり”女”になってんだ、断りもなく。
自分が何に腹を立てているのか漠然としていたが、確かにオレはとてつもなく気分が悪かった。
無邪気に”なっつんは友達”とか”なんでも言うこときいて便利”とか言ってたのは誰だ。
人の腕や身体に無防備に引っ付いて、”好き”とか”お嫁さんにして”とか言ってたのは。
冷静さを欠いていたのは認める。ほのかに負けない唐突さで強引にほのかに口付けた。

「これでいいのか?!”お別れのキス”ってのは!」

思いやりの欠片もないキスをして、掴んでいた腕ごとその小さな身体を突き放す。
傷つけたくなかったはずの自分のとった行動に内心で呆れても、もうそれは遅かった。
頬を殴るよりキツかったかもしれない。ほのかは大きく眼を見張ったまま固まっていた。
今度こそオレのせいで歪むほのかの顔を見ていたくなくて、卑怯にも背を向けた。
背中を指すような痛みが走る。ほのかが睨んでいるのかもしれないと思った。

「なっつん・・誰にでもするの?こんなの・・」

聞えてきた言葉は不思議なほど平静で怒りも途惑いすらなかったのが意外だった。
おそるおそる顔だけ振り向くと、ほのかは泣き止んでオレをじっと見つめていた。

「・・・こんなことしたの初めてだよ。」

オレの告白にほのかの大きな眼が更に見開かれた。そんなに驚くことだろうか。

「どっちがホント!?したことあるんじゃ・・」
「誰に聞いたんだよ。ねぇよ、そんなことしてるほど暇に生きてない。」
「・・ほのかとは遊んでくれたりするじゃない・・・」
「だっ・だからオマエにだって迷惑だといつも言ってきただろ!?」
「・・・でもお兄ちゃんはウソ吐いたりしないもの・・」
「兼一が言ったのか?オレが誰彼構わずそういうことしてるって?!」
「そうじゃなくて・・お友達と話してるのを聞いたの。なっつんに好きなひとができたことと・・」
「はぁ・・?!」
「そっそのひとと・・・キスしてるの見たんだって・・」
「・・・本人に直接言われたんじゃないんだな?」
「う、うん・・びっくりして・・・逃げてきちゃった・・」

「・・・なんでそのことを確かめなかったんだ、兄キはもとよりこのオレに!」
「お兄ちゃんが出鱈目なこと言うわけないもん。だからホントなんだ・・って思って・・」
「・・・・それ・・もしかしたら先週オマエんちでのこと言ってんじゃねーのか。」
「先週?・・ほのかのお見舞いに来てくれたとき?」
「あんとき兼一も心配してオマエのとこに来ただろ。」
「うん・・・でもほのかそのとき寝てたから顔見てないんだ。お母さんがそう言ってた。」
「・・あー・・・その・・・なら・・多分・・それだ・・・」
「それって?わかんない・・」
「や・その・・額だし、ちょっと触れた程度だし・・お、怒るなよ、オレがオマエにしたんだよ・・」
「寝てるほのかに?」
「わ・悪かった。そんでそんとき見舞いに来た兼一に・・見られたんだよ。」
「でも・・”好きなひと”っていうのは?それは違うんじゃ・・・」
「事実誰ともそんなことした覚えないからそれしかないだろ。おっオマエのことなら・・」
「?」
「見られた兼一にあれこれ聞かれて・・・”キライじゃない”って言った。」
「・・・・ほのか勘違いしたの・・?」
「そうだろ。・・そもそもなんで”お別れ”なんだよ、まだ付き合ってもないってのに。」
「・・・前にお嫁にしてくれるって言ったじゃん!」
「そりゃもっと先の話だ。今現在そんなんじゃないだろ、オレたちは。」
「そうなの?」
「そう・・だろ?」
「そうだったのか・・」
「オマエな・・・」

ほのかがぱっと顔を輝かせてオレに突進してきた。なんだその嬉しそうな顔!?

「なっつん!ごめんねっ!!」
「チャラにしろよ、その・・寝顔にしたヤツと・・」
「ウン。あ、でも大変だよ、なっつん!」
「まだなんかあるのか?!」
「さっき”お別れのキス”しちゃった!」
「あ?・・あ、あぁ・・そ、そうだな・・・;」
「どうしよう、なっつん」
「どうって・・・悪かったな、あんな・・」
「ウウン、びっくりしてよく覚えてないからいい。」
「あ・・そ・・」
「それより”お別れ”したくないよ!」
「・・・さっきのは『妹みたいな』のに”お別れ”ってことにするか・・?」
「!?わぁっなっつんて頭イイ!!」
「いいのかよ・・意味わかってるか?」
「えっと・・・今までとどこが違うの?」
「そ、それは・・・まぁ・・・追々・・」
「よくわかんないけど、いいよ!」
「わかんないのにいいのか・・・」
「なっつんとならなんだってアリだよ!」
「・・・そーですか・・・」

色々墓穴を掘った。隠していたことを自ら暴いたっていうか・・・とにかく疲れて力が抜けた。
脱力感にへたっているオレに、ほのかは構わず纏わりついて宥めるように額にキスをした。

「へへ・・お返し。寝てるときより起きてるときがいいからね、ほのかは。」
「・・・・・」

寝ているときの前科はまだ他にもあったのだが、黙っていた。お返しが怖くて。
こんなに急に解禁になったら、誰だって戸惑うだろう?・・オレはそうなんだよ。
どうしてこう負けたような気分なんだ。敗北感に似たこれは・・きっと安心感。

「あっそうだ、もう『お別れ』のキスはいらないよ!絶対もらわないから。」
「どうせしないからな、もう・・」

気の抜けた声で呟いたのに喜ばれて首が締められた。
人が聞いたら笑いそうな言葉をなんなく受け止めてほのかは笑う。
ちゃんとわかってるんだろうかとオレは疑いの眼差しを向けてみた。
するとほのかはそれがわかったとでもいうように頷いた。

「心配しないでいいよ!もう諦めたりしないから、絶対。」

その言葉でようやくオレはあれほど腹が立った理由を理解した。
オマエがオレから離れるなんてアリエナイとずっと思い込んでいたんだ。
心の底ではオレもオマエを離すつもりなどなかった。そんな想いを閉じ込めたまま
腹を立てたりして悪かった。何も伝えようとしなかったのにな。だからそんな甘えたオレとはお別れだ。
そんな決意を込めて、もう一度ほのかにキスをした。








心惹かれる「お題」に出逢ってしまいました。
これはその第一弾でした。夏ほのでありますv