「海のメロディ」 


「なっつんって人魚姫だったの!?」

私の問いかけに”また妙なことを言ってきた”という表情が浮かんだ。
答えもせず、ふっと溜息だけ零すと自分の読んでいた本に視線を戻した。

「ねぇねぇ、聞いてる!?なっつんが人魚姫だったんだってば。」
「・・そいつは初耳だな・・」
「あのね、ほのかが海で溺れてね、助けてくれたんだよ!?」
「オマエな、一々夢の報告なんぞする必要ねぇんだぞ?」
「黙ってたらますます人魚姫みたいだよ?泡になって消えないでね、なっつん。」
「それは童話かなんかだったか?オレはよく知らんが、勝手に人を殺すなよ。」
「ほのかは間抜けな王子様みたいに間違えたりしないと思うけどさ。」
「はぁ・・思い出した。その間抜けがオマエでオレが人魚・・・へ〜え?」
「なんか心配でさ、今日飛んできたんだよ、ほのか!」
「だから勝手にオマエの夢のせいで殺すなっての・・」

私がなっつんに飛びついてぎゅってしたら、ものすごく怒られた。
引き剥がされて、座らされて、なんで怒られてるんだろうか・・?!

「いきなり抱きつくなといつも言ってるだろうが!覚えろ、いい加減に!」
「だって・・・どうしてダメなのさぁ!?」
「そういうことすると泡になって消えるぞ!」
「えっ!?ヤダッ!!ごめんなさい!しないから消えないで!」
「ふぅ・・・よし。言うこと聞くなら消えないから安心しろ。」
「・・やっぱり人魚姫だったのか・・」
「こだわるな、オマエ・・それにしても”姫”は余分だろ、オレは男だぞ。」
「そうだけど・・くすん、ホントにどこにもいかないでね・・?」
「なっ・・泣くほどのことかよ?夢だろ、それ。海連れて行かないぞ!」
「夢のせいで怖くなってきちゃったよ、海行くの。」
「溺れないように見といてやるから。それにオレは人魚じゃねぇ。」
「ウン・・そうだよね!?すんごく嫌な夢だったけど、夢だもんね!」
「・・・・」

なっつんは心配そうだったから元気を出して見せた。そうだよ、夢なんだから。
夏休みに海に連れて行ってくれる約束が嬉しくて毎晩そのことを考えていたんだ。
だからあんな夢をみたのかな?溺れたことより海の中を消えていくなっつんが怖かった。


忙しいって理由でお泊りがないのが残念だったけれど、その日はとっても良い天気だった。
なっつんのおかげで他には誰もいない白い砂浜。私ははしゃいで怖い夢のことも忘れていた。

「綺麗な砂だね〜!ここもなっつんの持ってる土地なんだあ!」
「まぁな。それより足熱くないのか?靴脱いじまって・・」
「ウン、大丈夫。ねぇ、もう泳いでいい?」
「泳ぐって・・着替えないとダメだろ?あっちだぞ、別荘・・って!?おいっ!!」
「じゃーん!お着替え完了。ちゃんと水着は下に着てるに決まってるじょ!」
「いっいきなり人前で脱ぐなっ!ったく・・・」

あれこれうるさいなっつんに言われて足や手を動かした後、海に足を浸すと結構冷たい。

「おや、意外と冷たい・・」
「着替えてくるから浜で待ってろ。勝手に一人で海に入るなよ!」
「わかった。・・なっつん着てきてないの?ダメじゃないか。」
「うるせぇ・・暑いだろうが。」

言われた通り、足だけを水に浸してなっつんを待った。すると足元に小さな魚が過った。
透明な水はまるで外国の海みたいだなと思った。おまけに綺麗な色の魚がいるなんて。
嬉しくなって、つい海に身体を浸して中を眺めてみた。透明度が高くて見渡すことができた。

”わあっ・・キレイ・・・!”

浸してしまえば、冷たさはほとんど感じない。快適な気分で私は泳ぎだした。
そんなに遠くへ行くつもりはなくて、近くで少しだけ、そう思っていた。
泳いでいるとさっきと同じ魚を見つけた。それで息をたくさん吸い込んでその魚を追ってみた。
水深はそれほど無いと思って潜ったのだ。ところがすぐにがくんと足場を失い、私は慌てた。
何かが足に絡んでいて、それで余計に慌ててしまった。海草だったのかもしれない。
慌ててしまった私は息が苦しくなって・・・


”あれ・・?これ夢!?あ、あの夢みたいだ。なっつんが・・見えるよ?”

夢だとなっつんはいつもの顔で私をすいっと引き上げてくれたけれど、現実は違った。
ちょっと意識が遠のいていたのか、はっと我に返るとなっつんが怖い顔で怒鳴る姿が見えた。

「この馬鹿っ!なんで待ってろと言ったのに勝手に泳いだ!?」
「・・っごほっ・・・ご・ごめ・・けほっ!」

咽て咳をしたら、少し水を飲んでいたらしくて吐いた。背中をさすってもらってやっと人心地がした。

「・・ごめんなさい・・お魚がいた・・から・・追っかけちゃって・・」
「もう連れて来ないぞ!オマエは・・ホントに・・どうして・・」
「なっつん」

なっつんの顔が泣きそうにゆがんだかと思うと、抱き寄せられた。
もしかしたら泣いていたのかもしれない。私は罪悪感で手が震えてしまった。

「ご・ごめんなさい。なっつん、ごめん・・」

ぼろぼろと涙が溢れてきて零れた。自分がとてつもない馬鹿だと思えて情けなかった。
おいおいと泣き出した私に気付いて、なっつんがゆっくりと腕を解いて私を見た。

「・・もういいから泣くな。」
「うえええん・・・ごめんなさい〜!」

小さな子供みたいに泣く私を、なっつんも困ったんだろう、もう一度抱きしめてくれた。
なんだかそれで少しずつ気持ちが落ち着いてゆくのがわかった。なっつんの腕は優しかった。
私はいつもなら怒られるだろうけど、今なら許される気がして両腕に力を込めて抱き返した。
どれくらい抱き合っていたんだろう、よくわからないけれど落ち着いた頃なっつんが言った。

「・・もう離せ・・落ち着いたんだろ?」
「・・せっかく怒らないでくれてるのに?」
「怒らないから、離してくれ・・」

お願いされて仕方なく腕を解いた。なっつんはどうしてかこの頃引っ付かせてくれない。
私の顔にはきっと”寂しい”と書いてあったんだろう。なっつんが困った顔で少し笑った。
その笑い顔を見たら、なんだか悲しくなってしまった。

「なっつん、ほのかを抱っこするの嫌になっちゃった?」
「・・そ・そうじゃな・・」
「でも・・さっきはしてくれて嬉しかった。」
「ほのか悪い子だったのに嬉しがってちゃダメだよね。」
「・・・・」
「なっつんは人魚なんかじゃなかった。もっとずっと優しかったよ。」

私は取り止めがないようなことを言ってたのかもしれない。ただほっとして思うままに。
怒らずに聞いてくれたから、私が笑ってお礼を言うとなっつんはまた困った顔をした。

「・・寒くないか?ちょっと風が出てきたし・・」
「ウン、寒くないよ。・・今日はもう泳いじゃダメ?」
「・・・怖くないのか?」
「今はなっつんがいるもの。もう一人では泳がないからね。」
「っ・・あぁ、今日はその・・できれば掴んでおきたいくらいだ。」
「心配掛けてごめんね・・どこでも掴んでていいよ。」
「それじゃ泳げないだろ、いいぞ、泳ぐんなら見ててやる。」
「なっつんも泳ごうよ。」
「オマエ見てるのに忙しいからいい。」
「そんなに心配なんだ・・・」
「ああもうそんな顔するな。そうじゃない、そうじゃないから。」
「・・じゃあどうして?」
「いいから。時間がもったいない。陽が傾いたら帰るぞ。」

なっつんは私が泳いでいる間ほんとにずっと見ていた。今度は私が困るくらいに。
だからとうとう傍に行って、手を引いてみた。「一緒に泳ごう?」と誘って。
手を繋いでくれた。少し潜ってあのお魚だよ、と手振りで伝えたりして楽しかった。
水の中にいるなっつんはあの夢の人魚とおんなじで、綺麗だなと思ったりした。
二人で水面に出て空を仰ぐとキラキラとして眩しい。外でも綺麗だとわかって笑った。
砂浜に上がっても、手は繋いだままだった。

「なっつん、ありがとう。楽しかった!」
「監視付きでか?」
「ウン。一緒に泳いだのが楽しかったの。」
「・・・・へえ・・」
「あ、一つ計画が叶わなかったよ。」
「計画?」
「溺れたフリして、なっつんに人工呼吸してもらおうと思ってたのに。」
「はあっ!?何考えてんだオマエ!」
「あはは・・冗談だよ。うけなかったか!」
「・・残念だったな。けど冗談でも溺れる真似とかするな、心臓が止まる。」
「あ・ウン・・もうしないよ。」
「約束しろ。一人で勝手に泳がないってことも。」
「約束する。絶対護るからね!」
「よし。ならまた連れてきてやる。」
「ホント!?やったあっ!!ありがとう、なっつん。」

嬉しさでまた腕に引っ付いてしまって、しまった!と思った。
けれど、怒ったかな?とそおっと見上げた顔にはそんな雰囲気もなかった。
その顔にぼんやりと見惚れていると、頭にぽんと手を置いて撫でられた。
許してもらえたみたいで、へへっと笑った。

「なっつん、だいすき。」
「・・・・・」

長いこと、なっつんは黙っていた。
私は特に返事を期待して言ったのではなかった。
だから・・・驚いた。

「なら、傍に居ろよ。泡になったりするのは許さないからな。」
「え?・・ウン、ならないよ、ほのか人魚じゃないもの。」
「オレだってそうだ。このバカ・・・ちっとは自覚しろ。」
「えっ?何を?!」

なっつんは答えてはくれなかった。夢を見てるのかな?一瞬そう思った。
ほのかの唇にちょんと触れたのは、間違いじゃない、なっつんの唇だよね。
ぽかんとしているとおでこをつんと押されてしまった。

「どっか行っちまわないかって心配してるのはオマエだけじゃないんだ。」
「なっつん・・」
「だからもう止めだ。傍に居るって約束するなら、オレはどこへも行かない。」
「・・ウン・・・ウン!」
「よし。」

思い切り顔を下へと肯いて、しがみついた腕をもっと強く引き寄せた。
そしたら笑ってくれた。今度は困っていない、とても優しい顔をして。
それを見て覚束なくなる足元、苦しくなる呼吸。なんだか溺れてしまったみたいだった。
ここはやっぱり海の中じゃない。だからこれはホントのことなんだよね?

「・・なんだか・・ほのか溺れたみたいなの!どうしよう!?」

ちょっと目を丸くした後、なっつんは「じゃあ人工呼吸か?」と悪戯っぽく言った。

目を閉じると、海の中みたい。身体がふわふわと漂って。
何かが聞こえる。なんだろう・・?ああ、そうか。胸のどきどきがまるでメロディ。
もう怖い夢は見ないんだ。そう思うと、海から香る潮風が優しく頬を撫でていった。