「通過点」 


曖昧な関係のまま傍にいた時間は大層長かった。
意識に鍵を掛け、蓋をしていた。と今ならば言える。

ほのかがすとんと自分のパーソナルエリアに入り込んだことを
当初それはほのかのせいだと擦り付けるように決め付けた。
ずうずうしくて軽率で、世間知らずの甘やかされたガキだと刷り込んだ。
男の前でも警戒の欠片もなく、家の中にまで上がりこんで平気な顔で。
そもそもしょっぱなから、多人数のチンピラのケンカに飛び込む無鉄砲さ。
たまたまオレがいたからかすり傷程度で済んだのだ。思い出したくも無い。
こんな天衣無縫ではさぞかし身内は苦労するだろうと他人事のように思った。

まさかその苦労が他人事でなくなるとは予想していなかったのだ。
関わりたくないと強く思った。そしてその予感はとても正しかった。
あっという間だった。篭城する暇さえなく陥落した。ぐうの音も出ずだ。
関わってしまったのはほのかのせいじゃない。振りほどけなかったのはオレだった。

一度赦してしまったらお終いで、ほのかのことを心配する日々が始まった。
ほとんど保護者のノリだったが、窘めたり怒っても無駄だと悟って戦略を変えた。
オセロ勝負ではほぼ負けなしのプライドがほのかにはあったから利用したのだ。
無茶をしないこと、危険を避けること、そんなような当たり前のことを約束させた。
向こうの勝ちが圧倒的だったので、あちこち連れまわされる羽目に陥ったが、
オレが辛勝をもぎ取るときは大抵ほのかの素行に対する注意と命令だった。

「たまにはなっちも自分のことお願いすればいいのに。」とぼやかれたこともある。
「オマエが大人しくしてくれた方がオレのためなんだ。」と返すと何故か照れていた。

思い起こせば微妙な言い回しだ。その頃オレはまだ無自覚だった。
ただよく体を密着させてくるので、柔らかい肌に途惑いはあった。
これもまたどんなに言っても聞かないので意識的にオレが遮断した。
”女じゃない” ”ガキだから” そんな風に思い込もうとした。

いきなり意識の蓋が飛んだのはほのかが約束を反故にしたときだった。
二人で出かけた帰り道、学校の知人に見つかりあしらっている最中、ほのかはオレから離れた。
ふと気付くと横にいたはずのほのかがいない。周囲を慌てて見回した。
すると少し離れた場所で諍いを見つけ、ほのかがそこへ飛び込むのが見えた。
オレは当然追いかけて事なきを得たが、家に帰って怒りをほのかにぶちまけた。

「約束はどうした!?何故あんなところに首突っ込んだんだ!」
「・・女の子が・・助けてって言ってるのが聞こえたら勝手に体が動いたんだよ。」
「相手は数人でどうみても質の良くない男どもなんだぞ!?」
「なっちが居るからやっつけてくれるかと思って・・」
「ならどうしてオレを呼ばなかったんだ。」
「・・なっちはほのかの知らないお友達と仲良くしてたから・・」
「それで!?オレが遅れてたらどうなってたと思うんだ。」
「ホント言うと・・呼ぶこと・・忘れてたの。ごめんなさい・・」

その言葉にぶちきれた。オレのことを忘れて危険に飛び込んだだと!?
怒りに流され、ほのかの両腕を押さえて束ね、その場に押し倒した。
驚いて大きく見開いた眼を睨みつけ、体の自由を全部奪う。
何も抵抗する間を与えなかった。至近距離のほのかに抑えた声音で囁く。

「オマエなんか男は一人であってもどうにでもできるんだぞ。」
「甚振ることも、傷を付けて弄ぶことも、犯すことも、殺すことだってな。」
「ヒーロー気取りが止められないのなら少し痛い目見るか!?」

ほのかが顔を歪めた。小さな声で「ごめん・・なさい・・」と呟いた。
こみ上げて泣き出しそうな顔を間近にして、オレはそれを見ないように抱きしめた。
怪我一つだってさせたくない。オレの眼の前でなんて尚更だ。押し殺した声が漏れた。

「・・もし間に合ってなかったら・・オレは奴らを一人残らず殺してた。」

「もうしない、もう一人で飛び込んだりしないから!」

オレの背中にほのかの両手がしがみついた。「だから泣かないで。」と聞こえた。
涙交じりで、泣いていたのはほのかの方だったが、オレに泣くなと訴え続けた。
耳元に届く涙声にようやく気を鎮められ、力を緩めてほのかを解放しようとした。
しかし涙声は更に大きくなって、ほのかはオレに縋りついたまま離さなかった。
そのとき突然押し付けられていた胸の存在に気付き、驚いて身を少し引いて離した。
ほのかは子供のように泣いていて、脅かしたことも含めて後ろめたさが襲ってきた。
とりあえず体を起こし、あやすように髪を撫でた。

「泣いてない。オレは泣いてなんかないぞ!」
「うっうぅ〜・・ホント・に・・?」
「しっかり見ろ。しがみついてないで。」

なんとか体を離されほっとしたが、抱きしめていた感触はリアルに残った。
落ち着いてきたのか、ほのかは泣き声を次第に顰めていった。

「・・すまん、怖がらせた。」
「ううん・・怖いことなかった。」
「じゃあなんで泣いたんだ・・?」
「なっちが泣きそうだったから・・ほのかが泣かせたって思ったら・・悲しくなって・・」
「そんな・・顔してたか?オレが?」

ほのかがこくんと首を縦に落とした。

「ごめんね、約束だったのに・・ほのかのこと怒ってくれてありがと。」
「ありがとうは無いだろ?!その・・オレもかっとなって・・だな・・」
「ふへへ・・大丈夫だよ。なっちはほのかにヒドイことなんかしないもん。」
「オマエそれ・・オレのこと信用し過ぎじゃねぇ?」
「そんなことないよ。なっち好き。心配掛けたほのかが悪いよ。」
「そ・・」

素直過ぎるほのかに毒気が抜けた。なんだろうこの盲目的な信頼は。
嬉しいのだが、少し寂しい。オレはやはり男のうちに入ってないらしい。
そう思った途端、体が硬直するほど驚いた。突きつけられた現実に。
眼の前で泣き顔を笑顔に変えてオレを見上げるほのかに目を奪われる。

ついさっきまで抱きしめていた感触がリアルに甦る。もう一度抱きしめたい。
何を考えてんだと自分に突っ込むが、”女じゃない”とはどうしても思えなかった。
なんとか沸き起こった気持ちを醒まそうと、体をじりじりと離そうとした。
だがそれに気付いてほのかが咎めた。ごくりと喉の奥が音を鳴らした。

「なにしてんの?・・なっち。」
「い、いや別に・・なんでも・・」
「なくないでしょ?どうして逃げるのさ?!」
「逃げてるわけじゃねぇ!ちょっと近すぎると思ってだな、」
「離れたいってことでしょ、それ。なんでさ!?」
「勢いであんなことされて、オマエも少しは警戒しろよ!」
「あんなことって?」
「ぐ・・オマエさっぱりわかってなかったのか?さっきの・・」
「なっちがぎゅっとしてくれたこと?」
「あーそのー・・;;」
「嬉しかったよ?怖いわけないよ、なっちだもん。」
「オマエなあ!そんなだから、」
「もしかして照れてるの?」
「そうじゃねえっ!!」
「そりゃあなっち以外の人なら怖いよ?考えたくも無いし。」
「!?・・・え?」
「それにさっきのはほのかを心配してくれたからでしょ?違うの?」
「えっと・・それは・・そうなんだが・・」

にこっとまた凶悪なほど可愛い顔をしてほのかは笑った。

「またぎゅってしてくれる?」
「あ、あのな?友達なんだろ、オレは!?普通しないんだぞ、そういうことは。」
「じゃあ友達兼彼女にして。そんならいいでしょ?」
「待て待て、いきなりなんだそれは!オレとオマエが!?なんで急に!」
「ほのかなっちが好きだし、なっちだって・・あれ?言ってもらってなかったっけ?」

不思議そうに目を丸くしたほのかも可愛かった。つまりバレバレだったってことか?
自分では確信したのはついさっきだったせいか、なんだか負けたようで悔しかった。
おいおい、いつから・・・っていうかオレ!!遅すぎるだろ、気付くのが!?
オレがかなりのダメージを受けていることを察したのか、ほのかがオレの頭を撫でた。

「よしよし。どうしたの?元気出しなさい。」
「・・なんでそう年上のような目線なんだ?」
「なっちが可愛いから!」
「押し倒すぞ、このっ!」
「いいけど、何するの?もしや・・えっちなことかね!?」
「はあ・・・もう・・なんか色々どうでもいい・・・」
「ほのかえっちしたことない。なっちまさか・・」
「まさかってなんだよ!?オマエにそんな経験あってたまるか。それくらいわかるぜ。」
「むむ・・まさかなっちは経験”ほうふ”なの・・?!」
「・・・気になるのか?」

ほのかは珍しく心配そうにオレを見上げ、こくこくと頷いて見せた。
その様子に少し気を良くしてしまい、「オマエよりはあるぞ。」と言ってみた。

「うそっ!やだっ!いつ!?誰と!?どこでっ!?」
「そんなこと教える義務はない。」
「!?・・ホントなんだ・・」
「そんなに嫌か?」
「ウン・・結構。」
「オレのこと嫌いになるくらいか?」
「嫌いになんてならないけどさ。」
「そっか。実はたいして経験ない。安心しろ。」
「・・・なにかね、ほのかをからかったのかい!?それとも見栄張ったの!?」
「そうだな、そうとも言えるな。」
「何開き直ってるんだねーっ!!」

ほのかが怒ってオレの背中を叩く。困ったぞとオレは内心を押し隠して思った。
そうと気付いたら、疚しい心当たりが次々と思い出されたからだ。
それに何と言っても今まさに危機的状況だ。未だ抱きしめたい気が治まってない。
抱きしめて、それで離せるかどうか、キスしてしまいたいがいきなりはマズイかと
様々な疑問が湧いてくる。やはり冷静に考えていきなりはいかんだろうと結論を下す。

「もうほのか以外とえっちなことしないと約束して!じゃないと何もさせたげないよっ!」
「へえ・・オマエならいいんだ。」
「う!?も、もちろんさぁ〜!」
「語尾が消えかけてたぞ。」
「あの・・ちょっとずつにしてね?」
「ぷっ・・」
「なんで笑うの!?」
「すまっ・・」
「失礼だなあ!?」
「そうだな、キスくらいで・・我慢しておく。」
「っ!!??」

ほのかがぴょんと飛び跳ねた。顔が真っ赤になって面白い。
慌てている真っ赤な顔を片手で引き寄せるとぎゅっと目を瞑った。
凄まじい可愛さだな、と思いながらそうっとほのかの額に口付けた。
ふっと離すとほのかがゆっくり目を開き、おでこをゆるく押さえた。

「・・ものすごくドキドキするもんだね!?」
「だな。オレもこんなの初めてだ。」
「そうなの?」
「ああ。額でがっかりしたか?」
「え、しないよ。」
「ほっとした顔してたぞ。」
「そお!?」
「うん。」
「なっちは?がっかりした?」
「オレ?いいや。」
「そっか。よかった。」

どうして今まで蓋をしていられたんだろう、そう思わずにいられない。
顔を出してしまったらもう止められない。この女を独り占めにしたい。

「なんだかオマエにいい様にされそうな気がする。」
「どういう意味?ほのかを悪女みたいに言わないでよ。」
「お手柔らかに頼むってんだよ。」
「どうすればいいの?」
「約束は守れよ?それと誘惑はほどほどにしてくれ。」
「誘惑って・・ほのかそんなことしてない。」
「そうか無自覚なんだよな。・・どう言やいいかな・・」
「誘惑されたらなっち困るの?」
「困る。でもってそうなるとオマエも困るわけだ。」
「二人ともならいいんじゃないの?困っても。」
「う・・オマエ・・」
「ん?」
「いや、なんでもない。」

言うだけ無駄だった。コイツに口先だけでは通じないし天然の台詞に叶わない。
ずっと誘惑に耐えてきた。そしてこれからはもっと・・タイヘンになりそうだ。
なのに嬉しくて顔が弛む。まだここは通過点だろうとわかるのに。入り口と言うべきか。
だが二人して困るってのはいいかもしれない、オレにしては能天気にそう結論付けた。