鳥の歌


 


鳥のさえずりに空を仰ぐと、木々の間から覗く空の断片が眩しい。
恋を語る鳥たちの声は忙しなく飛ぶ羽で葉を揺らし光を弾く。
鍛錬を終え、一呼吸ずつ鎮めていく身体の隅々から昇ってゆく気。
空気に融けゆくそれらに呼応するように注がれている視線が弾む。
そこへ自分の意識を持っていくと、そこにある日常が微笑む。
微笑みに身体の芯が温まっていくことを確認しつつ息を整える。
このときをじっと待っていた、小鳥のような小さな温もり。
そこに”もういいの?”とありありと窺える表情を乗せて。

「お疲れさまー!」

言うなりオレのすぐ傍に飛んできてタオルを差し出す。
そうしろと命じた訳でもないのに汗を拭おうと背伸びする。
仕方なく屈んでやって、細い指先の仕事にしばし任せる。
機嫌好く鼻歌交じりでオレの頭や肩、首筋を撫でていく。
”よし”と一仕事終えたような大げさな声でそれは途絶える。
くるりと方向を変え、ペットボトルとタオルとが入れ替わる。
鳥が行き来するように入れ替わり押し付けられる飲み物は蓋まで開いて。
口から流れ込む液体が失われた血液の補充のために忙しなく染み込む。

「・・シャワー浴びてくる。」
「えっ!?・・そうかちょっと今日は長かったもんね。」

がっかりと下がる眉。前髪に手を置いて「悪い。」と断る。
オレの手を退けるように持ち上げて「いいよいいよ」と笑う。
進むオレのすぐ後ろでちょこちょことついて来る軽やかな足音。
フンフンと続きの歌を鼻で歌いながら、こそばゆい気配と共に。
シャワー室の前までついて来て「行ってらっしゃい」と手など振って。
水の音に紛れて今度は歌声までがしっかりと耳に届き、つい笑ってしまう。
お気に入りの歌は時々調子を外して少し前に戻ってみたり途切れたり。

「あがるからそこを退け、タオルを忘れた。」
「出したよー!どーぞあがって〜!?」
「そこへ置いとけ。見たいのか!?」
「・・わかったよ!」

ちぇっと舌を打つ音が聞こえた。どういうつもりなんだか・・
一応警戒しながら扉を開けて、ほっとしながら身体を拭いていると
「まだ?」とか言いながら堂々と入ってくるから油断ならない。
「終わった。」と両手を挙げるとなんだとか言うくせにがっかりはしていない。
すっかりタイミングを見計っているのだ。憎らしいほどのジャストタイム。

「早く支度して出かけようよ?」
「まだ時間あるだろ、オマエが来るのが早すぎるんだよ。」
「待ちきれなかったんだもん。」
「いっつもじゃねぇか・・」
「へへへ〜♪」
「あっそうだオマエ!勝手にウチのボディソープ入れ替えただろ!?」
「ウン、良い匂いでしょ?!」
「イタズラすんなって言っただろ。寝るときこの匂いがすると落ち着かねぇんだよ。」
「なんで?好い匂じゃん!おそろいだし。」
「いいわけあるか。・・たく・・」
「でも身体に付くと匂いって変わるよね、ちょっと嗅いでみて?」
「いらん。あっこら、嗅ぐな!犬かオマエは!?」
「やっぱりなっつんの匂いだ〜!?」
「やーめーろ!」
「ありゃ・・!」

襟首を摘んで引き剥がすと小柄な身体は簡単に宙に浮く。
脚をぶらぶらさせて、要するにこれが面白いからやるのだろう。
肌に直接触れるその髪や頬がどんなに柔らかいかを知りもしないで。
ぴょんと下りるとそれで満足した顔がオレを見つめ返すからわかる。
そんなに楽しそうにしたってオレは・・・喜んでばかりはいられない。

まだかまだかと急かされながら身支度すると待ちかねたとまずは溜息。
今日はこんな天気でよかっただとか、新しい靴なのだとか他愛無い話が続く。
外はなるほど空も青く、玄関先の木々にさっきの鳥たちが目に映った。

「あっ、さっきの鳥たちだ!退屈だからずっと見てたんだ。」
「なんだ、気付いてたのか。」
「邪魔しないようにじっとしてたら、上で楽しそうに飛んでるんだもん。」
「やかましいほど鳴いてたしな、どっかの誰かみたいに。」
「見てたら早くほのかたちも出かけたくなってさぁ、困ったよ。」
「あれは雌を口説いてるんだろ?」
「そうなの!?だったら逆だね。ほのかがなっつんを誘いたかったから。」
「・・・そんなに慌てることないじゃねーか、まだ朝早いし。」
「一日なんてあっという間だよ!?急がなきゃ!」
「やれやれ、弁当持ったのか?」
「モチロンさあっ!!」
「じゃ行くか。」
「しゅっぱーっつ!!」

気合の入った声に釣られて歩き出すと、鳥たちは飛び去っていった。
羽ばたく音は空の青さに吸い込まれ、太陽の光が角度を変えて降る。
さえずりのようなおしゃべり。羽音のような足音はまだ続いている。
オレの傍を行ったり来たり、軽やかに。歌うように、誘いながら。
歌は知らない、歌い方も知らない。オマエにオレの歌は届いてない。
ふいにからめてくる腕の細さは鳥よりも頼りなげでいて、温かい。
音符の見えそうな声、楽しさで飛ぶような足取り。運ばれる笑顔。
どこへ行きたい?どこだって連れて行ってやりたいのに。
連れて行かれてるのはオレで。餌を与えられているのも。
いつか遠い空へと旅立ってしまいそうな怖さをオマエは知らない。
夜オマエの匂いのする場所では眠れなくなるってことだって少しも。
何度も繰り返しさえずる小鳥。朝の光とともに窓辺へと現れては
早く、ホラ早くと。いつからか待っている。朝も、夜も。

”どうかおいていかないでくれ”と開けた窓から去っていった鳥に思う。
”ずっとここにいてくれないか”けれどさえずりは空の高みへ消えていく。


「オマエその歌好きだな、最近そればっか。」
「え、なっつん知ってた?ウン、お気に入りなんだよ。」
「だろうな、覚えちまった。」
「ホント!?なっつんも歌う?」
「歌うかよ!オマエの音程怪しいしな。」
「そう?時々間違うからかな?!」
「笑いそうになるぜ、さっきシャワー浴びてたときとか。」
「あのとき聞こえてたんだ。えへへ・・うるさかった?」
「もう慣れた。」
「あのね、この歌鳥の歌なんだよ?」
「鳥の?」
「そうなの、可愛いでしょ?」
「へぇ・・」
「なっつんにあいたい!とか思うと歌ってしまうんだー。」
「オマエそのうち鳥みたいに朝早く起こしに来そうだな。」
「うあっ!それいい!ナイスアイディアだね!?」
「冗談だ!やめてくれ、これ以上早く来られたら困る。」
「遠慮しないで!ほのかが起こしに来たげるよ、ねっ!?」
「ダメだって。うっかりしょうもないこと言っちまったな・・」
「ホントは来て欲しかったんでしょう、素直に言いたまえ!」
「ちょっやめてくれよ?!本気で言ってんだ、わかるか?」
「・・・どうしてぇ?ほのかが来たら嫌なのぉ・・?」
「とっとにかく今はダメだ。いつか・・頼むかもしれないからそれまで待て。」
「いつか?いつ頃?ほのかいつでもいいよ、頼んでね!?」
「・・あぁ、そのうちな。」
「わかった。まっかせといて!」

ホントに押しかけてきそうで怖い。油断した自分に渇を入れたい。
オマエがホントに朝起こしに来たら、ヤバイなんてもんじゃない。
うっかり飛び立ってしまう前に捕まえてしまうかもしれないだろう?
もしかしたら、オレの歌が届いているのだろうか、その耳元へ。
歌えないオレの歌。鳥のようにはとてもじゃないが誘えない。
オレにできるのは、オマエが歌うのを眺めてそこにいるのを確かめるだけ。
笑っていて欲しいから。この温もりを感じていたいから。

鳥のようにさえずれないオレを歌声の聞こえる場所に居させてくれ。
明るく高い空に映える綺麗な声のオマエの歌を聞いていたいんだ。
そしていつかこの歌が声に出して届けられるといい、例え拙くとも。


どうかおいていかないで 朝も 昼も 夜も
ずっとそばにいてほしい 羽をここで休めて 

寄り添えば いつでも幸せが生まれてくる
その羽を傷つけないよう そっと包むから