「掌の温度」 


”・・・まただ・・まいったな・・・”

夏は心の中で呟くと顔色一つ変えずに思考を遮断した。
ふと気付くと目で追っていて、昨日との違いを探している。
どこといって変わりがないようでありながら、では半月前と
比べてどうかと試してみると違いに明確な答えが見つかる。

やれやれと首を振り、愚かな想いをも振り切ろうとする。
そうせずにいられないからだが、それで成功したこともない。
無遠慮に触れてくるほのかの体温はいつだってとても温かい。
しかしおそらく 
想うまま己の手を伸ばせば、そこに篭る温度は温くはなく
怯えさせるに充分な熱さであることに夏は気付いていた。


”あれ・・・まただよ・・やだな・・”

ほのかはうっかり同じことを繰り返した自分に困惑する。
どうしたって自分は遠慮ができないらしい。夏に対しては特に。
というよりこんな風に意識すること自体夏限定だと知っている。
ただどうしたいのか答えが明確に浮かばないのがらしくない。

どんまいと己を励まして無邪気を期待している人に向き直る。
あれこれ考えることは性に合わない。期待することも仕方ない。
触れたいのも触れて欲しいのも事実で、誤魔化せることではない。
そしておそらく
叶うまで諦めることはない。叶ったとしてもそれで終わりでなく
新たに期待してしまうんだろうと、そのことは理解していた。


ほんの数週間前のこと、帰りがけに雨に降られ雨宿りした。
天気予報も外れたが、帰宅時間も予定を大幅にずれていた。
寒さで震えた小さな肩を可哀想に思ったのだろう、夏は抱き寄せた。
ごくいつもの調子でだ。まるで当然でもあるように無造作に。
違ったのはほのかの方だ。子供子供したところはなりを潜め
頬を染めて体を硬くした。夏はその様子で自らの失態を知ったのだ。
いきなり突き放すことも出来ず、止まない雨を恨めしく見上げた。
その間、おしゃべりで煩いと文句ばかりのほのかは黙って俯いたまま。

ほのかの肩を抱いた掌の温度は僅かずつ熱を帯びていった。
そ知らぬ振りが却って夏を居心地悪くする。馬鹿だと思いつつも。
気まずい沈黙を破ろうとほのかも躍起になるのだが上手く出来ない。
ほんの少しでもそのまま抱いていて欲しいのだと気付くと尚更だった。
二人は長い沈黙の間、同じ空を見上げ鉛色の雲に自らの気持ちを重ねた。

「・・・なかなか止まないね・・」
「・・・あぁ・・止まないな・・」

ただそれだけが交わした会話だった。

次の日には普段と変わらず明るいほのかに戻っていた。
そのことにほっとしたようなそれでいてどこか気落ちする夏。
どちらもおかしかったのだ。ほのかの芝居に気付かない夏も
いつにない無理をした行動にぎこちない時間が通り過ぎていく。

現状はとうに変わっていることに二人だけが追いついていない。
目を合わさないことも、会話が上滑って噛み合わないことも、
互いの距離がもどかしいと感じているのに、踏み出せない夏とほのか。
隠されていたがあからさまだった答えは目を閉じて浮かぶ最初の顔で。
待つという聞えのいい言訳を捨て去る時を測る。二人共に。

ほのかは下手な作り笑顔を浮かべ、夏が適当に相槌を打つ。
緊張していると誰が見ても明らかで、そのくせ当人同士見えていない。
どうぞどうぞと一つの席の譲り合いをしているようでもあった。


”なっちの手・・あったかかったな・・ついつい思い出しちゃうよう・・・”

”勝手なもんだ・・あいつが触れてこなけりゃ・・余計触れたいなんて・・”


あと少し、何かきっかけがあれば。そんな風に思えば溜息が出た。



その数日後、ほのかは学校を休んだと兄の兼一から聞かされる。
随分具合が良くないと、日頃元気一杯の姿から想像できない言葉。
夏はあの雨に打たれた日を思い浮かべたが随分前のことでもある。
心配した夏を情報通の友人が更に追いたて、不安を増大させた。

「会うのはやめとけ。あの病はなぁ・・うつるんだぜ?」

結局兄の兼一はほのかが病気だと訴えたに過ぎなかった。
新島が付け加えたのは『不治の病』と『時間の問題』
キーワードのせいで夏が誤解をしたのも無理からぬ話。
慌てて尋ねてきた夏にいきなり告白されて目を丸くしたのは
ほのかだ。「え?え?!嬉しい!けどなんでいきなり!?」

はしゃいだ声をあげたほのかから「もう治った」と告げられた。
その辺りでようやく訝しく思った夏は事の次第を確認してゆき、
煮上がるほどの羞恥に身を震わせた。後日新島は殴られ寝込んだという。

「普段ツンなヒトのデレって半端ないってホントなんだねぇ!」
「うるせぇよ。未だ熱下がってないんじゃねぇか!?」
「それはなっちの濃厚なちゅーのせいだと思うけど。」
「うつせと言うから・・・今から返せと言われても返せんぞ。」
「返せなんて言うわけないじゃないか。ばかだねぇ・・!」
「フン・・」

「ね、なっち。手、冷たい?さっき気持ちよかった。」
「熱のせいだろ。・・今はもうそうでもないと思うが」
「あ、ほんとだ。あったかい。へへ・・どっちも好き」
「アホゥ・・もう横になれ。とっとと治せよ、風邪。」
「ウン・・治ったら今度はなっちが寝込んだりして?」
「俺は寝込んだりしねぇ。けどそんときは介抱しろよ」
「するする!だから寝込んでよ、なっちぃ!!」
「なんでだよ!?やなこったぜ。」
「もー・・・ちゅーをも一回お願いしてるのに〜っ・・」
「ったく・・・」

ほのかの頬もそこに添えられた夏の手も確かに温かかった。
熱も病も関係なく、抑えていた想いに突き上げられた歓びのせいだ。
だからうつし合ってどちらもが熱さを増しても少しも不快ではない。

「どうしよう・・こんなに急にいっぱいちゅーしたら飽きる?」
「誰がだ。おまえか!?まだ飽きるほどもしてねぇだろっ!?」
「だって・・ほのか何回してもまたしたくなると思うんだ・・」
「飽きたなんて一生言わせねぇよ。この馬鹿。」
「わぁ・・また・・・デレデレなっちも好き。」
「・・おまえも大概・・だってんだよ・・」

今までとは違う距離で行き交う息も手や頬に負けず熱い。
浮かされたように零れ落ち、拾い集めることもできない。
あまりにも後から後から溢れ広がっていくからだった。








何回してんだよっ!って突っ込みたい。