「足りないもの」 


朝起きてくると、それが足元に落ちていた。
それは忘れ物。昨夜は何故か気付かなかった。
拾い上げた小さなものは朝の陽に反射してまぶしかった。

「アイツがこんなもん使ってるのみたことねぇけど・・」

つい口から零れ落ちた。疑問という不可思議。
女の持ち物だとわかるが、いつ使うものなのか良くは知らない。
困ったりするのだろうか、そもそもどうしてここに?
普段「女」と意識していない分、その落し物が珍しかった。
小さい鏡。そこに映るのは妙な顔をしたオレだけだ。
次に来る時、おそらくは今日の午後には持ち主の元に戻るだろう。
こんなにも身近にいて、空気みたいな他人・・ほのか。
そうだ、妹じゃない。そうは思っていない。ではなんだ?
アイツの言う「ともだち」というのもまるで違う気がしている。
強いて言うなら近所の子を預かって面倒みている、そんな風か?
実際にそんな真似をしたことはないから、よくわからない。
第一、子守りというには大きすぎる。何が違うのか。
遠慮なくオレに触れてくるし、馴れ馴れしいが、アイツは・・
オレに甘えてはいない。図々しい態度ではあっても。
ひどく不思議に思う。無邪気さに隠された二人の距離感。
アイツと少し会わずにいると、何か足りないと感じる。
その距離感ではないのだ。それは一緒にいても確かに存在する。

手の中に納まる小さな鏡をもて遊んでも見えるのは現実だけ。
なんなのだろう、この不確かな距離。曖昧な関係。
互いにそれを認めながら、探ることもせずに。
ませたことを言ってもまだ子供、そう思っているアイツが、
こんなものを使って何を見るんだ?化粧もしてないクセして。
そして何にざわついているんだ、オレは。こんなもので。


そりゃあ否応なしに目に飛びこんでくることもある。
短いスカートから覗く白い脚も惜しげもなく晒している肌も。
おっこちそうな瞳も、傍に居ると香る甘い匂いも。
自分とは違うと教えてる、壊れそうに柔らかな容。
けど、それとはまた違うんだ。何故ここにいるのか、
その問いかけがオレの疑問に一番近いかもしれない。



その日の午後、持ち主は予想を違わずにやって来た。
忘れたことに気付いていないのか、普段と変り無く。

「はー、今日は参ったよ、持久走だったんだけどね?」
「体育の話か?」
「そう。ま、いいや。とにかく疲れたよ。」
「たいした距離でもねぇだろうが。」
「女の子は些細なことが響くんだよ、色々と。」
「知るかよ・・」
「はは、そりゃそうだね!なっつんの顔みたら元気出たよ。」
「オレの顔でねぇ・・」
「そういうことない?」
「・・・・・」

返事に窮した。なくはない。特に目の前のコイツに・・・
まぁいいかなんて、何もかもどうでもいいような気にさせられる。
或いは、なにかを溶かされるような・・・奥深くオレのどこかを。

「あれ?これここにあったんだ!?」
「へ・・?・・あぁ、それか。」

ほのかが置いていた鏡を見つけ、それを手に取った。
ほっとしたようにそれをポケットにしまい込むのを見た。
持ち主はほのかだとわかっていたのにやはり意外な気がした。

「そんなものオマエ何に使うんだ?」

尋ねるつもりはなかったのに、そうしてしまった。
言ってしまってから、後悔した。理由はわからない。

「何って・・色々・・なんで?」
「・・いや、ちょっと・・不思議に思った・んで。」
「うーん、そうだねぇ・・それはナイショってことで。」
「なんだ、それ・・」
「まぁまぁ、女の子事情だから。」
「オマエ女だったのか。」
「・・突っ込みたいけど・・何だいその真剣なボケは!」
「いや、なんか違和感が。」
「あのね、どこが男に見えるのだね、こんなカワイイほのちゃんのどこが!?」
「男には見えねぇけど。」
「けど!?・・それ以上言ったらほのかちゃん怒るかもだよ〜!」
「や、まぁ・・気にするな。」
「う・・いっちばんヤなごまかし方したなぁ!・・むー・・どうせどうせ・・」
「怒らんでも、別に可愛くないとかそういうことじゃないから・・」
「えっ!?そうなの。ということはなっつんほのかのことカワイイと!?」
「はっ!?いや、そうは言って・・」
「可愛くないことないって言ったじゃん。」
「む、そ、それはその・・けど別に深い意味はないぞ!」
「深い意味ってなんだい?」
「あ、あー・・なんだろな?」
「変なの。あのね、馬鹿にしてるけど、ウチのお母さんすごい美人なんだよ!」
「・・?はぁ・・」
「今はたいしたことないと思ってても、いつかものすごい美人になるんだから。」
「たいしたことないとは言ってねぇけど・・そうですか。楽しみだな?」
「いやだね、やっぱり男は美人が好きなのだな!ぷんぷん・・」
「美人になるって言ってんのになんで怒るんだよ?」
「なっつんが普通に美人とか巨乳好きだとなんかヤなんだもん。」
「巨・・オレはそんな・・」
「あっそうなの!?そんなにおっぱい大きくなくてもいい!?」
「嬉しそうだな・・別に・・特には・・?」
「なっつんてなんていい奴なんだ!ウンウン・・惚れ直すよ!」
「ホレ!?・・アホ、何言ってんだ。」
「だって、そういう見た目ばっか言う奴いるじゃん。ほのかのこともさぁ・・」
「オマエの?」
「『カワイイねーv』とか馬鹿にして言う奴もいやだね。」
「・・・難しいんだな。」
「女の子はでりけ−とな生き物なのさ。」
「はぁ・・そうですか・・」

わかったようなわからんような・・・結局イマイチ把握できなかった。
オレの言ったことですっかり気をよくしているのでもうどうでもいい。
つい本音を言ったりしてしまうのもほのかの前だけだがよくある。
何馬鹿正直になってるんだ!?と後になって青くなる場合も多々・・
こっそり溜息を吐いていると、目ざとくほのかが指摘しながら言った。

「その溜息はなんだい?!あ、鏡拾っておいてくれてどうもありがとう。」
「う、別に。割れてなくて良かったな。」
「ウン!?なっつんってば優しいねぇ。」
「・・・」

時々言葉に詰まる。当たり前然とした言葉を受け留め切れずに。
それは特にほのかが示す親愛の容をした言葉や何かであることが多い。
オレには必要もない”優しさ”というものの存在を見つけられたときも。
そしてその優しさをほのか自身も求めてはいないとわかるから不思議なのだ。
まるでそこにあるじゃないの、見えないの?と示されるかのようだ。
探すでもなく、見えるからそう伝える、そんな感じだ。
こういう場合もオレたちは別々の生き物だと思い知らされる。
同じものを同じように捉えていない、そういうことなのか。

「なっつんはさ、褒められるのに慣れないねぇ・・」
「褒めたのか?今の。」
「!?まぁいいよ、ぼちぼち行こう。」
「オマエにオレの何がわかるというんだ?」
「わからないことはお互いにあるでしょ?わかんなくてもいいじゃん。」
「オマエがオレに何を求めてるんだか、よくわからねぇ・・」
「求めたりしてないよ、なっつん。心配しなくても。」
「心配じゃなくて、わからないからきいてんだ。」
「ほのかは・・そんなこと考えてない。ここに居たいから居るだけだよ。」

浮かんだ微笑はやけに大人びていて、誰だと思うほど他人に見えた。
求めているのはオレの方なのか・・?距離感に苛まれているのも。
”一人相撲”このもどかしさをわかれというのも無理な話か。
オレはいつも何かを探している。見えていないのかもしれない、そこに在るものを。
ほのかはそれを指し示すためにいるのだろうか。それを知ったオレはどうなる?
答えばかりを求めても見つけるのは結局は自分。問うたところで意味はない。
例えば、”優しさ”なんていらないと思えるものを、どうすればいいんだろう。

途惑いと困惑でぼうっとしていたオレに小さな指が触れてどきりとした。
ほのかだ。オレの手に重ねられた細くて白い指先が温かい。
悲しむでもなく、少しほのかも困ったように小首を傾げてオレを見ていた。
オレは知らずに微笑んでしまったらしい。顔を見ていたほのかが笑った。
そして思わず細い指先を自分の手で包んでいた。何故だがそれが当たり前のように。
もしかしたら、気付かぬうちにオレは”居て欲しい”と伝えたのだろうか。
そんな気がした。離したくないみたいに握られたほのかの手は温かくて。
なんと言えばいいのかわからず、オレはほのかに救いを求めるように喘いだ。
握り返された手指の小ささに反した力強さにオレはほっと胸を撫で下ろす。

「・・好きにしろよ。」搾り出すように呟いた言葉は随分苦しい言い訳だ。
本当は”居て欲しい”じゃないのか、そう知られてしまわないかと怖かった。
けれどほのかはわかっているのかいないのか、そのことを正したりはしなかった。
「ウン、好きなだけ傍に居るね。」優しさに眩暈がした。オレの優しさなど消し飛んだ。
求めてた。欲しかった。優しさを、赦されることを。何もかもを曝け出せる絆が。
もしかしたら、オマエに。オマエがいいと・・オレは選んだのだろうか。
生まれて初めて強さではないものを心の底から欲した、そんな気がした。