「ただそれだけで」(前) 


ほのかを退屈にさせると後が大変だとわかっているのだが
つい何事もきちんと済ませたい夏の性格が災いしてしまう。
例えば今日は鍛錬を終えると、約束の時間をオーバーしていた。
案の定待ちかねたほのかが夏に汗を拭くタオルを用意しながら
顔に気に食わなさを前面に押し出して待ち構えていたのだった。
無言のままタオルをずいと夏の前に差し出す。夏も黙って受け取る。
機嫌の良い場合はそのタオルでほのかが汗を拭いたりするのだが
そんな素振りも見せず、口は頑なに閉じて夏を睨んでいる。

「すまん・・けど5分くらいでそんな怒るなよ。」
「5分じゃない。ほのか一時間前に着いてたんだから。」
「約束では5分だ。早く来て何やってたんだ、掃除か?」
「ううん、宿題。わかんないから10分で止めたけど。」
「つまりそれから約55分待ってたと言いたいんだな。」
「わかってるよ、ほのかが我侭なんだじょ。つまんなかったのはバツだね。」
「えらく殊勝だな。・・着替えてくるからもう少し待ってろ。」
「早くね!なっちぃ・・」

拗ねた顔を隠さないほのかに、夏は苦笑しつつ小さな肩に手を置いた。
背の低いほのかの屈みこみ、ほのかの額に唇でそっと触れる。
するとほのかはそれに不満そうな表情を浮かべ、夏に両腕を差し出し

「抱っこ。抱っこしてもーいっかい!」

夏は少し目を瞠ったが、直に望みを叶えるべくほのかを抱え上げた。
二人は身長にかなりの隔たりがあるため、マウスtoマウスのキスは難しい。
なので座っているとき以外は夏が屈むか、或いは今のように抱き上げる。
そうでないとキスもままならないという訳だ。ほのかはいとも簡単に抱えられ
夏の首に慣れた様子で両腕を回した。不満気だった表情は幾分和らいでいた。
目を閉じたのはほのかが先だった。きゅっと結んだ口元に夏の唇が当てられる。
とん、と軽い打診だった。ほのかはぱかりと目蓋を上げた。

「・・そんなんじゃダメ。もっと。」
「今じゃないとダメなのか?後でゆっくり・・」
「あ、傷ついた。面倒って思ったでしょっ!?」
「そうは思ってねぇよ・・」
「ほのか今とっても不機嫌で感じ悪い子なの。」
「そうみたいだな。」
「嫌いになる?ほのかとちゅーするのイヤんなった?」

口を尖らせ、眉を下げてほのかは夏を窺う。夏は無表情だった。
そのことに更に傷ついたかのように眉根を寄せるほのか。そこへ
夏が再び唇を合わせると、今度は夏から目を閉じて明確に押し付けた。
唇が重なる直前に夏が視線で促すままに、再びほのかも目を伏せる。
そうして口付けは先とは違って丁寧に、そして緩やかにスタートした。


「ふわぁ・・」

しばらくしてほのかがうっとりとした声を漏らす。
頬は紅潮し、瞳を潤ませて夏をぼんやりと見詰めた。

「続きは後でな?」
「うん、待ってる。」

夏は素直な返事にほっとした。下ろすぞ?と一応断って小さな体を手放す。
ほのかは今度は不満を告げることなく、寧ろあっという間にいつもの表情だ。
満足したからと言って単純過ぎるだろうと夏は口にはしないがそう思った。
小さい為りでもほのかは女だ。夏にとって最大の謎である人物。
こんな長いキスをして、それで満足してしまうというのがそもそも理解し難い。
普通は逆だろう。夏も例に漏れず、次の段階へと欲求が煽られてしまっている。
ところが実はいつもそうなのだが、ほのかはもうこれ以上求めてはこない。
機嫌を良くしてくれるのはありがたいが、夏は内面の温度差に多少落胆する。

しかしまぁ・・次へと誘われてもそれはそれで困るのだ。
なので夏は諦めムードを隠して身支度のためその場を離れた。
キスに慣れてしまってから、それ以前よりも精神上宜しくない。
けれどそこは惚れた弱味でもあり、自覚を持って自重している。
おけげで制御が上達したなどと誤魔化しつつ、ほのかの元へ戻った。

「おかえりー!」と無邪気に迎えるほのかは昔のままだ。
さっきの蕩けるような表情や声は幻のように消え去っている。
不可思議な生き物、しかし夏を捉えて離さない小さいが大きな存在。
差し出される手を握って、二人は出掛ける。その日は映画の約束だった。
所謂デートというものなのだろうが、二人の外出はほとんどが色気ゼロ。
ほのかは昔からあちこちへと夏を引っ張り出し付き合わせるのが得意だ。
オセロ勝負は未だに続いていて、勝てば言いなりの条件も健在である。
勝率もほのかにどうしても及ばない夏は高確率でほのかの付き人と化す。
二人の関係が変わってもそんな歴史が習慣となってしまっているのだ。

しかし最近では夏も腕を上げて、勝ちを収めることも増えたのだから、
勝ちの条件としてほのかに少々大人向けの要求をするという手もある。
ところが、そんな美味しい機会を夏は悉く潰してきていた。それは
オセロ勝負で主導権を握るのが大人気ない、というか情けないからだ。
そもそも勝負などしなくても、恋人同士に無用な気遣いのはずである。
お互いの気持ち次第でいくらでも甘い時間を過ごすことができるはず。

”結局のところ一番の原因は『オレ』なんだよな・・・”

ほのかに弱すぎる夏は解りきっている重要課題の前に溜息を吐く。
お預けを食らっているのだ。待たされて拗ねているほのかと同じように。
ほのかは素直にキス一つで機嫌を取戻し、笑顔になってくれるのだが、
夏はそれができない。更なる欲を抱いてしまいどうしようもなかった。

映画を鑑賞中も夏はそんなことを考えたりほのかを見ていたりで過ごした。
どんな映画かは予め調べてあるので、話を合わせるのも簡単だった。
帰宅して居間で寛ぐほのかは気に入った映画のパンフに釘付けだった。

「う〜ん・・これは続編も見なくちゃだよ!ねっ?!なっち!」
「まだ続編の宣伝はしてなかっただろ?パンフにあったのか?」
「ない。けどすごく続きそうなラストだったじゃないか!」
「どうだかな・・?要は観客動員数だろ。儲かりゃ次だ。」
「それはそうかもだけど・・なっちは夢がないなぁ・・!」
「悪かったな。」
「もっとこうなって欲しいとか、こうしたいとか無いの?」
「映画に関してはないな。」
「ん?じゃあ何にあるの?」
「・・いや、別にこれといって・・」
「ちっちっ・・誤魔化すんじゃありません。言ってごらん?ホレ!」

夏は口を思わず開きかけたが、言えなかった。「ない」と一言だけ。
ほのかは首を傾げ「あると思ったのに・・ほのかのカンが狂ったかね?」
などとぼやいた。夏は心の中で”当りだ”と思ったが顔には出さない。

”言えるかよ、絶対引くだろ?!引かねぇ方がおかしいって。”

「ふむ・・あっそういえばなっち、続きは?」
「は?・・何のだ。」
「今日ちゅーしてくれたとき、”続きは後で”って言ったじゃないか。」
「!?・・そう・・だったな。」
「あ〜さては忘れてたな?!ヒドイじょ。ほんとのこと言ってみよ!」
「ほんとのことって・・何だってんだよ!?」
「もうほのかとちゅーするの飽きちゃったんじゃないの!?違う!?」
「・・・・飽きたのか?オマエ・・」
「こっちが聞いてるのに!ほのかは飽きたりしないよ。気持ちイイもん!」
「オレだって飽きたりしてないぞ。」
「なっちも?なぁんだ、よかった。」

ほのかは駆け引きでもなんでもなく、素で言っている。それは間違いない。
ほのかがよかったと言った言葉には実感がこもっていた。浮かべた笑顔にも
夏の言っていることに何の疑いも持っていないことがありありとわかった。

「続き・・いいか?今から・・」

夏の声にほのかは目を丸くした。しかしすぐににこやかな笑顔を浮かべた。
「うん・・いいよ?」とあっさりと頷き、夏を見る目も無邪気なままだ。
夏は”続き”と言った。もう一度キスがしたいとは言っていない。
ほのかは気付いてはいない。キスしてくれる、くらいの期待なのだ。
卑怯だろうか、ほのかならばズルイと言いそうだ。しかし、それでも
夏はほのかへとゆっくり近付いた。験そうとしているのではなかった。
ただ抑え切れなかった。苦しい気持ちをほのかに気付いて欲しかったのだ。







ちょっと長くなったので、切ります。前後編にしてしまいました。
ぐるぐるしてる性少年なっちー;嫌な方はごめんなさい。++