タクティクス  


睨み合うと、お互いの目力は威力を惜しまず発揮する。
片方が元来大きくて黒目勝ちな瞳を燃え立たせれば、
一方は突き刺されそうな眼光と視線で押し返そうとする。
中々の好戦であった。体格では両者に差はありすぎるのだが、
その体格の劣る方はそんなハンデをものともしない構えだ。
実際、武道で鍛え上げられた他方は指一本動かせずにいた。


どちらも譲らない表情で、きりりと太めの眉を吊り上げている。
気合のためか頬は紅潮し、緊張で鼓動は互いの胸を激しく打っていた。
かれこれどのくらい睨み合っているのか、立会いが無いため定かではない。
お決まりの結果になるもならぬも、彼らだけが知るところなのである。


さて、そんな両者の心のうちを探ってみると・・・

”あぁもうどうすんだよ、またこれだ!毎回毎回・・いやになるぜ!”
”困ったじょ・・またこんなんなっちゃって・・おっかしいなぁ?!”

上背のある男の方はこの睨み合いを不本意なものと捉えているようだ。
気の強さを十分に感じられる小柄な女もまた、成り行きに戸惑っている。
どうやら二人は似たような性格であるらしく、よくこんな場面に陥る。
そしてそれらは良く言えばお互いが正直に思ったままを口に出した結果だ。
反面、改善策を講じない懲りない面々となるが、どうやらそれには理由があった。
引っ込みがつかなくなって互いに睨み合っているのだが、二人の間に溝はない。
どころか、第三者から突っ込まれずにはいられないようなことを考えている。

”怒ってても可愛い顔しやがって。うっかり顔が弛みそうんなって弱るぜ。”
”んもうどうしようかな。降参したらしたでなっちってば心配するしなぁ!”
”譲ってやってもいいんだが、いつもいつも甘い顔してるわけにいかんし・・”
”たまには本気で怒ったっていいのに、なっちってばホント甘いんだからね〜”
”大体あれだ、顔もそうだが、声だって怒ってんのかそれで!?って感じだしな。”
”顔近づけるからなぁ、なっちってば。怒り辛くなるよ・・どきどきするもん。”
”まさかと思うが、コイツわかってて怒る振りしてんじゃねぇだろうな!?”
”ひょっとしてほのかにチューでもしたいのってくらい近づけるからやんなるよ”


・・・といった具合に、最早ケンカの動機も内容もそっちのけである。
どうやってこの睨み合いに収拾をつけるかということに二人ともが悩んでいる。
仲良きことの表れであるという例え通り、まったくアホらしい言い争いだったのだ。

「・・なっち、背が高いことを自慢げにしないでくれる?」
「オレはそれほど高くねぇ。オマエが小さいだけのことだ。」
「小さいのって疲れるんだよ!なっちのこと見上げてばっかでさ!」
「オレだって見下ろしてばかりで首が凝っちまうぜ。」
「じゃあ・・ちょっと替わってよ。」
「替わる?どうやって・・」
「しゃがむか、抱き上げて!」
「はあ!?なんでそんなこと・・嫌だね。」
「首が痛いんでしょ!?ほのかもなんだよ。」
「・・抱き上げて続きかよ?」
「してくれないんだったら・・」
「・・・どうするってんだ・・」
「飛びついて噛むじょっ!」
「アホ。そんなもん避けるに決まってんだろ。」
「避けちゃダメ。」
「噛むってどこを噛むんだ?」
「どこでもいいじゃん。決めてないよ。」
「一箇所だけ許可してやらんこともないな・・」
「んじゃあ・・ン!」

小柄な女は男に両腕を広げた。顔はまだ睨んだまま視線は外さない。
習慣のように抱き上げろと要求をしているのだと見て取れた。
男の方も何の躊躇もせず、無造作に抱き上げてしまったのだ。
ケンカ中にも顔と顔はかなり接近していたが、今回も相当の密着度だ。
勢いで抱きつく格好になっている女を軽々と片手で抱えると、
片方の手で女の頭を更に引き寄せた。一瞬驚いた女の目がぎゅっと閉じられる。
ほとんどゼロに近かった距離は完全にゼロになって、尚且つ体もぴたりと張り付いた。
慣れないのか、女はほぼしがみついた状態の上、体を強張らせて緊張していた。
合意とは言えない勢いに任せたような口付けで、完全に女の方の情勢が不利になった。
体格差がここでどうしようもなくなっている。身動きしなくとも押さえ込まれそうだった。
しかし、女は一方的にやり込められては居なかった。ようやく力が入ったように腕を動かし、
拳を握ると男を叩き出した。力は結構入っているようだが、男には堪えている様子はない。
女はあきらめると一旦手を離し、顔を赤くして、今度は体を剥がそうと押し始めた。
そうこうするうち、深く繋がっていたらしい音を立てながら突然男は女から唇を離した。
大きな長い息を吐くと、女は小さく咳をし、掠れた声で恨み言を呟いた。

「・・いきなり・・!・・くるし・・」
「噛んでもいい所を差し出してやったんだ。」
「!?かっ・・噛めないっ・・!ばか・・どうや・・って・・」
「そうか?チャンスは与えたぞ?」
「う・そ・・なっち・・キライ!ばか!」
「じゃあ今度は初めから降参しといてやるから、しっかり噛め。」
「イヤっ!!」

男の意地の悪い提案に女は完全に腹を立てたようだった。目には涙が浮かんでいる。
それでも容赦なく再び唇は奪われた。これで完全に男の方に軍配が上がったかのようだった。

「・・っ!」
「はっ・・ふっ・・」
「・・できるじゃねぇか。」
「い・痛い・・!?」
「なんでオマエが痛そうなんだよ?」
「く・悔しいから・・噛んだけど・・イヤだ・・こんなの。」
「・・スマン・・泣き顔・・見たくなって・・」
「うー・・・キライキライキライ!」
「そ、そんなに・・やだったかよ?」
「・・・痛くないキスがいい・・」
「血の味がしてもカンベンするか?」

女がこくりと首を前に傾けると、男は女の腕を自分の首にまわすように促した。
するりと巻きついた細い腕は男の頭をぐいと締め付けるように抱き寄せる。
そして今度は女の方から唇を男の赤く滲んだ唇に重ねた。ふうと溜息を一つ落として。
女の腕にも体にも緊張はなく、逆に男の方に入れ替わるように緊張が走った。
何かに耐えるように強張らせた背中は動かず、女に何もかも預けたように見えた。

ようやく離れた後も女は吐息を長く吐いた。
男は項垂れたように女の肩に頭を載せている。

「これで許してくれるのか?」
「許してあげるよ、特別に。」
「はぁ・・よかった。」

このとき男の緊張はようやく解けた。男は女に許しを請うていたらしい。
男が勝っていたかのようだったが、違っていたようだ。

「・・何でケンカになったんだっけ?」
「さぁ・・?忘れた。」
「なっちも?困ったね。」
「忘れてもいいようなことなんだろ、どうせ。」
「それもそうだね?!」
「どうせオレが勝てないことになってるんだしな。」
「そんなに勝ちたいの?ほのかに。」
「あぁ。だからせめて泣き顔見るくらいはって思うんだ。」
「意地悪だね?ほのかって。」
「マッタクそうだぜ。オレばっか悪者にするなよな。」
「どうでもいいもん。」
「なんだと!?」
「なっちはほのかのだからほのかに逆らえないのだよ。」
「オマエって悪の大王みてぇ・・」
「ほのかに惚れられたのがサイゴなのだ。」
「そうとも。だからサイゴまでよろしく頼むぜ?」
「もっちろん!」


なんのことはない。男女のソレはよくある駆け引きの応酬。
色々と仕掛け合っては、ぶつかったりもする。引きずり出したいのは本音か。
結果は女の勝利らしく、これまでの話から連戦連勝を誇っているようだ。
惚れた弱みで男はぼやき、思うようにならないほどに一層女への心酔を深める。
どちらも目の前の相手に嵌っている。ケンカも懲りないには訳があったのだ。

そして男は心の中でやはり同じように考えた。

”だいぶわかってきた。後一押しってとこか?チクショウ、今日も可愛いぞ!”
”危ないあぶない・・もう今にも負けそうだよ。なっちってば・・なっちのくせに”
”勝ち負けなんてホントはどうでもいい。ずっと・・見てられるんなら・・”
”ホントは負けたっていいんだけどな。だって・・・だいすきなんだもん・・”


睨み合いもケンカも彼らにはコミュニケーションのツールに過ぎないようだ。









見てられない・・ってやつですよね。甘いにも程があるっていう;