Sweet Valentine  


今年も似たようなものだろうと夏は予想した。
巷に甘い香り漂う2月のイベント前のことだ。
毎年いつも傍にいる女の子の手製を食わされている。
山ほどもらえる立場の彼が食す、唯一つのチョコだ。
お世辞にも美味しそうな出来栄えではなく、味も同様。
それでも兄と自分だけに手作りするのだと息巻く彼女、
そのほのかの願いだけは叶えてやらねばと思っている。
ある意味強迫観念にも似た彼なりの拘りをもってして。

彼は亡くした妹との過去も手伝って『妹』なる存在に弱い。
当のほのかは愛した妹と掛け離れて図々しい生き物ではあるが
それでも兄想いであること、健気で無邪気な生来の気質を含め、
人間嫌いの夏が初めて心開いた他人という貴重な人物だ。
そのほのかが一所懸命に作ってくれる代物を拒否できない。
それが谷本夏の弱味でもあり、受け入れざるを得ない現実だった。
解りやすく言うと、彼はほのかにだけは逆らえないのである。

14日が近付く頃、ほぼ昨年に倣った一日を想定していたが、
今回は少し雲行きが怪しくなった。ほのかが何やら悩んでいた。
他にチョコを作ってやりたい男でも現われたのかと夏は疑った。
しかしそれは杞憂であって、男では自分と兄である兼一のみらしい。
ならば何を悩んでいるのかと素直に尋ねられない夏はほのかに言った。

「おまえの作るのを食えるのはオレと兼一くらいだぞ、何を悩む?」
「!?聞き捨てならない。なっち、なっちはほのかのチョコが迷惑なの!?」
「迷惑とは言ってない。しかしおまえのは普通じゃねェから・・・」
「そこじゃない。じゃなくてほのかのチョコはイヤイヤ食べてたってこと?」
「・・・?何を問題視してるんだ。」
「もおいいよ!イヤイヤなら食べなくても!今年はなっちには作んない!!」

涙交じりにそう宣言されて夏は面食らった。意外だったのだ。
しかしあの胃に悪い物体を食わずに済むのならそれでいいかなどと思った。
そしてそのことがほのかに伝わってしまったのだ。彼女は完全にむくれた。
それで夏の家から飛び出し、もう3日になるのだが彼の元へと戻って来ない。
些細と思える双方の想いの行き違い。夏は少しずつ不安と焦りを感じていた。

「何を拗ねてやがるんだ・・あのバカガキ・・!」

学校での彼の機嫌は悪くなる一方だ。対面を気遣う彼は気落ちというポーズを
取りつつ、兼一たち本性を知る者の前では不機嫌の一語に尽きる表情だった。

「あのさぁ、なんかほのかがまた迷惑掛けたの?」
「・・・妹は元気なのか?」
「風邪とかは引いてないよ。けど元気かどうかはわからないな。」
「おまえの妹だろう!気にかけとけよ、それくらい。」
「心配なら自分で確かめれば?なんかいじけてるとしか聞いてない。」
「アイツがなんでいじけてんのかがわかんねェとどうしようもないだろ!」
「僕に言われても・・あのさ、悪いけど今回のことはほのかからね・・」

「・・”お兄ちゃんには関係ない”って言われたんだ。」

兼一はじとりと不穏な目付きで夏を睨んだ。心配していないのではないのだ。
ただ当事者から疎外されてしまった。なので夏に恨みがましい目付きなのである。
夏はそれ以上は言えなくなり、フンと兼一の前から逃れるように去って行った。


白浜ほのかはあれから気持ちが浮上せずに傍から見ても元気がない。
夏に気がないことなどわかっていたはずなのに、どうしても落ち込む。
何故こんなにも気分が落ち込むのかとほのかは一生懸命考えてみた。

夏に作るチョコレート・・それは初めは兄が独占していた。
友達付き合いの苦手な夏が妹さんのこともあって寂しいと知ると
世話をしてやらねばと使命に燃えて、彼の家にまで押しかけてかまった。
夏の素直でない優しさに気付くと友達付き合いが始まった。のだと思う。
それでバレンタインの季節、生まれて初めて兄以外の男にチョコを作った。
父親はいつも催促されて作っていたので、自ら作ろうと思ったのは夏が最初。
とんでもない出来のチョコを兄は誤魔化しつつ一口齧って仕舞っていた。
父も胃腸薬の世話になっていたらしい。それを知ったのは最近なのだが・・
そう、確かに夏の言うとおりで、自分の手作りなど普通誰も喜ばない。
夏が食べてくれたとき、あまりにも嬉しくてその嬉しさに病みつきになった。
きっとそうなのだ。それで食べてくれるのをいつも楽しみにしていたのだろう。
だが、当たり前なのだが夏も無理矢理食べてくれていたのだという事実。
その当たり前に何をショックを受けている?夏は喜んでくれているとばかり・・
勘違いだ。ほのかの他の女の子たちのは食べない、そう言ってくれたからか?
そうだ。それもある。夏はいつだってほのかには甘いのだ。チョコレートのように。

「なっちが優しいから勘違いしたんだ。・・それだけなのになぁ?」

ただそれだけのことで落ち込むなんておかしい。なのに胸が痛い。
げそっとした顔と鏡で対面したとき、自分でもコレは酷いと更に落ち込んだ。
その原因はわかった。夏に会っていないからだ。なんだか寂しくて辛い。
普段の自分なら走って会いに行ってるはずだ。なのにそうせずいじけている。
何かが引っ掛かっている。それが何か知りたい。そのせいで動けない気がした。

「ほのか、今年はあげないってホントなの?お母さんびっくりよ。」
「・・だって無理に食べてたって・・かわいそうでしょ、なっち。」
「彼は素直じゃないとこあるんでしょ?きっと寂しがってるわよ。」
「ほのかも寂しい。なのに気になって会いに行けないの・・・」
「そうねぇ・・少し変わっただけよ、気持ちが。」
「変わった?何が変わったの!?」
「それは自分で考えなさい。きっとわかるから。」

母親は笑ってそう言った。ほのかは手を当てて自分に尋ねてみた。
食べて欲しかった。初めて食べて欲しいってお兄ちゃんじゃない人に思った。
美味しいって喜んで欲しかった。どうして?それは・・・

ほのかは顔を上げると、家を出て夏の家を目指して走り出した。
走りだしたら夏の顔が浮かんだ。寂しそうな怒ったような顔だ。
何も持たずに飛び出したから、走って行くしかない。だけどいいんだ。
さすがに休憩なしに走り続けて疲れてしまい、立ち止まると肩で息をした。
そこへパラパラと小雨が落ちてきた。慌てて雨を除けられる場所を探す。
何もないと諦めかけたとき、道の向こうに見つけた人にドキリと心臓が跳ねた。
迷わず駆け出したら、向こうも走ってきて出会いがしらに怒声が降ってきた。

「おまえ、また傘も持たずに飛び出したな!濡れるだろうがっ!」
「だって降ってなかったもん!さっきまで。だから・・」

言訳をしようとしたほのかの頭にばさりと布が落ちてきた。夏の上着だ。
驚いていたら小荷物よろしくほのかは抱えあげられ、そのまま夏は走り出す。
見覚えのある門と玄関をくぐって下ろされるとぱたぱたと雨を払い除けられた。

「大丈夫、そんなに濡れてないよ。」

言ったが夏答えず、ほのかの靴を脱がせるとあっという間に居間のソファだ。

「早業だなぁ・・!なっち、お帰り。学校帰り?久しぶりだね。」

ほのかが何の気なしに尋ねた先にいた夏は憮然とした表情のままだった。
未だ怒っているのかなとほのかは居住まいを正し、膝の上に両手を置いた。
畏まったほのかに夏は「お茶淹れてくるから待ってろ」と言って出て行った。

「・・えっと・・・なっちは傘のことで怒ってるんじゃ・・ないのかな?」

思わず出た呟き。ほのかはむずむずと落ち着かなくなった。なんだかおかしい。
夏に会えて嬉しかったことと、変わらない過保護なところ。そして優しさ。
やがてふたり分の温かいお茶が運ばれてきて、ほのかは体も心も温まった。
しかし夏は依然黙ったままだ。ほのかはなんと言って切り出そうかと迷う。
何か言わないとと多少焦りを覚えたとき、夏がようやく重い口を割った。

「ほのか・・今年も・・作れよ。・・食いたいから。」
「えっ!?・・・食べてくれるの!?無理してでも?」
「無理じゃねぇから。それとも誰か他にやるのか?」
「生憎そんな人いないよ。なっちに食べて欲しい。」
「・・・それほど・・マズイわけでもないから・・その・・気に病むな。」
「へへ・・ありがとう。嬉しいな。」

ほのかの素直で嘘のない笑顔に、夏の表情が和らいだ。
たった3日ほど見なかっただけで物足りなくて堪らなかった笑顔がある。
ほのかが自分にとって何であれ、その笑顔に必要性を感じるのは確かだ。
会いに行くのは厳しいが行かねばと思っていたらほのかの方から来てくれた。
ほっとした瞬間、雨に濡れかけた小さな体が許せなくてかっとなって怒鳴った。
なのにほのかは今度は拗ねたり怒ったりしなかった。やはり前回のことは
それまでの出来事の範疇では測れないことだったのだ。ほのかと自分との間の。

「よかったぁ・・なんかね、落ち込んじゃって参ったよ。」
「・・・そんなにイヤイヤ食ってるってのがショックだったのか?」
「ううん、よく考えたらなっちの言うとおりだった。変だねえ?!」
「もう、いいのか?オレは・・」
「うん、いいよ。ほのかが勝手にいじけちゃっただけだから。」
「チョコ・・オレのだからな、食わないと。そう思ってた。」
「そ・・うだよ!そう。だから・・要らなくないんだよね!?」
「それはいいんだな?ふーっ・・」
「わかんなくなって悩んだ?へへっそりゃそうだよね。ほのかもだ。」
「おまえが元気出たならもオレもなんでもいい。」
「ほのかってさぁ・・なっちに愛されてない!?」
「はっ!?あ?!」
「って、ショックを受けたのさ、きっと。ふへへ・・」
「あいって・・おまえ・・;」
「大げさかな?あのね、きっとお兄ちゃんとは違うんだよって言いたかったの。」
「・・・・・」
「さっきわかったの。なっちのこと好きだ。だから物足りなくって拗ねたのさ!」
「・・・・・」
「会えて嬉しかったなあ。もうなんかどうでもいいやってなったよー!」
「それって・・さっきのこと・・言ってんのか・・?」
「そうだよ。物足りないなんて思ってごめんねっ!今でも充分幸せだよ。」
「・・・・幸せ・・だ・・?」
「うん。そうなの。なっち大好き。チョコ食べてね、ガンバルから!」

ほのかの頬は少し紅潮していて、はっきり言って可愛いと感じた。
しかし夏はまだほのかの落とした発言をうまく消化できずに途惑っていた。
ただその発言が不愉快かそうでないかと問われれば全く不愉快ではなく、
それどころかとんでもなくほっとしている自分が見つかって内心慌てている。
そうか、オレのこと好きか。そうだろ!?なんだ、心配して損した!・・みたいな。
慌てふためく内面を押し隠し・・というかどう対処していいかわからない夏に
ほのかはのんびりとした声で、嬉しさを隠さず言うのだった。

「あー・・すっとした。なんかわかんなくていっぱい考えた。」
「わかってよかったー!なっち、なっちそういえば好きな人いないんだよね?」
「だったらほのかを好きになって。ほのかがんばるから!なんでもしたげる。」
「・・・・・なんでも・・?」
「うん。我侭でもなんでも叶えてあげるね。まかせなさい!」
「そりゃ・・・・スゴイな・・」
「なんでぼけっとしてるの?お茶冷めるよ!?飲んでないけど。なっちぃ・・?」

うっかり持っていたカップを夏は落としかけた。そのドサクサでほのかは見逃した。
夏が顔中を真っ赤に染めていたことを。焦ってむせた後摩られた背中の手に対しても
動悸を覚えた夏がやはり頬を紅潮させていたということも夏一人の胸に仕舞われた。

バレンタインはもう目前。彼はほのかのチョコを食べると約束した。
それは一人の女子の想いを受け取ることになるのだと、夏は思い至った。
他人事だと思っていた14日が180度様変わりした年、夏は自覚した。
自分が無意識にだが確実にそんな未来を望んでいたのだということを。


〜Happy sweet Valentine〜







いやまぁ、これからが苦労の始まりってことですよね。
夏くんのボケっぷりが書けて楽しかったです。ハイ☆