「スキということ」〜夏サイド〜 


夏は帰り支度をしながら校門へと視線を廻らせた。するとそこに
よく知った顔を見つける。ほのかが学校帰りにまた迎えに来たのだ。
向こうは学年も下で早く学校が終わるのは仕方の無いことではある。
来るなと何度言っても聞かない彼女はまた男子生徒に囲まれていた。

”あいつ・・この頃俺よりもててんじゃねぇか・・?”

夏はそんな面白くない腹の内を抱えてその場へと足を急がせた。
ほのかは夏を見つけて嬉しそうに手を振った。周囲の男子が夏を見る。
『噂通り』の谷本夏と見取って彼らは自然と足をほのかから一歩引いた。
噂とは尾ひれの付くものと相場は決まっている。夏とほのかに関しても
兄公認で付き合っていると実しやかに噂されているが最近否定もしない。
そうと知ってもちょっかいを出してくる輩が後を絶たないためである。
夏ファンの女子からは悲嘆の声が上がったが、人気に然したる影はない。
よって好きなように噂は放置し、それよりほのかを護ることを優先させる。
超天然だが素直で擦れていないほのかは確かに魅力的に成長していたので。

学校では優等生の印象強い”谷本王子”が不機嫌オーラを纏ってやってくる。
ほのかはそれが素であると知っているので別段変だとは思いようがない。
「待たせたな」とぶっきら棒に告げる様子はどう見ても”彼氏”である。
引き下がる男子生徒を尻目に夏はほのかを連れて今日も校門を出るのだった。

夏が不機嫌そうにしていてもほのかはいつものようにマイペースである。
試験前の部活の無い週は家庭教師でもある夏を出迎えて家へと向う途中も
買い食いしそうになったり犬猫に心奪われたりと中学の時と変わりない。
高校生になったからといって中身が一足飛びに育つわけもないのだから。
しかしちらりと夏が視線を向ける先には瑞々しく溌剌としたほのかがいる。
自然となだらかな曲線を帯びた体に若々しい肌。可愛らしい顔に無邪気な笑み。

”・・見た目だけはまぁ・・一人前になってきたよな、確かに・・”

溜息を一つ。夏は複雑な心境を読み取れない冷静な顔の奥にしのばせる。
女が全般に嫌いな夏の唯一と言っていい女性であるほのか。その存在について。
子供子供した外見の頃は妹扱いで充分だった。妹より手の焼けることは事実だが。
そして今でもほのかは夏に色気を持ってして迫ろうとはしない。決して、だ。
自分は大概変人だがほのかも似たようなもので、「好きな男いないのか?」と
尋ねても「面倒くさいからいらない」とまるで興味のない顔で澄ましている。
その顔を見ると夏は何故かいつもほっとする。同類と認めて安堵しているのか、
それとも兄以上に面倒を見てやって情の移った相手に独占欲が働くのだろうか。

トラウマは克服したつもりだったが、夏は一向に女性に強い関心を抱けない。
だからほのかは貴重で気の許せる存在だ。男女の別なく気も合うし好意が持てる。
ただ同学年の「可愛いな」「キスくらいしてるだろ」のやっかみ混じりの問いに
どういった対応をすべきか悩む。「そんなんじゃねぇ」と呟くのがやっとだった。
彼らは悪気もなく、ほのかを穢そうというんでもない。ごく一般的な興味なのだ。
しかし理解が追いつかない。ほのかを”そういう対象”として捉えられない。
可愛いところは多々ある。それも他の誰も知らないような面だと尚更優越に浸る。
傍に居るのが当たり前でいないと物足りない。たまに可愛がりたい気もなくない。

けれど。欲の捌け口にはしたことがない。そもそもそれほど性欲も感じない。
おかしいんだろうなとは思うが、修正したいと考えたことも一度もなかった。
機能的には普通らしいのだが。生理現象の度にげんなりしつつ使えなくもないと
ほっとすることもある。雄であることをともすれば忘れるからだ。少なからず。

「なっちー、ここ教えてよ。さっぱりわかんない。」
「ああ。ってお前、その前にそこ間違ってるじゃねぇかよ!?」

二人きりでいくら過ごしたからといって特に何も起こらずに今に至っている。
お互いにそれが楽だと感じてもいる。気が合いすぎるのがいけないのだろうか。

「それはそうと好きな子とするときとは違うそうだね、キスって。」
「は・・?お前また脱線かよ。」
「もう今日の分はできたもん。」
「誰に聞いたか知らんがしないぞ?」
「へへ・・ほのかだってヤダよ。好きなヒトとしたいもん!」
「つまりまだそんな男はいないってことだろ。」
「う〜ん・・そう、だね。」

ほのかは正直ですぐ顔に出る。意外な反応に夏はぎくりとなった。
遅かれほのかにだってそんな時が来る。普通女は男より先をゆくものらしい。
いつか誰かに心や体ごと持って行かれる。それが夏にとっては耐え難いのだ。
親や兄の心境なのだろう。仕様が無いと頭で思っても感情がそれを許さない。
夏の不安が見て取れるのか、ほのかはふと真面目な顔付きになって夏に言う。

「心配しなくても誰ともしないよ。ほのかは。」
「誰が心配・・いや、お前だって女だもんな。」
「そうそう、やっと気付いてくれたのかい。やれやれ」

冗談めかしに笑うほのかに同調する振りをして気を遣われて痛いのを誤魔化す。
情けないが4つほども年下のほのかにたまに太刀打ちできないことがある。
オセロで鮮やかな逆転負けを喫したときのように清々しいほどの敗北感と共に。

「いつか・・好きな男が出来たら言えよ。俺がそいつでいいか見極める。」
「ええ!?なっちまでそんな・・お父さんやお兄ちゃんも言ってるよ!?」
「心配くらいさせろ。俺だってもう相当お前とは関わってるんだからな。」
「ふふ・・ほのか特別っぽいよね。なっちのオンリーワンって感じでいいよ。」
「否定できねぇな。ま、許してやる。ソイツは俺より強い男ってのがベストだ。」
「はははっ・・いるかな〜!?好きになったら案外ひ弱でヘタレかもだよ〜?!」
「う〜ん・・・そうか、そうだな。成り行きっつうか・・理想通りにはなぁ・・」
「なっち理想なんてあるの!?初耳かも。」
「いや具体的には・・お前が好きなら仕方ないんだろうな、結局・・」
「寂しそうに言うなぁ。なっちが認めないヒトならほのか付き合わないからね。」
「いいのか、そんなこと断言して。」
「いいよ。ほのかだってなっちにあっさりと祝福されたらつまんないしねぇ!?」
「ふ・・ん」

ほのかはけらけら笑いながら言った。その言葉でどれほど胸が熱くなったか、
おそらく誰にもわからないだろう。俺はそのとき抱き締めたいほど可愛いと思った。
俺のじゃない、身内でもなんでもない。友達とかそういうんでもない。だけど
ほのかは誰よりも俺をわかってくれて、心を満たしてくれる。そんな存在だ。
愛しいと言う言葉では足りない。なんだろう、この感じ。死んでも傍に留めたい。
妹の楓にはあれほど去って欲しくなくて泣いたのに。不安を感じることができない。
何があっても、死をも飛び越えて、ほのかはここにいてくれるような気がするのだ。
変だ。常軌を逸している。飛んだ大莫迦者みたいだ。それでも・・・そう思える。
例えこのまま歳を取っても変わらずにオセロしようぜと誘われているんじゃないか?

などと数年前に感じたまま、ほのかはいつの間にか高校を卒業して二十歳になる。
変わらずに目の前で笑っている。これは奇跡のようなことではないのだろうか。
仕事にも慣れ、周囲の結婚話を無視し続けていた俺に転機が訪れたのはその頃だ。
特に何があったわけでもなく、土産物を見繕って海外にいたとき引き止められた。
引き止めたのはショーウインドウの中に納まっていた小さな指輪だった。

”・・・これ、ほのかのじゃねぇか・・なんでこんなとこに・・?”

不思議だがそう思ったら居ても立ってもいられなくなり、買って帰ることにした。
サイズを聞かれてわからず適当に説明した。現金では足りずにカードで支払った。
ダイヤだかなんだか物に関しては詳しくないのでわからない。確信しただけなのだ。
これはほのかの指にあるべきもので、そのためには告げなければならない。
そうだ、逃げてばかりだったが年貢の納め時ってやつだ。俺は・・アイツを・・
そうするべきだったのに、しないでいた。ずるずると引き延ばしてみっともない。
俺は猛反省し、過去を恥じた。それでもほのかなら笑って愉快な話にしてくれるとも。

勢い舞い上がったが帰国した途端怖気づいた。情けないがほのかの兄から聞いた話で
最近ほのかの周囲に真面目に交際を(それも結婚前提)申し込んでくる男がいるらしい。
当の本人は「ないない」と否定しているらしいが、父親の会社の取引関係が絡んでいた。
公式に申し込まれれば立場から断り難い状況らしい。卑怯だが良くある手段でもある。
焦ったがまだ俺はほのかに何のリアクションもしていない。いきなりどうこう言って
納得、いや受け入れてもらえるのだろうか?俺の独り相撲ってヤツの可能性は!?
俺が頭を抱えていたとき、女神のように手を差し伸べたのはやはりほのかだった。

「なっち〜・・困ったことになっててさぁ・・援けてくれないかな?」

どうやらそいつがしつこい上に父親に邪険にするなと言われ弱っていると言う。
ほのかを援けるというより、それこそ渡りに舟だ。援けて欲しいのは俺なんだから。
言い方はまずかった。緊張を引き算してもあまり誉められない切り出し方だった。
ほのかを落胆させそうになり、勇気を絞る。どうせほのかに振られたらお終いなのだ。
いっそみっともないくらいに振られてやる、と思いつつ期待もあって声が上ずった。
結婚の二文字は念頭になかったほのかは相当驚いたようだ。そりゃそうだよな;

しかしパニくったほのかを抱き締めていると次第に柔らかに力が抜けていった。
恐る恐る窺った顔には涙が後から後から溢れ零れている。綺麗なほど大粒の涙。
嫌がっているのではないとその涙を見てわかった。嬉しさで眩暈と新たな動悸が襲う。
なんとか動悸をやり込めて涙を拭うが、ほのかが泣くほど嬉しいのかと思うと
感極まって俺も泣きそうだった。それほど幸せだと感じることも初めてだった。
せっかくの感動の名場面・・だったのかもしれないが俺はとことん格好悪かった。
渡せなかった指輪を出そうとしてサイズのことを突然思い出したのだ。決まらない・・
ほのかに嘘を見抜かれて正直に経緯を話すと呆れながらも許してくれた。そして
指輪を取り出してはめてみると・・サイズは合っていなかった。嫌な汗を感じる。
直せるかもしれないしと慰められると、俺の不格好なプロポーズもトドメを刺された。
落ち込みそうな気持ちを救ってくれるのは俺の女神。ほのかは俺の頬に口づけると

「式の当日にサイズが直ってれば問題ないよ。ね、なっち。」
「ほのか・・」

御礼の意味も兼ねて口付けを返すと、薔薇色に染まった頬に浮かぶ笑顔が眩しい。

「好きなヒトとするキスだ・・でも比較しようにも違いがわかんない。」
「比較しなくていい。お前は俺とだけすればいいんだからな。」
「なっちしか知らないよ、ずっとなっちだけを見てたからね。」

ほのかに殺されるんじゃないか!?と思った。急にあれこれしたくなった俺は
泊まって行けというと「いきなり!?」とほのかに怒られたがそれでも幸せで
腕に添えられた手を握り、「俺もずっと好きだった」と遅すぎる告白を付け加えた。







夏君サイドだと単なるバカップルみたくなった・・・(笑)