「翠夢」 


広い草原。風がさわさわと長い背の草を柔らかく薙ぐ。
ひたひたと駆ける足音。はだしで足を傷つけないだろうか?
薄くて白いワンピースの裾を翻しながら、どんどん走って。
そのままひょいと空へ駆け上がり、星になってしまいそうな。
捕まえたくて追いかけるのだが、少しも距離が縮まらない。
オレの脚でも追いつけないなんてことはありえない。だから
これは夢なんだと思う。けれど追いかけるのを止めない。

「行くな!」と思えど声にはならない。笑い声が聞こえる。
時折笑顔を振り向いてのぞかせては、オレを呼ぶというのに。
捕まえたら、ぱっと消えてしまわないだろうかと不安になる。
白い服よりもっと透明で消えそうに思える肌にオレが触れたら・・
怖くて追いつけないのかもしれない。けれど捕まえたいんだ。

「ほのか」声になったようで、実はそれはただの風の音で。
髪を揺らしただけに過ぎなくて、めったに口にしない名は宙を漂う。
どうして追いつけないんだ。ここに、どうしてここに来ない?
いつもみたいに飛び跳ねるようにオレに飛び込んでくればいい。
何故そんなに走ってどこかへ行こうとするんだ?どこへ行きたい?
連れて行ってやるから、ここに来い。ぽっかり開いたこの胸に戻って、
ちゃんとここで名前を呼んでくれ、オレの名をいつもどおりに。



まただ・・・オレは夜目を覚ましてそう思った。
何故か見る草原の夢。ひた走る二人だけの見知らぬ光景。
どこでもいい、どこでもないんだろう。好きそうな場所だ、ほのかが。
薄着なのはいつものことだが、はだしなので気に掛かる。
そのうちころんでしまわないだろうかと、あんなに走って。
夢の中でまでアイツの心配をする自分におかしくなって少し笑う。
だがすぐに暗い気持ちがオレを苛む。追いつけなかった悔恨。
何を遠慮してるんだと思う。夢の中でまで触れられないなんて。
可笑しくて笑いそうになるが、漏れるのはいつも吐息だけだ。

「なんだろうな・・・この夢・・」


このところオレを悩ませている夢のせいか、寝不足気味の顔に
呑気そうな明るいいつもの声でほのかは話しかけた。

「なっつん、あのさぁ・・なんかあった?」
「・・・いや、別に・・」
「たいしたことないならほのかに言ってみれば?」
「なにも話すことなんかない。」
「そう・・・」

本当に話したって仕方のないことだ。ほのかもそれ以上は言わなかった。
するとほのかが「じゃあほのかの話聞いてくれる?」と微笑んだ。
黙っているのを肯定と受け止めて、ほのかは話を始めてしまった。

「この頃変な夢見るの。」
「・・夢?」
「ウン・・一面翠色なの。綺麗な処。なっつんと行ってみたいような。」
「そこに・・オレは居ないのか・・?」
「出てきてくれたらいいのに、そうなんだよ!なっつんたまには出演してよ。」
「無茶言うな・・」
「夢でもなんかなっつんを探してるっぽいの。でも誰もいないからどんどん走って・・」
「どうなるんだ、その後。」
「一所懸命走ってたらいきなり草原が終わって落っこちちゃうの。怖いんだ〜!」
「・・・それで?」
「おや?なっつんが食いつくのって珍しいね。そんで目が覚めるのさ、変でしょ?」
「・・嫌な夢だな・・」
「そうだね。すごくステキなところなのに。で、次こそはなっつんに会えないかと。」
「・・・会えたら、まぁ落っことしはしないな。」
「だよね!えへへ・・嬉しいな。今度こそはよろしくね?!」
「夢の中まで面倒見ろって?」
「だって・・助けてくれるんでしょ?」
「・・だったら逃げるなよ。」
「え?」
「・・あ、いや。なんでもない・・」
「もしかしてなっつんも似たような怖い夢見たことあるの?」
「怖い・・夢・・?」
「あ、良い夢?!だったら嬉しいよね。」
「ちっとも嬉しかねぇよ。」
「?・・あ、夢ってね、自分で夢だと自覚できたら好きに変えられるそうだよ!」
「ホントか?」
「ほのかもやってみるんだけどうまくいかなんだ。でもがんばってなっつんを呼ぶよ。」
「ああ、そうしろ。」
「へっ・・う、ウン・・」
「二度と落ちるんじゃねぇぞ。その前に必ずオレを呼べよ!」
「ど、どうしちゃったの!?なっつん・・嬉しいけどさ。」
「なんでもねぇよ。なんかむかつく。夢の中まで心配させんな、アホ!」
「・・・そんなにほのかって心配?頼りない・・?」
「頼りないってんじゃ・・・」
「もっと頼りがいのある女になるよ。うん、がんばるね!」
「なっつんがもっと遠慮なくほのかを頼ってくれるようになるからね!?」


ほのかがオレに気合のこもった拳と目つきでそう宣言した。
頼りないとか、遠慮とか・・オレはそんな風に思っているだろうかと自問する。
確かに何をやらかすかとハラハラさせられるが、それは頼りないというより・・
オレをもっと頼りにして欲しい・・んじゃないだろうか?
そして遠慮しているように見えるのは・・・オレがオマエを捕まえた後、
どうしてしまうかに対する不安だ。それで捕まえられないでいる、今も。

「頼りないのはオレの方ってことか。」
「ん?どうして?!」
「オマエを不安にさせてた。」
「えっ!?そ、そんなことないよ?」
「そんな夢もう見るな。絶対捕まえてやるから。」
「・・・・・・ぅ・・うん。」

ほのかの顔はかなりの赤さに茹で上がって、返事も消えそうなほど小さかった。
結構恥ずかしいこと言ったみたいだ。ほのかの反応を見るまで気付かなかった。
ぼんやりと赤い顔でオレを見つめた後、うつむいて言ったせいもあるだろう。

「頼りないなんて思ってねぇし。」
「ホント!?今日のなっつん、なんだか・・大サービスって感じ。」
「サービスだぁ・・?」
「嬉しいことばっかり言ってくれるしさ。なんか・・熱でもあるんじゃあ?」

ほのかはどうやら本気らしくオレの額に手を伸ばし、前髪をどけた。

「熱あったかよ?」
「・・ない・・かなぁ?」
「なんだよ、頼りないな。」
「あぁっやっぱり頼りないんだ!嘘吐き。」
「熱測ったことだよ、揚げ足取んな。」
「フンだ。熱は無いみたいだよっ!」
「オマエはどうなんだよ。」
「えっほのかは・・」

ほのかの額にオレのを添えて、ついでに唇を重ねた。
熱を測るなら、こっちの方が正確だ。だから・・・

「ちょっと高いな。これで平熱ならオマエまだ子供だな?」
「・・・・ひ・・どぉおい・・・子供じゃ・・ない・・もん!」
「オレの測り方のが正確だぞ。」
「なっつんいつもそんな測り方してたの!?誰と!?」
「測ったのはオマエだけだ、騙されるなよ、こんなことくらいで。」

今度は羞恥だけでなく、怒りを含んで赤くなったほのかが噛み付いてきた。
文句を言うつもりならと噛み返してやると、大人しくなった。

「・・なっつん、突然どうしちゃったの?」
「オマエが逃げてばっかりいるせいだ。」
「なにそれ?!」

あの草原に行きたい。次にまた夢で行ったとしたら、今度は捕まえる。
ほのかといつかあんな場所を探して連れて行ってやろうかとも考えた。
そのときは競争してもすぐに追いつける。転ばないよう抱き上げることもできるだろう。








実はこれは管理人が見た夢です。アレンジして夏ほのに使ってみましたv