巣立ち 


 夏は愈々近い。衣替えはとうに済んで梅雨明けを待つ時節である。
大陸から渡ってきた燕を見つけたのはほんのつい最近のようなのに
巣を見つけ、卵を抱きやがて雛が騒がしく餌を求めるようになるまで
ほのかは根気よく通い詰め、熱心に見守っていた。付き合っていた夏
(季節ではなく名である)は所在無げに観察に夢中のほのかを観察した。

 薄い夏服の袖はやや広めで風通し良くなっているのと、ほのかの腕が
テニスで鍛えているわりには細くすんなりしているせいで覗き放題だった。
そして上着は短く身体を伸ばすとスカートから上の上部、つまり腹も見える。
そのスカートも動きに合わせて揺れる度に大腿部が丸見えになってしまう。
難儀なものだなと夏は観察しながら思った。セーラー服とは元は水夫のもので
いつの間にか日本においては女子学生の代名詞みたいに変化してしまった。
世の男性(若しくは女性の一部においても)はそのユニフォームにある種の感慨を
抱くものらしいが、夏は生憎賛同できずにいた。妙で不具合な制服だと感じる。
特別不具合だとも感想らしい感想も持っていなかったがそれはほのかが原因だ。
彼女は大きな襟もスカーフも、襞のスカートも似合っていて可愛いと褒め奉られる。
本人もまんざらでもないらしく、言動からは密かに自慢している節も感じられた。
しかしやはりセーラーの夏服は実に不具合だと夏は思う。あちこち丸見え過ぎる。


 ”またこいつが何も考えずに動き回るから・・厄介な生き物だぜ!”


 苦々しい顔つきでほのかの観察を眺めていると、不意にほのかが振り向いた。
急回転したせいでまた太腿がちらりと覗き、夏は忌々しさに舌打ちしそうになった。
そんなことには目もくれず、ほのかは観察を終えたらしく夏に向かってくると
ぴょんと飛びあがって夏にしがみつこうとした。驚いて屈んでやると首に手が回る。
腰を屈めたまま窺うと、ほのかは夏に何か言いたげな顔をして唇を尖らせていた。
そのまま姿勢を正してしまうとほのかは身長がかなり足りない為に足が浮いてしまう。
どうしたものか考えているうちに踵をグンと持ち上げ、ほのかは首元の手を結んだ。
一見すると夏に口付けをせがんで背伸びしているところだ。夏は思わず腰を支えた。
すると益々そんな要求を叶えるべく、手を伸ばした風になる。しかしそうではなかった。
二人の顔が間近に迫る。覗き見する輩なら唾を飲む瞬間かもしれない。が、しかし

「なっちィ・・ほのかおうちまで我慢できない。」
「・・・トイレか?!なら近くのコンビニで・・」
「ちっがっうー!お願い聞いて。ほのかもう燃料切れ寸前なの。」
「家までもたないのか?しょうがないな・・アレが欲しいのか。」

 ほのかの意を汲んだ夏ににやりと可愛くない微笑が浮かんだ。

「さすがはほのかのなっちなのだ。うふふ〜・・大好きだじょ!」

 調子の良いことを言ってやがると夏は思ったが口には出さなかった。
とりあえず夏は溜息交じりにほのかから手を離した。するとほのかは更に擦り寄った。

「コラ!離せよ、暑いから欲しくなったんだろ?!」
「なっちはひんやりしててこの季節手放せないのだ。ああいいキモチ。」
「バカ、俺をなんだと思って・・離さないとおごってやらねえぞっ!?」

 脅しは効いたらしくほのかはぱっと夏から手を解くと地面にぽんと着地した。
そして大げさに両手を擦り合わせるようにして「お代官様。お許しくだせえ!」と呟いた。
夏は相手をせず、すたすたと歩き出してしまったので慌ててほのかがその後を追いかけた。
向かった先はほのかのお気に入りであるアイスクリームの専門店だ。カップに3段も乗せて
スプーンを2つ付けてもらい店を出た。足を進めて今度は近くの公園のベンチを目指した。

 そこもほのかのお気に入りの場所であった。大きな楠が植えてあり木陰が涼しい。
ちょうどその下にベンチがあるので、ほのかはそこで夏場はアイス、冬はタイヤキなどを
夏にねだってはオヤツに食べる。慣れているので夏もすぐにほのかの意を解したわけだ。
ところがその日はベンチに座ったのはほのかのみで、夏は楠の太い幹にもたれて腕を組んだ。
食べ終わるまでそこで待つつもりのようだ。ほのかは不思議そうに夏にスプーンを差し出し、

「なっちの好きなエスプレッソ味のも頼んだのだよ!一緒に食べないの!?」
「俺はいいと言っただろうが。聞けよ少しは俺の話も。」
「そんなあ・・これ苦いのに・・ならみっつは多かったじょ〜!」
「食べ切れなきゃ残せ、怒らねえから。」
「だってもったいないじゃないかあ・・」

 ほのかはしょぼんとしたものの、溶けていくアイスにスプーンを入れ食べ始めた。
一所懸命に食べてもさすがに3段は量があって勢いは2段めから急激にダウンした。
やがて手に持っていたカップから水滴が落ち、ほのかのスカートに染みを作った。
慌てるが遅かった。諦めて最後まで食べるか、立ち上がって濡れた箇所を拭くか、
ほのかはどっちを選ぶか悩んでしまった。ちらと夏を窺うが知らん顔されてしまった。
眉を八の字の下げてほのかは立ち上がった。そして夏の元へカップを捧げもって行く。

「お願い、食べて。捨てるのもったいないです、お代官様・・」

 黙ったままカップを受け取った夏にほのかは喜びを表し、次にハンカチを取り出した。
濡れた箇所を叩いて応急処置する為だ。無造作にスカートをひょいと摘んで持ち上げた。
妙な音がしたのはその時だった。音の向きに目を向けると夏がカップを握り潰していた。
食べきる前であったのか握った手が汚れてアイスが滴り落ちていた。ほのかは目を丸くした。
夏は直ぐに我に返って手の残骸をゴミ籠に入れ、公園の中央に設置された水道で手を洗った。
ほのかはとりあえずスカートに処置を施した後、夏の元へ気遣わしげにやってきた。

「なっち、無理に食べてなんて言ってごめんよ。長いこと待たせちゃったし。」
「そっんなことはいい。もう帰るぞ。」
「少しベンチで休んでいったらいいじょ。」
「どこも具合は悪くねえから心配すんじゃねえ。」
「そんなこといわずにちょびっと。ね?」
「否だ!そんな狭いベンチ・・お前も一緒に座るつもりなんだろ!?」

 決まり悪そうな夏を具合が悪いと思ったからほのかはベンチへ引っ張ったのだ。なのに
夏はそこに並んで腰を下ろすのを嫌がっていたらしい。前にそうしたことがあったのに
どうしてそれが嫌になったのだろうと首を傾げる。結果頑固な拒否にほのかは降参した。
諦めて帰宅することになると、今度はナイトになったつもりでほのかは夏の腕を取った。

「ほのかがきっちり送り届けてあげるからね。さ、行こうなっちん家。」
「俺は具合が悪いんじゃないと言ってるだろ!一人で歩けるから離せ!」
「遠慮するでないよ。ほのかがついているのだから安心してお任せね。」
「安心できるか!」

 安心できない理由はわからなかったが、ほのかは使命を帯びた目つきのまま歩き出し、
無闇に身体を密着させてくるので夏は困惑を深めた。”本当に具合悪くなりそうだぜ・・”
二人の歩く上空では燕の雛が飛び方を教わっているのかくるくると低空を旋回していた。

「見てみて!あれってお空を飛ぶ練習してるんだよね!?」
「ああ・・長い旅に出なきゃならないからな。特訓中だ。」
「渡り鳥だもんねえ・・寂しいけどまた戻ってくるよね。」
「ああ、あいつらが今度は自分の雛に飛び方を教えるんだ。」
「素敵。ほのかとなっちもいつかお母さんとお父さんになるもんねえ!?」

 ほのかは突然立ち止まってしまった夏を不思議そうに見上げた。
夏はどうしたわけかわからないが片方の空いた手で顔面を覆い隠していた。
心なしか指の隙間の頬が赤い。その時燕の鳴き声がしてそちらに気を逸らした。

「わあっ・・・上手!ねえねえ、なっち。これなら遠くまで飛んで行けるよね!」
「・・そうだな。ついこの間までぴーぴー鳴いてるだけだったのにな・・」
「そうだよ、可愛かったねえ!あっという間だね、鳥が巣立つのって。」
「鳥でなくたってあっという間さ。」
「そうかな!?そうかも!へへっ!」

 ほのかが空と夏を見比べるようにしてにっこりと笑った。晴れ渡る空のように。
この無自覚で無防備な娘も、あと少しでセーラー服は着なくなるのだと夏は気付いた。
心配して一挙一動にそわそわヤキモキしている自分も、そうならなくなる日は来るのか。
過ぎてしまえばあっという間なのかもしれない。それならば・・傍に居てほしかった。

「にしても・・早すぎだろ!すっ飛ばして親になるとこまで想像するか?」
「へっ?!・・なんだそれでびっくりしたの?なっちってば可愛いのう!」
「阿呆、それは」
「え?なになに」

 夏の言葉を待っていたほのかの額に鋭い痛みが走った。でこピンされたのだ。
痛みで額を抑え、夏を睨み付けた。すると夏は珍しく微笑んでいるではないか。
驚いたのでぽかんと口を開けて固まってしまい、ほのかは怒ったことすら忘れた。

「なっちってさ、お空みたいだね。綺麗で青くて高くって・・そんで」
「それもお前だろ。ころころ泣いたり笑ったり・・広くて」
「なっちの方が似てるよ。でもってさっきの「それも」ってなに?」
「さあな。」
「あれ?聞き間違いかなあ。」
「ほんとお前ってやつは・・」


 ”可愛いのはお前だ!断じて俺じゃない。間違ってんだよ、色々と・・”


 離れろ離れないと意見は対立していたが、結局腕を組んだまま二人で帰っていった。 
それぞれの胸には大空とそこに舞う燕の親子たちが浮かんでいた。未来の象徴のように。


 夏がすぐにやって来る。夏とほのかの夏が。空は青く二人を包むはずだ。








夏服に困っているのも今だけかと思い直した夏君でした。