Stray Bird  


たとえ空が飛べても たどり着く場所が無ければ
何れ力尽きる時がくる。永遠などありはしない。
翼をはためかせ、目指す場所を見つけたとしても
そこで生きられる術があるかどうかもわからない。

  ああ・・・俺はまた 夢をみている

具合の悪い折、悪夢が訪れるのはままあることだ。
一見なんの変哲もない空。そこでいつも探している。
妹の姿をだ。しかしどこにも見当たらず空を漂う。

そこへはまだいけないのだ。そう云われている気がする。
ならば俺はどこへ帰ればいいのだろう?どこから来たのか。
息が詰まる静寂。鳥のさえずりも無くただ白い空が続く。

やがて俺は虚無に全身を包まれ大地へ落ちてゆく。
叩きつけられるべき大地が避け、奈落の闇が顔を出す。
そんなとき、俺は無意識にその名を呼んだ。

「ほのか」

遥か彼方に光が見える。上も下もわからないまま
光差す方を向くと、耀く白い翼が煌いて目を焦がす。
ふわふわと音も無く近づくと俺に小さな手が伸びてくる。

「こんなとこにいたの?なっち」

日常と変わらない姿にほっと息を吐く。
また見つけてくれたんだな、そう安堵して。

手を取るとほのかと俺はいつの間にか大空に戻っている。
青く澄んでまるで天のようだがそうじゃない。楓はいない。
ほのかは繋いでいない方の手でとある方を示している。
そこへ行こうというのか。俺はそこには行けないはずだ。
しかし途惑いをものともせず、ほのかと俺は空を泳ぐ。
光に包まれて居心地が悪い。それでも手を離したりしない。

いいのか?俺もそこへ行っても。 声にならない問いかけに
ほのかが頷く。そして大きく両手を開き俺を抱く。なんて・・



夢心地のまま目を覚ます。悪夢を払うにはこの手が一番だ。
だるい体を起こし、サイドのボトルウォーターで喉を潤す。
これで何度目だろうか、いつもほのかに助けられっぱなしだ。
熱は少し下がったらしい。汗塗れのシャツを上だけ脱ぎ捨てる。
よろよろと俺はシャワーを浴びようと立ち上がったつもりだった。
だが思った以上に熱は高いようだ。怪我の手当てはしたのだが甘かったか。
解けかかった包帯を巻きなおす気力が湧いてこず再びベッドに腰を落とした。
やはり汗で湿ったシーツは気持ちが悪かったが、やむをえない。動けない。
こんなときも実は特効薬がある。俺はどこまでもおめでたい男だ。

「ほのか」

当然姿が現れたりはしない。ここは現実で俺の寝室だから。
それでも名を口にしただけで苦痛が嘘のように和らぐのだ。
ああ・・・助かった。俺はおそらく砂漠を一人彷徨ったとしても
この特効薬さえ口にすれば生きていける。生きてたどり着ける。

枕に顔を押し付けたまま再び名を口にする。
熱に浮かされたうわ言のように。その名を。
そうしてまた引き込まれた。夢のない深い眠りへ。




どれくらい眠っていたのだろう。まだ夢との境にいた俺は
いつも丸くなって眠るのだが、抱いている枕の様子がおかしい。
やけに肉感があって温かく、鼻先を羽毛のような柔らかいものが擽る。
薄く目を開けて窺うとほのかが俺の腕の中ですやすやと眠っている。

「・・・なんだ、お前。ここにいたのか。」

このとき俺は完全に寝惚けていた。ほのかを抱き直し目を閉じた。
そしてああ、あったかいなと髪に頬刷りまでして・・突然、覚醒した。
勢い飛び起きたつもりだが熱のダメージかそれほどリアクションできずに
身動きに留まったらしい。頭は混乱して次の行動に移れず小さく呻いた。

何故ここにこうしてほのかがいるのか。寝室にだけは入れたことはない。
いや落ち着け、・・合鍵か。そういやそんなもの渡した覚えが・・ある。
必死で判断力を掻き集める。ブラインドから差す明るさからして昼間だ。
学校帰りに俺のところへやってきたのだろう、ほのかは制服のままだ。
首だけ巡らせてみると枕元には洗面器やら氷、床には脱ぎ散らかした服。
どうやら学校を休んだ俺の心配をしてやってきて・・しかし何故俺は・・
いつ布団に引きずり込んだのかがどうしても思い出せず冷たい汗を感じる。
俺が固まったまま困惑に陥っている傍らでほのかはとうとう目を覚ました。

「・・あ・・なっちぃ・・おきた・・?」

まだとろんとした目を擦りつつのんびりとした声。
俺はというと、呆れたことにまだ混乱して声が出せずにいた。
ぽやんとしていたほのかだがはっと気付くといきなり叫んだ。

「きゃああああああ!!なっち!ぱじゃまはっ!?」
「へ!?あ、ああ・・そういや・・汗かいて・・脱いだ。」
「はっそうか!ダメじゃないか!ちゃんと新しいの着なくちゃ!」
「あ・ああそうする・から、そこをどけ。つかなんでここにいる!?」
「もおっ!心配したんだじょっ!おばかなっちんっ!」
「変な呼び方すんなよ。いつ来たんだ・・ってかいま何時だ?」
「それより着替えなよ。シーツ換えたげるから。ちょっと起きれる?」
「っ・・そ、そうだな・・;(なんか調子狂う)」

ベッドというか俺の上から転がり落ちるように退いたほのかは
俺を引っ張り起こそうとするので自力で起き上がる。昨日より大分ましだ。
薬が効いたのかもしれないと思いつつ、ほのかがシーツを剥がすのを見守る。

「起きられたんなら新しいパジャマ着なさい!わかった!?」
「は・・い・・」

心なしかほのかの頬は赤かったが、決まりが悪いのは俺も同じだった。
押し退けられて出て行ったほのかは俺が着替えを済ませる頃舞い戻ると
ちゃっちゃと新しいシーツをベッドに設え「ほら、横になって!」と促す。
なんとなく逆らえないままそうすると額にひやりとほのかの手が触れた。
二人ともにまだ熱があるとわかったが、ほのかだけが盛大に顔を顰めた。

「なっち・・いつから?お薬は!?」
「・・・薬なら呑んだ。効いたみたいだ。」
「ほんとに?!・・よっぽど高かったんだね・・」
「面目ないが・・」

ほのかが凝視している部分に気付くとしまったと内心舌打ちした。
さっきは裸に慌てていたらしいが、落ち着くと怪我に気付いたのだろう。

「・・どうってことない。心配すんな。」
「なっちのそれは信用ならないね。包帯・・巻き直すから腕出して。」
「いい、自分で・・」
「ダメ、利き手じゃないか。」

ほのかは泣くのを堪えているような顔だった。胸が痛む。傷よりも。
されるがままに腕を出すとほのかは必死の形相でそれを巻き直した。
その間に泣き出すのではないかと気が気ではなかった。乱暴さを咎めたかったが
結局ほのかの顔色を窺うだけで精一杯だ。巻き終わるとほのかの険は少し取れた。

「・・すまん。」
「違うでしょ。」
「・・さんきゅ」
「ん。」

フンと俺みたいに鼻息荒く頷く様子にほっとした。のだが

「なっちーのいいかっこしい。」

咎めるのは昨日のことだろう。平然を装って別れたのだがばれていたのか。
今日学校を休んだことも兄から聞きつけたのかもしれない。致し方ない。

「・・秋雨呼ぶ・・?」

梁山泊の豪傑の一人を気安く呼ぶほのかにむっとしながら首を横に振る。
必要ないと断じるとほのかの釣り上がっていた眉がしなしなと下がった。

「じゃあ、ほのかは?」
「・・・・え、お前?」
「どうして呼ばないの。」
「・・・・」

本当は何度も呼んでいたのだとは言えず黙ってしまう。
するととうとう堪え切れなかったのか涙が頬を伝った。
布団から上半身を引きずり出し、思わず手を頬に伸ばした。
しかしほのかはその手を握り締めてしまい、涙は拭えない。

「・・呼んでたんだ・・だから、来たんじゃなかったのか?」

俺の告白にはっと顔を上げるとほのかは涙を湛えた瞳で笑った。
美しさに眩暈がした。なんとか耐えてほのかをゆっくりと抱き寄せる。
この愛しい女をどうして抱かずにいられる?俺はまだ熱があった。だが
正気だった。真剣に口付けたくてほのかに顔を近づけた。躊躇いもなく
俺の意図に全く気付かないほのかの瞳がキラキラと光っていた。
そうだった。未だほのかにこうすることは適わない。ギリギリで踏み止まる。
それでも衝動を抑えきれず、涙を舐め採るように頬に唇を乗せた。
驚きで長い睫が揺れた。頬も熱くなり腕の中でほのかが身を硬くする。

「呼んでたのなら・・いいよ。ゆるしてあげる・・」
「うん・・おまえしか・・いねえよ。」

俺を救うのは。俺が求めるのはほのかだけだ。訳はどうでもいい。
それだけは揺ぎ無い真実。恥ずかしそうに頷くほのかを手放すのが惜しい。
なんということをしたのだろう。俺はこのときのことを翌日激しく後悔した。
唇を奪っておけば良かった。こんな機会はもう巡ってこないかもしれない。
このまま俺の想うまま傍にいてくれるかどうかも定かではないのに。
いやたとえそれができたとしても、随分と待たされるのは否めない。
熱に浮かされた失態としておけば良かったものを。俺はなんて莫迦なんだ。

しかしそのときは頬や髪を撫でるに留まり、照れるほのかに
無理やり布団へと戻され目を閉じた。多分熱は今夜下るはずだ。
夕方送ってやれないから早く帰れとだけ告げたが果たしてどうだったか。
起き上がった時既にほのかは帰宅していたが台所にはお粥が作ってあり、
着替えやらシーツも積んであった。飲み物も多すぎるほど準備して。
書置きにはあれこれと注意書きまで。そしてほのかのサインがあった。
大切な名前を指でそっとなぞるといつの間にか俺は微笑んでいた。



逸れた鳥は目的地を知らねば永遠に孤独だ。
仲間はどこにいるのか、いても加われるのか。
たった一羽で飛び続けてもやがて疲れて落ちてゆく。
自然は平等に容赦ない。地に落ちた鳥は朽ちるだけ。

しかし俺は名を呼ぶことができる。救われて舞い上がる。
どんなに大きくて広い空にも構わず飛び続けるだろう。
迎えてくれる笑顔と涙を知っている。俺を抱いてくれる。

 ほのか 

 なっち


 ああ 俺はもう 迷わない
  
俺を呼んでくれるその唇に いつでも応えるために空を舞う。









啓発されまして、はぐれ鳥なっちを書いてみましたv