「白い誘惑」 


夏は海水浴場が嫌いだ。ともかく人の多い場所が。
自分一人ならば、或いは任務でもあるのなら別だ。紛れ易い。
しかしそういうところへ自ら出掛けようとは決して思わない。
彼は仕方なく出掛けるのだ。連れがそんな場所を好むからだ。
連れというのは彼の恋人・・一応そういう位置になっている。
たとえ周囲には引率者と子供と見られる確率が高かったとしても。

「なっちー!魚居たよー!!」

連れが子供に間違われるのもムリはない。限りなく正解に近い。
彼にとってはそうではない当人、ほのかは裸足で夏の元へ駆けて来た。

「なにぼんやりしてるのさ!ねぇシュノーケリングは!?」
「午前中したじゃねぇかよ・・もういい。まだ遊ぶのか?」
「まだお昼食べたばっかじゃん。どうして帰りたいって顔してんの!」
「国内っつってもこの島から東京はかなり離れてんだ。夜になっちまうぞ。」
「一泊すればいいじゃないか。」
「お兄さんは帰りたいんだよ、おじょうちゃん・・・」
「いつも不思議なんだけど・・なんで海とかでそんなテンション低いの!?」
「オレはいつもこんなんだよ、悪かったな。」
「・・やれやれ・・困ったお兄さんだこと。」

夏は珍しく子供っぽいほのかがよくするような、拗ねた顔を浮かべて見せた。
ほのかは夏とは対照的にレジャー地ではテンションダダ上がりなタイプである。
当初はプールの予定だったが、海へと変更になって更に嬉しいのだった。

「ねぇ、ここの浜ってさ、砂が真っ白だね!」
「・・微生物やらの屍骸が積もったもんだ。」
「えっ!?ヤダきもちわる・・そうなの?!」
「どこでもそうだぞ、白い砂浜ってのは・・」
「へぇ〜!あっほのかの浜だね、白い砂浜なら。」
「へ?・・あぁ苗字のことか。」
「白浜ほのかだもん。ここはほのかの島みたいなもんだよ。」
「・・・オレのだが・・こんな小さな島でいいならやるぞ。」
「マジで!?」
「ここはオレ個人の避難地だからな。」
「贅沢な話だなぁ・・なっちっていくつこういう島とか持ってるの?」
「さぁ、いくつあったかな・・都心に比べりゃ土地の値段なんか安いもんだ。」
「ふへーお金持ちめ。まぁいいや!ここは今日からほのかの島ってことでヨロシク。」
「来るにはセスナ(小型飛行機)か船がいるから一人で来るのは無理だぞ。」
「なっちと来るからいいよ。だーれもいなくてちょっと寂しいけどね。」
「・・・だから来たんだっての・・」
「すごくイイ眺めなのにもったいない!360度海と空と白い砂・・天国みたいだ!」

夏の呟きは聞こえなかったらしい。無邪気な笑顔を浮かべるほのかに夏は目を細めた。
ほのかが中学生くらいまでは、ごく普通のプールなどに付き合わされて何度か行った。
しかし高校生になったあたりからあまり行かなくなった。今回も夏が進路変更した口である。
夏自身も人のことは言えないのだが、ちょっと離れているとナンパ目的の男がほのかを取り囲む。
元々見た目は悪くないほのかは年頃のせいで随分と男の目を引くようになったことが原因だった。

”中身はまだまだなんだがな・・”

保護者位置の夏は溜息とともに何度もそう思う。無邪気で子供っぽいところも彼は気に入っている。
ただ眼の前で成長を見せつけられて、無心でいられるほどに彼は唐変木なわけでもないのだ。

ほのかにダイスキだと擦り寄られれば動揺するし、視線が疚しい部位へと引き寄せられることもある。
困ったもんだと夏は得意のだんまりで、ほのかからはよくテンションが低いと怒られるのだった。

”オマエのせいじゃねぇか”

そう文句を唱えれば仏張面に拍車が掛かってもっと不機嫌になるという具合だった。

「次は何して遊ぼうか。・・あっそろそろスイカ割りじゃない!?」
「二人でして面白いか、それ?」
「ちゃんと棒持ってきた?手刀は嫌だよ、ほのかにはできないし。」

結局ほのかが突き進んでしまい、文句を言うのも無駄だと更に夏は黙り込んだ。
冷やしておいたソレの前で目隠しをしてウロウロするほのかに一応の指示を出す。

”しかしアレだな・・気付かなかったが目隠しで水着って・・エロいな・・”

などと心の中で不埒なことを考えてしまったが、当然彼はポーカーフェイスのまま。
そもそもこんな場所で二人きりの状況をほのかは少しも警戒しない。白い肌を曝したままでだ。
そんな気がなくとも、こうまるきり意識されないのも不満に感じてしまう夏だった。

「ちょっとお〜!どっち!?わかんないよう・・」
「あーまたそれた。右だ。右へ3歩。」
「いち、にの・・さんっ!!やった!?」
「おお・・一応割れたぞ。」
「やったーっ!!ほのかエライ!スゴイ!優勝です!!」
「オマエしかやってないけどな。」
「なっちがやってもつまんないもん。あっさり割るから。」
「まあな。」
「なんでわかるの?匂い!?」
「ん〜・・質量の感じ方で。」
「は?なんじゃそら・・??」
「目隠し取れよ、食うんだろ。」
「ウン・・て、あれ?取れない。なっち取って!」
「なにしてんだ・・キツク結びすぎたのか?」

結び目を解こうと近づくと否応なくほのかに接近しなければならない。
ほのかが見えない状態なのをいいことに肌へと視線が流れてしまう。

”しかし・・いつのまに成長するんだ?こういうのって・・”

ほのかはそんな夏の視線に気付いてはいないが、はっと我に返ると夏はいかんなと頭を振った。
水着は当日まで秘密だと言って見ていなかった。部活で日焼けしてるという認識をまずは打ち砕かれた。
申し訳程度の布しかない水着から見えた肌は白かったのだ。熟した果実を想わせて目が眩みそうになった。
まだ誰にもゆるしていないであろう体は思った以上に成長していて直視するのが辛いほど眩しかったのだ。

「なっち?取れない!?」
「・・あ・スマン。取れたぞ。」
「ありがとー!」

ほのかが振り向いて夏の眼前で微笑んだ。至近距離でまともに見たせいでうっと胸が詰まった。
いつもの無愛想な夏を想像していたのか、ほのかはあれっと驚いたように夏の顔を見直した。
そしてぼけっとしている(ように見える)夏の眼の前で自分の手をひらひらと左右に揺らしてみた。

「ちょっとなっち。見えてる?!」
「・・・?ああ見えてる。どうしてそんなこと訊くんだ。」
「目隠しを急に取ったときみたいな顔してたよ。」
「どんなんだ、それ。」
「目が痛かった?眩暈したとか。」
「・・・・あぁ少し。」
「もう大丈夫?!」
「どうってことない。」
「そっか。じゃあスイカ食べよ!」
「そうだな・・」


人目にさらしたくないという理由でほのかを離島へと連れて来たのに、夏は後悔し始めていた。
美味しそうに西瓜を頬張るほのかの指から零れる果汁にすら、いけない想像を掻き立てられる。
夏は自分にしっかりしろと言い聞かせるが効果がない。理性が砂のように風で飛び散りそうだった。
このまま体が意識を凌駕してしまったらどうする!?夏は不安でいつもの自信が崩れそうになっていた。

「なっち・・もしかして具合悪いの?水分取ってるけど・・足りなかったのかな。」
「・・心配すんな。・・なんでもないから。」
「だけど・・もっとこっちおいでよ、パラソルからはみ出そうだよ。ほのか膝枕してあげる。」
「いらん!貧血でも熱中症でもないから!」
「いいからちょっと休憩しよ?なっちが具合悪かったらどっちみち帰れないんだし。」
「船くらい動かせる。もう帰るか?」
「・・・もしかして帰りたいの?ほのかと二人だと・・つまらない・・?」
「そうじゃ・・そんな顔するな・・ってオレが・・妙な顔してっからか・・スマン。」
「ムリしないで。ね?おいでよ、ちょっとここでのんびりと・・」
「いいからオレに触るな!」

一瞬世界の音が消えた。夏は自分でも驚くほど大声が出たことに益々自信が揺らいだ。


”失敗した”と夏はほのかが固まった瞬間にそう思った。振りほどかれた手をほのかは握り締めた。
同時にほのかの唇がかみ締められる。悲しそうな顔に夏はびりびりと頭から引き裂かれるような気がした。

「ちがう・・違うから泣くな!頼む。」
「なにがちがうの・・なっちの・・バカバカ!知らないよっ!!」

ほのかがいきなり立ち上がって海へと向かって駆けて行こうとした。
慌てて夏が後を追い、腕を掴んだら今度はほのかが烈しく腕を振ってほどこうとした。

「大丈夫だよっ!ちょっと泳いでくるだけ。なっちは休んでいなさいっ!」
「行くな、一人にしないでくれ。」
「えっ・・?」
「休むから・・傍にいてくれ。」
「やっぱりしんどかったの?ウン・・わかったよ。」

膝枕はなんとか勘弁してもらったが、夏はパラソルの下に寝かされ、
クーラーボックスの保冷剤をハンドタオルにくるんで頭に乗せられた。

「熱なんかないって・・」
「気持ちいいでしょ!何か飲める?飲ませてあげようか!?」
「いい・・大丈夫だ。」
「遠慮しないで。ほのかに何でも言ってよ。」

ほのかの優しさが胸に痛かった。しかしその申し訳なさのおかげで夏の頭も冷えたようだった。
確かに熱などなくても額の冷たさは気持ちがよく、ほのかの細い指先が前髪をどけるのも心地良かった。

「元気出して。そうだ、チューしてあげよっか。」
「いっいらん。逆効果だ。」
「はい?・・なんで??」
「・・オマエにその・・のぼせた・・んだ・・だから心配する必要なんかない。」

正直に伝えるのは昔から苦手で、夏はやっとそれだけを呟くとほのかから目を反らしてしまった。
ほのかは少し目を丸くしたが、すぐにふっと微笑んだ。「なぁんだ・・」と言った頬は赤く染まっている。
しかし視線を外していた夏にその赤く染まった頬は見えなかった。気まずくてずっとそらしたままだった。

「なっち、チューしよ。」

横を向いていた夏の耳元にそう囁かれ、驚いて振り向いた夏はほのかの頬の熱さにようやく気付いた。

「・・こんなときに誘惑するなよ。キスだけで済まなかったらどうすんだ。」
「どうしよう?!ちょっと困るかな。なんとかキスくらいにしといてくれる?」
「オレはちょっとなんてもんじゃないくらい・・大いに困ってんだ!」
「せっかくこんな綺麗な場所で二人きりじゃないか。キスくらいはしとこうよ。」

「オマエ・・オレの言ってること理解してるか?」
「へへ・・あのさぁ、ほのかもなっちと一緒だよ。」
「一緒だ?」
「どんどん好きになってるんだ。止まんないよ。困ったねぇ!?」
「オマエ・・も?」
「ウン」
「じゃあその・・もうダメだな、二人きりでこんなとこ来るのは・・」
「どうして?誰もいないのに。」
「こんなとこで・・色々されたいってのかよ?」
「んーとね、場所はどこでもいいよ。なっちとなら。」
「ちょっとくらい止めろよ。煽ってどうすんだ。」
「嬉しいんだもん。子供だって思わないでくれるんでしょ?いつからなのさ〜!?」
「・・・わかんねぇよ。いつからかなんて・・・」
「まぁいいよ、それは。今が大事だもんね。」


白い砂浜で交わした口付けを、きっと何年経っても覚えてるだろうとほのかは言った。
こんな風にたくさんステキな思い出を増やしたいんだと赤い頬と輝くような笑顔を浮かべて。
叶えさせてくれるかと恐る恐る夏が頼むと、ますます笑顔は煌きを増して夏の目を焼いた。
そんな風に思い出はいつもほのかの幸せな表情で埋め尽くされるといい、夏は素直にそう思った。
白い肌も一緒に焼き付けてずっと宝物にしよう。そう誓うと手を繋いでもう一度二人は口付けた。








夏の思い出をたくさん作って欲しいと思いつつ書いてみましたv
しかしこの後・・踏み止まるのを苦労しただろうなぁと思うと・・(ぷぷっ)
そうそう、セスナが降りられるのだからそんなに小さい島じゃないと思うよ・・お金持ちめ!