「ショットガン・マリッジ」とはいわゆる「でき婚」
(「できちゃった婚」)を指す言葉である。その由来は
妊娠した娘の父親が相手の男性にショットガンを突きつけ
強制的に結婚させた、というエピソードからきているらしい。

谷本夏は自分自身にそんな単語は無縁だと思っていた。




Shotgun marriage (後編)




谷本夏の額には猟銃が僅か数ミリの隙間を残して突きつけられていた。
まるで見えていないかのような無表情の夏を白浜元次は見据えていた。

ほのかは別室で待機させられており、部屋には父・元次、夏、母・沙織の三人である。
待て、と言われて抗議したが受け入れられず、ほのかは部屋の外で固唾を飲んでいた。
部屋には異様な緊張感が張り詰められ、いつもより見守る沙織の表情が硬く険しい。
何より猟銃を人に突きつけている元次を止めようとしない。そんなことは初めてだった。

「君は約束を違えるような男だったのか!?私の見込み違いか。」
「・・なんと言われても構いません。ほのかさんとの結婚をお許しください。」
「言い訳してみたまえ。それもできないのかね!?」
「お許しくださらないならそのまま引き金を引いてください。」
「・・私にできないと思っているのか。」
「いいえ。」
「それは死んでもいいと言っておるのか。」
「そうです。」

「・・・腹の子の父親は君に間違いないのだな。」
「間違いありません。」

かちりと乾いた音が部屋に響いた。安全装置の外される音だと男二人にはわかる。
沙織もわかってはいた。土壇場とはこのことだが、安易に飛び込めないと承知していた。
例え達人クラスの腕前としても、元次は今正常な精神状態とは言いかねる。
タイミングを間違って踏み込んだ拍子に引き金を引いてしまったらお終いなのだ。
夏はとても静かな口調だった。対する元次も予想を超えて静かだったが逆に怖ろしかった。
沙織は背中が冷たくなったが、役目を果たすため夫の一挙一動を射るように見つめていた。

「どうして?!お父さん!」

元次も沙織も夏ですら、ほのかが部屋に入ってきていたことに気付いていなかった。
ほのかは夏を庇うように父親と向き合うと、曇りのない大きな瞳で元次を見た。

「ほのかが赤ちゃん欲しかったの。なっちは何にも悪くないよ。」

さすがに娘に銃を向けていることはできず、元次はそれを下ろすと娘の言葉に耳を傾けた。
すぐ横で沙織が小さく息を吐くと居住まいを正し、元次に寄り添い同じく耳をすませた。

「ほのかすごく嬉しかった。少し早かったかもしれないけどなんにも後悔することしてない。」

既に母親のような落ち着いてしっかりとした態度のほのかにその場にいた誰もが驚いていた。

「反対されたって赤ちゃんは絶対に産むからね。」

気圧されて沈黙したままの元次の肩を沙織がぽんと軽く叩いた。それで金縛りが解けた元次は
「・・・・・・わかった。」とだけ告げると持っていた猟銃をケースに収めた。
夏は畳に頭を押し下げた。ほのかもそれに倣い頭を下げるのを後に元次は部屋を出て行った。
本来ならばそこで一応の決着がついたことになるのだろうが、沙織と夏の二人の表情は硬いままだった。
ほのかだけはほっとした様子だった。夏はほのかに礼と労いを告げて白浜家を辞した。

「ほのかのこと、宜しくお願いします。それと連絡はここに。」
「わかりました。こちらこそお願いね?」
「連絡をいただいたら飛んできます。」

帰り際、沙織と夏がそんなやりとりをしていることをほのかは知らなかった。

その夜遅くに沙織はほのかと少しだけ話をした。

「いつ頃からきてないの?」
「2ヶ月・・くらいかな。」
「そうだと確信したのはいつ?」
「あのね、夢を見たの。」
「夢?」
「可愛い赤ちゃんの夢。ほのかが抱くと笑ってた。なっちもいたよ。」
「そう・・それで2ヶ月ほど前にそうなった心当たりがあるのね?!」
「えっ・・えっと・・ウン・・・」
「いい?ほのか。明日病院で何言われてもしっかりしなさいよ、お母さんになる覚悟なら。」
「ウン!大丈夫だよ。」
「そう祈ってるわ・・」


夏はその夜眠れなかった。どうせ眠れないとベッドにすら足を向けなかった。
気がかりなのはほのかのことばかりで、自分の予想通りでもそうでなくても結果が怖ろしい。
ほのかが泣いたり傷ついたりするのは見たくない。自分にできるだけのことをするだけだ。
そう心に決めてはいたが、もしかしたらほのかと誰か知らない男の子を育てる結果になったら・・
迷わずにいられるだろうか。そんなことはありはしないと思っていながら完全に打ち消せない。
しかしほのかの迷いのない想いは今日確かめられた。だから揺らいではいられないのだ、自分も。
結果が出たら全力を尽くすしかない。ほのかを護る、そのことだけ考えていればいい。
どうなってもほのかを愛しているのだから。傍にいてくれるのなら・・・他に望むものはない。
長い長い夜だった。夏にとって生まれて以来これほど長いと感じた夜はなかったかもしれなかった。



次の日、夏は一台の携帯から目を外すことができなかった。
沙織からの連絡用のものだ。他は全て着信拒否されている。
仕事も無理を言って空けさせた。秘書たちは目を回しているだろう。
それでも仕事など手につかないことはわかりきっていたので躊躇しなかった。
ほのかの母、沙織からの連絡を夏は胃に穴の開きそうなほど待ち続けた。
その待ち続けた着信の呼び出しが鳴った0.1秒後には手に取っていた。
そして同時に走り出してもいた。既に向かう準備は早朝から整えてあった。
白浜家に着いたのが連絡後あまりに早かったので沙織は驚いた。

母親は「交代よ。後はよろしくね。」とだけ言うとほのかの部屋へ上がる夏を見送った。
夏はほのかの部屋の扉を一応ノックはしたが、返事は待たずにドアノブを回した。
鍵がかけられていなかったことにほっとした。蹴破らずに済んだからだ。
夏が来ることは承知していたのだろう、背を向けていたほのかの肩がびくりとした。
迷わずにそのまま近づくと、夏はほのかを背中から抱きしめた。
しばらくするとほのかの喉から堪えきれない声が漏れてきた。
泣くのを我慢していたんだろうと夏にはすぐにわかった。抱きしめる腕に力が入った。
しかしその腕を振りほどこうとしてほのかは抵抗した。夏が少し腕をゆるめてやると、
飛び出すようにしてその腕を押し退けたかと思うと体の向きを変えて夏に抱きついた。

「なっちぃ・・!」

夏はほのかが悲しむのは見たくなかった。けれど泣き出したほのかを止めはしなかった。
堰を切ったように泣くほのかを抱きしめて、黙ったまま優しく髪や背中を撫でてやる。
潮が引くように気持ちの昂ぶりが治まるのを待っていると、ほのかは少しずつ話し始めた。

「・・ごめんね・・赤ちゃん・・来てなかった・・」
「夢見たんだって?さっき聞いた。」
「ウン・・幸せだったのに。きっと本当になると思ったのにっ・・!」
「本当さ。なるから。オマエは何も思い違いなんかしてないんだ。」

夏の言葉は力強くて真剣だった。ほのかは思わず顔を上げて夏の顔を見つめた。

「きっと未来からオレたちのこと見に来たんだよ。」
「でも・・」
「ちょっと見に来た時期が早かっただけさ。そのうち現実になる。」
「わかるの?」
「オマエに似て慌て者なんじゃないのか?」
「ヒドイ!・・でもそうかな。赤ちゃんまだだったけど・・来てくれるんだ。」
「これで後はもういつだか楽しみに待ってりゃいいってことだ。」
「ウン。えへへ・・楽しみだね。先に延びちゃったけど。」
「そうだな。それに・・その前にすることしないとな。」
「あ・・」

すっかり涙も引いて笑顔が戻ったとき、夏に言われてほのかは顔を真っ赤にした。
どうやら母親からできるはずのないことを知らされたらしく、俯いて唇を噛んだ。

「ほのか・・それは・・思い違いしてた。二ヶ月くらい前・・眠っちゃったあの日・・」
「ああ、あったなそういえば。長いことキスしてて目回したっつうか・・」
「やーーーっ!!言わないで。ごめんなさいっ!ほのか・・うう、ハズカシイ・・・!」
「まさかなぁ・・いくらなんでもって思ったんだが・・」
「だからごめんなさいって!怒られたの、お母さんに。なっちがかわいそうって。」
「そうか、悪かった。オレは構わないからって言ったんだが。」
「なんでお父さんにあんなこと言っちゃったの?」
「オマエがほんとに妊娠したんなら結婚するしかないし・・許してもらわないとダメだろ?」
「けど違うかもって思ってたんでしょう・・?!」
「そんときはオマエがきっと泣くだろうから・・オマエの母親に確かめたらフォロー頼んだんだ。」
「・・・ほのかが心配だった?」
「産む気満々だったからな。まさか他の男になんかされたにしては話がおかしいと思ったし・・」
「そ、そうか。そういうことしないと・・赤ちゃんできないんだったね。」
「さすがのオレも驚いた。どこのだれにそんなことされたんだって、存在しねぇ奴を殺しかけた。」
「なっちぃ・・ホントにごめ・・」
「謝るな。オマエは何にも悪くないから。」
「なっち大好き。お嫁にもらってね。すぐじゃなくても。」
「ああ、おかげで早く結婚したくなった。」

夏とほのかは微笑み合うと口付けを交わした。久しぶりな気のするほろ苦い味がした。
沙織は「私も娘の無知に関しては謝るけれど、夏くんもほのかを甘やかしすぎよ。」と言った。

「なっちを怒っちゃやだ、お母さん。」
「怒ってないわ。他人の子でも自分が父親として育てるって言い切っちゃうんですもの。寧ろ自慢よ。」
「そう・・かな?」
「惚気てくれるわよ、二人して。これからも仲良くね。」
「ウン。ずっとずっと仲いいよ。安心してね。」

その晩は父親も真相を知って夏に頭を下げたりと一騒動あったが、やがて和解となった。
そして「むすこよ〜!!」と元次は涙ながらに夏を引き留め、祝い(?)酒に付き合わせた。

「もしかしてあのまま結婚してたら『できちゃった婚』になったのかしらね?」

沙織が面白そうにつまみを用意しながら呟くと、眠ってしまったほのかを膝に乗せた夏は

「というか『ショットガンマリッジ』を体現することになりましたね。」と答えた。

「皆を振り回した当人は安らかねー!夏くんベッドに運んでくださる?」
「あ、そうですね。」

出来上がってしまっている元次に聞こえないように沙織は夏の耳元に囁いた。

「そのまま戻って来なくていいわよ、お父さんは私が引き受けるから。」
「えっ・・あの、黙って帰っていいんですか?」
「泊まっていきなさい、もう遅いし。運んでそのまま寝てもいーわよ。」
「!?・・まさか・・本気で言ってませんよね?」
「いいんじゃない?できてしまったらそのときはそのときで。」
「あの・・冗談に・・聞こえませんが・・?」

夏はもちろんそのままベッドインすることはなく帰宅した。明日は仕事の山が待っている。
今晩も眠れそうもないなと溜息を吐いたが、昨日とは打って変わって穏やかな気持ちだ。
人騒がせな恋人と一緒に暮らす夢は漠然としか描いてなかった。しかしその夢を近づけたくなった。
秘書たちがまた目を回すかもしれないが「結婚」を今後の予定表に書き加えることにしようと夏は思う。
無茶振りに周囲が慌てたら、「できた」ことにしてしまうかなどと考えながら、夏は一人苦笑した。








リクエスト内容を充分に活かせなかったかもしれませんがお許しいただけたらと思います。
ステキな題材をリクエストしてくださってありがとうございました。(^^)