優しい風が吹いて水面に現われる無限の円たち。
波へと変わる前の静かに震える水が広がっていく。
強くはないが確かな形。目を閉じればそれらの形は
体の中へ、外へと響き渡る音のように感じられた。


不意を突いて夏がほのかに口付ける。
最初からそうだった。そしてそれから
身構えるようになった。ところが、だ。
そんなときは肩透かしを食らうのに、
何も予測できないときにまたなされる。

軽く触れるだけだ。それでもドキリとする。
好きな男からされるものだから、嫌なわけはない。
けれどどうしていつもいつも不意を突くのか?
それがほんの少し悔しくて、訳が知りたい。
ところが尋ねてみても答えもまた曖昧なもので
最初に訪れたときのような優しい風が通り過ぎるだけ。

初めてのときはあまりに唐突で何が起こったか理解までに時間がかかった。
小さな聞き慣れぬ音と、微かな弾力。今のはなんだったかと目を見開いた。

「・・・今・・ちゅーした?」

ほのかが呆然とそう質問したことをどう解釈したのか、再びされそうになり、
おお慌てでそれを制した。それくらい二人の間には温度差があったのだ。
恥ずかしいやら困惑でパニック寸前のほのかに対して夏はあくまでも冷静で
(少なくともほのかにはそう見えた)嫌がられたのかと眉間に皺を寄せた。
その後なんとか和解やらぎこちない意思の疎通を経て、現在に至る。
けれど一方的な気がほのかの側には湧き起こってきた。何故だろう?

どうして不意になのか?いや自分がニブイのでサインに気付かないのか?
ごく軽い触れ合いはくすぐったくて胸がときめく。つまり嬉しいのだ。
ただその度に水面に絵を描く漣のように、ほのかの内から波が生まれる。
ざわざわ、ゆるゆると広がる穏やかな波紋だ。不思議が頭の芯まで響く。

「あっ・・」

何かがわかりそうだったのに、それは一瞬後に唇に乗ってしまった。
柔らかくてあたたかい温もりに酔う。だが離れるとほのかは夏に詰め寄った。

「またそうやっていきなり!どうしてか教えてよ。」
「・・・わからん。気付いたら・・してるんで・・」
「ええ〜!?そんないい加減な!?」
「いい加減って・・別にふざけてなんかないぞ。」
「そりゃそうだろうけど・・」
「口を尖らせるなよ、またしたくなる。」
「!?・・すっ・・好きにすれば!?」
「いいのか?」

夏の指が頬や顎を掠ると、途端に体が熱くなる。ぎゅっと目を閉じてしまう。
そのときほのかは閃いた。”こんな風に固くなるから・・なっち遠慮してる・・?”
夏の口付けはいつだって優しいそよ風のようで、それ以上のことは一度もなかった。
ひょっとすると堪えきれずに触れている?そしてすぐに引いてしまうのだ。
だから小さな波紋だけが広がって、それがほのかの体た頭を緩やかに揺らす。
そういうことなのだろうかと、ほのかは思った。そしてそれが不満だったのかとも。

口付けの後、目を開けたほのかに夏の眼差しが飛び込んでくる。
愛おしそうに見詰められて黙ってしまう瞬間だ。言葉が追いつかない。
しかしそのときほのかは確かめてみようと密かな決意をして身を乗り出した。
夏にも伝わったのか、意外そうな顔になったが、動かないでいてくれた。
いつもされていることを目を閉じて思い出しながら、ほのかから唇を当てた。
加減ってどうやってするの!?と焦ったせいか急ぎ引いた拍子に唇が揺れた。
確かな感触で真っ赤になったほのかが慌てるさまも、全てを夏は見詰めていた。

「しっ失敗したかな?へへっ・・」
「そんなことない。珍しいな?」
「・・・・・・うん・・・」

夏が蕩けてしまいそうな微笑みを浮かべたので、ほのかは一層体全体が熱くなった。
恥ずかしい。余裕のある夏にまた子供っぽいところを見せてしまったようで
それでも紅くなる頬を鎮める術を知らず、ほのかは俯いて頼りない返事をしただけ。
そんなほのかをゆっくりと引き寄せると、夏の胸が出迎えてほのかを取り囲んだ。
胸が最高潮に騒がしいが努めて大人しくした。これ以上恥ずかしいのは耐えられない。

「もう少し・・いいか?」
「え?何・・」

夏の質問に顔を上げて聞き返すと、夏の唇が眼の前に迫る。
目を閉じようとしたが、夏が片方の手でほのかの頭を上向けたので驚いた。
なので閉じるタイミングを逃したほのかは大きな目を見開いたままだ。
そんなことにはお構いなしに夏の口がほのかの口に覆いかぶさった。

”いつものじゃ・・ないっ!?”

せっかくさっき答えを見つけたかと思ったほのかだったが、その小さな発見も
解ったと思った小さな満足感も吹き飛ばされ、繋がっている二人の熱さに戸惑った。
無意識に目蓋は下ろしていたらしいが、それどころではない。息が苦しいのだ。
夏が少し離して「息を止めるな。」と囁いた。声までもが熱くて体がびくりとした。
言われたものの、よくわからず体を支えたくて夏の服をきつく掴んでしがみついた。
力が抜けてしまうからだ。頭から砂のように崩れて落ちそうな自分の体が怖い。
知らず滲んだ涙にも気付かずに、突然離れたときの吐息の熱さに頭が白く弾けた。

「・・・まだそんなになるようなことはしてないぞ?」
「っ・・はっ・・ふっ・・ぅ・・そ、そんなって・・?」
「おまえ・・相当なことされたみたいんなってる。」
「なっなに言って・・る?の・か・・わかんない・・よ!」
「すまん。こんなつもりじゃ・・・」
「!?」

初めて感じる恐怖といっていい驚愕とともに夏の舌がほのかのソレを絡め取る。
熱い体が呼吸を、酸素を求めて鼓動を早める。自分が何をされているかもうわからない。
あれほど穏やかだと感じていた水面に激しく波が打っていることにそのときは気付かない。
何がそんな波を呼び寄せたのかということも、このときのほのかにはわかりようがなかった。


はぁはぁと荒い息ではあったが、やっと意識の戻ったほのかが目にしたのは
やはり夏だったが、すまなそうな顔でほのかが抱き起こした。

「・・なんでほのか・・あ・・あれっ!!??」
「悪い。やばかった・・あんまりおまえがその・・アレなんでつい・・;;」
「アレってなに!?ヤダッ!なんでこんなぐしゃぐしゃになってるのっ!?」
「う・・その、スマン。けどその、踏み止まったことでカンベンしてくれ!」
「ふっふみとど・・ほのか・・危なかったの!?」

いつの間に押し倒されていたのか?!何故服がこんなに乱れているのか?!
ほのかはさっきまでの出来事がフラッシュバックしてくると悲鳴を上げた。

「いやあああああっ!なっちのえっち!バカッ!なにするんだよう〜!?」
「すっすまんっ!オレもヤバイと思って必死で耐えたんだよ!赦してくれ。」
「たっ耐え・・なんなの、ほのか一生懸命考えて・・不意打ちに悩んで・・」
「?・・悩んでたって・・オレの不意打ちに?」
「そうだよっ!やっとなんとなくそうかなってわかったような気がしたら・・」
「・・・・・・・」
「なんだったの!ほのかの悩み!なんなのアレ!知らないことばっか・・ひくっ・・」

ほのかの大きな瞳に溢れ出した涙に夏は一層青ざめ、悲痛な顔になった。
うわっと泣き出したほのかを見ておろおろとしていたが、覚悟を決めると
ほのかに自分を殴るなりなんなり気の済むようにしろと言って頭を深く下げた。

「・・・じゃあなっち、こっちきて。」
「・・ハイ・・」

頭を依然下げたまま夏がほのかににじり寄ると、怒った顔のほのかは
折り曲げた夏の体の中、つまり懐深くに潜り込んだので夏は驚いた。
ぺたりと夏の腹に抱きついたほのかは、しばらくこうしてじってしていろと言う。
小さな子供を抱っこしたような夏は所在無く頭を掻いた。

「ほのか・・で、オレはあとどうすれば・・?」
「何もしないでじっとしといて!そう言ったでしょっ!!」
「はぁ・・スミマセン・・!」
「フン!だ。」

すっかり拗ねたようなほのかを腹に抱えて、夏は途方に暮れかけていた。
怒らせたのは自分であるのだし、逆らえない。しかしこの状況は・・なんだろう?
きつく抱きしめられているようにも思える格好で、密着度も半端ない。
もしやこれでじっとして何もするなというのがさっきの不埒な行為への罰なのか?
毎回遠慮がちにしていたささやかな触れ合いにほのかは随分悩んでいたようだ。
それがわかって、かわいそうなことをしたと感じつつ、”可愛いヤツ”とも思う。

「なぁ・・頭なでるのもダメか?」
「ダメ。」
「何時頃・・赦してくれるんだ?」
「ほのかの気が済むまで。なっちが言ったんだからね。」
「そうですね・・はぁ・・」
「ほのかをいっぱい悩ませた罰だよ。」
「オレも悩んだぞ?どうすればもっと・・近づけるかって。」
「・・・・正直に言わないから・・・」
「苦手なんだよ、知ってるだろ!?」
「努力は得意でしょ!手を抜いちゃダメなんだよ。」
「・・・・正論です。」
「さっきのは・・やりすぎちゃったの?」
「あぁ。おまえがあんまり可愛い反応するんで・・ブレーキが効かなくなって;」
「ふ・ふぅん・・仕方無いなぁ!意地悪でしたんじゃないんなら・・・いいか。」
「ほのか!」

今までに聞いたことのない声はこれで三度目だ。ほのかの耳を打った声。
初めは怖くて眩暈がするほど熱い声だった。二度目は叱られた子どもみたいな。
そして今度は嬉しそうな声。自分に赦してもらおうと一所懸命な男の声だった。

「ゆるしたげる。ほのかのことヨシヨシして。」
「ああ。キスは?今日はもうダメなのか・・?」
「・・・いつもの不意打ちくらいならいいよ!」
「了解。」
「あっ・・すばやい・・」
「得意技だ。」
「なんかほのかも得意なのが欲しい。必殺技とか!」
「おまえそんな・・これ以上無敵になってどうすんだよ!?」
「え?ほのか、無敵なの?すごく強そうだね?」
「当たり前だ。おまえが泣いたり拗ねたりしたらもう・・死にそうになる。」
「なんだか・・いい気分。そうかぁ!そんなにほのかのこと好き?」
「わかんないならいくらでも・・」
「すとっぷ!押し倒しちゃダメだよ!」
「・・・まさかずっとか・・?」
「どうしようかな〜!?ほのかが怖くなくなるまで。」
「そりゃしょうがねぇな。」
「ふふ・・漣だってバカにしちゃだめなんだね・・・」
「なんのことだ?」
「ううん、なんでもない。なっち、慌てないでよね。」
「おまえもあんまり誘うなよ。」
「そんなのわかんない。」
「ちょっ・・それじゃオレに圧倒的に不利じゃねぇか!」
「だっていつ誘ったかなんかほのか知らない。わかんないもん。」
「・・・・・おまえ・・・反則ばっかだ・・・」

深い溜息を吐いた夏をほのかはヨシヨシと撫でてやった。
オマケで頬にキスをすると、夏は「ホラまた反則!」と不満を漏らすので
幸せな充足感がほのかの体から広がっていくのを感じた。そう、漣のように。







無意識の誘い受けなほのかさんを書いてみました。
夏さん余裕ないない!全くほのかの勘違いです。(笑)
夏サイドも書こうかな〜!?やましいことだらけですよ。