漣 〜夏サイド〜


明鏡止水とはよく言った言葉で常にそうであれば
取り乱すことなく冷静に己の能力を引き出せるだろう。
それは困難であるからこそ、謳われた効能なのだ。
最強の相手を前にそうであることの難しさならば
日々感じている。そして身を持って確かめてもいた。


不意を突いてほのかに口付ける。
無邪気な顔で無防備に笑う憎らしい唇に。
ぴくりと固くなる幼い体に罪悪感が走る。
やましい想いならそれで断ち切れるのに、
確かめずにいられず触れるときには難しい。

例えばほのかがここにいると確かめたいとき。
欲深いオレをどこまで受け入れてもらえるのか、
どこまで近付いていいのかはほんとうにわからない。
それらを知る糸口を手繰ろうと構われたがる幼子のように。
すべての始まりもきっかけすらほのかがもっているのだから。

己の内に漣が立つ。湧き起こる瞬間は静かであっても、
その小さな波がいずれ何もかも飲み込もうとする渦を呼ぶ。
知っている。それでも風を起こさずにいられないということ。
震える肩に目を瞑り、幸せを手繰り寄せようと懸命な己を。

「・・・今・・ちゅーした?」

ほのかが呆然とそう質問した。大きな目はオレを見ていた。
気付かなかったはずはないが、揺れる瞳に再び挑もうとすると
必死に止めようとされ落胆する。そうとわかっていながらも。
しどろもどろであっても互いの胸の内が交錯し、暴かれていく。
何度も挑み、暴かれ、よろよろとそれでも縋ろうとするオレを
いつも優しい微笑みで慰め、諌めてくれるのがほのかだ。

疑り深いオレをいかなるときも安心させようとしてくれる。
どんなことがあっても大丈夫と誓ってまで。僥倖と言っていい。
大海へと誘おうとするオレの確かな道標にきっとなってくれる。
そう感じる度に愛しさと尊敬に包まれ、未熟な己を平伏させる。

「あっ・・」

幾度目だったか、そのときほのかはいつもと違う反応を示した。
小さいが扇情を秘めた声に頭と体は一瞬で鷲掴みされてしまった。

「またそうやっていきなり!どうしてか教えてよ。」
「・・・わからん。気付いたら・・してるんで・・」
「ええ〜!?そんないい加減な!?」
「いい加減って・・別にふざけてなんかないぞ。」
「そりゃそうだろうけど・・」
「口を尖らせるなよ、またしたくなる。」
「!?・・すっ・・好きにすれば!?」
「いいのか?」

恐る恐る手を伸ばすと、やはり身構えはするものの目蓋を下ろす。
そしてオレに縋るように伸ばされる両手と、支えを求める体を受け止めると
いつにない警告が襲った。常に高く拵えている堤防がぐずりと強度を失う。
これではほんの僅かな漣が立っただけでも、脆く崩れ去ってしまうかもしれない。
押し隠そうとするほどに高くなる波が一度堰を切れってしまえば治めるのは至難。
しかし鎮めようとする気持ちを嘲笑うように、ほのかの喉が妖しく鳴った。

口付けの後ゆっくりと開けられた瞳も縁取る睫までもが魔力のごとく引き寄せる。
抗い難い誘惑。無意識に零す吐息も、潤んで耀く瞳の奥も強い力でオレを呼ぶ。
今ならほのかは容易くオレを殺せる、そんな物騒なことを考えているとほのかは
途惑いながら、自らの体を乗り出してオレへと投げ出そうとしているかに見えた。
呆然としながら見ていた。見惚れて呆然としたのかもしれない、ほのかからの口付けに。
押し付けた弾力に慄いて反射的に体を離すと、二人の唇が名残を惜しむように揺れた。
その感覚に顔を真っ赤にする。ずっと見ていたオレの頭の中は大部分の機能を放棄した。

「しっ失敗したかな?へへっ・・」
「そんなことない。珍しいな?」
「・・・・・・うん・・・」

嬉しくて思わず笑ったかもしれない。釣られたようにほのかが口元を弛ませた。
躊躇無く引き寄せ取り込んだオレに、恥ずかしそうに頬刷りする熱い頬が可愛い。
頷いて招き入れてもらえたと感じたオレはほのかを少し強めに抱きしめてみた。
ほのかは抵抗の欠片もなかった。そのことにオレは大いに都合の良い解釈をした。
今までよりも深く、強く感じ合うことを赦されたとこのとき勘違いしてしまった。

「もう少し・・いいか?」
「え?何・・」

見上げたほのかを有無をも言わせず覆い隠した。甘い唇ごと飲み込む勢いで。
卑怯にも抵抗を封じるために片手で頭を押さえ、より深く繋がれるようにした。
驚きと途惑いでほのかは目を見開いたままだったが、それは抑止にはならず、
渇いた者が縋るように水を求める、そんな感覚でほのかに貪りついたのだ。

可哀想に、オレに何もかも封じられてもがくほのか。流石にこれはマズイと感じた。
すぐに止めて解放してやれ!と一人のオレがレッドカードをかざしていた。
しかし甘いのは唇や舌だけでなく、途切れ途切れに伝わる息さえもが甘く切ない。
未知の体験に混乱は来たしていても、ほのかはオレに必死で縋りついてくる。
それが嬉しくて可愛くて、別のオレが発する警告を悉く無視していくオレがいた。
「息を止めるな。」と苦しそうなほのかに告げた。素直に息を継ごうとする。
そしてもっとと要求するかのように更にキツくオレにしがみつき、離さない。
しっかりと支えているだけで言いようの無い幸福が湧き起こる。夢でなく現実だと。
初めての深い口付けに酔ったオレの目に飛び込んだのはほのかのいつにない姿だ。

「・・・まだそんなになるようなことはしてないぞ?」
「っ・・はっ・・ふっ・・ぅ・・そ、そんなって・・?」
「おまえ・・相当なことされたみたいんなってる。」
「なっなに言って・・る?の・か・・わかんない・・よ!」
「すまん。こんなつもりじゃ・・・」
「!?」

それ以上は求めていなかった。なのに体が呆気なくほのかの軽い体を組み敷いた。
そこからは激しい鬩ぎ合いだ。ダメだ!止めろ、夏!と叫ぶオレと止まれないオレの。
止まれないオレを堰きたてるのはほのかの喘ぎと反応だ。何もかもが悦びを引き出す。
そのどうしようもないオレを静止させたのはやはりほのかだった。小さく嫌だと泣いた。
嫌がっていることを心のどこかで打ち消していた。それにはっきりと答えてくれたのだ。

乱れた息は治まっていないが、オレが解放したことで顔には少しずつ安堵が浮かんだ。
一旦冷静さを取り戻すと怖ろしい罪の意識が襲ってきた。ほのかに赦されるかどうかと
まるで地獄に落とされ、裁きを受ける罪人のような気持ちだ。熱かった体は急激に冷えた。

「・・なんでほのか・・あ・・あれっ!!??」
「悪い。やばかった・・あんまりおまえがその・・アレなんでつい・・;;」
「アレってなに!?ヤダッ!なんでこんなぐしゃぐしゃになってるのっ!?」
「う・・その、スマン。けどその、踏み止まったことでカンベンしてくれ!」
「ふっふみとど・・ほのか・・危なかったの!?」

やっと呼吸も整ってほのかは声もいつもと変わりない調子を取り戻した。
すると突然フラッシュバックでも体感したのか、顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。

「いやあああああっ!なっちのえっち!バカッ!なにするんだよう〜!?」
「すっすまんっ!オレもヤバイと思って必死で耐えたんだよ!赦してくれ。」
「たっ耐え・・なんなの、ほのか一生懸命考えて・・不意打ちに悩んで・・」
「?・・悩んでたって・・オレの不意打ちに?」
「そうだよっ!やっとなんとなくそうかなってわかったような気がしたら・・」
「・・・・・・・」
「なんだったの!ほのかの悩み!なんなのアレ!知らないことばっか・・ひくっ・・」

ほのかの大粒の涙がいよいよオレを追い詰めた。震えるほど怖ろしかった。
このままほのかの信頼を失ってしまったら・・・取り返しのつかないことになる。
オレは勝手だが自分を殴るなりなんなり気の済むようにしろと言って頭を深く下げた。

「・・・じゃあなっち、こっちきて。」
「・・ハイ・・」

ほのかと逆に情けない声のオレは頭を低くしたままにじり寄る。ほのかの視線が刺さる。
視線に貫かれて痛みを感じているオレに何故かほのかは子供のように抱きついてきた。
しばらくこうしてじってしていろと言われ。従ったがこれは何をどうしたいのだろう?
訳が飲み込めないオレは益々みっともなく、所在のない手で頭を掻いた。

「ほのか・・で、オレはあとどうすれば・・?」
「何もしないでじっとしといて!そう言ったでしょっ!!」
「はぁ・・スミマセン・・!」
「フン!だ。」

拗ねて怒るほのかも、睨みつけるほのかも凶悪にまで可愛いがそれは言わずに置く。
オレはなんとしてもほのかの赦しを得なければならず、逆らうことはできなかった。
おそらくはオレの思い違いで及んだ不埒な行動(結果としてその一部)への断罪だ。
じっとその裁きを待つのは辛かったが必死で耐える。しかしほのかは動かないまま。
ちらちらと窺うほのかはやはりどこを見ても紅い。恥ずかしさに耐えているように見える。
不意打ちでオレがしていたキスに途惑っていたというほのかだ、相当のショックだったのだ。
オレはなんてことをしてしまったんだと、性急な己を責めた。だが同時にほのかの可愛さに
改めて打ちのめされ、より想いを熱くさせてもいた。

「なぁ・・頭なでるのもダメか?」
「ダメ。」
「何時頃・・赦してくれるんだ?」
「ほのかの気が済むまで。なっちが言ったんだからね。」
「そうですね・・はぁ・・」
「ほのかをいっぱい悩ませた罰だよ。」
「オレも悩んだぞ?どうすればもっと・・近づけるかって。」
「・・・・正直に言わないから・・・」
「苦手なんだよ、知ってるだろ!?」
「努力は得意でしょ!手を抜いちゃダメなんだよ。」
「・・・・正論です。」
「さっきのは・・やりすぎちゃったの?」
「あぁ。おまえがあんまり可愛い反応するんで・・ブレーキが効かなくなって;」
「ふ・ふぅん・・仕方無いなぁ!意地悪でしたんじゃないんなら・・・いいか。」
「ほのか!」

子供のように喜びを隠し切れない声が出た。少々居た堪れないがやむを得ない。
けれどほのかの赦しをこんなに容易く得られた驚きと僥倖を喜ばないはずもなく。
万歳をしてもいいほどだったのだ。可笑しいなら笑えと開き直れるほどに。

「ゆるしたげる。ほのかのことヨシヨシして。」
「ああ。キスは?今日はもうダメなのか・・?」
「・・・いつもの不意打ちくらいならいいよ!」
「了解。」
「あっ・・すばやい・・」
「得意技だ。」
「なんかほのかも得意なのが欲しい。必殺技とか!」
「おまえそんな・・これ以上無敵になってどうすんだよ!?」
「え?ほのか、無敵なの?すごく強そうだね?」
「当たり前だ。おまえが泣いたり拗ねたりしたらもう・・死にそうになる。」
「なんだか・・いい気分。そうかぁ!そんなにほのかのこと好き?」
「わかんないならいくらでも・・」
「すとっぷ!押し倒しちゃダメだよ!」
「・・・まさかずっとか・・?」
「どうしようかな〜!?ほのかが怖くなくなるまで。」
「そりゃしょうがねぇな。」
「ふふ・・漣だってバカにしちゃだめなんだね・・・」
「なんのことだ?」
「ううん、なんでもない。なっち、慌てないでよね。」
「おまえもあんまり誘うなよ。」
「そんなのわかんない。」
「ちょっ・・それじゃオレに圧倒的に不利じゃねぇか!」
「だっていつ誘ったかなんかほのか知らない。わかんないもん。」
「・・・・・おまえ・・・反則ばっかだ・・・」

深い溜息を吐くと、ほのかはオレをヨシヨシと優しく撫でてくれた。
オマケに頬にキスまでくれた。「ホラまた反則!」と悔しさでつい言ってしまった。
内なる大きな波は気付くと漣となって、オレの心を平素の幸福で満たしていった。







おばかな余裕無さ過ぎの夏さんを書いて楽しい私。
可愛いと何回言う気だ!?と私のキーを打つ手をわななかせました。
けどね〜!・・可愛いと、そればっか思うみたいです。彼・・(笑)