「桜迷路」 


庭の桜の木々がいつの間にか満開に花を咲かせた。
それに気付いたのは屋敷の主のオレではなく、ほのかだった。
人を呼んで花見がしたかったらしい。開花が早まったのを嘆いた。
このままではもったいないから二人で花見をしようと言い出した。
風が強くて寒い日だったが、オレを引っ張って庭へと連れ出した。
舞い上がった花びらが二人に降りかかり、思わず目を塞いだ。

「うわぁ!花が散っちゃう・・風止めてよなっつん!」
「無茶言うな。」
「皆でお花見しようと思ってたのにヒドイよ。」
「しょうがねぇだろ、咲いちまったもんは。」
「去年より10日も早かったんだよ。」
「よく覚えてるな。」
「調べたの。まだ日があると思って油断してしまったよ・・」
「もっと北なら咲いてる。そんなにしょげるな。」
「ここにお友達をたくさん呼んでお花見したらきっと楽しいと思って。」
「花見でなくても騒ぎたい連中ならすぐに集まるだろ。」
「そっか、そうだね。」
「オレと二人だけなのが・・嫌だったわけじゃないのか?」
「え、違うよ!?」

そのまま黙ってしまうと肯定したも同然だった。ほのかは気まずそうに俯いた。
近頃オレと距離を置くようになったことならとっくに気付いているというのに。
無邪気に甘えて縋って来なくなり、オレの腕は取り残され、寒さを覚えた。
猫みたいに傍に寄り添い、いつも感じていた温もりが恋しくてならなかった。
それでも仕方ないんだと自分を慰め、そのうち慣れると自身に言い聞かせた。
風が二人の隙間を吹き抜け、情けないオレを責めているようにも感じた。

これまでに何度煩いと言ったかしれないのほのかは、今静かに桜の前に佇んでいる。
寂しそうに映る横顔が綺麗だと思えることが辛かった。ほのかはもう子供じゃない。
そうなって欲しくなかった。いつまでも無邪気に笑っていて欲しかったのだ。
しかしそんなことがあるはずもない。月日はどんなに願っても前へと進んでゆく。
出逢ってから随分長いこと一緒に過ごした。こんな日が来ることは必然だった。

「綺麗だね・・もう散っちゃうなんて寂しいな。」
「いずれ散るもんだ。また来年咲く。」
「そう・・だけど・・」

来年も、というのは慰めだ。同じに見えても同じ桜には二度と出会えない。
先だって高校を卒業したほのかの見慣れた制服も、目にすることはもうない。
柔らかな印象だけを残して、背も少し伸びて、やはり大人びたなと感じる。
それが寂しいのは兄気取りで過ごした時が長かったからだろうか、それとも
そんなつもりもないまま、独占していたほのかを手放す時が来たことへの抵抗か。
このまま引き止めてしまっていいのかどうか、随分前からオレは悩んでいた。
もしかしたらそんなオレに気付いて、ほのかは離れようとしてくれたのかもしれない。
しかし二人の間にできた距離は宙に浮いて行き場を失った。気まずさだけを残して。

「どうして迷うの?」とほのかの兄が言った。
「不幸になるかもとか思うの?それはずるくない!?逃げてるだけだよ。」と。
いつも触れて欲しくないことに触れてくる、相変わらずの男だと思った。
しかしそれはその通りで、オレはいつものように言い返すことができなかった。
他の男と幸せになることなんか欠片ほども想像できないでいるくせして、それでも、
伝えるのが怖い。結局はほのかがオレに呆れたり、逃げたりしないかが怖いだけなのだ。
それでも踏み出すことができずにまた悩んで・・・いい加減自分に腹が立ってくる。
終いにはほのかがこんなオレに愛想尽かしたってしょうがないんじゃないかと思った。

「また来年かぁ・・きっとあっという間だよね?」
「・・・そうかもな。」
「なっつん来年も二人でお花見しようか!?」
「皆を呼んで賑やかなのがいいんじゃないのか。」
「それもしたいけど、二人だけのもしようよ。」
「そんな浮かない顔して、寂しそうなのにか?」
「ほのかが?それは桜を惜しんでるんだよ。」
「オレと二人じゃつまらんって言ったって怒らないぜ?」
「何をいじけてんの?二人だと嫌そうな顔したのはそっちじゃないか。」
「オレが・・?」
「なっつんてば結構ほのかには嘘吐けないよね。」
「・・オレは別に嘘なんか・・」
「この頃ほのかから引っ付かないようにしてたの知ってた?」
「ああ、知ってる。」
「そしたら不機嫌になったんだよ、それは知ってる?」
「・・不機嫌?気のせいだろ。」
「ほのかは寂しいばっかりでつまらなかった。なっつんは・・寂しくなかった?」
「やっとオレの言うことを素直に聞くようになったかと思ってほっとしてたぜ。」
「ふぅん・・・」
「べたべたしてたらそろそろ周囲に誤解されるしな。」
「誤解って・・誰がどんな誤解するの?」
「近頃はオレたちのこと・・知らないのか?」
「誰が言うの?新白の人たち?」
「まぁ、そいつらもそうだが・・」
「そんでいっつも”違う”って言ってるんだね。」
「違うだろ、実際。」
「誤解されたら困る人がいるとか?」
「はぁ?まさか。」
「じゃあいいじゃない、別に何言われたって。」
「オレは良くてもオマエが困るだろ、女なんだから。」
「遠慮してるの?」
「遠慮じゃなくて配慮だ。」
「バカみたい。」
「なんだと!?」
「そんなこと気を遣う意味がわかんない。」
「オマエは・・中身はともかく・・もうガキには見えないってことだぞ?」
「喜べって言うの?喜べないよ、なっつんにそう思ってもらわなきゃ意味ない。」
「そんなことオレが思うようになったらもうここに一人で出入りできねぇだろ。」
「どうして?」
「オマエは・・知らないんだよ、男はな、好き嫌い関係無しになんだってできるんだ。」
「なっつんは違うでしょ?!」
「違わない。」
「嘘吐き。」
「嘘じゃねぇ。」
「ほのか知ってるもの。」
「何を!?」
「ほのかに知られたくないと思ってるんでしょ?!」
「!?」
「ほのかのことはちっともわかってくれないのに!」
「オレは・・」
「もういっそなんだってしてって思うよ、知らん振りされるのが一番嫌!!」
「知らん振りだと?」
「そうだよ。そんななっつんなんかキライ。だけど離れてあげないからね。」
「違う、オレは・・」
「ほのかはどんなに”ほのかなんかいらない”って言われたって諦めないよ。」
「オレは知らん顔してたんじゃない!オマエだって、」
「何?」
「なんでオレがオマエに逆らえないと思ってんだ、オセロの勝ち負けじゃないぞ!」
「えっ?」
「来るなって言わなくなったのもわがままに付き合うのも約束だからじゃねぇ!」
「・・・じゃあ・・なんでさ!?」
「オマエの願いは全部オレだけが叶えてやりたいからだよ!」
「なっつん・・が?」
「ただオレと離れたいって願いだけは叶えてやれない。だから悩んでたんじゃねぇかよ!」
「なっつんと離れたいなんて思わないよ、思ったことないのに。」
「この頃寂しそうにしてたじゃねぇか、傍に居てもため息吐いたり・・」
「それはなっつんにもっと甘えたくて・・だけど子供っぽいとも思われたくなくって・・」
「オマエはわがまま言えばいいんだよ、オレだけになら。」
「なっつんは?ねぇ、なっつんはほのかにわがまま言ってくれないのは何故?」
「そっそれは・・オマエをここから一歩も動けなく・・してしまいそうだから・・」
「・・・それ・・ホント?」
「うっ嘘じゃねぇ!言わせるな。どんだけかっこ悪いと思ってんだ!」
「それでそんなになってるの?顔、真っ赤だよ・・」
「・・オマエのせいだ。知るか、・・ぶっちゃけさせやがって・・」
「なっつん。ごめん、ほのかが悪かったよ。」
「謝ることないだろ、オレが・・・大馬鹿野郎だってことだよ。」
「だって・・そんななっつんも好き。」
「おっ・・煽ててるのか?それとも馬鹿にしてるのか?!」
「どっちも違う、なっつん、好き。好きでたまんないの、わかってよ。」
「阿呆・・・」
「ほのかのこと動けなくして。」
「・・・・・」

また強い風が吹いて、桜の花びらを舞い上げた。ほのかとオレの髪も巻き込んで。
飛んでいってしまうわけもないのに、ほのかの身体を包むように抱きこんだ。

「オレだけ見てろよ、オレの傍で寂しい顔するなよ、それから・・どこへも行くな。」
「ウン、ウン・・・ウン!」

耳元で囁いたオレのわがままを、飲み込むみたいにしてほのかは全部に深く頷いた。
ここはどこだろう?知らない場所だった。ほのかしか見えず、寒さも感じない。
ずっと掴みたかったほのかの身体に縋り、甘えるように顔を肩に乗せて抱きしめる。
子供みたいに素直になったのは何年振り・・いや、初めてかもしれない。
そんな情けないオレをほのかは優しく、蕩けるような笑顔で抱き返してくれた。
そして花びらみたいにそっと頬に口付けてくれた。幸せ過ぎて眩暈がした。
また風が強く過ぎ去った後、視界が晴れるように明るくなった。目の前にほのかがいた。
桜よりもずっと綺麗な微笑みに、もう迷わなくてもいいのだと覚った。