「 桜 」 


「桜って・・魔力でもあるみたいだね・・?」

そう呟いたほのかは既に魅入られたような表情で桜の花の満開の大合唱を楽しんでいる。
花見を強請られ、夏がほのかをここへ連れてきたのはこの年が初めてというわけではない。
その度に夏の胸に去来するある想い。それはずっと秘められたまま誰にも打ち明けることはなかった。
そしてこれまで同様、告げるつもりはないというのに、己の本心が告げたがっているとも感じていた。
ほのかに打ち明けてしまおうか・・?・・しかし無邪気に花を愛でる表情を曇らせたくはない。
夏は知らず足を止めていた。そして咲き誇る花に目もくれず、ずっとほのかだけを見つめ続けていた。

「・・・なっち?桜見ないの?」
「・・・見えてる。なんでだ?」
「前から気になってたんだけど、なっちって桜、好きじゃないの?」

長年封印していた夏の想いの一端に、ほのかはあっさりと迷い無く触れてきた。
そんな奴だよなと、夏は苦笑を浮かべた。寧ろ尋ねるのが遅いくらいだとも感じる。
何でもかんでも遠慮のない、初めはそんな風に思っていたほのかだが、何もかもではなかった。
オレが言いたくないことにも気付いていたんだろう。ほのかなりに遠慮していたようだった。
付き合いが長くなるとそんなことがわかるようになった。ほのかは待っているのだ、おそらくは。
告げるか告げまいかと悩んでいることさえ。だから尋ねずにいた。ということはオレは・・・
相当打ち明けたいという顔をしていたのだろう。面映い、しかしほろ苦くも感じる切なさが沸き立った。
答えずに黙ったままの夏だったが、ほのかは珍しく問い詰めずにじっと少し離れた場所に立っている。

ほのかの背景には見事な桜の花が幻想的な絵画のように広がって、一層夏を落ち着かなくさせる。
その美しさと儚さに胸が押しつぶされそうになる。苦しくて中々言葉を紡ぐことができなかった。
みっともないほどオレは怯えている。ほのかにもそれが伝わってる。言わなければ・・ならない。
夏は一度目を閉じた。桜の花に負けないように。これしきで苦しがっている自分を戒めるように。

「・・・好きじゃない。嫌いなんだ、オレは桜が。」
「そうかぁ・・ごめんよ?ほのかのお願い、毎年辛かったんだねぇ。」
「ふっ・・おかしいだろ?!桜が嫌いなヤツってあんまりいないよな。」
「だいじょうぶ。こわくないよ。桜はお花で、ただ咲いてるだけさ。」
「怖いとは言ってないのに・・オマエ・・」
「嫌いっていうか・・どっちかというと怖いみたいに見える。違う?」
「こわくなんか・・ないとは・・言い難い。」
「何か嫌なことでも思い出すの?」
「あぁ・・そう・・だな。」
「・・そうかぁ・・今までずっと一人で我慢してたの。えらかったね。」
「誰に言っても仕方ない。わかる奴なんかいないと思ってた。」
「なっちの辛さはなっちのものだもの。」
「そうさ。誰にも・・わかって欲しくなんかなかった。」
「ほのかには話してくれたんだ。嬉しいな。」
「オマエは好きだろ?だから・・悪いな。」
「優しいねぇ・・!そんなこと気にしなくていいよ。」
「優しくなんかない。今からオマエに・・残酷なこと言うぞ・・?」
「うん。遠慮なくどうぞ。」

「少しの間・・・オマエを・・妹だと思っても・・赦してくれるか?」

夏が振り絞るように出した声にほのかは震えた。長いこと抑えてきた声だとわかった。
ほのかは黙って頷き、笑顔を見せた。夏は今にも泣き出しそうな顔をしてゆっくりと近づいた。
小さく細い肩に夏の両手がおそるおそる伸ばされ、包み込むように夏はその肩ごと抱き寄せた。
やがて苦しそうな嗚咽が夏の喉から漏れ始めたが、ほのかは黙ったままじっと動かずにいた。
擦れてか細い声も途切れ途切れにほのかの耳を打った。切なくて千切れてしまいそうな声だ。
それは小さい頃の夏だとほのかにはわかった。妹を亡くし、途方にくれた幼い兄の頃の。

「・・・楓・・・楓・・・・・・かえで・・・」
「ごめっ・・ん・・桜・・見たかったのにな・・約束・・・ごめん・・・楓・・」

ほのかの頬を温かい雫が伝った。夏の頬にもおそらく同じものが伝わって落ちているだろう。
桜の花、楓ちゃんは花の好きな女の子だったんだろう。コスモスも好きだと言ってたそうだ。
コスモスは秋桜、そうか、桜も大好きだったに違いない。おそらく見に行こうと約束していたのだ。
何年経っても約束を果たせなかったことを思い出して辛かったんだと思うとほのかの胸も痛かった。
ほのかに縋る夏はいつもの夏とはまるで違っていた。頼りないほどに儚くて思わず抱きしめた。
風とともに散ってしまわないように。桜の花が彼をこのまま過去へと引き戻すのを畏れるように。
どれくらいそうしていたかは二人ともわからなかった。ただただ懺悔の痛みに耐えて佇んでいた。

ふっと夏が顔を上げたとき、ほのかの頬はまだ濡れていたが、既に夏の涙の跡は乾いていた。
温かい唇がその濡れたほのかの頬を撫でるように拭うと、ほのかは夢から覚めたような顔になった。

「・・・しょっぱくない?」
「いいや、甘い。ありがとう、ほのか。」
「だいじょうぶ?」
「オマエの方がキツかったろ?」
「ほのかは全然平気さ。」

笑ってくれるほのかが夏には眩しくてならなかった。思わず目を眇めほのかの優しさに感じ入った。

「オレも、もう平気だから。」
「無理しちゃダメだよ?」
「楓にこれ以上怒られたくないし。」
「なんで?!楓ちゃん怒ったりしないでしょ?」
「あいつ・・桜が好きだったのにオレはずっと嫌いだと言って見ずにいたんだ。」
「コスモスもだよね。」
「あぁ。でもオマエに出会えたおかげで見れるようになったし、嫌いだと言わずに済んだ。」
「ほのかのおかげとは違うよ、それ・・・」
「情けないとこ見せちまったな。」
「ウウン、ソレも違う!そんなことなんか絶対ない!」
「そんでもやっぱ・・まだ好きだとは言えそうにないから・・」
「・・・なっち・・」
「オマエが好きでいてくれよ、オレの分も。」
「そりゃ・・前から好きだけど。桜もコスモスも。」
「うん、それでなんだか助かったような気分なんだ。」
「なっちがそれでいいんなら・・・いいけど。」

完全には納得がいかないような妙な顔つきのほのかの頭を夏はぽんぽんと優しく撫でた。
もう彼の顔には幼さはなく、代りに愛しさを隠せないいつもの男の表情が戻っている。

「ほんとに元々あまり好きじゃないの?」
「うーん・・どうだろうな。わからん。」
「思い出が有りすぎなのかな。しょうがないか。」
「正直ホントはどうだかわからない。長年好きじゃなかったのも事実だしな。」
「単純に綺麗だと思うけどねぇ・・あ、でもお父さんはね、梅派だと言ってるよ。」
「桜より梅か・・そうだな、オレもどっちかってぇとそうかも・・」
「良かったね。気が合いそう。」
「オマエはどっちかっていうと・・鶯だな。」
「え!?お花じゃなくて、鳥!?まぁ・・いいけど。鳥も好きだし。」
「オマエは絶対花とかじゃないって。鳥だろ、やかましいし、小さいけど逞しいし。」
「・・・誉められてるんだか・・よく・・・ん〜!?」

悩んでいるほのかに苦笑しながら夏は桜の花を見上げた。今日初めて正面から見据えたのだ。
綺麗だとはやはり思えない。それでも夏はそのとき穏やかに見つめられることに驚いていた。

「・・・魔力か・・・オレはオマエになら感じるな、それ。」
「はい!?ちょっと、次から次へと聞き捨てならないね!?」
「桜よかよっぽど感じる。オマエもしや人間じゃねぇな!?」
「むわっ・・なんかちょっと・・むっかりしたよ、今のは!」
「けなしてなんかないぜ?わかんねぇやつだなぁ・・!?」
「そうかいそうかい。魔力あるんだったらなっちのこと虜にしてやるんだから!」

憤慨しながら可愛い決意を告げるほのかに、夏は目を丸くし、込み上げた笑顔を片手で隠した。
ほのかがそんなことに少しも気付かないことにほっとしながら、夏は屈んでほのかの顔を覗いた。
背の低いほのかがふと近づいた夏に何の気もなしに顔を向けた途端、唇を奪われ怒りを忘れる。

「・・・こ、こらっ!!いきなりなにすんのっ!?」
「なにって・・魔法が効いたんだろ?」
「え・・?」
「虜になったからじゃねぇ?魔力で。」
「!?!?・・・う〜〜〜・・・もおっ!」

澄ました顔で夏が背を伸ばしてしまうとほのかにはもうどうしても届かない。
くやしくて夏になんとか思い知らせてやりたいのに、とほのかは熱い頬を膨らませた。
さっきまであんなに儚げに思えた夏はどこへ行ってしまったのだろうとほのかは思う。
隠れて見えなくなってしまったけれど、ここにいる夏の中にちゃんと存在しているのだろう。
自分に見せてくれて嬉しかった。辛さを少しでも肩へと伝えてくれて良かった。
ほんとうに自分に魔力があったら・・・ほのかはそんな風に思わないこともない。しかし・・

何もできない私でも、こうして一緒に桜を見上げることができる。だからいいのだ。
今、見上げようとしていなかった人が桜を見つめている。そのことに感謝しよう。

「なっち、桜ばっかり見てないでさ・・ほのかも見てよ。」

拗ねるように呟いてみると、鮮やかな桜よりもっと艶やかな夏の笑顔が振り返り胸を打つ。
どきどきと高鳴る胸を抑えながら、ほのかは手を差し出した。夏はその手をしっかりと握った。

「いつもオマエが桜ばっかり見てるから嫌いだったってのもあるんだ。」
「ええっ!?そ、そんなの・・ウソ・・だもん・・!」
「だからちょっとはオレの気持ちがわかったか!と思ってつい喜んだ。」
「そういう笑顔だったの?!・・・なんだか・・綺麗だとか思って損した感じ・・」
「桜はほどほどにしてオレのこと見てろよ。」
「なにソレ!・・素直ななっちって・・珍しいね?」
「すっかりやられたなぁ・・・オマエやるじゃん。」
「そ、そうでしょ!?やっぱりほのか魔法が使えるのかもだよ!」

開き直るようにそう言ったほのかの顔は相変らず赤く染まっていて、夏はまた嬉しげに微笑んだ。
桜の花びらもどんな美しい花も、この薄紅の頬より素晴らしいものはないと確信するかのように。








あー・・何年後かな、これは・・かなり微妙で悩みますね!?