「砂漠の花」 


見渡す限りの砂。風が作る道は他を排し寄せ付けない。
足跡を付ける術もなく、人はただ埋もれてゆくのみ。
乾ききり骨となり、その骨も乾きに砕かれ砂となる。
そんな荒涼とした風景に美しい花が咲くという。

その花は植物ではない。石膏や重晶石などの鉱物である。
かつてそこに水があったことを示唆する痕跡から創られる。
花弁が重なり合ったように見えることから薔薇に喩えられ、
珍重される美しい花。広大な砂の狭間に見出される奇跡だ。


夏は待たされている間に無造作に飾られていたそれを見つけた。
乾いた薔薇はひっそりと、しかし重く存在を主張していた。
遠く遥か乾いた土地からこんな湿度の高い国へと旅してきた花。
所有者は当然この家の者だろうが、夏は少し意外だった。

「お待たせしてごめんなさい。」

美しい声に相応しい端整で妙齢な住人が扉を開け、笑顔を向けた。
歳は夏より上に違いないが、若さに負けない魅力を具えている。
夏の前に小さな包みを差し出すと、礼を言って頭を下げた。

「いえこちらこそ急に、それもご自宅と知らずに押しかけて申し訳ありません。」
「お店は辞めたんです。それにしてももっと入念にお化粧しとけばよかったわ。」
「充分お美しいですよ。独立されると耳にしてはいたのですが、失礼しました。」
「社交辞令でも嬉しいですわ、こんな若くてステキな社長さんとは知らなくて。」

気取らない性質に夏は好印象を持った。暇を告げると女主人は残念がり、

「お茶くらい飲んでいかれません?お忙しいんですの?!」と誘った。

こちらは社交辞令ではなく、夏に単純に興味を抱いたような印象だ。
夏は丁寧に辞退し、名残惜しそうな相手の家を去る間際にふと足を止め質問した。

「あの・・そこに飾ってある砂の薔薇は見事な物ですね。」
「あらよくご存知ね!?お守り代わりに置いてるんです、頂き物なんですよ。」
「珍しいのでつい眺めてしまいました。」
「差し上げることはできませんけど良かったらまた見にいらしてくださいな。」
「ああいった物を好きそうな知人も・・いいですか?」
「その包みを受け取られる方・・?是非いらしてくださいな、お待ちしてますわ。」
「ありがとうございます。」

女性は『知人』という他人のような口ぶりに騙されなかったが、果たして正解だ。
出来上がった物を早く手にしたくて聞いた住所を訪ねたら、一人住まいの女性だった。
少し待てと言われ、家に上がるのには躊躇した。迂闊なことをしたものだと夏は思った。
数分後待ち望んだ物をすんなりと受け取ることができたため、ほっと胸を撫で下ろした。
ところがである。マンションのエントランスを出たとき、夏は顔馴染みと出くわした。
高校からの友でもある、兼一だ。彼は驚きを隠さず夏を凝視しつつ声を掛けた。

「やぁ、夏くん。」
「・・奇遇だな。」
「驚いたなぁ、こんなところで会うなんて。」
「そうだな。」
「ここに誰か知り合いでも・・?」
「知人の知人だ。初対面だな。」
「へぇ・・どういった人なんだい?」
「まるで尋問だな?何を疑ってんだよ。」
「気になるじゃないか、義弟になろうって人がさ・・」
「浮気現場だとでも思ったのかよ?!」
「違うんならちゃんと釈明してくれないか。」
「釈明することなんか何もない。」
「なくはないだろ!?こそこそとこんなとこから出てきてさ!」
「ったく・・しょうがねぇな・・」

面倒くさいとはっきり書かれた顔をしながらも夏は兼一を伴って歩き出した。
高級住宅街の一角で足を止めると、不信感で一杯の兼一に向き直った。

「これを受け取りに行っただけだ。」

怪訝な兼一の眼の前に差し出されたのは先ほど渡された小さな包みだった。

「・・これなんだい?」
「ほのかに言うなよ?」
「!?やっぱり君っ・・!」
「これはほのかのだ。マンションの住人に作ってもらったんだよ。」
「作って・・?!」

夏はやれやれと溜息を吐くと、兼一に事情を説明し始めた。
一応納得したようだが、兼一は未だ眉間に皺を寄せたまま念を押した。

「・・本っ当〜に、浮気じゃないんだね!?」
「オマエも大概しつこいな・・そんなわけあるか。」
「悪かったね。だけど僕の勘違いで良かった。」
「秘書に取りに行かせようにもそれだとほのかに筒抜けなんだよ。」
「そうなんだ。なるほどね。」
「そういうオマエはこんなとこで何してんだ?」
「ああ、僕はお使いだよ。師匠んとこの患者さんの忘れ物を届けに。」
「ふーん・・」

兼一は本来の明るい表情になり、夏に手を振って小走りで駆けて行った。
詰まらないことで時間を食ったと夏も兼一に倣い自宅へと急いだ。

”それにしても・・浮気を疑われるとはな!?このオレが・・”

夏は少々不満気に胸の内でそう思う。しかし兼一はほのかの兄だ。
疑り深い一面は兄妹に共通している。ほのかも存外ヤキモチ妬きなのだ。
しょうがないと夏は思い直した。浮気なぞ夏にしてみれば在り得ないことだ。
寧ろ天然で危なっかしいほのかの方がどこの誰にいつ気を許すか知れない。
実は人のことは言えないほど夏も嫉妬心は人一倍持っているのだった。

自宅ではそんな夏のことを待っている者がいた。ほのかである。
しかし兄妹揃ってそういう日なのかと夏はほのかの顔を見たとき思った。
腕組みをして、仁王立ちになったほのかが待ち構えていたからだった。

「・・おかえり・・なっち、どこ行ってたの!?」
「どこって・・行っただろ、知り合いんとこだ。」
「ウソでしょっ?!秘書の誰も知らないって言ってたよ!」

夏は”この兄妹はオレのことを信用してないのかと”がっくりと肩を落とした。

「・・ばれちゃしょうがねぇな。女に会ってた。」
「っ!?」

それまで鬼のような形相だったほのかがその言葉を聴いた瞬間に固まった。
おそらくこのままだと大きな両の瞳は大洪水を起こすだろうと夏は予想した。
解っていて少し意地悪をしたのだ。浮気を疑われた腹いせのようなものだった。
固まっているほのかの眼の前に、本日二度目の同じ動作をすることになった。
夏の掌に乗せられた小さな包みは丁寧に光沢のあるリポンが掛けられている。
兼一の前ではその包みを解くことはしなかったが、今回はリボンの端を持つと
するりと引いて包みを解いた。ほのかもその動作に釣られて強張りを解いた。
ほのかがじっとその包みに視線を向けているのを確かめながら夏は中身を取り出す。
出てきたのは小箱だ。小箱は更に開けられる、内にある姿を曝け出した。
銀の小さな輪の上に透明度の高い花がキラキラと耀き放ちながら載っている。
同じ鉱石だがこちらは砂漠の花と違い自然が創ったものではなく、造られた物だ。

「・・綺麗・・・すごく・・可愛い・・指輪。」
「・・はめてくれるか?世界に一つだ。オマエが要らないなら捨てるしかない。」

ほのかの瞳は結局洪水になった。ただそれは悲しみが引き起こした為ではない。
なだめるのに数分、ようやく落ち着いたほのかの指には煌く花が咲いていた。

「それでその人の家まで取りに行ってたの?」
「ああ。そこに砂漠の薔薇があってな。オマエ好きそうだから今度見に行くか?」
「砂漠の薔薇って?・・指輪を造ってくれた人ならお礼も兼ねて行きたい。」
「風と砂が作った結晶体だ。オアシスの名残のミネラル分が成長したものだと言われてる。」
「へぇ・・それが薔薇みたいなの!?スゴイ!」
「オマエが好きそうだなと思ったんで見に行く許可はもらっておいたぞ。」
「それはいいけど・・・その人って美人なんじゃない、なっち!?」
「さぁ?オマエが行って判断しろよ。オレはもう顔覚えてないから。」
「ええ!?さっき会ったばっかりでしょ!?本気で言ってるの?!」
「どうでもいいからな。オマエ以外の女なんか。」
「う〜ん・・本気で言ってるように聞えるんだよねぇ・・?」
「ほんとうなんだから当然じゃねぇか。」

ほのかがくすぐったそうな顔をして肩を竦めた。幸せに震えるように。
すっかり機嫌を直し、指に咲いた花を何度も日にかざすようにして眺める。
それはこれからもずっと共に生きるということを誓う証の花なのだ。
幸せで朱に染まったほのかの顔を夏は負けずに眩しそうな目をして見ていた。


夏は砂漠に一人、渇いて干からびそうな想いならば解るような気がした。
たった一滴であろうとそこに癒しを求める気持ちが結晶となり薔薇となる。
待ち続けているのだろうか、その花は。自分のように出会えるといいと思う。
夏はもう渇いてはいない。瑞々しい花を見つけた。二度と彷徨うこともない。
眼の前に広がるのは荒涼とした過去ではなく、二人で行く花咲く未来だけだ。
花に彩られなくとも、ほのかが微笑むならそこは楽園だろうと夏は思った。

「ほのか・・オマエより綺麗な女なんかいない。」
「なっち・・いいすぎだよ!バカなんだから・・」

バカだと罵られてもそうなのだと夏が強く言うとまたほのかは花のように笑った。







結婚秒読みの頃ですv(^^)