Sweet memory  


もうしばらく前のことだ。丁度巷では2月のくだらないイベントの頃。
ほのかが入り浸るようになってから随分毎日がせわしなくなった。
当の本人は暢気なもので、よくオレの居間のソファで転寝した。
何度怒っても懲りないので諦めてしまい、終にはオレまで巻き込まれた。
調子が狂うことさえ、あの頃もう既に慣れっこになっていた気がする。
その日構わないでいたせいで拗ねたほのかがオレの懐にもぐりこんできた。
オレは読書中で本を開いていたが、それをオレの膝に乗っかりながら難しい顔で覗き込んだ。
「何コレ、さっぱりわからないじょ・・」そう呟いたと思えば直ぐに舟を漕ぎ出した。
なんて寝つきのいいやつだと思いつつ、小さな身体をソファに横たえた。
あどけない顔をして寝息を立て、安心しきった様子のほのかに半ば呆れる。
コイツは他所の家でもこんな風に無防備に眠り込んだりしているのだろうか?
何処へ行ってもそうに違いないと思うと無性に憎らしくなった。
つんと頬を突いてみると、思った以上の柔らかさに驚く。
あのとき、そんなことをするつもりはまるでなかった。
突付いてみた頬の柔らかさのせいで、そこも確かめたくなったのか、
或いは生意気な普段とは違ってあまりにも頼りない姿だったせいなのか、
赤い小さな唇が誘うようにほんの少し開いていたせいなのだろうか。
オレは自分でも気付かないうちにその唇をなぞっていた。オレ自身のそれで。
そうっと息を殺し、掠めるように僅かに。ほのかは目を覚まさなかった。
しかしくしゅっと目を強く瞑ったかと思うと小さなくしゃみをした。
起きたかとどきりとさせられたが、寝返りをうつとまたすやすやと眠り続けていた。
ほっとした後、ほのかの横に腰を下ろして寝顔を見ていると後ろめたさが襲う。
そっと顔にかかる髪を避けてやりながら、心の中で言い訳を探した。
触れたといっても微かなもので、こうして髪をどける指よりもささやかだったとか、
男の家でのんびり寝込んでしまっているコイツにだって責任があるだろうとか、
何故そんなことをしたのかということを考えたくなくて一人で眉を顰めた。



目が覚めたら、なっつんの家のいつものソファだった。
また居眠りしちゃったんだなと目を擦りながら起き上がるとちょっと驚いた。
横でなっつんが座って腕を組んだ格好のまま居眠りしていたからだ。
珍しいなぁと感心しつつ、そうっと近付いて寝顔を見つめた。
睫に影ができていることに感動を覚えたりしながら見ているとふと気付いた。
その睫が一本頬に付いていた。気付くとそれがとても気になる。
起きちゃうかなぁと思いつつ、そうっと手を伸ばしてそれを取ろうとした。
どきどきして指が震えそうだったがあっさりとその仕事は完了した。
自分の仕事に満足した後、起こすのはかわいそうだからもう一回寝ようかなと思った。
いつもなら思ったらすぐにそうするところなのに、そのときはそうしなかった。
こんなにぐっすり寝ていることなんてめったにないから、この隙に何かしちゃおうかと思い立つ。
髪に悪戯したらさすがに気付かれそうだし、顔に落書きするのも難しそうだ。
私は何か成功率の高い悪戯はないものかと一生懸命に頭を捻って考えた。
でもなかなか良い考えが浮かばなくて諦めかけたとき、ふと思い浮かんだのは「眠り姫」。
”そだ、なっつんにチュウしちゃおうか!王子様がほのかなのだ!”
気付かれてもそれはそれでホントウに「眠り姫」みたいで嬉しいに違いないと思った。
けれどいざ実行しようとすると、胸がどきどきし始めた。おかしいな、なっつんなのに。
そうっと、息を詰めて近寄ってもなっつんは起きる様子を見せない。今しかない。
ところが相変わらずどきどきするし、顔まで熱くなってやっぱりやめておこうかと迷う。
”一度決めたことなんだから!女は度胸なのだ!!”そう言い聞かせて再び決心する。
かなり重症になった胸の動悸を誤魔化しつつ、端整な「お姫様」の顔に近付いていった。
息は止めていた。多分一ミリくらいの距離だったと思う。そこで断念した。
なっつんが突然目を開けたからだ。ものすごくびっくりして心臓が止まったかと思った。
「ほのか?何してんだ?」
どうやら私の計画は失敗に終わったけれど、その内容が知られてはいないようだった。
「え、えと・・よく寝てるな〜と思ってだね・・;」
「いつの間にか寝てたみたいだな。おまえの間抜けな寝顔見てたから釣られた。」
「間抜けって、失礼な。なっつんだって寝てたくせに。」
「そうみたいだな。なんか悪戯しようとしてたのか?」
「えっ!?えっと・・バレた?」
「何しようとしてたんだ?」
「うむっ!?・・えっと・・・あ、そうだ!睫。睫付いてたから取ろうとしてたの。」
「ふーん・・」
「あともう一秒目を瞑ってて欲しかったなぁ・・!」
「どうしてだよ?」
「んと、んと・・だからその〜・・王子様になりたかったんだよ。」
「は?おまえが?!」
「だからぁ、なっつんが『眠り姫』みたいだなぁって思ったから・・」
「・・・それって・・」
「もしかして知らないの?『眠り姫』。」
「・・・・おまえ・・」
「だっ、だって、その・・びっくりさせたかったっていうか〜・・;」
「キスがしたかったのか?」
「ぐわっ!だ、だいれくとに言うと・・そそ・そうなる・・かな?」
「・・・そりゃ・・残念だったな。」
「べっ別にっ。いいんだもん・・また次を狙うもんね。」
「寝込み襲いたいわけか?」
「ちがうよっ!な、なんていったらいいのかな?そだ、悪戯心っていうかー・・」
「悪戯心なら、仕方ないか?」
「う、うん。そうなの!仕方ないのだよ。」
「そっか・・・じゃあそういうことにしてくれ。」
「?・・何を?」
「そういう気持ちなら、わかるから。・・オレも。」
「なっつんも?・・・ほのかに・・!?えっ?!まっまさかその・・したかった・・とか?」
「・・もうした。さっき。」
「なんだ、そっ・・・・・っ!!!てえええええええっ!?」
「いやでもその・・ほんの少し触れるか触れないか程度でだな・・・;」
「そっそっそそ・・そうなの?!あはは・・そうかっ・・だってちょっと思うよね、あんなとき。」
「そっそうさ、おまえは間抜けに口空いて寝てるし、かっからかいたくなるだろ、そういうとき。」
そう言いながらお互いに何かを誤魔化すように二人は笑い合った。



ほのかの告白はオレがその前にしたことの代弁のようだった。
笑っていた顔は赤くて、ほんの少し目尻が滲んでいるようだった。
さっきよりもっと酷い後悔がオレを襲ってきて、ずきりと胸が痛んだ。
「ほのか」
「ん?なっななにっ?!」
「・・悪かった。オレはからかったんでも悪戯したかったんでもないから。」
「ほえ?・・なんで・・どしたの?」
「寝込み襲って悪かった。」
「お、おそうって・・なっつん、そんな・・あのさ、がっかりした・・?」
「がっかり?なんで?」
「えっと、さっきね、なっつんにき・・しようと思ったとき、気付いたらいいなって思ってさ。」
「・・・?」
「ほのか全然気付かないで寝てたから、ちょっとその・・残念だったんだけど・・なっつんは?」
「・・・がっかりはしないが・・そうだな、起きて欲しかったのかもな。」
「そなんだ!だったら起きなかったほのかがいかんよ、寝込みを襲ったみたいになるよね!?」
「・・・起きてたら、良かったって?」
「うん。そしたらほのかが『眠り姫』だ。わー、似合わなーい!」
「いいのかよ、それじゃあ・・」
「なっつんだもん、いいよ?ちゃんとチョコ受け取ったでしょっ!」
「・・・義理じゃなかったのか、アレ。」
「ええっ!?それの方がショック!ちゃんと『ほのかからの気持ち』って言ったよ!?」
「わかんねーよ、それだけじゃ。女なんて誰でもこの時期くれるから・・」
「んま、モテ男さんの台詞、むかっとくるね・・」
「でも食べたでしょ。もう返せないんだからね!なっつん・・もしかしたら要らなかった・・?」
「おまえの以外食ってねーし・・要らなかったら受け取らね。」
「!!?ヨカッタ・・なんだ、ほっとした。へへへ・・もしかしたらダメかと思った。」
「なっ何泣いて・・・おい!」
「うーん・・・嬉しいなぁ・・なんかこう、やっと恋人になれるのかな?なっつんと。」
「そんなもんになりたかったのか?」
「そんなもんって・・なりたかったよ。悪い!?」
「そんなもんよりずっと・・・今までだって・・特別だったろ・・?」
「・・・・そうなの?」
「・・・・そうだよ。」
「あのさ、じゃあさ・・・」
「もう一度、やり直させろ。寝なくていいから。」
「う、うん・・あれ?なんでわかったの?」
「・・じゃなくて、オレがしたいんだよ。」
「うあ・・なっつん・・・恥ずい・・;」
「そんな顔してよく言うぜ・・」


ほのかの顔は耳まで赤くて、眼元が潤んでて、厄介なくらい・・・可愛くて弱った・・。
さっきより更にそうっと手を伸ばしたら頬は同じように柔らかくて、熱かった。
さっきは触れるか触れないかで離れたから唇の柔らかさまではわからなかった。
だから、確かめたときつい驚いて一度離した。ほのかも驚いていた。
そしてもう一度今度は少し長く触れていた。唇もオレに触れる指先も震えてた。



「甘い。」
「チョコとどっちが?」
「そうだな、どっちかな。」
「そういうときはほのかって言ってよ!」
「美味いのはおまえかな。」
「・・それはなんだかいやらしい・・」
「チョコは一個で充分だけどな。」
「おかわり?」
「そう、腹いっぱい食いたい。」
「やだ、そんな親父みたいななっつん!」
「うるせー。もっと食わせろ。」
「やだやだ、ヤラシイ!もうダメだよっ!!」
「なんでだよ?」
「今日はダメ。せっかく美味しかったのに。」
「ふーん・・」
「忘れないように覚えておかなきゃ!」
「馬鹿らし。」
「なんだとー!?なっつんってばなんだか急にえらそうだじょっ!」
「もうオレのだって決まったんだから遠慮なんかするかよ。」
「ええっ!?そ、そんなの・・ほのかが浮気とかしたらどうするよ?」
「報復する。ってか、いきなり浮気かよ!?」
「いっつももててる人に思い知らせたいじゃないか。」
「おまえなー・・・許さねーからな。他のヤツとなんて。」
「なっつんこそ、浮気許さないからねっ!?」
ほのかがオレの頬を摘んで伸ばしやがったので、お返ししてやった。
いつもみたいにじゃれあって、どこが変ったのかわからないほど普段どおりで。
そのことにほっとしていた。それでも確かに変っていたんだ。


あれは珍しく雪の多く降った2月のことだったな。
浮気は今のところ発覚していないが、それ以外もあまり変ってはいない。
いつだって特別だったあいつが『恋人』にもなった、そんな日だった。
くだらないイベントのチョコは毎年一緒に作るようになったくらいか。
雪の降る窓辺を眺めているとあのときのことを思い出した。
アイツは覚えているだろうか、『美味しい』と言ったキスの味を。
何故だか、答えまで思い浮かんでこっそりと頬を緩めていたら、見られてしまった。
「なーに、なっつんたら、ヤラシイ。思い出し笑いしてるー!」
「うるせぇ、おまえ締めるぞ、コラ。」
「チョコケーキまだあるよ、おかわりは?」
「もういい。それよりおまえさぁ・・・」



「覚えてるよ、ちゃんと。」「ヤラシイなっつんの顔まで鮮明に。」
ほのかは得意げにそう答えた。予想通りで笑えた。後半は余計だったが。



〜Happy Valentine〜








今回は数年後です。いつぐらい後でもお好きに想像してください。
ちなみに私はかなり年月経ってからと思いながら書きました。
ところでバレンタインに間に合ったんですよ、コレ。(わーぱちぱち!)
2月14日に読んでくださった方には差し上げますv(要る方がありましたら・・;)