林檎  


「ちみは器用だからウサギりんごもお手の物かい?」

ほのかが赤い食べ頃の林檎を俺に差し出して問いかけた。
しかし答える前に、ほのかは美味そう!と舌を覗かせると

「でも丸ごと食べるのも好き!いただきまーす!」

  しゃくりっ!

なるほどみずみずしいものらしく綺麗な咀嚼音が部屋に響いた。
親戚からのもらい物で、我が家にもおすそ分けだと持ち込んだ。
持ち込んだものを食っても悪くはないが相変わらず遠慮がない。
しゃくしゃくと美味そうな音を立てて食っているのを見ていると
突然ぱっと林檎を離し、俺の目の前に突きつけたので驚いた。

「食べる?」とほのかは食っていた大玉のりんごを押し出す。
食いかけを勧めることにも驚いたが、元より遠慮のないやつだし
俺の方もほのかの様子を物欲しそうに見ていたのかもしれない。
誘惑に負けて噛り付いた。爽やかな酸味と甘味が口に広がる。

「・・美味いな。」
「でしょう!?丸かじりもいけるよね!?」

ほのかは自分の手柄のように胸を張るが、それもわかる気がする。
こんなに美味い林檎は俺にとって初めてと言っていいほどだった。
自慢したくなるのも無理はない。親戚はかなり腕のいい職人らしい。
結局一玉の林檎をほのかと二人で齧り合い、細い芯だけが残された。

「はーおいしかった!ごちそうさまだじょ。」
「コラ指をなめるな!汚れたんなら洗えよ。」
「そんなに汚してないもん。こんくらいいいよ。」
「行儀の悪いやつめ。いま拭くものを持ってくる。」
「なっちも汚れたの?ほのかなめたげよーか?」

冗談どころか真面目に俺の手元へ顔を近づけるほのかに拳骨を落とす。

「阿呆!するな!」
「親切で言ってるのにむごい!」
「そんな親切いらん。・・兄キにでもするなよ。」
「まーた。すぐなっちってそれ言うよね!?」
「一つの林檎を齧ったりとか他でもするってのか?」
「んーん。じゃなくて、いっつもお兄ちゃんでもダメ!だね。」
「ダメなもんはダメなんだ。言うこと聞け。」
「はーいはいはい。了解だじょ〜!」
「はいが多い!」

ほのかはけらけら笑って身を摺り寄せる。相変わらず子供みたいに。
分け合って食べた実の甘さが香りとなって漂いそうなくらい近くて
思わず食らいついてしまいたくなる。おそらく咥内全部があの味だ。
唇も指にだって匂いが残っているだろう。危ない連想をしてしまう。
毒の林檎にやられて正気を失いでもしたみたいだ。俺は首を振った。
邪念に囚われそうなときの癖だ。ほのかはあまりに無防備なので
何をするにも簡単過ぎる。だが勿論しやしないのだ。犯罪になる。

そんな俺に気付きもしないほのかはソファの上にぱたりと倒れこんだ。

「お腹も膨れたし・・眠いからちょびっと寝る。」
「またお前は・・しょうがねえな・・」

警告も小言も無駄だと諦める。もう既に夢の中かもしれないからだ。
無邪気にお気に入りのクッションを枕にとても年頃とは思えない格好で。
タオル地のこれまたお気に入りのブランケットを取ってきてかけてやる。
暇になった俺は林檎を食べて眠りに落ちたほのかが起きるのを待った。
そういえばそんな童話があった。 "Snow White " ?・・白雪姫か。
林檎を齧って眠ってしまった話。楓に本を読んでやった覚えがある。

  青白く雪のような白い肌。血のように赤い唇。

そんなフレーズがあった。妹のように儚げで美しい娘と解釈した。
子供だったからそこにあった暗喩には気付かず、誘惑の意味も知らない。
彼女の美しさを妬んで亡き者にしようとしたり、結構血生臭い物語だった。
楓が喜んでいたので良しとはしたが、俺自身は面白さを理解できずにいた。
やがて殺されるのは免れた白雪姫は眠り続ける。いや死んだと思われて棺に?
そのあたりは忘れたが、通りがかった王子が美しさに心奪われ口付ける。
するとどういうわけか白雪姫は蘇る。救われた姫は王子が連れ去るんだったか
そんなラストだったはずだ。楓は良かったと俺と違って素直に喜んでいた。
古い記憶を辿って物語の結末まで思い出してもほのかは一向に目覚めない。
こっちも口付けが必要だろうか。

「起きないと・・王子になっちまうぞ。」

実にけしからん男共だと思うのだが、女は王子様を待つのが好きらしい。
学校で『王子』と呼ばれると無駄に期待されているようで気持ちが悪い。
大体王子共の見た目が可愛かったら手を出すとかがありえない。馬鹿だろ。
楓は生まれながらにお姫様だったから・・・ありえないこともないか・・?
ほのかはちっともそんな柄じゃないと思いつつ寝顔を検証してしまう。
妹より丈夫なのはいいことだが、およそ儚さには無縁の血色の良い肌。
血のような生々しい色じゃない、どっちかっていうと・・桃のような唇。
まあ黙ってればそれなりに可愛いが・・コイツの良さは見た目じゃ・・

と考えたところで我に返った。何をしてんだ、俺は。
頭を抱える。そのほのかの甘い香りにぐらっとしていたくせに。
王子の不謹慎を咎める資格はない。男なんて皆そういうものなのか。
情けなくなっている傍ではほのかが相変わらず呑気で平和に寝息を立てている。
コイツには王子様の救済など必要ない。救いを待っているような玉でもない。
困っている王子を逆に救いに出そうなタイプだ。無謀というか身の程知らずに。
馬鹿馬鹿しくなって考えるのを止め、俺はテーブルに残っている林檎をひとつ
手に取って齧ってみた。さっきと同じ甘い香りに包まれる。
確かに美味い林檎だ。ウサギのりんごに剥いてやるかと思ったとき
いきなりがばっとほのかが飛び起きた。

「なっちずるいじょっ!ほのかも食べるっ!」

叫ぶと俺の手元を両手で掴み、がぶりと林檎に齧りつく。お前は獣か!?
はしたない真似を咎める気力もない俺は林檎が齧られているのを眺めていた。
次第に動作が緩慢になり、ふにゃりと笑顔が浮かんだ。美味いんだな、はいはい・・
わかりやすさに吹き出しそうになりながらもほのかのことをずっと見ていた。

「なっちもう食べないの?」
「・・・お前腹減ってんのか?」
「だって目の前で美味しそうにされたら欲しくなるじゃないか。」
「はあ・・そうだな。」
「なっちだってさっき食べたじゃないか、ほのかのを。」
「あー・・うん。」
「一緒に食べる方が美味しいしね!?」
「一個を?」
「そう、はんぶんこが。」
「ふ〜ん・・」
「なっち冬の鯛焼きもはんぶんこしてくれるじゃないか。」
「あれは最初に二つに千切るだろ?齧り合うのと違うぞ。」
「そうか。でもはんぶんこだよ。ウレシイ!」

「俺は白雪姫よりお前のがいいな。」

思わず零れた。本音というやつが。ほのかはきょとんと目を丸くする。
唐突な俺の台詞に呆然とするのも当然だ。誤魔化したかったのだが

「あっ!りんご食べてほのか寝ちゃったから!?メルヘンじゃのう!」
「うるせえな、少し昔を思い出したんだよ。」
「なるほどなるほど。あっしまった!じゃあもう一回食べて寝るよ。」
「まだ寝る気か!?なんで・・」
「王子様に起こしてもらわないと。」
「お前でもそんなこと・・・されたいのか?」
「うんにゃ、別に。そういう決まりなのかと思って。」
「決まってねえ。やめとけ、似合いやしねーし。」
「そうか。まあいいや。でもさ、お母さんはするよ。」
「ああっ!?」
「お父さんが時々死んだ振りするからだって。なっちもする?」
「なんでだよ!?」
「ほのか起こしてあげるよ、なっち姫を。そっちのが楽しそう!」
「冗談じゃねえ!お前はこれでも食ってろ。」

手に持っていた林檎をほのかに押し付けると、素直にまた齧りだす。
甘い甘い香り。誘惑も期待もほのかが噛み砕いて飲み込んでしまった。
なのに、

「なんか・・ほんとに美味そうに食うな、お前。」
「美味しいんだから当たり前だよ。」
「そうだな、シンプルだ。」
「何が?」
「なんでもねえ。」

ほのかは首を傾げて怪訝な顔で見たが、放っておいた。
くだらないことで悩むなとほのかにまた教わったらしい。
そしてそれらはいつも正しい。あっけらかんと正解する。
こういうところに勝てないんだ。俺は相当してやられている。
満足そうに食い終わると、ごちそうさまが聞こえた。

「さすがに食いすぎだ。残りはまた明日にしろ、ウサギに剥いてやるから。」
「明日も一個を齧り合おうよ。そのほうが美味しいから。」
「・・・なら、そうするか。」
「うん!」

ちっとも色気のない、けど世界でたった一人のお姫様の頬に口付けした。
王子様なのは妹の前だけだと思ってた。だけどこのお姫様は特別なんだ。
妹に心の中で謝って明日は寝た振りでもしてみるかなんてことも考えた。

「なんでほっぺちゅーなの?りんごのお汁付いてた?」
「ああ、甘え。明日も楽しみだ。」
「おお、素直!ほんとに美味しいもんね!?」

何にも知らないほのかは無邪気に林檎のことだと笑っている。
王子なんて皆不埒なこと考えてるんだと教えてやるべきか、否

ほのかはとっくにお見通しで、俺をいつだって試してる。
理性を総動員してこれからも誘惑に耐えようと誓った。








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