Reborn 


 血液が凝固し、傷付いた体も再生を始めた。
生きている証拠に断続的に痛みが襲う。それも
これまでに何度か経験しているもののはずだが
傷とは少し外れた位置が未経験の痛みを訴える。

 「あっ!今日はしゅぎょうはお休みだよ!」

 無遠慮に人の家に押しかけてきたチビは俺に
寝ておけだの、包帯を取り替えてやるだと煩い。
粥なぞいらんと言うのにとてもそうは見えない
恐ろしげな物をふーふー息で冷まし与えようとする。

 「男の子は無茶するもんだというけどねえ・・」

少々年代とちぐはぐな年寄り染みた説教口調は
舌足らずな幼い声のせいでどうにも力が抜けていく。

 「もう会えないのかと思ってたのだ。よかった」

再会を喜ぶ声は幼さと無縁に心の底から聞こえた。
体が熱くなる。鈴のような声や小さな手が触れる度に。
ずっと以前から知っていたような錯覚と記憶の混濁。
妹を世話焼いたのは俺だったから立場も逆転している。

 「なっつん、無茶はもうするでないじょ。」

身内の親身さで切なそうに「ほのかを泣かせるでないよ。」
なんて告げて俺に返事を詰まらせる。つい頷いた俺も俺。

 「元気になったらしゅぎょうよりまずはオセロだじょ!」

毎日通う気満々なのだが、どうしたものか。何を言おうが
無駄な気がして黙り込む。俺はどうかしてしまったらしい。
まるで死んで蘇ったみたいなのだ。不思議な程変わった。
失って再生産された血液は同じ心臓が送り出したはずだ。
それなのに脈打つ鼓動も呼吸も視界さえもが違っている。

 「よしよし、お熱もない。顔色も良くなったのだ。」

ほとんど独り言だ。俺が何の返答もしないせいなのだが
本人は気にするでなく、パタパタ子犬のように忙しない。
じっとしてないところも妹とは正反対。今俺は妹の気持ちを
理解した。傍に居てやればよかった。特に何もしなくとも。
否、世話をするしないより俺は居るだけでよかったんだ。
無力さに歯噛みした日々の後悔がそれを知って重みを解く。
笑って声を聞かせて、俺は、俺たちは幸せだったな、楓・・

 ふと静かだったほのかが俺の顔を覗き込み、髪を撫でた。
優しい手だ。こんな手を差し伸べてもらえる日がくるとは
思うべくもない。涙と一緒に熱い塊が喉から吐き出そうだ。
実際泣いてはいなかったが、情けない顔を見られているのは
間違いなく、こんなに無防備に人の前にいるのは久しぶりだ。
チビの名を心に思い浮かべた。”ほのか”そう言ったはず。

 白浜兼一の妹。知らずに出会った。何故か見捨ておけずに
家に連れ帰った。何度も訪ねてくる。拾われたのは俺の方で
世話をしてやらねば俺が死ぬくらいに思われていそうだった。
名前を覚えたが口に出せずにいる。ずっと・・まだ呼んでない。
チビとかガキとかおいとか・・碌な呼び方をしていないのに
ほのかは俺をなっつんと呼んだ。まるで友達みたいに。

 「なっつん、オセロに勝ったらお願いきくのだじょ。」
 
願いを?叶えてくれるというのか。それとも・・勝つつもりか。
傷が治ったら終わりではないのか。まだ俺に構い続けるのだな。
また傷でない箇所が痛む。俺はこの子に望んでる。傍にいること。
声を聞かせていること。触れてくれること。どうにもキリがない。

 「りんごむこうか?ん〜・・お掃除しようかな。それとも」

 思案して立ち上がろうとしたほのかの腕をうっかり掴んだ。
驚いているが直ぐに踏みとどまり、にっこりと微笑んだ。

 「やっぱりここにいるよ。ねえ、しりとりしようか。なぞなぞは?」

首を振る。どうしてだか口が動かない。なんて答えればいいんだ。

 「なっつん、だとんでいきなり終わってしまうのだ!いかん。」

 「じゃあほのか、か!かだよ、なっつん。」

俺が答えないのを勝手に「しりとり弱いの?」などと言ってる。
そして待たずに自分で「か、か・・カスタネット!」「と・とー・・」
一人でしりとりする奴を初めて見た。意外に友達が少ないのか?
さすがに数回で飽きてしまい、今度は俺の横にぺしょんと顔を置く。

 「眠たくなってきちゃったじょ・・なっつん、一緒に寝よっかあ・」

ほのかは変な格好で眠りかけていて慌ててその頭を俺の膝に乗せた。

 「・・んおー・・らくちんなのだ〜!ありが・・とお・・」

俺の膝を枕にして長椅子の上でほのかは眠ってしまった。猫か!
動けなくなる前に本でも用意するべきだった。所在なく寝顔を見る。
あどけない。平和そのもの。餅のような頬にそっと指を伸ばして
突きたくなって困る。温かい体温。寝息のリズム。時が穏やかだ。

 「〜〜・・おいしー・・・ねえ・・なっつ・・ん・」

寝言に驚く。何か食う夢を見ているのか。口元が思わずゆるんだ。
心の中で「ほのか」と呼んでみた。聞こえるはずもないのに動悸がする。
口にするのはまだ無理そうだ。思っただけでこんなになるのだから。
他の名を幾つか思い浮かべてみても動悸も動揺もない。不思議なことに。

 ”ほのか” ”ほ・の・か” ”ほのか・・言い難い名前だな。”

 「むみゅう・・なっつん・・もっと・・食べりゅ・・」

寝言によると俺が夢の中で食わせている?腹が減っているのなら
起きたら何か本当に食わせてやろう。冷蔵庫に何か・・あったか?
最初にこしらえてくれた料理のお返しに俺が作ってやってもいい。
そうだ、それならこいつの粥だのなんだのを食わずに済むのだから
良い考えだ。それにきっと俺の作るのが美味いんだから喜ぶはずだ。
さっきみたいにもっと食べると言うかもしれん。いかん笑っちまう。
どうしよう、こんな気持ちは初めてだ。楽しい・・というのか?



 「・・・寝てた・・わっヨダレ。ごめん、なっつ・・」

  ”寝てる。わー・・かわいい!ふふ・・あっ!”
  ”寒くないようにクッション寄せてくれてる。”
  ”やさしいのだ。へへ・・それに背中さすってくれてたよね。”
  ”気持ちよかったのだ。起きたらお礼言わなきゃ。そうだ!?”
  ”一緒におやつ食べよう。何がいいかなあ?何が好きかなあ?”
  ”なっつんだいすき。かわいいし、いいこだし。それに・・・”


  「ほのか」
  「え、はい。」

 「あり?寝言?夢にほのか出演中?やったね。」

 「・・・!!!?」
 「あっ起きた。なっつん、おはよー!」
 「!・!!・!!!!」
 「今日はどうしちゃったの?声を聞いてないかもだじょ。」
 「っ・っ・・〜〜〜;」
 「ああでもさっきなまえ呼んでくれたっけ。うれしいじょ。」
 「・・!?!」
 「もしかしてはじめてじゃない?ねえ、もう一回呼んでよ。」

首が千切れそうなくらい振って顔を背けた。顔はおそらく赤い。
なのにほのかは俺にすがるようにして背中にくっついてきた!

 「わあ、真っ赤!なっつん、なまえ呼ぶのが恥ずかしいの??」

  ”肩にあごを乗せるな!擦り寄るな!どうすりゃいいんだ!?”

 「ねえねえ、なっつ〜ん!こっち向いて、だじょー!」

  ”向けるか!頼むこっちを見るな。じゃないと・・俺は”

 「こっち向いてくれないとちゅーしちゃうぞ!なっつん!!」

 ”なんでそうなるんだっ!バカかっ!?”

 「観念するのだ。ほのかのちゅーだぞ、光栄に思いなさい!」
 「やっ・やめろ!ばか。ほのか!」

 とうとう声は飛び出した。突っぱねようと振り向いた瞬間、
目を瞠る。ほのかが驚きと喜びで絶句している顔が見えたのだ。
名を呼ばれただけでそんな風に喜ぶことなどあるのだろうか。
焼け付くように胸が熱い。ほのかがその一瞬の後崩れるように笑うと
俺に抱きついた。「わーい!!呼んでくれたじょーっ!!」と言って
幸せそうに。ぐらぐらと視界が揺れる。血が沸騰する。なんだこれは。

 俺はやはり死んだのか?それともここはあの世なのだろうか。
 違う。断じてそうじゃない。ほのかがいる。ここで俺に向けて
笑っているではないか。確かめるように腕が伸びた。腕の中で
ほのかがはしゃいだ声を上げた。俺たちは抱き合って何してるんだ。

 「なっつん!だいすき!だいすきだじょーっ!!」

 耳元で殺し屋が叫ぶ。俺は何度もこんな気分を味わうのか。
 生きながら天に昇るとは。離したくなくてうっかり抱きしめた。








ほのかが囚われた例の事件の後、再会したばかりの頃です。
抱きしめた後でわたわたしてまた大変なことになるんです。